原初のキス

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2015年 04月 12日

おもしろいこと

美しいって何なのか、というのが自分にとって正直一番真剣におもしろいと思える問いだ。美を愛で、美を創り、うつくしく生きることほどおもしろいことはないように思える。
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by zelan | 2015-04-12 23:37
2012年 04月 25日

人を自分の利益のみのために利用しようとしてはいけない。
自分のつくるものを、自分のためだけに利用しようとしてはいけない。
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by zelan | 2012-04-25 23:20
2012年 01月 05日

美術

美術って不思議だ。それは世界の片隅で地味に地道に、自分とはさほどの関係もなくうごめいているようにしか感じない人も多いのかもしれないが(だから災厄のときなど「何の役に立つ・・」という議論も出てくるわけだ。自分はそんな問いが頭に浮かんだことは一瞬もない。だいたい、役に立つ立たないは時間軸というものがあって、美術が今日一日なくても誰も困らないだろうが、例えば一年なかったら、かなりの人が結構困るはず)、実際は、森羅万象が、あるいはその原理が、その中で厳密な道理に沿って運動している、そういうことが純粋な形であらわれている稀有な存在のひとつであるように自分には思える。
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by zelan | 2012-01-05 18:45
2011年 12月 22日

衝撃

千住博氏の作品のすべてが手放しで好きという訳では正直ないけれど、先日本屋で作品集を手にとっていたとき、なんだか愕然とした。つまりそれはとても美しく感覚を楽しませるものだったので、美術は美しくってもいいんだ、と今更になって強烈に実感したのである。
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by zelan | 2011-12-22 01:08
2010年 11月 01日

運動と美

あらゆるものには行きたい方向性がある。筋肉も、粘土も、絵具も、音楽における音のつらなりも。それはしばしば人為的に、余計に加えられる力により干渉されているが、にも関わらず本質的には傷つくことなく存在し続けている。その自然な方向性に従うとき、事物はもっとも美しい。
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by zelan | 2010-11-01 01:15
2010年 10月 16日

相対化の快楽

友達にすごい美人の人がいて、その人と一緒に会などにでると自分の存在が一挙に相対化される(つまり誰も私なぞに興味を持たなくなるということですね)ことが大変におもしろい。自分もそういうことばかりしているのがよくわかる。つまり注意というものは極めて選択的だ。しかも選択とは言っても大半の人にとって「自分」に選択権はなく、何かから選ばせられているのである。たとえば圧倒的な美しさとか。
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by zelan | 2010-10-16 23:27
2010年 09月 28日

真実

何かを隠そうとすると、むしろ必ずや真実が露呈する、という言葉を思いつく。
しかしながらそのようにして現われる真実は、間接的にではなく直接的に現われ表現される真実よりも、ずっと醜いのではないか。

真実に美醜があればの、話だが。
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by zelan | 2010-09-28 00:26
2010年 09月 20日

審美

審美感にのみ基づいて何かをすることに、もし合理的な意味があまりないとしたら、それでもなぜ人は何かが美しいと「思う」「感じる」ものを、創ろうとするのだろう。

そういうことを考えることが、美の生成を早めるのに役立つのは事実かもしれない。しかしそれはもちろん、人の審美感覚とは何か、を抽象的に考えることではなく、具体的にどういう事物のどのような現われについて、自分が美を感じるのか、またそれはなぜか、ということに関し、できうる限り厳密にデータを集めるということだ。つまりは落ち着いて見る、考える、ということ。
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by zelan | 2010-09-20 23:39
2010年 07月 07日

2010年7月7日 わかりやすさ

見ているうちに美しく見えてくるようなものの大半は、実は美しくくない。美は強くて速いという質を持っているので、美しい人を見てきれいだと気づかない鈍な人はそうそういないように、美の感受とはかなり生理的・生得的なものであって、思弁的な内容の解説をつけたって後づけにすぎない、と自分ではごく素朴に思っている。

それがコンセプチュアルな作品であっても、伝統的な審美感覚をもって鑑賞する作品であっても。いい作品は長く見ていられて、よく覚えている、という性質を持っている。
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by zelan | 2010-07-07 23:17
2010年 06月 21日

2010年6月21日 美術の筋トレ

丁寧にやるとかがむしゃらにやるとかというよりアラートに(注意深く、目覚めて)やるという方が、制作においては100倍もワークする。

といっても、感覚というのは常に言葉なしで「答え」を提示してくる。つまり感覚は常に、自分こそ正しいと主張している。我々が感覚に対しアラートでいることは必須だけれども、同時に、信用しすぎないことも重要。
感覚は訓練されていないサラブレッドみたいなもので、その能力はとてつもなく大きいが、たいていの人間にとって、単なる暴れ馬にしかすぎない。

もし、美が今そこにあるなら、それに気づくことが必要だ。ないものを出現させようとするのでなく、より美しくしようとするのでもなく。美術の鍛錬というのは、気づく力、そして、美しいものの命を保ちながら、それを減衰させず増幅する動きについていく力の筋トレ。
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by zelan | 2010-06-21 00:45