原初のキス

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2011年 09月 14日

たいせつなこと

自分は美術作品の鑑賞や制作において、コンセプトとかマチエールとか美術史的文脈における位置づけ(つまりは新しさ)とかにはあまり反応しないのだが(もちろん見たり考えたり「総合的」には気にするけど)、ものの位置が正しい!と感じるものには突出してえらく反応する。
この感覚は音楽的な感覚を、美術にも適用しているのではないかと感じるときがあるし、あるいは、自分にとってやはりアタマよりカラダというものが、重要であり尊敬しているのだ、と思ったりもする。

by zelan | 2011-09-14 19:49
2011年 09月 07日

お手本

美術のお手本は音楽!と、どういう訳か確信に近いものがある。これはいい音楽を聴いたときいつもいつも戻ってくる認識。

何をどう聞かれても、ノリですけどなにか?と平気で言いたい。とはいえ現代の視覚美術の人にとって、音楽の人々があたりまえとしているこの答えは、もうあたりまえではないのではないだろうかと、自分的には類推をしている。もちろん、ノリですけどなにか?という答えをする人々の制作物のすべてに説得力があるかというと、そんなことは絶対ないのであって、言ってみればノリと言おうと理屈を披歴しようと、ほんとうの答えはただ作品自体が現しているのだ。しかしそれでも、ノリに対する天然の尊敬を体現している「音楽」というものは、自分にとっておおいなる憧憬の対象なのである。

by zelan | 2011-09-07 02:42
2011年 04月 19日

常識

知り合いの音楽家が、経験からすると一日おきに練習した方がよくて、これは業界において誠に非常識的なばかりか、自分の感覚から言っても、大変に抵抗のある事実だ、と言っていた。結構おもしろい。継続はもちろん力だけれども、それすなわち毎日長時間やる、という形でない可能性がある。
でも、それが事実かどうかはともかくとして、ほんとうにそうかどうか統計的に実証できるほどに試そうとしてみるとき、一番障壁になるのは、自分の「感じ」なのである。

人間にとって、自分がそう「感じる」ということは常に、神なのだ。

ほんとうにそう「感じて」いるのかを、問うこともなく。
自分が純粋に「感じ」られることに対し、我々はどれほど多くの干渉をしているだろう。偏見や思いこみ、不必要なおそれや、あるいは期待や願望によって。

by zelan | 2011-04-19 23:49
2010年 03月 02日

2010年3月2日 音楽

文章を書くのがとてもうまい知人に、どうやったらあんなすごいのが書けるの、と聞いたら、「書いた文を音楽のように聴くんだ、そうすると、自然でないところが見えてくる。」と、彼は言った。

今準備している展示(4/4 - 4/10 Bunkamura Gallery +)は6m幅位のパネルですごく大きい訳ではないから、レイアウトを決めるとき個々の作品を言葉、全体を文として、アフォリズムか詩のような感じでそれを聴いてみることにする。

by zelan | 2010-03-02 09:23
2009年 11月 11日

2009年11月11日 グルーブ

音楽には時間があり絵画にはないと言われるがそうだろうか。
絵画も、必ず視線は動いているので、つまりは時間の中にある。
時間があるということはノリが、グルーブがある。
ただその時間が普通はあまり長くないので、認識が一瞬で終わる
ような気がするのだ。

音楽は泣けるけど絵で泣くのはまれ。これは多分グルーブの
長さに関係する。私自身が絵で一度だけ感涙したのは、
システィナ礼拝堂のミケランジェロだ。ご存知の通りものすごく
大きいので、長い間グルーブと共にいられる。

音楽と絵画、我々は別のものを体験しているとも言えるが、
動きという同じ質を味わっているとも言える。

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by zelan | 2009-11-11 08:20