1 2011年 04月 29日
放射線量について、野菜は洗って測り、空間は18メートルの高さ(新宿の場合)で測り、地面は掘って測る、とツイッターなどで見て自分も憤慨していたが、それぞれの関連法規やマニュアル、また色々な立場の専門家の意見を広く見てみたりすると、これらがすなわち確定的に問題のある計測法ではないようなのである。たとえばざっくり言ってIAEAは確かに地表を測り日本の測り方は5センチ掘って測るけど、5センチの深さの土だけ取っている訳でなく表面の土もそこには含まれている。面積と量、時間軸などにおいて違う思想があるようにも見える。もちろん状況に応じた実質的かつ柔軟な運用はしてほしいとはいえ、ジャーナリストの人でときどき、これらの点を関連法規等の参照なく感覚的に批判しているように見える場合があって、そういう情報に接すると、素人としてはときに混乱してしまうのだ。一般の人の発言はまあ自分も比較的その情報価値をものによってはさっぴいて判断するし、一般人のリアリティーを垣間見るという意味ではそれ自体価値があるからいいのだけれど。 もちろんすべての情報を自らの力で法律や何かも含め確認していければいいのだが、自分の情報リテラシーや時間にも制限があるのでそうもいかない。だからこそ自分は、ジャーナリストや専門家の人々の、まっとうな情報の出し方というものについて、大きく期待をしているのである。 ▲
by zelan
| 2011-04-29 20:04
2011年 03月 14日
ブッダの説法は対機説法と言われ、聞く相手の素質・能力や状況に即してなされるオーダーメードのものが基本だったとのことだ。今日鍼灸院に行ったら長い間世話になっている鍼灸師さんに、「何か仕事などをしながら片耳でニュースを聞いているのはよくないです」と言われた。5円玉を揺らしながら催眠をかけるようなもので、意識に対する浸透力があり影響が大きいとか。ニュースを見るときは意識的に見る(そういう意味でインターネットは悪くないらしい)、ながらはしない方がよいという。 得たい情報すら得られない厳しい状況や、ながらをするのが適切な状況などはあると思うので安易にはどうこう言えないが、対機説法の話をしたのはこれが自分にとってはよいアドバイスだと思ったからである。確かに、比較的込み入った作業をしている中でもテレビをつけているとかなり細部の情報まで把握できることは我ながら驚くばかりで、認識の層でこうであれば感情・身体その他もかなり、理性のフィルタリングを免れた形で中途半端に反応しとりこんでいるおそれもないことはない。彼女が言うには、私に関して言えば特に、同じ情報が何度も繰り返されること、それが、言語情報でなく視覚情報であることについて影響が人よりも大きい可能性があるので、若干注意した方がよいということであった。 必要な情報を意識的に必要量取ることを、心がけることにしてみる。 ▲
by zelan
| 2011-03-14 20:38
2010年 05月 21日
なんだか「文字情報」というものに飽きてきた。つまり言葉というものに。 かなり普遍化しすぎかもしれないし、ブログに書くのもヘンだけど、ネットやなんかで情報なんて無限に取れるし、かつ自分の興味の範疇におけるすべては追いきれないし、さらに頭の中ではそういう情報に刺激され、あるいは自然発生的に、うざったいくらいいつも言葉ばかりぎゃんぎゃんうなっていて、それに対比されるような「静けさ」というものが自分の中に生まれるのが昨今極めてまれなのだ。 一方制作とか運動などで手や体を動かしているとき、一瞬でも情報や言葉のくびきから解放されると、いきなり巨大なエネルギーが充填されるのを感じる。 こういうことを言うと情報・言葉好き、あるいは少なくともその価値を「客観的に」認めている人は「違うんでないの」と気色ばんで反論してくる場合があるのだが、私は不変の真理について言っているのでは、ない。 つまり今この瞬間の自分の状況において、情報や言葉に対しどのような態度を取るのが合理的か、ということを考えているだけなのだ。でも結局みな自分なのであるから、そういう態度の価値というものも、また、あるのだと思うので、こういうことを言っているのである。 ▲
by zelan
| 2010-05-21 01:04
2010年 04月 16日
昔は新聞や手紙を読んで捨てたりすると、つまり情報を処理すると家もその分片づいたものだが、今は情報を処理しても家はほとんどキレイにならず、物品を主に片づけねばならない。新聞なんかは今でもあるけどね(でもそのうちなくなりそうだ)。 何千年後かに、「新聞の化石発見!」とかって電子新聞にでるかも。あっ、化石は元生物しかなれないか・・・。 ▲
by zelan
| 2010-04-16 20:15
2010年 03月 01日
昨年の夏家のリフォームをしていたとき、不動産経営をしている知人の空きマンションに一週間程住ませてもらっていたが、そこがオフラインだったのでメールもWebも一切見なかった。TVも、そこに備えつけてあったのはPCと一体だったのでなんだかめんどうであまりつけなかった。結局ものを創ったり、食事や散歩、知人と会ったりする少々の社交。こういう状況になると、何をするにもがぜん集中力が出てくる。 「まとめて主義」からの脱却という記事は以前書いたものの、まとまってた方がいいこともやはりあって、精神の流れは理想的には一本の筋みたいに、あまり寸断されずに流れていた方がいいというのが自分の考え。 オンラインという状況はもちろん使いようだし基本便利だけど結構こころをぶつぶつにカットする。情報に対し、ブロックするにせよ整流化するにせよ来るもの拒まずにするにせよ立場をはっきりしておかないと、知らず知らずのうちに無駄なことに時間を費やすことになる。 無駄とは言ったけれど、むしろたいていのことは多かれ少なかれためになるから、つまり、ためになる「度合い」が重要だということである。今みたいに情報が無限に近いほど受発信できる時代においては、ますますそう。 相手のためになることを、少しだけ話す、のが初期仏教では重要と考えられているとか。 「おはよう、元気?」という挨拶を交わすことすら、出家者に対してはブッダはいましめた、ということを聞いたことがある。 ▲
by zelan
| 2010-03-01 00:06
2009年 09月 27日
鴻池朋子「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」(東京オペラシティ アート ギャラリー)。 絵本原画や小説挿画、襖絵、大きなオブジェまで、形式の違いも筋の通った 展示シナリオで展開。 一方、「文字を読むのと同じような速度で」足早に通り抜ける自分。 物語性にはある種の危険性が伴う。見るものは、方向づけられた意識に よって、そこにある豊かな情報のいくばくかを、吸い上げるのをつい怠ける。 ▲
by zelan
| 2009-09-27 13:03
2009年 09月 27日
七夕のこの日、内海聖史氏の個展をGALRIE ANDO(渋谷)に見に行く。 彼の作品の実物は初めて見た。 図版などからの想像よりずっと物質感があり、「光」というより「土」、 「情報」でなく「モノ」であった。 ▲
by zelan
| 2009-09-27 13:01
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