2019年 02月 17日
2019年 01月 29日
むしろもしも基本と言われるものを誰かから習ったりあるいは調べて情報を得るのでなければ、基本及びその重要性に気づくのは結構経験を積んでからということになる。私は美術を高名な美術家の方に手ほどきを受けたが、彼らが伝えるのは言ってみれば表現する際に考慮検討すべきエッセンスの方で、いわゆる基本ではなくましてや初歩的な要素などではなかったように思う。そしてこのブログにも記事を書いたことがあるが、例えば私の先生に構図の理解を深めたいと言ったら構図でなく人間の視覚の原理が重要だと彼は言ったのだ。 ともあれ基本を最初から全部習ってしまったり人から聞いたりしらみつぶしに調べてしまうのは、なんだか少しもったいないし、ちょっと危ないと思う(経験より言語の理解があまり先になると経験に言語の色付けがなされて感覚の純粋性が阻害されたり等々)。ただし、すべて自分で発見していくというのは経験上あまりにも効率が悪すぎる、ということで勉強半分手を動かすこと半分という、比較的穏当な結論に落ち着くのであった。
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by zelan
| 2019-01-29 14:56
| 美術について
2019年 01月 27日
目立たせ方には二種あり、大きな構想から逸れずにむしろ構想を強化する方向でそうするか、もう構想にこだわるのをやめて傷自体を友として別の方面に旅に出るかだ。後者の成功率は経験上非常に低く(大体15%位かな・・)、旅は大抵「遭難」で終わる。 でもこれは個々の作品を完成に持って行くという意味で「効率が悪い」だけで、結局そういうことにどんどん慣れて経験値を積んでいくと、自分の持っている構想のレイヤーを行き来し、どのレイヤーでも成功することがうまくなっていくかもしれない。だって自分の作品の構想なんて、どうせ一人の人間が考えているのだもの。違う風に見えたって抽象的などこかの層では必ず一つの構想なのだ。 いずれにせよ絵の瑕疵について考えていると、人間の欠点のようであると思う。そう、欠点をカバーできないのだとすれば、それを活かすしか道はない。 ▲
by zelan
| 2019-01-27 12:04
| 制作心理
2018年 12月 30日
それまではゾーリンゲンのそれなりに切れ味のよい普通の大きさのものを使っていたが、小さくて刃もほっそりしたものに変えたら、とんでもない位切るという作業が効率的かつ精緻にできるようになったのであった。 今から思うになぜもっと早く気づかなかったんだバカバカ・・と思うが、とにかく全然気づかなかった。 ストレートなコラージュの素材は多くの場合印刷物から取るので、紙のサイズはあまり大きくなく、かつ、作品であるのでその切り取りの精度はある程度以上高く保たねばならない。とすれば、素材の細かい稜線を切ることのできる小さくて華奢で小回りのきくはさみがいいに決まっているのに・・! 恐らく、ゾーリンゲンで大きな不服がなかったのがいけなかったのだ。 こういう状況が進歩においてはごく問題。携帯電話がなかった頃凡人たる自分は、待ち合わせの場所に知人が現れなかったらうちに戻っておっとり刀で固定電話の着信を待つか、自分で掛ける、ということをやっていた。より便利な状況というものが思いもよらなかったので。 明確な不便や不服といったものは、通常逆に我々の眼を覚まさせてくれるものだ。 もとい、それにしてもなぜ小さい鋏がいいと気づいたのか、自らハッとしたという記憶もなければ人に教わった覚えもない。 ただ鋏といって思い出すのは昔、裁縫用の糸切ばさみ(握り鋏ともいう文字通り握ってすぐ使える例のなんというかカニのハサミ状の・・)で全てのコラージュの素材を切っていた人を見たことだ。 これには心底驚いてしまった。もしかしたらそこで、ゾーリンゲンだけが解でない、という思考上の可能性が開けたのかもしれない・・・。
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by zelan
| 2018-12-30 08:54
2018年 12月 22日
以前絵を描く知人が、長い間全然筆を取らないので、「一向に描く気配がないではないか」と糾弾した処、 「オレは考えてるんだからいいの!」 と、言われた。 当時は冗談としか思えなかったが、これはそれなりに評価すべき、制作に対する一つの態度だ。 手ばかり動かすのは、考えてるだけより100倍悪い。
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by zelan
| 2018-12-22 23:34
2018年 10月 25日
先般、ある美術技法書を読んでいてふと、「コントラスト」というものが自分の思っていた以上に、絵画において非常に重要であることに、気づいたのである。 大体、構図だの色彩・明暗だの動勢だのモチーフだの質感だのと、絵には制御すべき要素がたっぷりある。これらの個々が原理的にとてもややこしいという訳ではないかもしれないが、全てが多少なり結果に影響するのだから、制作においてはこれらの全部を多かれ少なかれ相手にしなければならず、そのこと自体がかなりややこしい(という風に感じる)のである。 でも「コントラスト」のことを主として考え、感じているならば、色んな要素を一挙に一望の下にできる。構図は面積の、色は対比の・・とかあるものを、全体としてコントラスト観点からまとめて見れるわけ。 コントラストとは何か、それはつまり「差」の強弱に関する感覚だ。そうして、全ての生命体にとって、「差」を感じることは生命の存続において極めて重要な機能であろう(=原始時代から、草むらが微妙に揺れることを感知することがその奥にいる動物のことやなにかを認識するために必要だったのから)、だから「コントラスト」の一事をもって、色々なことを感じ取り次の行動をしかるべく判断することができるという、それはある意味当然のことかもしれない。 ▲
by zelan
| 2018-10-25 23:40
2018年 09月 09日
ものを創っている時は、タイトルに書いたように「美しければ、機を逃さずにそこで止める」ってことが至極重要だ。 それは途中であっても完成させる直前でも同じ。でも、「サービス(いわゆる「味」とか、場合により「マチエール(質感)」など)が足りないのでは」とか、「ちょっと乱れているかしら、整えよう・・」とか思ってあれこれやっていると、表現にどんどん夾雑物が増えていく。 そういう意味では美術は武道に似ていて、余計なことをしていると容易に斬られて(負けて=質が保てなくなって)しまうのである。 なんだってそうかもしれないが。 (図像 是蘭 「Awakening」 2018)
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by zelan
| 2018-09-09 23:47
2018年 08月 22日
自分の感覚にぴったり合わせなければならないとつい習慣的に思ってしまうが、むしろ少しずらすことが重要。 体に合い過ぎた服の中で身動きが取れなくなるのを避けるように。
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by zelan
| 2018-08-22 14:53
2018年 06月 15日
しばらく前にグルメの知人と食事に行き、天ぷら屋に入った。知人も当方も初めての店だ。 カウンターに座ると、かなり高齢の、やや手元・足元のあやしいご主人の背後に、取り付けてある棚状の部分に乱雑においてある調理器具や、盛大にほこりをかぶった酒瓶等が嫌でも目に入る。店における「統制感」「清潔感」というものは皆無である。 神経質な自分はだんだんちぢこまってきた。丁度目の前の棚になんの遠慮もなく置いてある胃薬がことさらやばげだ。あそこに置いてあっても別に自分がそれを飲む訳ではないが、なんだか悪い予感がする。 と、いうことでびくびくしていた自分だが出てきた天ぷらはこれまでの生涯において一番おいしかったのである。 教訓: 真の価値を作るプロセスにさえ妥協がなければ、その価値は実現する。 多分ご主人が若い時分にはこの店もきれいだったかもしれない(そうでなかったかもしれないが)。 が、天ぷらを第一義とし続ける中で、他のことは捨象されていったのだ。捨象していかなかったら、今より少しきれいな店と今よりキレの悪い天ぷら、という組合せになっていたような気がする。 なんだか作品制作面においても同様のところがあるのではないかと思い、それで記憶に残っているのです。 ▲
by zelan
| 2018-06-15 15:53
2018年 06月 01日
芸術とは美しいむらである、とは絵を描く知人の言った言葉。 なぜ、あるむらが美しく、別のむらが美しくないのか、それに関連する理論や技術は数多くある。その一部を自分は知っているかもしれないが、結局絵などの形に出力する際においては知っていることを使ったり確かめたりするだけではつまらない。むらの新しい美しくなり方を知ることがおもしろく、その状況は自分で作るというよりは絵の方が自分に見せてくれるのである。 ▲
by zelan
| 2018-06-01 00:02
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