原初のキス

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2018年 09月 09日

美しければ、機を逃さずにそこで止める

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ものを創っている時は、タイトルに書いたように「美しければ、機を逃さずにそこで止める」ってことが至極重要だ。
それは途中であっても完成させる直前でも同じ。でも、「サービス(いわゆる「味」とか、場合により「マチエール(質感)」など)が足りないのでは」とか、「ちょっと乱れているかしら、整えよう・・」とか思ってあれこれやっていると、表現にどんどん夾雑物が増えていく。

そういう意味では美術は武道に似ていて、余計なことをしていると容易に斬られて(負けて=質が保てなくなって)しまうのである。

なんだってそうかもしれないが。

(図像 是蘭 「Awakening」 2018)

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by zelan | 2018-09-09 23:47
2018年 08月 22日

ずらす

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自分の感覚にぴったり合わせなければならないとつい習慣的に思ってしまうが、むしろ少しずらすことが重要。
体に合い過ぎた服の中で身動きが取れなくなるのを避けるように。

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by zelan | 2018-08-22 14:53
2018年 06月 15日

スペクタクル天ぷら屋

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しばらく前にグルメの知人と食事に行き、天ぷら屋に入った。知人も当方も初めての店だ。
カウンターに座ると、かなり高齢の、やや手元・足元のあやしいご主人の背後に、取り付けてある棚状の部分に乱雑においてある調理器具や、盛大にほこりをかぶった酒瓶等が嫌でも目に入る。店における「統制感」「清潔感」というものは皆無である。
神経質な自分はだんだんちぢこまってきた。丁度目の前の棚になんの遠慮もなく置いてある胃薬がことさらやばげだ。あそこに置いてあっても別に自分がそれを飲む訳ではないが、なんだか悪い予感がする。

と、いうことでびくびくしていた自分だが出てきた天ぷらはこれまでの生涯において一番おいしかったのである。

教訓:
真の価値を作るプロセスにさえ妥協がなければ、その価値は実現する。

多分ご主人が若い時分にはこの店もきれいだったかもしれない(そうでなかったかもしれないが)。
が、天ぷらを第一義とし続ける中で、他のことは捨象されていったのだ。捨象していかなかったら、今より少しきれいな店と今よりキレの悪い天ぷら、という組合せになっていたような気がする。

なんだか作品制作面においても同様のところがあるのではないかと思い、それで記憶に残っているのです。





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by zelan | 2018-06-15 15:53
2018年 06月 01日

知らないこと

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芸術とは美しいむらである、とは絵を描く知人の言った言葉。
なぜ、あるむらが美しく、別のむらが美しくないのか、それに関連する理論や技術は数多くある。その一部を自分は知っているかもしれないが、結局絵などの形に出力する際においては知っていることを使ったり確かめたりするだけではつまらない。むらの新しい美しくなり方を知ることがおもしろく、その状況は自分で作るというよりは絵の方が自分に見せてくれるのである。


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by zelan | 2018-06-01 00:02
2018年 03月 25日

野良猫としての私

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自分が野良猫だとして向こうから自分より明らかに強そうな別の野良がやってきて対峙することになったら、

1 速やかに逃げる
2 さっさと腹を見せて攻撃を逃れる
3 虚勢を張り、強そうなふりをして相手をその場から立ち去らせる
4 死ぬ気で戦う

あたりが主な戦略だと思う。
あとは4の変形として、覚悟のないまま適当に相手に向かっていって当然かなりやられる(もはや戦略とは言えない)、というのや、まずは1や2でしのいでおいて、密かにケンカの鍛錬をし、後日改めて立ち向かうといった中長期攻略を実行する、というのもある。

何のことを言っているかというと、苦手なものに処する際の選択肢について分析していたのだ。自分のシュミとしては2と3が好きだ。2の腹を見せて難を逃れるというのは、いわば弱さという欠点あるいは性質そのものを認めた上で、それを結果として利用して難を逃れているし、3はとにもかくにも工夫というものは、しているから。

しかしぼーっとしているとえてして1を多用したり、あるいは無謀にも4や4の変形に走ったりしてるという状況が起こりがちなので、結構注意してないと危ないなー、というのが自分の分析の結論である。



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by zelan | 2018-03-25 01:47
2018年 03月 09日

ベランダ画壇(つづき)

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私は考えた。上にのっかってるものが堅牢なら下(支持体)をいぢめられやすいものにすればよいのでは、と。下の劣化が上の状況に微妙なる変化を及ぼさないとも限らない。いやむしろ、自分の経験ではかなりの高確率でそれは起こる。そこで支持体を頑丈なMDFからより傷みやすいであろう和紙に変え、その上に絵具を塗って今2回目の実験をしているのだ。普段天気が悪くなると気分も沈むものだが、最近は雨が急にばんばん降ったり、気温が乱高下したりすると心が踊る。

まだ2回目の途中なので、これが成功するかどうかわからない。でも当方がかつて長い間勤めていたソニーという会社のファウンダーである井深大氏も、「成功のコツは成功するまでやること」と仰っている。成功するまでやってみよう。

(でも今これを書いてて思ったが、地の絵具を塗っちゃってからベランダで育てるより、まずは裸の支持体の状態でぼろっぼろに育ててから地の絵具を塗るのが実は正しいんぢゃあないかしら・・?? 3クール目が必要かもしれない・・・。)

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by zelan | 2018-03-09 21:57
2018年 03月 08日

ベランダ画壇

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技術的なことなので秘していてもいいのだが、自分は今、ベランダで絵を育てている。

主にアクリル絵具で絵を描いているのだけれど、技法がやや特殊で、支持体にペインティングナイフ等で絵具を塗って凹凸のある地を作り、それが乾いてからシルクスクリーン版画などで使うスキージというヘラのような道具で別色をのばす、という行いをする。地の凹部に絵具が入り、凸部は薄くしかのらないので濃淡が得られる訳だ。一種の版表現で、地の微妙な凹凸などは全て次に色をのせたとき反映される。どれくらい微妙なものかと言えば、例えば地に白い絵具を塗るとして、同じジンクホワイトでもメーカーが違うと粒子の大きさや色のほんの少々の違いから、上に絵具を載せた時の結果が異なるという具合。

そこで、地を創った時点で風雪に晒してみたらどうだろうと思った。というか、先般グループ展に参加した際作家さんの一人がご親切に案をくれたのである。自分は風や雨や乾燥や湿度が地塗りをいぢめにいぢめ、上に色をのせた時に面白い効果を及ぼしてくれるのではないかと期待した。それでベランダに地だけ作った状態の施した描き掛けの絵を出して、野ざらしにしているのだ。

実はこの実験は、現在2クール目に入っている。
最初はいつも使っているMDF(集積版)の上に地を作ったのを、乾ききる前にベランダに出し、1週間程楽しみに変化を待った。しかし一週間たって取り込む時に見てみると、あにはからんや表面が多少汚れている程度で目覚ましくは変化・劣化しておらず、悪い予感がしたが案の定上の絵具を施してみても通常とさしたる違いがなかったのである。

樹脂恐るべし!と自分は思い知った。アクリル絵具の主成分はその名の通りアクリル樹脂である。樹脂全般に言えると思うが硬化後は水分などにはめっちゃ強い。雨ガッパを水に濡らすような・・なんていうんだっけこれ、そう、「カエルの面に水」的状態なのであった・・。
(この項続く)

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by zelan | 2018-03-08 21:58
2018年 03月 06日

内心絶叫

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絵はどんなしっかりした心持ちで描いていても途中で汚くなることがある。しかしそこであきらめるのでなければ、汚くなること自体は何の問題でもなく、むしろその過程ができた時にいい作用を及ぼしていることが多い。それを納得するのに10年かかった。
納得とは言うけれども自分の全身が本当に納得しきっているかどうかは、はなはだあやしい。何かの打ち手をとって、それが意に反して一応いい感じに推移していた画面に一見致命的な混乱状況をもたらした時、相変わらず頭の中で瞬間的に、あに点々をふったような大絶叫が巻き起こるからである。

でも制作中のリヒターのビデオを見てたら、「うー、あそこで青を塗ったのがまちがった~!」的なことを言っていたので、この現象は永遠に消えることはないのかもしれない。

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by zelan | 2018-03-06 11:29
2018年 03月 04日

Foundationは生き残る

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絵画では下地づくりが重視され、私も下地のセミナーなどに時々出かけている。
自分は技法上カンヴァスはメインの支持体としていなくて、集積板(MDF)を使うことが多い。以前最初の層にジェッソをしっかり塗ればいいかと思ってそうしていたが、結局その下にシーラーを二層程塗って、シーラー、ジェッソ、その上から描画層としないと発色が優れないことに気づいた。
シーラーと言えば前専門のものでなくちょっと別用途の透明樹脂系のものを塗ったら描画の際にマスキングテープを使いそれをはがした時に、ぺりぺりと支持体からジェッソ・その上の絵具ごとまるまる取れてしまって泣いたことがある。

何が言いたかったかと言えば、方針・戦略、そして人格といった「下(=先)にあるもの」は重要だなあ~、という自分の日常的感覚のことだ。
もっとも頭の理解と実践とは異なったりする。それをまざまざと見せつけてくれるのがまた、絵画のありがたいところである。

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by zelan | 2018-03-04 11:26
2018年 03月 02日

スパゲティと絵画

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いわゆるところの共感覚とはまた違うのだが、五感の主たる利用分野が違うもの例えば音楽と絵画などの質の上下を自分はよく比べている。もっと言えば料理とだって。何を言っているかと言えば、例えば近所の駅ビルの3Fのカフェでランチにスパゲティを食べるとする。それとその日手がけている自分の小品のどっちが上かを判断するのである。感覚に対する総合的な圧力やそのキレ、快感度だからできないこともない。
自分との比較において、勉強になるのは圧倒的に質の高いものを見聞き、食べ、経験すること。だから良いものに接することが重要という、当たり前の結論となる。


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by zelan | 2018-03-02 07:29