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原初のキス

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2010年 06月 24日

2010年6月24日 言葉、イメージ、感覚

ものすごく気が散りやすいたちで、ある意味それに対抗するために、ものを創ったりしているのである。
例えば「東急ストア」という言葉を聞いたり考えたりすると、フロアの様子、店員の方々のたち働く様子まで「見えて」しまって、うっとおしいことこの上ない。
だいたい、現実がこの通りとは限らないし、いやむしろ細部にわたっては絶対に違うはず。ということはつまり、想像したとたんに、現実はその通りではありえないという事実を、創りだしているようなものだ。

言葉が言葉でしかなければ、こんなめんどうなことにはならない。
言葉にはイメージがくっついている。そのくっつきが弱い人と強い人がいて、自分はすごく強い方。
生きていれば色んなものが目に入る。そこでその現実の視覚と、言葉と(自分で思考していることも含む)、言葉に伴うイメージがすごい勢いで干渉し、あるいは一方が一方を瞬間瞬間、駆逐しあうのである。  

だからこそ、ほんの何分かであってもいいから、からだとだけ一緒にいて、その感覚だけを観ていると(少なくとも不快でないときがいいが)、突如としてものすごく大きなエネルギーが供給される。
つまり、感覚そのものに「言葉」はないということ。同意する人が、どれくらいいるかわからないけど。

これは何を意味しているか。
我々が感覚とだけ共にいるとき、我々はすべての混乱や懊悩から、解放されているということである。

by zelan | 2010-06-24 23:00
2010年 06月 14日

2010年6月14日 スクリーンセーバー

皆知っているとは思うけど、Windowsのコントロールパネルからデスクトップのカスタマイズでスクリーンセーバーの画像のホルダが選べる。自分のイメージのアーカイブをホルダにまとめておけば、ちょっとした休憩の間にも、自分がどういうイメージが好きか、とか復習と考察ができる訳だ。「これは忘れてはいかん」という名言集なども入れておいたら、日々利口に、なるかしらん。

by zelan | 2010-06-14 21:55
2009年 11月 25日

2009年11月25日 よく見ない、考えない

「頭のすみにおいておく」、というのは明らかに一種の技術である。それでうまくいくことがたくさんある。
例えば作品のテーマ。「テーマとは、そこに向かっていくものではなく、そこから出発し、追い風としていくものだ」、という美術家北川健次氏の言葉を前に引用したが、テーマって、向き合ってしまうと、表現の幅をどんどん狭くする方向にしかいかない。「クリスマス」について正面きって考えると、緑とか赤とか、サンタクロースしか見えてこないように。クリスマスの絵を創ろうと思ったら、直接は関係のない素材をいじりながら、クリスマスのことを少しだけ忘れないでいる程度がいい。そうすると、ステレオタイプでないクリスマスが、現れてくるのを邪魔しないでいられる。

「見渡せば花ももみじもなかりけり」と聞けば、そこにない花やもみじのイメージが眼前に展開するように、見ようとすれば隠れ、見まいあるいは見えないと思うと現れるのがイメージの性質だ。向かうと離れ、そっと横にどけておくとなまなましくほんとうの姿を現わす。このことをいやがるのではなくて、喜んで一緒にいる、その感覚をつかみたい。
皆絵って特に創るときは、穴のあくほど見て、深く考えるのが重要だと思っている。そういう場面も確かにあるけれど、それだけがすべてではない。軽いかまえで、ちょっと横目で見るような感じ、それがよい結果をもたらすことも多い、というか、少なくとも自分の場合、調子のいいときはほとんどそればかり。

by zelan | 2009-11-25 01:01
2009年 10月 18日

2009年10月18日 教え

銅版画、オブジェ、コラージュの第一人者である美術家北川健次氏より
聞いた言葉:

 ・作品においてはイメージの根本要素のみ残すこと。
 ・絵は、観る人が頭の中でイメージを完成させる。だから、饒舌でなく
  むしろ何かが「欠落」していることが重要。
 ・写実だからリアルという訳ではない。
 ・スランプは飽きたということ。違うことをする、そこで飽きたらまた
  違う自分で元の活動に戻ればよい。
 ・テーマとは、そこに向かっていくものではなく、そこから出発し、
  追い風としていくものである。

by zelan | 2009-10-18 09:42
2009年 09月 27日

2009年7月6日 「ネオテニー展」他

上野の森美術館で「ネオテニー展」。
精神科医にして大コレクターの高橋龍太郎氏のコレクションで、
日本現代アートのエッセンスを総覧する。
次の予定まで時間があったので二周したが、二周めでなお足を止めたのは
町田久美氏。原初的なイメージの方が、「現象」の描写より強い。

by zelan | 2009-09-27 13:00
2009年 09月 27日

2009年6月10日 コラージュについて

コラージュとは、古典絵画などの切り抜きを始めとする既存のイメージの
組み合わせによって、新たなイメージを構成する技法である。
芸術表現としては1910年代にピカソやブラックが始めたとされ、
ダダやシュールレアリスムの運動の中で発展した。
代表的作家にはドイツのマックス・エルンストなどがいる。彼が1920年代末
に発表した「百頭女(ひゃくとうじょ)」は、今もコラージュ作品の金字塔として
有名である。

歴史的な説明はともかくとして、コラージュにおける制作上の面白さは、
「痕跡を残さずにモチーフを動かすことができる」という、平面芸術においては
稀有な特質を持っていることだ。
つまり自分の身体の運動性そのものと、飽かず戯れることができるのだ。
加えて、コラージュではイメージの構成要素である素材を自ら制作しない
ため、対象に迫る鍛錬されたデッサンや、マチエール(筆触)への意識に
エネルギーを振り分けることなく、イメージの強さそのものに単刀直入に
取り組むことができる。

他者の作った素材を通し運動性とイメージの強度を追求するという
コラージュの制作過程から、コラージュが持つこととなる特異な情緒は、
「他者性」の「侵入」である。
コラージュとは結局の処何かに何かを侵入させて、それが「ぐっとくれば」
いいものだ。

その意味でコラージュは、いずれの作品も象徴的には一種の性的な表現と、
言えるかもしれない。

by zelan | 2009-09-27 12:59 | コラージュ