原初のキス

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2012年 12月 06日

「感じる」と「考える」

東京藝術大学で音楽家の不調の防止や表現力の向上に関する教育にも用いられている、身体技法のアレクサンダー・テクニーク。先日その世界的に有名な教師の一人であるJeremy Chanceの話を聞いていた時、「何かを「感じよう」としているときはほんとうに感じることはない、つまりはその状態は、感じるということについて「考えて」いるにすぎないのだから。」と言ったのでびっくりした。びっくりするもなにも、アレクサンダー・テクニークに公私共にかなりの間関わっている自分はこのことは知識としては知っている、でも改めて聞くと、なぜかとてつもなくはっとするのである。

単なる知識と、ふとした瞬間にはっきり認識する、あるいは常にしっかり認識していることとは違う、さらには、明確に腹に落とした上での「実践」となると、これらはすべて、それぞれ別の次元にあるといってもいい位異なった事象だ。もちろん別に身体技法でなくとも、芸術だって同じこと。

by zelan | 2012-12-06 00:47
2012年 07月 02日

動いても

アレクサンダー・テクニークの世界有数の教師から今日おもしろい考えを仕入れることができた。頭の中で言葉をあやつってさまざまなことを考えているとかなりの場合、身体のコーディネーションが固く、悪くなることが悩みなんだけど、それはもしかしたら、子供の頃に始まった習慣などから、自分が「考える」ということと「動かない」ということをつなげて考えている/感じている可能性があるのではないかということを指摘されたのである。

しかしながら考えつつ動くということはできる。実際教師のすすめでからだをはでに動かしながら「考えて」みたら簡単にできたばかりかおもしろかった。それに動きが仮に目に見えるほどではなくっても、我々の肉体は常に必ず、動いている。

(この先生はワシントン大学で演技パフォーマンス向上等に長く関わっているキャシー・マデンという方。)

http://www.alexandertechnique.co.jp/modules/contents/index.php?content_id=486

by zelan | 2012-07-02 22:33
2010年 10月 22日

アレクサンダー・テクニーク

先日、仕事の関係でBody Chanceという会社におけるアレクサンダー・テクニークのワークショップに参加。
背もたれのない椅子に腰かけていたが、ワークショップを見聞きしつつ(一般参加者ではないので先生に実際触れてもらって学ぶ部分には参加しなかった)座っていればいるほど、コーディネーションが向上し、座っていることが快適になっていくのを感じる。私は7年程これを習っていたことがあって、先生の提供する情報や言葉と体験のつながりがなにがしかあるので、しかるべく影響をうけるのである。
通常同じ姿勢を続けていると急速に疲れていくものだが、さりげなくすごいことかもしれない。

アレクサンダー・テクニークで学ぶことというのは、実は「しない」ということである。
一方99.9%の学びは、何かを「する」ことに関わる。
アレクサンダー・テクニークを学ぶとは、LearningでなくUnlearningであると言われるのは、このゆえだ。習慣により付け足しているものを、手放すということ。

座っているときにはただ座っていればよろしい。座っていることに必要のない一切のことをしないことは、ごく小さかったころは皆それができていたのだが、おとなになってからは、立派な(脱)学習の対象なのである。

アレクサンダー・テクニークについてしばしば思い出す言葉。
老子の、「無為をなせば、治まらざるなし」。

Body Chance
http://www.alexandertechnique.co.jp/

by zelan | 2010-10-22 22:46
2010年 10月 04日

ボデイ・ワークを体験すること

アレクサンダー・テクニークをBody ChanceのJeremy Chance社長から長い間プライベート・レッスンで学んでいた。
最初の頃のレッスンで自分と対峙して立っている彼を見て、私は無宗教なのだがふと、「神」のようだ、と思った(後年彼に言ったら笑っていたけれど)。
要はそれまで、立っているとき、微妙であれもじもじしたり、ぐらぐらしたり、くにゃくにゃしたりしている人しか見たことがなかったのである。もちろん、自分で気づくか気づかないかはともかく誰もがその要請があってしているのだから、してはいけないというのではないが、たとえば立っているとき、立つということ以外の余計なことをしないでいることを「選択でき」、かつ「実行している」人間を見ると、自分の比喩では神しか思いつかなかったのだ。

世界的な舞踏家でベルリン在住のイムレ・トルマンに、彼が東京にいた頃習っていたこともあって、ある日レッスンの後喫茶店でひとりでお茶を飲んでいたら、突如自分の心身の中に、これまで一度も感じたことのない情緒を感じた。
それは「威厳」だった。もちろんいつもあるとは限らないが、とにかくある瞬間の心身のありように、それを感じたのは初めてだったのである。

アレクサンダー・テクニークのように歴史ある信用に足るボディ・ワークであっても、ボディ・ワークにおいてはすべてを「客観的に」語ることはできない。体験しなければ理解できないことがたくさんある。もしそうでなければ、ボディ・ワークがボディ・ワークたることの魅力も、意義も、ない。

Body Chance
http://www.alexandertechnique.co.jp/

by zelan | 2010-10-04 21:09
2010年 09月 29日

アレクサンダー・テクニーク

このブログでときどき書いている「アレクサンダー・テクニーク」は、100年程前に開発された、西欧では有名な身体技法。身体技法といいつつ、心まで含めた「自分」の適切な使い方に関し、意識的無意識的な習慣を脱却し、いま、ここ、で人がほんとうに目的としていることの実現にかなう、合理的な思考、そして動きを生じさせるプロセスと体験を、先生が手によって教えてくれる。
ジュリアード音楽院を始め多くの芸術系大学などで音楽家や俳優の教育にも取り入れられており、著名人にも実践者が多い。スティング、ポール・マッカートニー、ジュリエット・ビノシュ、ジェレミー・アイアンズ、古くは教育学者のジョン・デューイ、小説家のオルダス・ハクスリーなど。
この技法は奥が深くて色々な利用法がある。肩こりや腰痛につながる体の使い方を自然で適切なものにする、やりたい活動をよりうまくやる(だから上述のように音楽家や俳優は表現能力の向上に活用している)。自己マネジメント力を強化してストレスを減らす。

でも自分にとって一番役にたったのは、心身を適切に使っていくことを目指すなら、何であれ不適切なことを「やめる」ことが重要だということを知ったこと。少し困ったり不都合なこと、達成したい目的などがあると、我々はすぐなにか「やろう」とするものだが。また、からだの動きを観察することを学ぶので、つまりすべては変化する、ということを身をもって知ることができた。

PCや椅子のせいで、我々の肩がこり、たとえば老化のみをもって、腰が悪くなっていくのではない。自分の責任はすべてではないにしてもかなりのところ自分で持てる。外からの治療や、カウンセリング等ではなく、自分を育てることで自分を救う技法である。

アレクサンダー・テクニークについて
(同技法のレッスンを行っているボディチャンスのWebより)
http://www.alexandertechnique.co.jp/modules/contents/index.php?content_id=3

by zelan | 2010-09-29 21:50
2010年 09月 12日

The right thing does itself.

おそらくほとんどの人が、何かを「得る」ことでより幸せになると思っているが、感情や考え方も含め、幸福に干渉しているものをなくしたり手放したりすることで、自然に幸せになる。
アレクサンダー・テクニークの考え方で、The right thing does itself. という言葉があり、正しいことは自然に(自ら)起きるというような意味だが、つまり我々がしている、加えている何か余計なことをやめるならば、天然自然の正しさや適切さが、現れるということ。

にわかには信じがたいことだけれど。
こういうことは思弁的にだけ受けとめるなら反論満載のことであろうが、例えばボディ・ワークなど、経験に照らして対象の明確な思考をすると、これが正しいことを例証する事象を、際限なく見いだすことができる。

by zelan | 2010-09-12 00:27