原初のキス

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2018年 02月 13日

ピンク・緑・むらさき

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入浴剤というものは人工着色料や香料等がてんこ盛りだったりもするが結局の処気分がいいので浴槽に入れるのだけれど、自分は好んで、ひと箱に色々な香が入っている炭酸入浴剤を買ってくる。タブレットの袋はその香にあったイメージの色をしていることが多く、例えばバラはピンク、森の香り(ってなんだろう?)は緑、ラベンダーはむらさきといった具合である。

不思議なのは朝夕風呂に入る時に決して自分がそれをテキトーに選んだりしないことだ。明確に、今は何色の気持ちなのかがあるのである。それを決定しているものは必ずや存在するはずなのだが、自分からはそれを論理的に説明することができないところがたいそうおもしろく感じる。


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by zelan | 2018-02-13 08:00
2018年 02月 04日

夜半の寝覚め

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昨日夜中にちらっと目が覚めた時、肋骨の下あたりが妙にゆったりして呼吸が常より楽にできるのを感じた。いい方向なので別に気にする必要もないのだが、なぜだろうと考えると一瞬で答えがわかった。
昼間用事で外出していて、寒いし疲れてきたのでカフェで暫く飲んでなかった漢方薬をエナジードリンクよろしく一袋飲んだのである。他の理由は考えづらい。即ち、それが作用しているのだ。

皆漢方薬といえば長い間飲むものというイメージがあり即効性はないと思っているだろうが、実は微妙な変化なら非常に素早く起こる。その程度はどうあれ、また知覚できるか否かは種々条件があるが、いずれにしても変化というものは何かすれば何かの結果として必ず生じるのである。そういう意味では漢方薬だけではなく、この世のあらゆる事象、やることなすことの全てが、実は「即効性」な訳。

それを認めないでいる方が、認めるよりも数段ラクチンな感じだ。でもそのことが、将来人類が滅亡することがもしあるとしてその大きな理由の一つとなるだろう気が自分にはする。

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by zelan | 2018-02-04 08:08
2018年 01月 28日

漢方の功罪

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自分はよく漢方薬を飲む。何か具体的な不調をがっつり治すというよりも、体力気力を底上げするようなイメージでサプリに近い飲み方だ。とはいえ体質やその時々の状況などがあるので飲むものや量は漢方の医師に相談したりはしておりそういい加減に飲んでる訳でもない。ちなみに医師によれば自分が飲んでいる量は大体「三歳児」に処方するくらい、とのことである。
いずれにせよこれまでの経験から、漢方薬は非常に良いものであると私は思っている。

が、ひとつ注意すべき点は、自分の生活上の行いとその結果の因果関係が見えづらくなるということだ。例えば睡眠・食事・お酒・運動など、飲んでない時はあ~、昨日これをやったから(あるいはやらなかったから)今日こうなのね・・・、みたいなことが相当明確に分かる、というか少なくとも仮説が成立し、それによって体調に影響した行動を強化したり抑制したりすることが可能になる。
しかし漢方を飲んでいるとなんか全般的にそこそこ調子が良くなってしまい、こまかいブレが捨象されてしまって行為と結果の相関があいまいになっちゃうのだ・・・。よって生活習慣を意識的に改善していくことがなかなか難しいのである。

ということでここ暫くは自力主義でやってみようと思っている。

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by zelan | 2018-01-28 14:55
2012年 02月 22日

メモ

「感情は暴君。では感覚は?」という自分のメモ書きをノートに見つけたが、いつ、どうして書いたかもわからない。
それなりに含蓄のある言葉(問いかけ)のように思えないでもないけれど。
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by zelan | 2012-02-22 21:56
2011年 09月 18日

和食の変容

和食にするよーと言って知人を夕食に招いたのだが、気づいたら自分の創ったものの8割が中華であった。
ごめんね、と言ったら「いいんじゃない、別に。きっと食べたかったんだよ。」となぐさめられた。

自分を動かしているものは、あたまなのかからだなのか。思想なのか実利なのか。情報なのか現実なのか。理屈なのか感覚なのか。
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by zelan | 2011-09-18 20:37
2011年 04月 19日

常識

知り合いの音楽家が、経験からすると一日おきに練習した方がよくて、これは業界において誠に非常識的なばかりか、自分の感覚から言っても、大変に抵抗のある事実だ、と言っていた。結構おもしろい。継続はもちろん力だけれども、それすなわち毎日長時間やる、という形でない可能性がある。
でも、それが事実かどうかはともかくとして、ほんとうにそうかどうか統計的に実証できるほどに試そうとしてみるとき、一番障壁になるのは、自分の「感じ」なのである。

人間にとって、自分がそう「感じる」ということは常に、神なのだ。

ほんとうにそう「感じて」いるのかを、問うこともなく。
自分が純粋に「感じ」られることに対し、我々はどれほど多くの干渉をしているだろう。偏見や思いこみ、不必要なおそれや、あるいは期待や願望によって。
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by zelan | 2011-04-19 23:49
2010年 11月 26日

質問

ぬれていてあついもの、かわいていてつめたいもの、つめたくぬれている、あつくてかわいている、自分は(あるいはあなたは)どれが、好きか。

自分はといえば、つめたくぬれたもの。
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by zelan | 2010-11-26 22:40
2010年 09月 05日

ごちそう

以前テレビでゴーギャンに関する番組をやっていて、彼がタヒチで、「夜は自分の心臓の音しか聞こえない」と言っているのを知った。
東京はすごくうるさい。
「無音カフェ」がどこかにないかなー。絶対愛用する。ついでにあらゆる電磁波なども遮断してくれたら、いったいどういう感じがするだろうか。

昔どこかの美術館で、誰のインスタレーションだったか忘れてしまったが、ロウでできた部屋に入った。ロウは冷たくないので、座ると気持ちがよく、音がすいこまれて静かだった。
感覚を通して入ってくるものは生物にとって一種の栄養素だ。でも今それが過剰に多いので、ときどきは静かな方がいい。快適な色や音はごちそうだけれど、でも音がないことも、すごいごちそう。
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by zelan | 2010-09-05 01:02
2010年 09月 01日

構想と試行

結局、どういう構想であっても、それを説得ある作品として成立させることは可能なのだ。それをそうなるまでやるかどうかということが問題なのである。「じゃ、やればいいのね」という感じなのだが、そう簡単にはいかない。なぜなら、アイデアなんてものはばんばんでるけれども、脈があるかもしれない方向に集中して色んな現実的(Ex.技術的)課題をクリアして精度をあげていかなければ、色々やってるだけで詰められないし、一方それなりに色々やらないと脈が出てくる土壌も開拓できないからである。つまりこの塩梅はむずかしい。

「勘だね」と知人は言った。「でも勘なんてあてになんないぢゃん!」と反論したら、彼の答えはこれ。

「だから、「勘」がまちがってたらだめなのよ」

なるほどー。
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by zelan | 2010-09-01 23:49
2010年 05月 02日

2010年5月2日 内と外

JR渋谷駅の近くを歩いていたら、向こうから来た若い女性にすれちがいざまがつんと肩がぶつかった。
どっちもどっちなのだがちょっと反省、というか振り返りをしたのは、自分がからだの周りの空間に対しあまり感覚を使っていないということである。別の言い方をすれば内的感覚(からだ、感情、思考)に過集中している、ということ。そういえばしばらく前にレストランで知人と食事をしていたら、手を動かしたとたんにワイングラスをひっくり返して相手のワイシャツがびしょぬれになったこともあったっけ。

だから何かの折にこれではいけない、と思い、ふと音や色、匂いなどに注意を向けて1分もたつと、その注意を向けるものが何であれ、少なくとも直接不快を感じるようなものでなければ、たとえようもなく清らかな静けさに満たされ、官能にうちふるえる、みたいな状況になることがままあるのである。ものを創ったりするのが好きなのも、それが外にあるものを感じるという単純にそういう側面もある行為だから。

それにしても不思議なのはPCで仕事していたり文を書いていてそれを見たりしているとき、その肉体感覚はなぜか、ほぼ純粋に内的感覚を追っているのに近い。少なくとも自分は、そう感じる。
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by zelan | 2010-05-02 00:04