原初のキス

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2018年 12月 12日

「初めてのコラージュ」 目黒学園カルチャースクール 初回1月9日

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2019年1月より、目黒駅至近の目黒学園カルチャースクールにて初心者の方向けコラージュ制作の連続講座を持つ予定です。
第2第4水曜日15:30 – 17:00(各期全6回)
初回/体験会は、1月9日(水)です。

コラージュは写実描写など鍛錬を必要とする技術を直接的には必要とせずとても取り組みやすい一方、人間の意識・無意識や感覚の特徴、自分自身の美的関心や内心のイメージのありようについての理解を素早く深めていくことのできる技法です。

詳細、お申込みは以下リンクよりご覧ください。

目黒学園カルチャースクールトップ
講座詳細







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by zelan | 2018-12-12 17:07
2018年 12月 10日

コラージュと流体

ごく最近思い至ったのが、コラージュとは一種の流体技法であるということである。
糊で貼り付ける前なら、モチーフはいくらでも動かせる。描写的な技法が一瞬一瞬動作の軌跡を画面に定着させていくのと根本的に原理が違う。

私は美術をコラージュから始めてその後主には絵具を使った混合技法で、かつ絵具の流動体としてのふるまいを定着させるという関心で創ってきたが、どうしてコラージュからこっちに移行してきたか、自分でも今一つ理解できなかった。基本的には印刷物を使うストレートなコラージュは大きさやマチエール(質感)にある程度制約があり、その制約を逃れ、より自由を求めようとしたというのが仮説だったけれど、これも間違いでないにせよ実は流体への関心、という同じ軸の周りを回っているとも言える。

これに関し、世阿弥の風姿花伝の、初心忘るべからずという言葉を思い出す。私はこれを、始めにやっていたことは忘れなくてもいいよ、という風に解釈しているのであって、人間は変わるけれども変わらない、何かを捨てたり忘れたり、超克したりしようとしたりするが、元の自分には常に今の自分の予見があり、今の自分には常に過去の自分の名残がある。この名残はしぶとくて、種のようなものでもあり、また次の芽をふくときが場合によってはあるのではないかと、自分は期待しているのである。



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by zelan | 2018-12-10 22:01
2018年 12月 06日

コラージュと目線

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1月からカルチャースクールでコラージュの講座を持つ予定なので、コラージュの技法や制作心理について振り返りを兼ねてこのブログでも記事を書いていこうと思う。その第一回として以前の記事を再録。

2009年12月16日 可能性

コラージュは眼と脳に対する刺激を創るものだから、画面には常にある程度刺激が溢れており、制作中の画面をじっと見ているとその刺激に慣れすぎてわからなくなる。
だから見てるような見てないような横目で見る感じで創るのだ。画面そのものを見ている時間より、そこに置く素材を見て選んでいる時間を意識的に長くしたりもする。また、画面を見ているときですら、視覚に入り込むというよりからだの軸の感じはどうかとか画面から音が聴こえるか否か(聴こえない方が私はいい)など、他の感覚に注意を注ぐようにする。
見つめすぎないというこれは結構何年もやってから気づくようなノウハウだけど、でも、じいっと見ても感覚さえ冴えていれば、むしろいいものが創れるかもしれない、という可能性もまた、頭のすみに置いておくことにする。

・・・うー、第一回にしてはマニアックすぎるかもしれない(その証拠に自分自身このいわゆるノウハウは忘れていた)。
次回は「コラージュとハサミ」とか、もう少しストレートにいってみよう。

(図像 是蘭「開城の兆し」2009 コラージュ)

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by zelan | 2018-12-06 23:14
2018年 10月 31日

脳内コラージュ

展示が近いので作品配送に必要な梱包材(気泡緩衝材・・またの名を「プチプチ」)を買って抱えて帰る道すがら、妙に気分が良くなってきた。そしてふと、「この感じ、何かに似ている・・」と思ったのである。暫く考えているうちにその感覚が、

「動く歩道を歩いている時」

と同じであることがわかった。

10メートル巻きのプチプチは結構大きい、でも軽くて楽々運べる。これが、自分が普通に歩いていても常より速く進むことのできる「動く歩道」よろしく、身体的な「自己有能感」を高めてくれるのだ。だから両方とも微妙にウキウキしてくる訳。

この原理を利用した「有能感高めグッズ」を発明しかつ天才マーケターと組んだら、意外に儲かりそうな気がする。でも、自分の関心は美術にあるため、ただ「関係なさそうに見える存在をやや強引に関係させる切り口」を見つけたことに満足した。こういうのは一種の「思考のコラージュ」なのである。


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by zelan | 2018-10-31 22:04
2018年 09月 02日

個展案内:「或る女性 A Certain Woman」11月 銀座Gallery Art Pointにて

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2018年 11月8, 9, 10日の3日間、銀座のGallery Art Pointプロデュースにて個展「或る女性 A Certain Woman」を開催致します。
旧作コラージュから新作の絵画、ミクストメディア作品まで30点前後の展示を予定しています。

<展示概要>
会期:
11月8日(木)開廊12時半 閉廊19:30
11月9日(金)開廊12時半 閉廊19:30
11月10日(土)開廊12時半 閉廊17:00
(最終日は閉廊が早めですのでご注意ください。)

会場はGallery Art Point(銀座)、アクセスは以下の通りです。

アクセスマップ:

会期中存廊しております。
お目にかかれますのを楽しみにしています。


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by zelan | 2018-09-02 21:26
2011年 10月 29日

透明ということ

コラージュってシュールレアリスムの技法の一種で意外なイメージをぶつけあわせたりして人をおどかそうとするもの、とか思っている人が多いかもしれないが、別にそれはそれでいいんだけど、コラージュが問題にしているのは実は、何かが透明であったりなかったり、その透明さを通して、何かと何かが層状に重なり、同時に存在しているということだったりするのではないかと思っている。いずれのモチーフもそれが選ばれた限り、そのまわりに本来あったものが「透明」になっているのである。切り取られたからといって、完全になくなってしまった訳ではない。

人間の視覚だって、実は普段そういう風にものを見ているのかもしれないし。人は見たり見なかったりする。自分が見えているものを、見えていないものに平気で重ねてみたりとか。自分の意識で本来同時に存在しえないものを無理やり存在させたり。そういう意味ではコラージュは人間の現実の知覚そのものの似姿なのかもしれない。こう考えると、コラージュってたいそうおもしろく感じられると思うのだけど、どうかしらん。
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by zelan | 2011-10-29 22:34
2010年 09月 15日

左手と足、北川健次展

コラージュを勉強している時、美術家の北川健次氏が、過剰な意識を脇にどけておくために背中から手をまわして後ろ手に素材を置くとか、目を閉じて置くというやり方もある、とおっしゃっていたが、自分は一旦置いた素材を左手でぐっと動かしたり、(行儀は超わるいが)床に置いてつまさきで動かしたりする。人間というのは意識をそれなりに信用し、ていうかそればっかりに依存して生きていたりするものだが、ほんとそれって正しいのか?と思う一瞬。

北川氏の展示を日本橋高島屋に見にいった。まるで「鉱石」か「宝石」のように、存在としての純度の高い事物のもつ、こちらの体軸をしゃきっと立てるような気をそれらの作品は発している。細いガラス管の中に、高い周波数で激しく震える水銀をしこんだオブジェ作品があったか、その水銀のように彼の作品は目の中で動き続けて、美術作品も結局は「運動」なのだということを、思い起こさせる。その自然な、つまり何の規範に照らしてかはわからないが極めて「正確」だと感じさせる運動は、人為だけではおこすべくもないものである。

日本橋高島屋6F美術画廊にて、9/20まで。
北川 健次 展 ~目隠しされたロレンツォ・ロットが語る12の作り話~
http://www.takashimaya.co.jp/tokyo/event3/index.html#event3_11
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by zelan | 2010-09-15 02:24
2010年 07月 05日

2010年7月5日 関係

結局すべては関係性である、ということがコラージュをしているとよくわかる(伝統的な絵画でももちろんそうだろうがコラージュは個々のモチーフが独立しているし、自由に動かしたり、取り替えたりできるのでなおさら)。人間の頭は一般化して考える性質があるので、つまりは現実も、そうだと思うのだ。

ひとりの人間が誰かにとって、もしくはある状況において良い人だったりそうでもなかったりする。その性質は、その人に素質としては内在しているから発現するのだが、その発現するスイッチは、相手や環境とその人との関係が押している。だからかもしれないが、誰かが自分の期待に沿わない動きをしたとしても、すごく実害があるとかでない限り、結構寛容にふるまいたいとは思っている(いつもできるとは限らないけど)。こちらからは面白くない動きでも、別の絵の中ではすごく重要で美しいモチーフかもしれない。
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by zelan | 2010-07-05 00:05
2010年 04月 30日

2010年4月30日 逆バリ、もちろん過度に意図的ではなく

“In golf, the only way to avoid hitting a tree is to aim at it”という言葉を知人から聞いた。ゴルフで、林に突っ込んだボールを木に当てずに出そうと思ったら、避けようとするよりは木を狙った方が当たらない確率が高い、ということとか。

昨日、書に関する本を眺めていたら、まっすぐ線を引くと、かえってまっすぐという「質」が失われる、と理解できる教えが書かれていた。

コラージュなどでも、モチーフの中にあえてウソっぽい要素や不自然な運動性を入れておくと、むしろ全体が「リアル」に見えることがよくある。
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by zelan | 2010-04-30 00:29
2010年 04月 04日

2010年4月4日 是蘭コラージュ展 「まさゆめ」 本日より

先にご案内の通り、本日4/4(日)より4/10(土)まで、渋谷Bunkamura Gallery +(ギャラリー・プラス)にてコラージュ新作の展示を行います。

ご高閲頂けますことを、心よりお待ちしております。

<詳細>
・是蘭 Zelan 新作コラージュ展
  「まさゆめ」 Prophetic Dreams
・会期:2010年 4月4日(日) ~ 4月10日(土)
  10:00 ~ 22:30 (無休 最終日19:00まで) 
・場所:Bunkamura Gallery +(ギャラリー・プラス)

渋谷東急本店横Bunkamuraの1F正面入り口より入りますとインフォメーションデスクがあり、その奥がカフェになっています。
カフェの右手奥の壁面パネルが展示場所です。

当方会期中11:00 - 19:30(最終日19:00)、会場にいる予定です。
皆様にお目にかかれますことを、楽しみにしております。

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by zelan | 2010-04-04 00:12