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原初のキス

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タグ:絵画 ( 53 ) タグの人気記事


2019年 03月 31日

直接話法


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制作心理的に「直接話法」と勝手に呼んでいるのだが、絵画を創っている場合、明るすぎれば暗く、暗すぎれば明るく、おとなしければ大胆に、ばらけていればまとめ、まとまりすぎていれば壊す、等々基本的にはそれだけでじわじわと質的には上方に進んで行くのではないかと自分は信じている。
但し例えば明るすぎれば暗くという時、「明るすぎる」ということを認知する内部基準が醸成されていることが必要。そしてその精度には、到達点というものはない。



by zelan | 2019-03-31 10:21 | 制作心理
2019年 03月 12日

わからないのナゾ

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よく絵画について「わからない」という人がいる。
この発言は至極理解できる。大きな理由の一つとして、そもそも作り手が、容易にはわからないでいて頂けるように、創っているからである。
見ました→分かりましたというテイだと、脳に対する刺激があまりに少なすぎるではないか・・。

一方不思議なことに、外国の人からはこの言葉を未だかつて聞いたことがない。
海外特に欧米の状況に詳しい知人に聞いてみたら、彼も一般的には絵がわからないという発言を彼らはしないと言う。個人主義の確立とかなんかそんなことにも関係しそうな気がするのだが、そのはっきりした理由は未だにナゾである。


by zelan | 2019-03-12 10:48 | 芸術鑑賞
2019年 02月 20日

パンをやらんとして犬にかまれるの巻~美術と予測


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実家に帰省した際、親の飼っていた老犬にパンをあげようとして口元にもっていったらいきなりガブリとやられ、手から流血したことがあった。
そういえば、子犬を抱いて不用意に別の犬の前を横切り後ろから腿を思い切り噛まれたこともある。この時は10 センチ ぐらいのあざになった。犬たちは本能で反応しているので要は自分が悪い。こういう行動をとればどういう結果になりうるかというヒヤリハット予測が決定的に欠如していたのだ。

翻って美術とはかなりの処、このヒヤリハットで成り立っている。この色とあの色を混ぜたら濁るとかこの支持体に対してはどういう下処理をしておかなければ後で困るとか、目指す表現を得るその何層も何層も前の段階から、ヒヤリハットは至極重要そういう意味では、次第次第にでも「注意深さ」といった性質が醸成されてくる訳で、ここでもやはり美術(芸術と一般化してもよい)は見るだけでなく行うのがトクだ、という結論に、自分は至るのである。


by zelan | 2019-02-20 22:35 | 美術について
2019年 01月 28日

墨の懐

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黒というのは比較的注意して使った方がいいと、絵を描く少なからぬ人々は思っているだろう。黒は強い色で他を圧倒しやすいし、例えば影とか暗いとか言っても実際は別のものの色が反射していたりするのでいわゆる真っ黒というのは稀なのである。絵具の黒は何種類かはもちろんあるが、使う時そのまま使うのではなく例えばアイボリーブラックに
ウルトラマリンを混ぜるなどして色味を加える方が使いやすい。

ところで最近よく作画に墨を使うのだが墨の色というものは何と言うか最初からかなり混色されているようなニュアンスがありアクリル絵具の間に置いてもなかなか良いのである。チューブ絵具の黒のようなそっけない人工物感がなく何とも懐の深ーい感じ。アクリル絵具が耐水性なのに対し、墨はそのままだと水に溶けるというのや、マスキングテープではげやすいとか、自分の技法の関連では若干の扱いづらさはあるものの。

これ何かに似ているな~と思っていたら、そう漢方薬なのであった。キレよく扱いやすい西洋の絵具は西洋薬。

因みに自分は漢方を愛飲していて主には補中益気湯というのを飲んでいる、微妙に体調が悪くなるとこれを少し飲むと大抵改善。不思議なのは日本で承認されているものだけでも漢方は300種類近くあるのに、なぜか自分においてはほぼすべての不調に対しこれで用が足りてしまうこと。これもまた懐が深い。






by zelan | 2019-01-28 15:22 | 絵画
2018年 12月 25日

絵は何の役に立つか

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自分は平面美術を創っているので、絵という言葉で代表させるが、絵には機能がありその最も重要なものの一つは

戦争の抑止

である。冗談みたいに聞こえるが、ソレを創ったり見たりしている時、人はその思考や感覚において戦うことから遠く離れる。

その時間は個々においては短いかもしれないが、その積み上げは、必ずや世界に影響を及ぼす(自分は感覚的に、あるいは希望から言っているのでない。単に人がやることなすことの時間は有限であるという事実から、論理的に言っているのである。故に世の中のあらゆる事象・事物は、概念的に大きく二つに分けるなら戦争を推進しかねないものと、抑止するものに、分かれる)。

よく、絵には具体的な機能がない(=それ自体としては何の役にも立たない)というような論があるが、これが何を言わんとしているのか、自分には全然わからない。存在するもので機能がなく、即ち役に立ったり、害になったり(こっちは役に立つの逆)一切しないものが、もしあるんなら今、目の前に出してほしいな・・。



by zelan | 2018-12-25 08:08
2018年 12月 22日

頭と手

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以前絵を描く知人が、長い間全然筆を取らないので、「一向に描く気配がないではないか」と糾弾した処、
 
「オレは考えてるんだからいいの!」

と、言われた。

当時は冗談としか思えなかったが、これはそれなりに評価すべき、制作に対する一つの態度だ。
手ばかり動かすのは、考えてるだけより100倍悪い。


by zelan | 2018-12-22 23:34
2018年 12月 21日

なぜ絵を買うか

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自分は制作者であるがささやかなりコレクターでもある。人がなぜ絵を買うか、どの程度の価格の絵をどれ位買うかというのは細かく見れば100万通り位のヴァリエーションがあるが、理由に関して言えば、主には感覚的に喜ばしき経験をする「時間」か、何か新しい認識を得る「学び」を買っている。または価値がある(と自らの感覚や知識、または他者からの情報等によって信じることのできる)ものを選び取れるという「自己効力感」を買うのである。

自分はもちろん、「学び」のある絵を買う。また見るたびになんらか感覚が刷新されるものを。


by zelan | 2018-12-21 22:39
2018年 12月 15日

AIと絵画

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暫く前、AIがレンブラントの絵を描いたといってニュースになっていたが、自分はあまり驚かなかった。


だって、この時AIがやっているプロセスというのは絵を描く人が脳内でやっているプロセスに極めて近い。我々、多かれ少なかれAIのように描いている。持っている記憶や情報の参照や、所謂技能という形で内在化したプロセスと結果の組合せの安定的な出力などである。その点では、AI君(正しくは出力機器かもしれないがまあひっくるめて)が新作の描画に500時間もかかったと聞いて逆に少々微笑ましく思った位。このレンダリングの速度は、もしかしたらレンブラントの方が同じような絵を描いた方が速かったかもしれない。(時間という点ではキカイの方が今後どんどん速くなる可能性はあるけれど・・・。)

いずれにせよ、AIが何であれ人のやるアレコレをできるか否かというのは、便利になるようなことなら歓迎するものの自分にとって思弁的には殆ど興味がない事柄である。色んなことをAIはできるしやるようになる、でもだからこそ、キカイではなく自分(を含む人間というもの)がそれをやる、やっているということ自体の意味や価値があぶり出されてくるのである。

ちょっとややこしくかつ不適切な例えかもしれないけど、養殖うなぎが天然と見分けがつかなかったりおいしかったりすることはいくらでもある(うなぎを養殖する方々は天然の環境やらうなぎの天性やらを研究し、養殖事業に血道を上げているのだから)。でも、天然のうなぎ本体にとっては、養殖が自分よりおいしいとか速く育つとかはあまり関係なくて、他ならぬ天然の自分が天然の川をばんばん泳いでいることの方が、重要なのだ。

絵はAIで描ける。
のみならず多くの人間が描くより、客観的には余程質の高い、美的にも優れているものができる描ける可能性は高い(なぜなら人間のように不要な雑念が湧かないから)。人が描いたのかキカイが描いたのかの区別なんて、すぐつかなくなるし、もしかしたら今だってもうつかなくなってると思う。。

だから最後には、人が絵を描くとか、描いたのが人であるとか、そういう方向でしか、人にとっての価値は残らないはず。そしてその「価値」の意味や大きさは、人間自らが決定し、納得する必要があるのである。



by zelan | 2018-12-15 20:46
2018年 12月 04日

知人の名言再び

2016年 8月 15日に以下のような記事を書いた。

絵を描く知人から今日聞いた言葉:

「絵は、8割くらいまで<どう描くか>に腐心し、
あとのちょっとのところで<何を描くか>に集中すればいいのである。」

これは名言である可能性が高い。なぜならば、世の中の常識の逆をはっているからである。

やはりこの言葉は謎めいている。
結局自分が「何」を描いて(やって)いるかって、かなり後になって色んなデータや考えが積みあがってきてからしかはっきりとはわからないのではないか。

かな・・・。人により解釈が異なってくるかもしれない。


by zelan | 2018-12-04 12:18
2018年 06月 04日

王様に見せるのに・・・

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つい先ごろ終わった、上野・国立西洋美術館にて開催していた『プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光』を見に行って、遅ればせながらレビューすると、

ベラスケスは超絶すごい・・のであった。

勿論すごいからこそ生まれて400年以上たってから極東の島国で何カ月も展示される訳だが、自分なりの見方をすれば、例えば有名な上記の絵「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」を実際に見ると、思った以上に後ろの丘陵地帯が粗くさっさっと描いてある。一方、馬のたてがみや王子様のソデなどの部分は極めて精緻な印象を与える。これらの落差、即ち粗密の付け方がとっても思い切りがよくてかっこいい。

特に自分はこの背景の描き方にえらく関心してしまった。普通、王様に見せるんだから「描きました、大変でした、すごいでしょ?」的にもっと描き込んで仕上げたくなってしまうのが人情ではなかろうか。こんなスカスカな感じですませておいて(でも離れて見るとすごくリアリティがある)、前景の主モチーフをばーんと前に出させるなんて、ほんとに思い切りがいいな・・。

ということで、ベラスケスのヒミツはソミツである、と個人的に見破った、今回の展示参観であった。




by zelan | 2018-06-04 23:21