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原初のキス

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2019年 02月 18日

わりとダイジョブ、破壊と絵画

この記事は最終的には当方のコラージュクラスの告知になることを今ここで予告するが、話の発端としては先日、今ひとつ期待通りにいかなかったことがあって機嫌が悪くなり友達にグチっていたら、しばらく黙って聞いていたその人が「でもそれって、わりとダイジョブだよね」と言ったことに遡る。確かに。おいしいものを食しつつ親切な知人にグチを聞いてもらっているという状況自体が、ダイジョブ感満載だ。ダイジョブでなかったら、自分はその頃対応に駆け回っていなければならなかったはずだからである。

話変わって現代ドイツの世界的画家、ゲルハルト・リヒターのビデオ「Painting」。
ネットでトレイラーを見てDVDを買った(悲しいかなPALだけだったのでPALが見れるDVDプレイヤーも同時に買った・・)。

トレイラー:

ここでは彼の抽象作品の制作過程をつぶさに見ることができる。たとえ既にかなり美しいと思える画面であっても、幅広のスキージ(持ち手を付けた板のようなもの)をザザーっと惜しげもなく走らせている。結果、乾く前の絵具が押されて一瞬で画面が相当に変わる。絵具が混ざったり、さっきまで一番表に出ていた絵具が下からほの見えるだけになったり、あるいは完全に表からは消えたり。そしてまた別のスキージの操作で、いきなり表にひっぱり出されたりするのである。リヒター自身が、なんでここにこの色が出てきたんだ、などと言っている場面もある。このスキージ操作は、何十回も繰り返される。

壊すの、わりとダイジョブなんだな、と自分はこれを見て思った。
途中で彼が、「あ(に点々)~、さっき間違ったー!」みたいな発言をしているところもあっておもしろいのだが、結局の処作品は終局(完成)に向かう。彼の言葉の主旨によれば、絵に追加の打ち手を取りうる可能性がなくなった時、とにもかくにも絵は完成する。

作品を制作するとき、「壊す」という行為に関する構えや考え、感情は作家にとってそれぞれで、技法との関わりも深い(ごく乱暴に言えば油絵は破壊に対しロバストだけど薄塗りで色の濁りやすい水彩は壊しづらいとか・・)。破壊、それは時に不可避かつ絵に力を与えるためには必要な場面がある一方で、特に心情的には忌避され、ある場合は勇気の象徴であり別の場合は(どこかのプロセスで過ちを犯したなどの)愚かさの結果と認識される、等々と、なかなかやっかいかつ興味深い存在だ。

リヒターのこのスキージの技法のプロセス上の眼目はしかし、壊すという言葉だけでは語れないところもある。「結果を(ほぼ)不可知にする」というための技法そのものであるように見えるこの操作は、壊しているのか創っているのかさえ不可知にすることで、創造と破壊を同時進行させ作家の仕事をかなり「選択」するということに振り切っているように見えるからだ。

でも以前高名な美術家の方が、ものの見方は使っている技法に影響される、とおっしゃっていたなあ・・自分がリヒターのスキージを上記のように感じるのも、技法のひとつとしてコラージュを使ってきたからに違いない。結局「選択する」ことはコラージュ行為の中心であるからだ。いずれにせよ何かをある程度以上理解し実践することは、多かれ少なかれ新しい目、すなわち「そういうものの見方」を、持つことなのである。

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by zelan | 2019-02-18 21:43 | セミナー案内
2018年 12月 25日

絵は何の役に立つか

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自分は平面美術を創っているので、絵という言葉で代表させるが、絵には機能がありその最も重要なものの一つは

戦争の抑止

である。冗談みたいに聞こえるが、ソレを創ったり見たりしている時、人はその思考や感覚において戦うことから遠く離れる。

その時間は個々においては短いかもしれないが、その積み上げは、必ずや世界に影響を及ぼす(自分は感覚的に、あるいは希望から言っているのでない。単に人がやることなすことの時間は有限であるという事実から、論理的に言っているのである。故に世の中のあらゆる事象・事物は、概念的に大きく二つに分けるなら戦争を推進しかねないものと、抑止するものに、分かれる)。

よく、絵には具体的な機能がない(=それ自体としては何の役にも立たない)というような論があるが、これが何を言わんとしているのか、自分には全然わからない。存在するもので機能がなく、即ち役に立ったり、害になったり(こっちは役に立つの逆)一切しないものが、もしあるんなら今、目の前に出してほしいな・・。



by zelan | 2018-12-25 08:08
2018年 03月 19日

酒による比喩

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絵画は醸造酒であり、版画は蒸留酒である、というのは自分が持っているジャンル横断的な認識なのだが、この理由をいざ言葉で説明しようとするとなんだかめんどうくさいことになる。でも、それこそ先般酒を飲んでいる席でこの考えを披歴したら即座にそうだ!と同意してくれた人がいたので、あながち根拠のない妄想でもないのだろう。

池田満寿夫氏が確か60~70年代位に書いたエッセイに、油絵をやってるとマチエール(いわゆる絵肌、絵の表面の持っている質感のこと)を作るのに苦労して正直疲れ果ててしまうが、版画なら技法を選んだ途端にマチエールはある程度規定されてしまうので、自分にはそれが合っているし好きだ、みたいなことが書いてあって、この言説は上述の醸造酒蒸留酒理論と、自分の頭の中ではつながるものであった。

う~ん、でもこういうと、単に時間の問題、みたいに聴こえちゃうかな。そういうことでは、ないのだけれど。
版画ってのはその名の通り「版」があって、それを何かのプロセスを通すことによって元とは形態及び質の違うものに転化する。でも絵画はその存在自体の中でじわじわと積みあげるように自らを変えていく、という仕組みを持ったものなのだ。





by zelan | 2018-03-19 00:18
2018年 02月 20日

点をつける、ということ

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全ての芸術は音楽を憧れる、というが音楽は過程そのものが即ち芸術表現だから、というのはおそらくその理由の中に含まれているだろう。(一方、例えば絵画の制作過程は表現を創る途中及び手段である。)そういう意味ではフィギュアスケートなんかはスポーツだけど芸術ぽい。

でもすごく違うのは、「お点」がはっきり付くところ。

じゃ、芸術には点がまったくついてないか、というとそうでもない。自分など何かギャラリーに行って人の作品を見るたびに個人的には点をはっきり、0.1ポイント刻みくらいでつけている。一番イタい点は、「あ~、あらゆる意味において(構想、技術、表現性等々・・即ち多かれ少なかれ人格)100%、完敗」と思う時。でも完敗作品に出会えば出会うほど、自分の喜びでもある(=作品を楽しめる)のが、芸術のよいところである。


by zelan | 2018-02-20 20:40
2018年 02月 09日

欠けたものの力

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「心理的であれ物質的であれ、欠けているものを埋めようとすることに、我々は血道をあげる。
欠落というのは、まさにそこに存在していないがゆえに、あらゆるものの内でも最も強いエネルギーを有するもののひとつだ。アートの表現で、饒舌という方向に自分が魅力を感じないのはそのせいもある。」

と2010年にこのブログで書いたことがあるが、この考えは今も変わっていなくて、何かが欠けていて、その欠けていること自体が作品の質を主にレバレッジしている、そういうものを自分は興味深いと感じるし、自分の好きな方向性での高品質な制作物というものは、大概そういう性質を有している。そこには意識的無意識的に、何かを完全に捨象するか、あるいは存在しているのだけれど隠ぺいして、見る者に容易に知覚・理解させない、という戦略が絡んでいるような気がする。絵画史上最も有名なかの女性の表情などは、その例かもしれない。


by zelan | 2018-02-09 10:57
2018年 02月 05日

おでまし

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自分は無神論者だけど比喩的に言えばものを創ること自体は祈祷的なものに似ていないこともない。自分を媒介にして自分の力そのものではできない状況のお出ましを望み、きっかけを作り、手順を踏みつつ、待つのである。
しかしこういう認識は多分に東洋的かもしれず、西欧の人がそういうある種受動的な制作態度ないし感覚を持つものか否か、自分にはよくわからない。もっと自律・主導型ではないかと思う。

でもこのジャクソン・ポロックの言葉は東洋・西洋のステレオタイプを超えるようでおもしろい。

The painting has a life of its own. I try to let it come through.



by zelan | 2018-02-05 21:48
2018年 01月 30日

「ヘン」について

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知人とギャラリーに展示を見に行った時、その展示がたまたまいたくお気に召さなかったその人が、「真っ白けの場所に、ヘンなもの置きさえすれば現代アート」と苛立たし気に言うので大いにウケた(真っ白けとはいわゆるホワイトキューブと呼ばれるが、壁も天井も白いコンテンポラリーの典型的展示空間)。
もしかしたら気に入る気に入らないとは別に、一部そういう側面は否定できない。ヘン=常とはズレている=よって感覚に刺激がある、というのは、芸術の十分条件ではないものの必要条件だからだ。そのヘンさ加減があからさまであざとかろうと、非常に巧妙に上品に表面から沈潜せしめられていようとも。

ヘンに関し、それが如何に強力なものであるか、モナリザについて妄想してみよう。古風な服装をH&Mで買った普通の服にして髪型も青山のヘアサロンでゆるふわセミロング前髪ありにしても、あの表情で道を歩いてるところに遭遇したら私ならすぐさま逃げます!

(図像:是蘭「虚数の恋」2009)


by zelan | 2018-01-30 00:19
2015年 04月 21日

違い

日本は技巧でアートたらんとし西洋は思想でアートたらんとする向きが強いという違いはかなり大きいと思う。
それで結果が、よくもあしくもかなり変わってくる。

by zelan | 2015-04-21 22:12
2015年 04月 12日

おもしろいこと

美しいって何なのか、というのが自分にとって正直一番真剣におもしろいと思える問いだ。美を愛で、美を創り、うつくしく生きることほどおもしろいことはないように思える。

by zelan | 2015-04-12 23:37
2013年 06月 11日

からだと頭

美術・芸術はからだに訴えるからおもしろいのであって、単に頭だけに訴えるものは瞬間的にはそこそこ興奮するけれども結局のところさほどおもしろくない。

by zelan | 2013-06-11 22:48