原初のキス

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2018年 12月 12日

巧妙なる悪癖システム

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夜更かしをやめたいのだが、この悪癖を折伏するのに苦労している。

思うに寝るのが遅くなってしまうことについて、私は自分の生活を極めて巧妙に、「システム化」しかつその運営に習熟しているらしいのである。
巧妙というのはぼーっとしているとほとんどそのシステムにもオペレーションにも意識が向かないくらい自然にスムーズに連続的に夜更かしに向けてことが運ばれてしまうということ。
恐らく夕食の時間やその後の過ごし方、入浴の時間等、トリガーになる行動だの関連の心理的な要因、加えて住居環境等々が関係している。それを本気で分析しようとすると、無意識の意識化みたいになってそれなりに面白いだろうが、でもそうした分析で夜更かしが必ずやめられるとも限らない気がする。

美術なんかでも個々人がどうしても犯しがちな過ち(自分が達成したいことからのズレ)というのはある。
決してそっちに寄っていきたくないのにどうしても寄っていってしまう。それもまた、恐らくシステム化されているのである。

もとい、そのシステムの究極の理解を待っているといつまでたっても早く寝られるようにはならないのでは、という直観が自分にはある。
ということで12月の頭に机の前に、「12時前就寝」と書いてその後に白い丸が8個並んだ紙を貼った。
今月は少なくとも週2回程は早めに寝ようと思い、それを記録するためである。
システムの分析はともかく、12時ぎりぎりになってもいいからベッドに飛び込むという、その習慣だけ作ればいいのでは、と思って試みている次第。

今のところ一つの丸に鉛筆でチェックが入っているだけなのがやや心もとないが(それに未だこんなに遅くにブログを書いているし・・)、一応今月中はこの仮説検証に励みたいと思う。








by zelan | 2018-12-12 00:22
2018年 02月 16日

実験

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自分の昨今の悪癖の最たるものが夜更かしであって、12時前に寝たいのに1時とか1時半に平気でなってしまう。12時半に寝る・・・実際にやってみる。できた。

できるとわかっていることをやらないのが我々の性、それならば、できるかできないかわからないことをやらないというのは当たり前すぎる選択なんだろう。人々が人生において取るべきあるいは取った方が良いリスクを取らず、結局めざましい進歩もなくつまんない人生を送っちゃう理由がこれではないかと思うほどだ。

多少なり(自分自身の定義で)凡庸である(あり続ける)ことに抵抗があるならば、まずできるとわかっていることをスパスパやっていくことがいいのかもしれない。多分そのコツは、「感情ではなく理性を使う」ということ。


by zelan | 2018-02-16 23:02
2011年 04月 21日

メモと習慣

買う必要があるものをメモして机の上に置いておくが、たいていの場合そのメモを持って出るのを忘れる。

買う段になってメモを持っていないのを思い出す。しかし意外と覚えているので実質的には困らない。
なら、メモを書かなければいい。時間のムダだし、もしかしたら記憶力の訓練にもなるかもしれない。と、毎度思うのだけれどやっぱりメモを書いてしまうのだ。理由はそうしないと何か落ち着かないから。

これが非理性的な習慣というものの性質で、買い物メモくらいならどうでもいいようなことだが、必ずしもどうでもよくないようなことまで日常生活の中にがっちり、習慣というものはくいこんでいるのである。

by zelan | 2011-04-21 09:51
2010年 08月 11日

2010年8月11日 メモ魔

自分のあまり好きではない特徴のひとつに、よくメモをとる、というのがある。もっといやなのはその整理が下手なこと(色んなところに書いてばらばらになったり結局なくなったり)、いやそれ以前に、そもそもメモなどとることがどの程度必要かつ重要なのかに確信をもっていない、ということがある。いうなれば頻繁にメモすることを、一種やめられない悪癖のように感じているということ。
本当に大切なことは経験的に言ってほとんど忘れない。私のようなシンプルライフの人間は、本質的にやるべきToDoなど、いちどきには3つくらいしかないのだし。他のことはそれに付随する、いってみればNot to Forgetという程度のレイヤーにしかない。この2つをいっしょくたにしていることも、問題なのかもしれない。

そういえば先日知人が、「「私は今To Doがなくなっているのよね」と言っていて驚愕した。彼女はものすごく要領よくものごとが片づけられる人で、かつ上記のような本質的To Doの数が誰にとっても膨大ではないことを鑑みるに、そういうことはもしかしたらありうることなのかもしれない。

小笠原流という古式の礼儀作法や、少々初期仏教をかじってみたり、ブログでもときどき書いているアレクサンダー・テクニークという身体技法に関わってきた経験があるが、共通することはメモをとることが奨励されない、あるいは物理的にとってなどいられない、ということだった。これらのことがすべて、身体経験と深い関わりをもっていることが関係しているのかもしれない。でも、もしそうだったら、身体との関係がまったくない純情報的あるいは思弁的ものごとって、そんなにたくさん、あるかしら。

さて、単純な質問。たとえば毎日湯水のごとくアイデアがわく人がいるとして(自分がそうとは言わないが・・もっとも数だけなら結構たくさんわくタイプ)、そのひとつのアイデアを形にするのに、そもそもアイデアというものはよほど単純なものでない限りそうだけど、関連の情報を収集したり、実際やってみて結果をフィードバックしたり、技術的なことを修練するのに、数か月はかかったりする。でも一日10個くらいアイデアはわくので、「忘れたらもったいない」と思ってメモにするのに毎日何分かでも使うのは、合理的か、否か?

by zelan | 2010-08-11 00:06
2010年 05月 24日

2010年5月24日 考えることよりも

何かをするのが速いか遅いかは、もしかするとただの習慣や、それがその速度でしかできないという思い込みに基づいているのかもしれない。
最初その速度が根づいたときには、何らかの価値観や心身の状況によってそうなっていたかもしれないが、価値観が変わったり心身の条件や能力に変化が生じたときにも、その速度が居座ってしまうのが問題だ。これを打ち破ってタスクの処理速度を高速化するには、それが実際にはできることを体験してしまうことがてっとりばやい。あるいはそれがまさにできている人や状況を見ること、できうる、ということを知ること、これだけでも相当「頭が変わって」、習慣的速度に喝を入れることができる。

以前、人材育成のセミナーのサポートに入ったことがあって、印象深い経験をした。ある処理タスクをグループに与え、当初15分程度かかっていたもが最終的には十数秒でできるようになったのだ。別の機会では3分のタスクが1秒になったこともある。単なる慣れによる高速化ではなく、もちろんプロセスやメンバー間の協調・分業、提示されていなくてただ先入観的に頭の中にあったルールに気づきそこから離れること、などの要素はあるのだが、衝撃なのはそれがそこまでの速さで「できる」というファシリテータの情報提供で、結果が劇的に変わったことである。

つまり人間、自分の頭に自分でたがをはめている可能性がかなり高い。それと知らずに。

by zelan | 2010-05-24 09:40
2009年 09月 27日

2009年6月4日 プロセス

日常生活で多くの刺激に対し我々は習慣的に反応し、
実の処そこにはさほどの自由はない。
刺激に対する反応を意識化することが絵画の過程だ。
しかし選択した結果が、我々の狙ったものになるかはわからないし、
必ずしもそうでなくてもよい。
それが新たな刺激になり、また反応を選択するゲームが始まる。

by zelan | 2009-09-27 12:59