原初のキス

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2017年 01月 22日

グループ展ご案内:Gallery Art Point(銀座)1/23より

明日1月23日(月)より28日(土)まで、銀座Gallery Art Pointにてグループ展に参加致します。

<概要>
■展示名:「ART POINT Selection I」
■会期:2017年1月23日(月)~ 1月28日(土)
開廊は12:00 – 19:00 (最終日のみ17:00まで)
■会場: Gallery Art Point 
地図:http://www.art-point.jp/access/

独自技法によるモノタイプ(一点刷り版画)、コラージュ等の近作5点を展示致します。
ご高覧頂戴できましたら幸いです。
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by zelan | 2017-01-22 22:59
2015年 11月 29日

入賞及び展示のご案内: 銀座「美の起源展」

銀座画廊「美の起源」主催コンペにて奨励賞を受賞しました。
モノタイプ(一点刷り版画)作品一点を出展しております。

美の起源
http://xn--xxtyc847fky0a.jp/

会期は 12月 7日(月)〜12日(土)です。ご高閲頂けましたら幸いに存じます。
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by zelan | 2015-11-29 21:32
2011年 08月 25日

わからないけどおもしろい

上野の国立西洋美術館に「古代ギリシャ展」を見に行く。これ、古代ギリシャ展と銘打ちながら壺(アンフォラと呼ばれる)以外はローマ時代のコピーが大変多い。一緒に行った人が、「古代ギリシャ展ていうか、<古代ギリシャ風ローマ展>だよね、と言ったほど。とはいえ、有名な「円盤投げ」やスフィンクス像などを始め、すばらしくつかみのある作品の前ではしばしみとれる。

オリジナルが現存しない場合、それがコピー当時どの程度傷んでいたのか、提示されている情報の範囲ではわからない。コピーだけが完璧に残っているところをみると元のは相当傷んで欠損の度合いが激しかったのかもしれないけど、だとするとむしろコピーの方がオリジナルを超えていた可能性が、理屈で言えばまったくないとは言えないんだろう。円盤投げなど、感涙ものだった作品は特に。

よく考えると「そもそもローマ時代におけるギリシャのコピーの技法や意義」等々に関する情報があまり親切ではないため、結構な部分が五里霧中な展示だ(自分も明るくないが美術展に行く普通の人々は別に美術史にごく明るいということはあまりないはずだし)。それでも、以前大英博物館でぼん、ぼんとひたすら並んでた彫像とは違う感慨をそこかしこで実感できた、たいへんな好展示である。という訳で、まだ見に行っていない方には、強くお勧めする。

冒頭展示してある超ハンサムなディオニュソスなんか(これもコピー)、骨がくにゃくにゃしてそうなふっくらした指とか(右手など指の間から硬い杯の脚が突き出してるから更に柔弱に見えて素敵だ)、実はとても哀しいのにそれをこらえているような顔とかたいそうぐっときて、結局人がぐっとくる理由なんて、何千年も変わってないのね、という真実に気づく瞬間もある。

大英博物館 古代ギリシャ展 THE BODY 究極の身体、完全なる美 (上野 国立西洋美術館)
http://www.body2011.com/index.php
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by zelan | 2011-08-25 01:00
2010年 11月 13日

展示写真

実の処は見なければわかならない、ことは理解しつつも、展示の詳細なフォトレポートなどがWebにあがっていると興味深そうな内容であってもつい現場に行かずじまいになってしまうことがある。視覚的情報はもう少し控え目に出してほしい気もする。

元の作品にとても大きな力があるとき、その写真情報においてその力はほぼ必ず激しく減衰している、一方、作品がそれほどでもないとき、写真の方がよく見えるときが多い。音楽におけるCDと同様の現象。だから、結局やはり、写真では正確に判断するのは難しい。足切りをする程度。
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by zelan | 2010-11-13 09:28
2010年 09月 15日

ロニ・ホーン展 おおきな文脈

青山のRat Hole Galleryで、ニューヨークの著名な女性作家、ロニ・ホーン展見る。

ドローイングの中の黒い細い線、それがものを貼り合わせた境界面にたまたま現われているものなのか、描かれているのか、じーっと見てもわからない。アルミの棒に白いプラスチックを流し込んで作られている文章は19世紀アメリカの隠遁詩人エミリー・ディキンソン。けっしてかしましいいでたちではないのに、これらの作品はすごくつかみがあり、目と脳がいつまでもそのまわりを徘徊する。

自分は何を見ているのか、を考える展示。それを考えさせられるのは、何の目的をもってかは隠されているものの、作者がある的に向けてそれを撃とうとし、そして見事に撃ち抜いている、ということが感じとれるからである。

ちなみに、「目的」はプレスリリースの文面なんかにも表明されていて、この展示のそれも素敵で興味深いものであったが、でもそこからはみだす部分も必ず、あるのだ。

ロニ・ホーン展 Rat Hole Gallery (12/5まで)
http://www.ratholegallery.com/
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by zelan | 2010-09-15 22:17
2009年 12月 13日

2009年12月13日 河口龍夫展 言葉・時間・生命

東京国立近代美術館に、「河口龍夫展 言葉・時間・生命」を観に行った。

闇を金属の箱に閉じ込めて'Dark Box'とか、原始的な風貌の岩にいかにも現代な蛍光灯を突き通す、とか、生命や発展の象徴である種子を鉛で覆う、とか、なんだか図式的にすら感じるコンセプチュアルな作品群で、え、こんなんでいいの?とある意味衝撃。モチーフAに非Aを対峙させる構成が多くて、他者性とかアウフヘーベンとか、ゆらぎ、ずらしなど、コンセプトに収まらない過剰さはない感じだ。
だから、作者本人の意図はともかく、観ているとこれはこういう意味で、と色々な解釈を「言葉で」説明することができる気がしてくる。

物理的な仕上げについても、こめかみが痛くなるようなキリキリした審美的感覚を駆使というより、きれいだけどディテールがなくて、「考えました→作りました」って感じ。
よく、とても美しい作品を見ると自分の視覚システムが一時的にそっちに寄ってしまい、外に出たときに街がものすごく汚く見えていやになるが、今回はコンビニやらガードレールやら地下鉄構内のそっけない階段や天井を見ても、むしろ氏の作品を思い出しているのだ。

と、書いてくるとまるでネガティブなコメントみたいだけれど、基本的に、シンプル、ミニマルなものに対して偏愛があるせいか、嫌いどころかとても楽しく、面白かったんですね。なぜか観ているうちに制作上のアイデアも次々生まれ、これらの作品と自分がとてもよい関係で「交流」できた展示だった。

河口龍夫展 言葉・時間・生命 (東京国立近代美術館 12月13日まで)
http://www.momat.go.jp/Honkan/kawaguchi_tatsuo/index.html
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by zelan | 2009-12-13 09:34
2009年 11月 29日

2009年11月29日 びっくり

先日銀座のギャルリー ためながへ、40周年の名品展を見に伺った。
水の中の宝石のようなキスリング、どこまでもやさしく誰をも迎え入れてくれるルノアール、空中から魔法使いみたいに線を集めてきたようなクレーやカンディンスキー。技量の鍛錬とかとはまったく別の次元で、どうしてここまで正面突破で素朴に単純にできるのか、名作を見ていつも驚く。いい意味で心底よくやるなー、と思う。

徹底的な作為を経て無我・無作為の境地に至ったと修行好きの日本的感性からは思いたくもあるが、実のところどうなのかな。ねばならない、がない感じ。「自分」には全然興味がないのだが、その結果むしろばっちり「自分」がでている感じ。
こういう風にものを創るということは、自らに100万回言い聞かせても足りないくらい重要なことなのだが、つい忘れる。
だからいいものを見て、思い出すことができるのはほんとうに幸せなことだ。
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by zelan | 2009-11-29 00:03
2009年 11月 24日

2009年11月24日 東京コンテンポラリーアートフェア2009

昨日は新橋の東京美術倶楽部で開催されていた東京コンテンポラリーアートフェア2009 (TCAF) 最終日へ。
作品は繊細、神経症的で、技量高く、描かれているのは人間、その感情、身体、針の穴から覗いて拡大したような感覚などがかなり。比較的若い作家層が多いからか。絵画としての質の良しあしとは別に、弱々しくて、こちらからエネルギーの持ち出しがある感じのものが、少なからず、ある。

東邦アートのブースで日本画家千々岩 修氏の抽象作品を見た。とてもいい。
岩絵の具(だと思う)は懐が深くて、ぎらぎら反射せず、見ていると自分と溶け合って、意識とからだを清明にする。人事より大きい、自然と原理的なものの世界で、エネルギー回復。
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by zelan | 2009-11-24 09:13
2009年 11月 21日

2009年11月21日 レベッカ・ホルン展 東京都現代美術館

知人のひとりがこの展示を「つまらない」と言っていたのだが、私自身はとてもおもしろかった。それでも色々と思うところあり、つまらないと感じる向きがあるのもわからないではない。

まず思っていたよりジミだな、というのも一つ。動く作品が多いが、今の日本の時間感覚からいうと、なっかなか動かない。例えば、天井から吊られた有名なピアノの作品は、鍵盤が出るところは見たけれど、しまわれるところはしばらく待っていたもののしびれを切らし部屋を出てしまった。
実は私は彼女のインタビュービデオを何十回も見る程、彼女の作品には興味を持っている。ビデオではクライマックスの所が中心になっているので、ものすごくインパクトが強く感じるが、実際その場にいるとかなり淡々として自然な感じ。映像作品は当然どんどん動くのでまた違う印象があるけど、インスタレーション・立体作品については作品に流れている本質的な時間を今の日本に生きる自分とチューニングするのが生理的に少々難しい感じでは、ある。

もう一つ、少なくとも今回展示されている作品は、外形的にもコンセプチュアルにも、あまり多様なことはやっていないということだ。さまざまな試みのあるゲルハルト・リヒターなんかとは印象がだいぶ違う。機械に仮託された生命というか、機械という強固な物質性(と見えるもの)と生命のはかなさが意識の中でシンクロするような奇妙な象徴性。
ただ、時間感覚も、多様なことをやらないでシンプルな立ち位置に居続けることも、彼女自身の中に深く根づいたものからきているのを直感的に感じる訳で、その真摯さがすごい強度をかもしだしている。さらにその結果表出されているイメージが確実に世界の真理につながっていることも。だから、結論としてはやはり大変におもしろかったのである。

さて、女性の創るものは多少なりフェミニズムというか、ジェンダー・アートの趣を帯びるのはどうしてだろう。キキ・スミスやルイーズ・ブルジョワなどもしかり。並べて書くのもおこがましいが自分の創るものもしかり。
思うに女性とはつくづく、自分という現実からは離陸しづらいが、その離陸しづらさをもって逆に世の真実をあらわにする、ということもあるのだなあ。女性は古今東西延々と縛られていて、それは必ずしも社会や政治システムによってではなく、一種の自縄自縛なのではないか、論理的にはうまく説明できないけれど、彼女の作品を見ていて、まざまざと、そう感じた。

レベッカ・ホルン展 東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/107/
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by zelan | 2009-11-21 00:04
2009年 11月 19日

2009年11月19日 第12回笹尾光彦展-花のある風景-

昨日Bunkamura Galleryにて笹尾光彦展を見る。
知人に笹尾氏の作品のコレクターがいて、かなり前にご夫妻とも
にお会いしたことがあるのだが、覚えてくださっていてありがたい。

道具を使わずに壁に穴を開けるにはどうするか。
絵を飾る。つまり絵画は窓だということだが、彼の絵からは、
明るい日差しがふり注ぐ。ものをとらえるのは、その人の人格を
通してとらえるのだ。彼は真昼のひと。
寡聞にして夜の絵があるかどうかわからないのだが、逆に夜の絵
はどんなだろうと想像してみるのもおもしろい。

第12回笹尾光彦展 -花のある風景- (渋谷 Bunkamura Gallery) 
24日まで
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/091113sasao/index.html
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by zelan | 2009-11-19 00:20