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原初のキス

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タグ:マチエール ( 5 ) タグの人気記事


2019年 11月 10日

「イメージ」と「マチエール」

色だの構図だの平面美術を構成する要素は多々あるが、極言すれば「イメージ」と「マチエール」ではないかと突然思う。この二つについてはベン図で言えば真ん中の重なってる部分の広さがゼロとは言わぬまでもあまり大きくない。上述の例に出した色や構図はイメージとがっつり重なってる、というかイメージという上位概念に対するその構成要素って感じがするのよね・・。

前このブログに書いた、池田満寿夫氏が油絵を描いている時のマチエールとの格闘についての話をまた思い出した。
版画には版画のマチエールがもちろんあるけれども、どっちかといえば高さがなくさらっとさっぱりしており、マチエールマチエールしていない(ヘンな言い方・・)。で、自分はこの高さのないマチエールが好きなのです。凝ったマチエールも素敵だがそれとイメージと両方見えるのが少し疲れる。イメージ>マチエールと主従関係であってほしいのだった。

とああだこうだと雑駁な論を展開しつつ、結局の処イメージとマチエールはごくごく合ってないといけないはず。完璧なカップルのように。という意味ではやはり、この二つは本質的に「他人」なんぢゃないかしらん。





by zelan | 2019-11-10 15:36 | 絵画
2019年 09月 28日

都会のマチエール

昨日最寄りの駅の近くの交差点で信号が変わるのを待っていて、ふと側のガードレールに目がいき、そのなんていうのか金属の横棒がすごく白くて最近塗ったのかツヤっツヤでキズひとつなく、素晴らしい人工的なマチエールだったので自分は見惚れてしまった。ごたごたした道端で、まるで「無垢」や「完全性」を表象しているようであった。ガードレールにまで感心するというのもどうかと思うが、今や人間は、人工物においても以前よりは相当厳密に面白い面白くないを切り分けるようになってるのかしら。

そのうちパソコンモニターの表面のマチエールの良し悪しすら気になるようになるはず。
(自分はまだそこまでいってない。内側から光ってると、まだ光を見てるって感が強い。)

そうなった時、目にするのがだんだん減っていく自然物の見え方というのはどう変わってくるだろう。
感度は劣化していくか、生命体として適確に保持されていくのであろうか。


by zelan | 2019-09-28 16:52 | 感覚について
2019年 09月 16日

和紙と墨とマチエール

改めて考えてみると不思議なことのひとつに、和紙に墨が施されているもの(書など)というのはマチエールがバッチリ合っている、ということがある。洋紙にアクリル絵具一層では、必ずではないものの多くの場合こうはいかない。仮説としては和紙や墨が既に相当に複雑な物質的奥行きを孕んでおり、説得力を持つのではというのはあるかもしれない。ちょっと「寿司」に似ている。シャリとネタという二大存在で手数はむしろ最小で成り立つ。一般的な洋画はフランス料理で、ある程度手数がないと見かけがそれらしくなりづらい。(もちろん、超雑駁な言い方。)

結局、自分の場合制作していて一番苦労と言うか考えざるを得ないのがマチエール だ。私の作品はかなりつるっとしているし、そうしたものが生理的好みなのでそれはそれでかえって難しい部分もある。そうしてそれを探っていると、現実に存在する物質は空想しているものとは違うどんな具合的な感覚を励起せしめるのか、と言うかなり抽象的かつ個人的な問いに関心が集約してくるのだ。

現在以下のグループ展に参加しております。作品の一部に墨を使用しました。
本日午後2時半~5時頃在廊しております。

『幻視の薔薇の咲く庭で、ふたたび』
場所: ポルトリブレ デ・ノーヴォ(高円寺)
会期: 9月23日(月)まで



by zelan | 2019-09-16 12:35 | 展示案内
2019年 07月 12日

考えと絵とスポーツ

何かの発想がうかび、その主題でものを考えていると3段階ぐらいまでは深まってるないいぞいいぞという感じになるが、でも4,5段目ぐらいとかその先まで考え続けているとなんかごちゃっとしてきてかえってわかんなくなってくることが多い。

絵のマチエール(質感)の説得性なんかもそうで少なくとも自分の使っている技法の場合経験的にほぼ3から4層で基本的には決まる。ところがそこで何か物足りなくて足したりすると逆に、それまでは存在していた簡潔性が全体として損なわれ、結局その付けたした層までを2層目ぐらいの存在にわざわざ捉え直して(捉え直すというのは例えば物理的には絵具やスプレーでつぶしたり)また改めてやってかなければいけないとなり・・、で、少なからぬ場合結局あんまりスパっとした状況にならないっていうことが多いんですね。

三段跳びって競技があると思うがあれは四段跳びとか五段跳びとかぢゃいけないんだろう、ということが、美術的体験としても納得なのであった。



by zelan | 2019-07-12 22:18 | 制作心理
2019年 03月 12日

少し哀しい

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美味しい和菓子屋さんのショーケースの中で練り切りなどが個包装されている。
あれが実に惜しい。セロファン状のもので包んであるにせよ、フタが透明の小さい箱型のものに入れてあるにせよ、ショーケースのガラスに加えてあれだから、いかにも感覚的に遠すぎる。正確な色だとかマチエールが分かんなくなっちゃう。

ケーキなんかはああいう風になってないことが多い。乾燥防止の効果などはあると思うが、形態からしてやりやすいから覆われるに至ったというのもありそうだ。でもやっぱり残念。



by zelan | 2019-03-12 17:05 | 美について