2018年 03月 05日
手伝っているBodyChanceという会社の社長がメルマガに書いていたのだが、彼は高校生の頃一種のひきこもりとなり学校に行かなくなった。ところがやりざまがユニークで、朝「行ってきま~す」といって家を出るふりをし、すぐさま戻って窓から自分の部屋に侵入し、日中本を読んだり文を書いたりして静かに過ごした後部屋から忍び出て、「ただいまー」と言って玄関から帰ってくる、ということを日々やっていたということである。 この戦術がどの程度の期間見破られなかったは知らない。でもなんであれ「工夫する」のはいいのではないかと、この話を聞いて自分は思った。絵画だってなんだって、ユニークなやりざまを工夫する、工夫し続けるというのは、取りうべき最良の選択なのだから。
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by zelan
| 2018-03-05 00:13
2018年 02月 28日
カフェなどで隣の席の話を聞くともなく聞いていると(というかあまり品がよくないが社会勉強のために結構積極的に自分は聞いている・・)、少なからぬ場合ものすごい方向に展開して驚くことがある。 先般は、親が供した昼食を食べていて出されたものが腐敗臭を漂わせているのに気づいたが、言うのもアレだから、と思い無理に食べたら案の定お腹がやられて大変な目にあった、と30代前半位の男子が友達らしき人に話していた。言うのもアレというのもなんだかアレなんであって、どうして食べてしまったんだろうか・・・。 ▲
by zelan
| 2018-02-28 11:09
2018年 01月 31日
![]() 自分は普段からどちらかと言えば化粧は薄く、なぜそのとき思い立ったかは忘れたが28歳の頃にいわゆるファンデーションというその名の通り基盤的なる化粧品からも足を洗った。よってスッピンとは言っても多少のポイントメークの有無に過ぎないが、それにしても何もなしというのは世間に対しちょっと配慮が足りない、という感じもした。 一瞬家に戻ろうかなと思った。しかし時間もないことだし忘れ物にかけては自分の知り合いにとんでもない猛者たちがいたのを都合よく思い出して、まいっか、とそのまま歩を進めることにしたのである。一人は高校生の頃、鞄(即ち中に入っている教科書や財布等の諸々を含む)を持たずに手ぶらで登校しその日は人に借りるなりしてなんとかしのいだ男子、もう一人は同じく高校に通っていた冬のある日、スカートを履くのを忘れて学校に行き、コートを脱ぐ直前で気づいて家に戻った、という女子である。財布もSUICAも持ってるしトップスもボトムスもきちんと身に付けている私なんてたいしたことない。 そうして歩く内、私はあることに気づいた。自分の顔つきが常とは違いしっかりしている(鏡で確認した訳ではないが内的感覚としてそれはわかる)。どうやら、口紅などのいささかの援軍もなき今、自分の本質が問われている、と内心はりきっているらしいのだ。 と、いう訳で、化粧を忘れて外に出ても何を失うでもなかった。これがやみつきになったらそれはそれで自分及び他人が困るかもしれないが。 ▲
by zelan
| 2018-01-31 08:23
2018年 01月 30日
今まさにこの瞬間がそうなのだが、自分は道に迷っている。地図を持っているのに目指すところがどうしても見つからず、疲れてきたのでカフェに入ってこれを書き始めた。 地図が読めないため迷子になり、自分がこれまでの人生において投じた時間とお金は膨大だ。お金の方は今みたいに歩き疲れてカフェに入ったり、結局タクシーに乗ったり・・・(ツーメーター以上目的地からずれていることもあって驚く。運動にはなっているのが不幸中の幸い)。 目的地に電話して教えてもらうこともないではないが、なるべくなら自力でなんとかしたい私。でも結局自力でさばけず、その昔お犬に連れて帰ってもらったこともある。(文末にリンク) もっとも毎回は迷わない。10回に3、4回は真っすぐ着ける。その場合は、目的地には行ったことがないとしても四方を知ってる場所で囲まれていたり、そもそもX駅Y口出て正面などのように迷いようもない位単純な場所であることが多い。 別に四方から囲まれてなくても近くに1カ所知っているところがあれば何とかなるのでは、と人は思うかもしれないが、その知ってるところの例えば道一つ向こう側に渡った場所だとして、その渡る道の選択を間違えてしまうのである。あるいは前の用事などから知ってるとこにいつもと違う駅から向かわねばならない場合、単に一つ行けるか行けないかわかんない場所が増えるだけ・・・。 自分が迷う理由としては、「(地図にのってる)道が建物や人に隠れている」というのが結構多い(この時点で既に、私の話についてこれる人は選ばれた民であろう)。他にも地図の右と左が自分の右と左とどう対応しているのか、即ち順なのか逆なのか、あるいは上なのか下なのかがわからない、地図の縮尺と自分が見ている現実世界の縮尺のイメージが違っているために、遠い・近いなどの感覚がずれている、地図では曲がっている道が自分には真っ直ぐにしか見えなかったりその逆もまたある、等々がある。 道の太い、細いなんかも、これ細いよね、という道が太い道だったりして、細い道を越えたら左、とか考えてるうちに(もしかしたらこの戦略?自体間違っているのか)違う場所につれていかれてしまう。方向音痴でない人にとっては、もはやポール・オースターかなんかのSF仕立ての小説位不条理なことを言っているようにしか聞こえないかもしれないがすべてほんとの話である。 それにしてもこんなにたくさん理由があったら知らないところに出かけるたびにこれらのどれかに容易にはまってしまうのは当然のような気がしてきた。よく迷う理由は確率論的にも証明されたよ。とほほ・・。 実際、駅を出て、自分の持っている地図を見て、どっちに向かえばいいかわからず駅前に立ててある看板状の地図も穴のあくほど見て、手元の地図と駅前の地図を見比べると確かによく似ているのだけれど(当たり前だし、この見比べる行為の意味も今ひとつわからない・・・)、いざ現実世界を見てみると現実の向き?が地図と違うせいかどうにもどっちに歩を進めてよいのかわからず、まるで燃料切れで目的地とは異なる星に不時着した宇宙飛行士のごとく凍りついたまま途方にくれてることも多い。 外出のため地図をプリントアウトした時点で、その見かけから「この地図ヤバい・・」と、実は地図でなく自分がヤバいのだが、予想がつくこともある。そしてこの予想は悲しいことに決して外れないのである。 また、これは自分でも不思議なのだが、この方面における自らの能力のなさを熟知していながらなぜか、地図のチラ見でわかったというような気になってしまい、歩きだして全然わかってなかったということが証明されることも少なからずあるのだ。ちなみにスマホの地図はできる限り避けている。大きくしたり小さくしたり動かしているうちにますますわからなくなるし、指で不用意に押したところがいつの間にか新たな目的地に設定されてて、隣の町まで運ばれていったこともあるから。 思うに、頭の抽象度が足りないのだ。 地図という抽象世界についていけない。自分はどちらかと言えば、「ぴったり同じものしか」、「同じ」とは認めたくないのである。地図に書いてあるAという場所が現実のソレでもありうることを、どこかしら十分には信じていない気がする。 でもそういう自分が絶対に迷わない地図がある。それは文字のみで指示される場合である。X駅のY口を出たら右手のZ銀行に向かって道を渡り・・・、とかいうアレ。でももはやそれは「地図」とは言えない。だって図ぢゃないんだもの。 この件がさっきの抽象度の話とどうつながっているのかはよくわからないが、いずれにせよ文字と現実位ハデに違っていればもう自分はそれが同じであってもかまわないという、自慢ではないがユニークな立場を取っているのである。(絵)地図と現実のように、一見似てるようで違うのが非常に苦手だ。そうするとつい似てるところを探さねばという構えになり、でも事実上かなり違うので、混乱してしまうのである。 もしかしたら自分が絵を描くのは、その空間(ていうか平面だけど)は、自分の思うがままにはもちろんならないとしても少なくとも一望し掌握はできる、ということからくる安心感もあるのかもしれない。 お茶がなくなったのでこれからカフェを出る。いったい目的地に無事たどり着けるのだろうか、博打を打つような気分だ。 ▲
by zelan
| 2018-01-30 11:49
2018年 01月 05日
知り合いと肉料理をメインとするレストランに入る。用事があって急いでテキトーに飛び込んだ店で、メニューを見るとステーキ定食が980円、ハンバーグ定食が780円だ。知人は店の人がオーダーを取りにくると開口一番「随分安いな~、大丈夫?」と問う。もちろん冗談なのだが比較的まじめな顔で言ったため店員の若い男性はぎょっとした様子で「一頭で買っていますので(だから安い)・・・」と口ごもる。知人は更に言う。 「ステーキ定食ひとつ。でもこれ噛める?」 やっと冗談なのが分かった店員は笑いながら「噛めます!」と答える。 安いものに対峙する際、消費者がアラートになるのはしかし冗談ではなく真実だ。アラートになるというのは度を超すと疲れるけど基本いいことだと思っているので、自分など少し病みつきになってるところがある。 100円ショップ物品との戦いの歴史: ▲
by zelan
| 2018-01-05 10:58
2018年 01月 03日
実家から持ってきた古い本の中に、南伸坊氏の名著「モンガイカンの美術館」があり、30年以上の時を経てそれを読み返しているのである。ところがあまりにおもしろすぎてなかなか先に進まない。なぜなら、自分は家で本を読むのが好きでなく、スタバやなんか外の喫茶店とかレストラン、電車の移動中などに読むことが多いのだが、読んでる途中であまりの面白さににやついてしまい、恥ずかしくなるので一回に少しずつしか読めないからだ。 この件で思い出したことがある。 以前勤めていたところで会議に出ていた。そこには非常にもの静かで無表情な、当時の自分より大分年上の同僚のおじさまが出ていて、彼は謹厳実直な見かけで口数も表情も少なく、人からものを尋ねられても1拍どころか7.5拍くらい遅れて、待ったワリには期待にそわない地味で少しピントのずれた答えをなさるという方であった。笑っているのを見た記憶がない。 その人を含めた会議の席上、隣に座っていた別の同僚が私に「ああいう人、アメリカにはいないよね・・・」と耳元でささやいたのである。それが自分のツボを直撃してしまい、笑いをこらえるために身悶えしている気配を察知したささやいた本人も間接的にツボを刺激されたらしく、私の記憶が正しければ我々の我慢は15秒ほどで限界に達しとうとう二人で吹き出すに至った。会議をしきっていた上司に睨まれたが、「理由」を聞かれなくてよかった。聞かれても白状する訳にはいかなかったからである。当該のおじさまがその間も一切表情を動かさなかったのは言うまでもない。 自分の頭の中にはアメリカ人なら皆が皆そうである訳のない「アメリカ人」のステレオタイプが押し込まれており、それがいきなり浮かび上がって目の前のそれとは地球半周分くらい距離のあるおじさまの姿との間でスパークしてしまった。それが「笑ってはいけない」環境でおこると、もう我慢できない位笑いの内圧が高まってしまったのである。 少々不謹慎だが以前ある悪天候の日に法事にでた時、アイロンのぴしっとかかった立派な礼服に色は合っているとはいえ超グロスの黒いゴム長靴を履いている人がお焼香に現れた途端、笑いをこらえる同様の苦しみにさいなまれた。状況においてはアメリカ事件と近いものがある。もしかしたら自分は特段に、この種の状況に弱いのかもしれない。 まあでもギャップって大事ですけどね。芸術はそれが動作原理であり、目的でもある。
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by zelan
| 2018-01-03 10:29
2017年 02月 13日
自分が大好きなゴミ、それはプラスチック包装材や容器だ。中に入っていたものにもよるが大抵の場合ゴミというには汚れておらず、ぴらぴらふかふかしていたり潰しやすかったりして圧縮できる。どれ位好きかというとたまにだが玄関に半透明のゴミ袋をひとつわざわざ出しておいて、このゴミが出るたびにその中に入れる、というのを数日間楽しくやっていたりする。圧縮できるから相当入れられる。最後口から溢れそうになったのを中に押し込んで小さくして口をしめ、大きさの割に軽いと思いながらゴミ置き場に持って行くのも、物理的にも足取りが重くならないことはさておいて他のゴミに比べて随分と気分がいい。例えて言えば動く歩道を歩いている感じ(あれも好き)。なんか労力の割に成果が大きい気がするのである。 知人のひとりが昔猫を飼っていたのだが、ある日彼がリビングの壁際に寄せてあったソファーを久々の掃除のために動かしてみると、ソファーの背と壁の狭い隙間に知人のタバコを包んでいたものやスーパーの袋を始めとするプラスチックの薄物がわんさと詰め込まれていたそうだ。その人の猫さんはわざわざごみ入れからそういうものばかりをよりだして、コレクションしていたのである。 その子の関心と私の関心は種族を超えて何かしら共通の理由をもっているのか、それとも全然関係ないのかはわからないけど。 ▲
by zelan
| 2017-02-13 21:06
2016年 05月 10日
昨日知人と沖縄料理の店に行き、「カラカラ」という陶製の酒器に入った泡盛を飲んだ。 カラカラとは: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%A9_(%E5%99%A8) このいれもの、見かけは1合あるかないかくらいの大きさしかなく、二人ならあっという間になくなりそうなものだが、いっくら飲んでもなくならない。中は見えずまたそれ自体そこそこ重量感のある器なので残量の予測は不可能、でも今度こそ最後かな~と注ぎあってもいつまでもなくならない。ついには注ぐたびに「まだ出る!」とげらげら笑いながら飲んでいた。それでも延々なくならないので、「四次元につながってるのでは・・・」と最後はちょっとコワくなった。 酒の度数とか器の形などがこちらの感覚に作用しているのだとは思うけれど最近最も不思議に感じたことのひとつ。 ▲
by zelan
| 2016-05-10 21:15
2014年 08月 23日
自分のあまり人に公にしたくない趣味というか性向として、喫茶店やレストランなどで隣に座っている人々の会話に、つい興味津々となり聞き入ってしまう、というのがある。 先日近所の喫茶店で紅茶を飲んでいたら、30代くらいの女子ふたり組のひとりのその日の朝ごはんが、カレーライスに鶏のから揚げ5個をトッピングしたものだと知って、びっくりした。他にもこれまで聴いた話としては、高齢になるまで温厚至極のとてつもない人格者だった自分の旦那だか親だかが、ぼけてしまったあと極悪非道の人になったという件や、いかにもシュウト然とした年配の男性が、息子のヨメが自分のハラがとても弱いのを知りつつ、「豆もやし」をいつもおかずにいれるのでけしからん、と怒ってた(豆もやしってそんなに消化わるいかしら。結構好きだけど・・)話などがある。ほんとおもしろくてしょうがない。 自分の話もおもしろがられているかもしれない。でも自らはそのキモのとこがよくわかんないところが残念である。 ▲
by zelan
| 2014-08-23 20:55
2014年 01月 25日
久々の更新でこの話題もどうかと思うが、かなりの冷え性である自分は自営業であることも活用し、冬場は一日三回風呂に入ったりするが、家の電気給湯器(深夜電力で沸かすやつ)は湯量が足りず、一日の終わり、最も重要な三回目に入ろうと思うと途中で水になっちゃったりする。そこでネットで調べて徒歩5分のところにある銭湯に夕方行ってみた。 ネットでは30代位のぽっちゃり系のおにいさんが番台にいたので、んー、そこはちょっとなあと思いつつおそるおそる入場すると、番台にはまさにその母親世代(というか母親であろう)のご婦人が座っていたのでほっとする。洗い場に入ってカランのお湯を出すと超ぬるい。我慢しながら少しだけ体を濡らしてふたつに区切られたどちらかと言えばこじんまりした感じの浴槽の、泡を噴き出している方に足を入れてみると今度は超熱く、すぐひっこめる。温度計は42度位をさしているが自分の体感温度は45度だ。様子をみていたのか、すかさず泡なしの方の浴槽に入っていた年配の女性が、何度かお湯をかぶってから入らないと熱いわよ、と教えてくれる。そうですか、といってそこらの洗面器で浴槽からお湯をくんで少しずつかけてるとカランから出せといわれ、出し続けてると熱くなってくるから、とまるで生けるマニュアルのごとくなり。浴槽につかっているのがこわいほどに自分には熱いので、座っておられず、壁のタイル絵を見るふりをしてほとんど立った状態で4分ほどすごす。図柄は(これ言うともしかしたらどこかわかってしまい申し訳ないので書かないが)、普通風呂屋には描かれない、でも誰でも見るとどこかがすぐわかるヨーロッパのさる国ののどかな風景で、あひるなんかの姿も見える。 ほうほうのていの感じで風呂からあがり脱衣所にいくとなぜか件の女性がおり(いつ出たんだ・・)、もうでたのか、背中が赤くないからあったまってない、と言われた。 着衣半ばの頃、番台の方からどうもーという男性の声が聞こえ、お客が帰っていったようだった。ふと振り返って声のした方を見ると、それがおっさんだったら(多分そう)、完全に目があってかつ全身が目撃されるに違いない番台の高さ及びつくりだ。なぜか番台とほぼ平行の位置にロッカーがあるから、視覚的につつぬけである。 例の女性が、「今日は湯がぬるすぎる」と番台の女性に文句という程のニュアンスでもなく社交的に絡んでいるのを片耳で聞いてると、ガラガラっと戸が開いてネットに出ていた息子が登場した。きっと交代時間になったのだ。悪いけど落胆している自分のとなりをそのまま普通にさくさくはいってきて、マッサージチェアの調子をチェックしはじめた。 平成に入って26年目だけどまだ昭和は終わってない。昭和っていうよりここはまだ江戸すら終わってないかもしれない。 ▲
by zelan
| 2014-01-25 23:08
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