原初のキス

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2019年 02月 17日

思いつき

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思いつきというものは歓迎すべきものだ。大抵の思いつきには、速度と必然性がある。いじりまわされる前の状態の思いつきは、寿司とか採れたての野菜のように、美味しいことが多い。


by zelan | 2019-02-17 14:25
2019年 02月 01日

おじさんのズボンの膝裏のしわが美しい

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夕方電車で座っていて、目の前に立っていたおじさんのズボンの膝の裏側についたしわに目がいく。ベージュの張りのある生地で、その部分だけかなりしわしわになっているのだが、菱形が入り組んだようなそのしわの具合が夕刻の弱まった斜めの光の中でひっそりと際立ち、えらく美しいのであった。

世の人皆美術をしていたらおもしろいことが増えるのぢゃないかしら・・と思うのはこういう時。もちろんそんな世の中、訪れるはずもない。


by zelan | 2019-02-01 20:44 | 美について
2015年 04月 12日

おもしろいこと

美しいって何なのか、というのが自分にとって正直一番真剣におもしろいと思える問いだ。美を愛で、美を創り、うつくしく生きることほどおもしろいことはないように思える。

by zelan | 2015-04-12 23:37
2013年 09月 05日

芸術

芸術上の熟練というのが何なのかもし定義するならばそれは、リスクの取り方がうまくなる、リスクを(ちょっと矛盾ぽく聞こえる言い方だけど)より安全に取れるようになる、ってことなんだろうなあ・・。
即ち結局リスクというものはいつまでもどこまでも、取り続けないといけない。なぜならばリスクを取っていないところには芸術もないからだ。

ということを言うと大変にエラそうだが、認識は手(実際に創ったりすること)の先を行くからしょうがない。だからこそ認識の存在する意味があるのである。

by zelan | 2013-09-05 23:26
2012年 10月 12日

美術

美術というもの自体が、ある種の道具なのだろう。でもそれが道具だとすれば、一体何を実現するための、道具なのか(答えがひとつではないにしても)。

美術とか作品とかはしばしば目的化する。しかし道具ではなく目的と化した場合に得られるものは、大抵の場合小さい。

by zelan | 2012-10-12 23:05
2012年 03月 28日

言い忘れたこと

制作について知人と電話でひとしきり話をして、切ったあとにほどなくしてまたかかってきて、一つ大事なことを言い忘れた、と言う。
人が尊敬するのはまじめな人ではなくて勇気のある人だよ、というのが、その言葉だった。

by zelan | 2012-03-28 23:59
2011年 11月 07日

掃除と美術

部屋を掃除することと美術の何が一番違うかと言えば、掃除ならもっときれいにしようと思っていても何の問題もなくむしろ益になるばかりだが、美術においてきれいにしようと思ったら、必ずやその作品のおおもとのありうべき可能性よりも、醜くなるということ。

by zelan | 2011-11-07 20:23
2011年 10月 05日

おおきくふたつに

知人との間でなにかにつけ「おおきくふたつに分けると・・」という前置きがはやっていたことがあった。
そういう風に言えば美術作品も、ある視点を取ればおおきくふたつに分けられる。
それは、「まねされるもの」(今されているかどうかはともかく、される質を有しているもの、すなわち、「原型」的なもの)、と「まねしているもの」(過去の作品を多かれ少なかれ反復・複製しているもの)、である。

細かくはこのふたつには微妙なグラデーションがあり、いわゆるグレーエリアとか混合領域はあるけどさ。でもそこまで言うと、せっかく「おおきくふたつに」分ける意味がない。

by zelan | 2011-10-05 02:14
2011年 08月 13日

武道と美術

武道みたいな感じで絵って描けないものかしらってよく思う。
(武道なんてやったこともないのだが。)
武道は決まってるとか決まってないとか強いとか弱いとかかっこいいとか悪いとかすぐわかる。

いずれにしても美術って美術を規範にするより他のものを規範にした方がおもしろくなりそうな気がする。
気がするどころかこれはほぼ確信だ。

ところが、そもそも武道と美術はとてもよく似ていて、勝ち負けは意外にもはっきりしてるのではないかとも思ったり。ただ、武道の場合は相手が見えるが美術においては多くの場合その相手というのは少なくともはっきりと目に見える形では、おでましになっていないのである。

だいたいいわゆる戦ったり競ったりする相手でもない。つまりは、「真実」ということ。

by zelan | 2011-08-13 00:19
2011年 08月 06日

ほんとう

文章なんかの場合特にわかりやすいと思うんだけど、ほんとうに思ったり感じたりしていて、表出したいと思っていることしか、力のある表現にならない。

美術も音楽もそうだとしたら、何を表現したらいいかわからない場合、表現しないでおくか、ジョン・ケージの言ったように、何も言いたいことがないということを言う、ということに、なるんだろう。

個人的にはあまりそういう気になったことはない。自分の現わしたいもの、興味のあるものは厳然としてあり、あるいは見出されるべく潜在的に存在していて、ただ自分と「それ」との間にある直接的でまっすぐな道に、自分自分が何ゆえか邪魔をしたり、遠回りしたり、不注意で気づかなかったり、あえて迂回したりするなどという事象があるだけだ。理由はわからないが、自分が表現したいもの、その質、というのはあって、それに近づけるか、いかにそれないか、その発現を邪魔しないかが、重要なことなのだけれど、これは容易なことではないし、なんらかの完成形を明確に思い描けるようなものでもない。水の中で泳ぐ魚が陸を動きまわる動物の生活を思い描けないように。そういう意味では、いかなる表現も、ある過程の途上にあるのである。

by zelan | 2011-08-06 21:03