原初のキス

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2019年 02月 14日

アートと人格

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自分は人は誰でもアートをした方がいい(こういう時は「美術」より「アート」という言葉が合いますね)、というとんでもないことを考えている人間だが、(しかしアイスホッケー狂いの人が「人は誰しもアイスホッケーをすべき」と主張したら即座に断る!冷え性だし運動神経もないし)、アートのいいところの一つに、「人のせいにできない」というのがある。自分の目の前に自力で展開させるささやかな世界の責任は自分自身が担っている。ときたま、100円ショップで買った30センチ定規がやわらか過ぎてカッターで紙を切ろうとしたら定規の方が切れてしまう、という事態が生じた際など人のせいにしたくなるが、基本作品上の成功も失敗も自分のせい。

不用意に人のせいにしない、というのは人が持ちうる人格上の美点のひとつだ。その意味でアートは人格をじわじわと向上させていくための行為でもある。


by zelan | 2019-02-14 09:33 | 美術について
2018年 12月 26日

Artist Statement

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Artist Statementというものがあって作家はそれを明確に、かつ昨今では恐らく戦略的に、プレゼンすることを強く強く推奨される。

プレゼンされたものを見ると読む人にとってはかなり、なんだかこれを元に、これがあったから制作したように見えるのだが、実際は作家が創るから自分の作品からのフィードバックでStatementがしかるべく書けるというのが大きな流れである。即ち、物事の基本の順序としてはStatementの内容 → 制作でなく、制作 → Statementだ。

それくらい人間て自分のことを知らない。

て、いうと「自分」というものがあるように聞こえるが、仏教では自分があることすら否定していて、それが真実なら、自分(として認知されている連続的知覚的知的現象)的なるものを本人(として認知されている連続的知覚的知的現象)がはっきり知らないのも、ごく当たり前のことなのだが。



by zelan | 2018-12-26 09:40
2018年 12月 24日

アートやビジネス

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どうせめちゃめちゃな勢いで複雑になっていくんだから、根本はシンプルであること。

複雑になることには故に非常なる注意を払わねばならないのに、なぜだかあえて複雑にしようとして失敗する例が多い。



by zelan | 2018-12-24 21:08
2011年 03月 21日

信じない

自分はアートの力を信じていない。信じるとは不確かなものに対する態度であって、目の前にいつもあって、からだにもこころにも実際にびしばしと影響があり、さわって感触を確かめて食べて味わえるくらいはっきりとしている価値に、信じるという言葉を自分から思い浮かべることは、これまで一回もなかったし、これからもない。

by zelan | 2011-03-21 22:40
2011年 01月 17日

美術やなんかで、白いものが見たい気がし、白いものが創りたいとも思う。
それを絵を描く知人に言ったら、まず、自分の中を白くすることだ、と言われた。

by zelan | 2011-01-17 23:01
2011年 01月 12日

正月と柴犬、歯医者とげっ歯類

友達のひとりが、正月は街で柴犬を見かけることが多い、と主張している。一方私の観察では、歯医者の看板にはげっ歯類(ウサギやネズミ、ときにビーバーなど)が描かれていることが多い。
これは多分アフォーダンスに関連するのだろう。正月は和の風習などで、いつもより和っぽい柴犬を外に連れ出したくなるのかもしれないし、歯医者の看板のげっ歯類はいかにも歯に関して頼もしそうだ。

アートにしても、今PCやなんかで新たにできるようになった視覚及び体感覚などと相似するように、作品を方向づけることで、結果として新しく、今この瞬間に適切な感じがする表現が生み出されるのかもしれない。逆に既に多少古臭い感じに見えるものも、皆歴史的にはそのときどきの精神的・物理的・社会的状況に関するアフォーダンスを有してきたと思う。アフォーダンスが成り立っていた間、それらは古くなかったに違いない。
真理や普遍だって、短期のものと長期のものがあるのだろうが、なるべく長い生命を持つものに沿っている方が、例えば作品だったら、長い間一種の「現代性」を持ち続けるということに、理屈としては、なる。

by zelan | 2011-01-12 21:32
2010年 11月 13日

展示写真

実の処は見なければわかならない、ことは理解しつつも、展示の詳細なフォトレポートなどがWebにあがっていると興味深そうな内容であってもつい現場に行かずじまいになってしまうことがある。視覚的情報はもう少し控え目に出してほしい気もする。

元の作品にとても大きな力があるとき、その写真情報においてその力はほぼ必ず激しく減衰している、一方、作品がそれほどでもないとき、写真の方がよく見えるときが多い。音楽におけるCDと同様の現象。だから、結局やはり、写真では正確に判断するのは難しい。足切りをする程度。

by zelan | 2010-11-13 09:28
2010年 11月 01日

運動と美

あらゆるものには行きたい方向性がある。筋肉も、粘土も、絵具も、音楽における音のつらなりも。それはしばしば人為的に、余計に加えられる力により干渉されているが、にも関わらず本質的には傷つくことなく存在し続けている。その自然な方向性に従うとき、事物はもっとも美しい。

by zelan | 2010-11-01 01:15
2010年 10月 31日

台風と傘

昨日、台風が関東をかすめて、自分はたまたま知人と青山のタイ料理屋で夕食をとっていたのだが食べている間にそれが過ぎ去っていた。道を歩いているとそこかしこに、骨が折れたり曲がったりしていて、分解寸前までめちゃめちゃになっている傘が放置してあった。そのさまが奇妙なくらいコンテンポラリーアートに似ていて、タイ料理屋に入る前にさるビルで見たエキシビションに展示されていたのよりさらに天然にアートな感じ、と思った次第。

by zelan | 2010-10-31 11:25
2010年 07月 31日

2010年7月31日 イメージと造形

自分が創りたいものは、触れたい肌のような、神社の鳥居のような、白い色のような、鏡のような、まっすぐな線のような、冷たい水のようなものだったりする訳だが、何をもってこれらに実際の形を与えるかということが、探求の対象。

by zelan | 2010-07-31 00:57