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原初のキス

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2019年 03月 29日

興奮したり落ちついたりのナゾ

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どうも PC などに向かって言葉を打ち込んでいたり、あるいは頭の中であーだこーだ言語を操って考えていると、どんどん興奮してきてしまう傾向が自分にはある。
そして制作等、主に視覚を使う活動にシフトすると今度は妙に落ち着いてくるのである。
それぞれのコンテンツの問題も大きいだろうので必ずしもそうでもない時はあるが、雑駁に言えば言葉は交感神経賦活系であり視覚は副交感神経をいい具合に刺激してくれる感じが否めない。
これが自分の個性なのかそれとも人類一般そういう傾向があるのか少々興味を持っている。

ところで私は最近このブログの原稿を主に Google の音声認識を使って書いている(・・しかし音声認識を使うとなんだか「書いている」というより純粋に「考えている」っていう感じになる)。この場合も言葉ではあるので、ある程度交感神経は活発になるが、PCでキーボードを打つより落ち着きが保ててるような気がするんですよね・・。自分の声を聴くので、キーボード打ちにはない「聴覚」が刺激されるからかもしれない。



by zelan | 2019-03-29 10:39 | 感覚について
2019年 03月 28日

何が左腕を動かしたか


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最近歩いていてどういうわけか左腕が右腕ほど振れていないのに気がついた。
思い当たる原因の筋は多少はあったが、いずれにせよ両手が降りたいなと思ってこれをやってみた。


結構真剣に数日間やったのである。でその後外を歩いていて普通に左腕が振れているのに気がついた。なんだか分からないが脳内に両側を均等に動かすと言う回路が再構築されたらしい。

これはさほど不思議な例ではないかもしれないが、とにかく体とか頭とかは意識的な自我とは別のところで、色々に色々なことをやってくれている。
昨今世の中に情報や刺激が非常に多いこともあって、何かを勉強したいと思ったり解決しようと思ったらそこそこ多くの情報をインプットしたり、試みてしまいたくなるが、それをいちいちまとめたり反芻したりしているのは大変である。整理したり理屈を考えたりするのはそこそこにして、とりあえず入れてみて無意識とか体のシステムがなんとかアウトプット に反映してることを期待する、という戦略?を自分は取りたい。むしろその方が効率がいいんじゃないかしら。なぜ左腕が振れるようになったかなんてわからなくても振れさえすればそれでいいのだから。

似たようなことだがちょっと込み入った問題を考える時、私はもうあまり考えないことにした。
「ハイ、これ問題。」と頭にお題を出しておけば、暫く待ってると答えがデリバリーされることが多い(特に朝起きた時など)。もうこのやり様を結構な期間実行しているが、問いが出たその場でうんうんうなって考えるより良い答えが出やすいのは少なくとも個人的には実証済。

うなっている時、人は言葉や理屈で考えてることが多い。宿題を出された頭の方は、恐らく言葉では考えてないのである。そしてまた、きっとからだも味方に付けて回答をクッキングしてくれているのだ。




by zelan | 2019-03-28 14:55 | ライフハック
2019年 03月 25日

イチローの引退会見と言葉とアート

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言葉と同じ土俵に乗らないために美術をやるという感覚が私にはあるが、そういう人は少なくないのではないかと勝手に思っている。

自分の場合、言葉の、「表現」する力に対する疑念というよりも、「制約」や「強制」する力に対する恐怖からという方が正しい。ピンクの象を思い浮かべるな、と言われても途端に脳内で見えてしまう訳だし、解剖学的に肩という独立した存在は規定しづらくそれは機能や動きとしては腕の一部に過ぎないとしても、肩と言われればそれが実質的にも存在するかのように感じてしまうとか・・・。そんなふうに言葉の持つ一種の呪術的な力によって、少しずつ少しずつ物の本体と認識がずれていき不正確なものが正確で実体的であるかのように感じられていってしまうのだ。

一方、というかそういう認識を持っているからなのか、言葉を見事に使っている人々を見るととても心を動かされる。

最近の例。イチローの引退会見における「人望発言」には泣けた。
彼は自分には人望がない(だから監督はムリ)と言ったのだが、この発言をもって彼が「人望」というものの定義をぐぐ~っと大胆に拡大していることは明確である(だってイチローに人望がない訳がない)。しかもその上で、彼ほどの求道者であれば確かにいわゆる処の人望に関連するものを捨象しなければならない場面があることもよくわかるのである。定義を拡げてそれでもわからせる、これってアートじゃないかしらん・・。

アスリートのアート発言(今勝手にそういうジャンルを作った)と言えばもう一つ近々の例がある。先日スケートのプルシェンコがテレビで、彼には一つ後悔があって現役の頃ある試合で「人に勝とうとしたこと」だというような趣旨のことを言っていた。これを聞いた自分はこの次に出る言葉が人ではなく自分に勝つ・・・みたいなことなのかな、と思ったのだが、あにはからんや彼は、人に勝とうとするんじゃなくて何のために滑っているのか目的に思いを馳せる、ということを言ったのである。人と自分、でなく人と目的というこの非対称性、これにも自分はグっときた。

一流のアスリートというのはスポーツという場で即ち常日頃から完全に現実というものに直面している。自分のメンタルをも含む現実を観察しその中で(アートとは違って)明確に定義された結果を得ることを訓練されているのだから、いつも「現場・現物・現実」。それがこうした言葉の重さの源泉なのではないかと思う。




by zelan | 2019-03-25 23:05
2019年 01月 10日

突破口何を突破するか占い

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以前、「模造紙、何を真似てるか」という記事を書いたが、自分は時々、語源が気になることがある。
どうも新年で抱負づいていたからかもしれないが、先日も「突破口って、そもそも、何を突破するのかしら」と、思ったのだった。

昨今何でもネットでさくっとわかるものだが、これについてはあまりすっきり説明してあるものがなく、ただ戦闘的な場面における「敵陣への」侵入口をものすることに関係することはぼんやりわかった。理解としてはぼんやりだったがしかし、この「敵陣」という概念に自分はぐっときたのである。

話転じて私はいわゆるところの占いが嫌いだ。
理性の終焉をもってソレが出張ってくるとまで思っており、あまりものをはっきり嫌うという性質ではないにも関わらず占いだけはユルせない存在としてテキシしている(漢字で書かないのは占い好きの人に攻撃されないように最初から腹を見せているつもり・・人それぞれの好みもあろうし)が、世にあるゲームっぽい心理占い的なものはさほどテキシはしていない。それでいくと、「突破口と聞いて、どんな状況で何を突破してると思いますか」というのはいいお題かもしれないと思った。

なぜなら自分の場合どういう訳か、「突破すべきものは自分の側にある」、と思っていたからである。
簡単に言えば、状況打破において不合理な性格だの習慣だの信念だの、自分のカラだのワクだのそういうこと。
でも「敵陣」かー、なんかいいではないか。目標がくっきりしてるし、敵陣に突破口をあけられるということは自分の側の問題はいい具合に解決してるか、あるいはその問題だと思ってたものは敵陣突破にはクリティカルなものではなかったのだから。



by zelan | 2019-01-10 15:31
2012年 11月 06日

ことば

なにかものを創るときに自分の中でことばを使わないというのは、ものすごく重要なことではないかと思う。おそらくそれが小説だとしたって、同じことだ。

スマナサーラさんという仏教の有名なお坊さんが、ことばを使って考えるとすごく遅いんですよ、という意味のことを言っていらしたかと思うが、自分の実感としてもそれはある。既に知っている、わかっている、それが故に信頼していいことに関しても、ことばは限りなく干渉する。

というのがことばのある一面。もちろん自分は、ことばに対して全面的に懐疑心や警戒心を持っている訳ではないけどね。要は使いようだ。念のため。

by zelan | 2012-11-06 19:56
2012年 07月 21日

今日の感心

レストランで食事をしていたら、近くのテーブルの側に立って遊んでいた5歳位の姉妹が、「いってきまーす」「いってらっしゃーい」と元気よく言い合って、結局ふたりとも、すなわちいってらっしゃいのセリフの担当者も、レストランの外の方に(と言ってもビルの中だけど)、走っていってしまった。

「いってらっしゃーい」と言った直後に自らいってしまうというのは、言葉がもたらす制約から未だ自由であるということだ。

意識的であるか否かはともかくとして、かなりすばらしいと言える状態のひとつであると、感心。

by zelan | 2012-07-21 22:58
2012年 02月 22日

メモ

「感情は暴君。では感覚は?」という自分のメモ書きをノートに見つけたが、いつ、どうして書いたかもわからない。
それなりに含蓄のある言葉(問いかけ)のように思えないでもないけれど。

by zelan | 2012-02-22 21:56
2011年 02月 09日

わけられない

「身長」と「体重」というものがありそれぞれ個別に認識することはできるものの(というか、個別に認識したからこそそう名づけえたしもって計測可能にもなったのかもしれないが)実際のありようとしては完全に一体化しているように(ひとりの人間を身長と体重にはわけられないから・・)、作品に「精度」と「コンセプト」という軸が(軸はそれだけでないにしても)あるとすれば、これらは別々に認識はできるが結局のところ、わけられないのだ、ということをふと考えた。

(この文はかっこが多すぎるけど、頭の中で考えてるときは一直線で一瞬。ということは、人は文で考えてるような気がするけど、実際はそうでもない、ということらしい。)

by zelan | 2011-02-09 21:44
2011年 01月 10日

言葉

言葉というものを自分は基本あまり信用していないところがある。言葉で表現できることはたかがしれており、その一方で方向づける力があまりに大きい。

でも、言葉がなければ、変わらないこともある。

by zelan | 2011-01-10 23:03
2010年 12月 17日

ことば

以前美術のセミナーに通い始めた頃、自分の制作物のことを「作品」と呼ぶのが恥ずかしくて、代わりに「つくったもの」という言葉をよく使っていた。次回もつくったものを持ってきます、とか。
今でも、自分であれ人であれ、「作品」と言ったり聞いたりするとちょっと変な気がする。

by zelan | 2010-12-17 00:17