人気ブログランキング |

原初のキス

zelan.exblog.jp
ブログトップ

タグ:アート ( 13 ) タグの人気記事


2019年 03月 26日

特殊ということ

c0207661_11384554.jpg
制作する人はプルシェンコじゃないけれど他人のことは気にせず、めちゃめちゃ個人的で特殊な意識・領分・技術に入って創り続けていくのが結局の処いいような気がする。
特殊性と普遍性のショートがアートであり、そのためには前段の特殊性の方がすごく特殊な方がいい、という認識。(それにしてもこのアートってカタカナの響きが個人的には違和感満載なのだが、他に言いようがない場面が多く、ここでも「美術」とは言いづらい。)

もとい、特殊性磨きの方がいいとはいっても個々人においてそうするぞーと思って簡単にそうなる訳がない。特殊性を研げる人っていうのは研ぐも何も、どうしてもそうなっちゃう人が多いイメージだ。
ただ凡人が絶対にそうできないかと言えばそうでもないような気がする。更に勿論特殊性を研ぐために外在するものを勉強してはならないということもない。 凡人たる自分は、おそらく物事のインプットの仕方(対象・量・質・知識への批判的構え等)と自己認知を含む制作心理において特殊性を磨く非凡人化のスキルが得られるのではと狙いをつけ、その方面の発見をしたいと日々思っているのである。



by zelan | 2019-03-26 11:48 | 制作心理
2019年 03月 21日

ビジネスとアート

c0207661_23400801.jpg
絵画とか芸術一般と「感性」の働きというものは、創るにせよ鑑賞するにせよ当然のことながら本質的な要素である。
しかし特に創るという自分の基本的な立場からすると、ヴィジョン・集中と選択・技術とその差別化・情報と知識の収集と取捨選択・自分自身及び関係する他者のマネジメント等々制作や発表における諸々はむしろビジネスの世界でより精緻に体系化/整理されていて、自分は絵画の技法書も買うが「美術のために」ビジネス書をその5倍位は買っている。

最近ビジネスの世界のアートへの関心が高まっていて、その際しばしばアートを感性の側面から主には特徴づけるという場合が多いが、自分は上述の認識もありアートに関し感性に代表させるラベルは貼りづらいと感じており(実の処それ以外のラベルを貼るのも難しいのかもしれないが)、いずれにせよビジネスとアートは基本はイーブンに補完的なものであろうと思っている。

ビジネスとアートと言うと印象としてまるで西洋医学と東洋医学の関係みたいに聞こえたりもするが、これらの差よりずっと、ビジネス(の特に経営層の目線や技能)とアートの距離は近い。


by zelan | 2019-03-21 23:40 | 美術について
2019年 02月 14日

アートと人格

c0207661_09312050.jpeg
自分は人は誰でもアートをした方がいい(こういう時は「美術」より「アート」という言葉が合いますね)、というとんでもないことを考えている人間だが、(しかしアイスホッケー狂いの人が「人は誰しもアイスホッケーをすべき」と主張したら即座に断る!冷え性だし運動神経もないし)、アートのいいところの一つに、「人のせいにできない」というのがある。自分の目の前に自力で展開させるささやかな世界の責任は自分自身が担っている。ときたま、100円ショップで買った30センチ定規がやわらか過ぎてカッターで紙を切ろうとしたら定規の方が切れてしまう、という事態が生じた際など人のせいにしたくなるが、基本作品上の成功も失敗も自分のせい。

不用意に人のせいにしない、というのは人が持ちうる人格上の美点のひとつだ。その意味でアートは人格をじわじわと向上させていくための行為でもある。


by zelan | 2019-02-14 09:33 | 美術について
2018年 12月 26日

Artist Statement

c0207661_09385826.jpg
Artist Statementというものがあって作家はそれを明確に、かつ昨今では恐らく戦略的に、プレゼンすることを強く強く推奨される。

プレゼンされたものを見ると読む人にとってはかなり、なんだかこれを元に、これがあったから制作したように見えるのだが、実際は作家が創るから自分の作品からのフィードバックでStatementがしかるべく書けるというのが大きな流れである。即ち、物事の基本の順序としてはStatementの内容 → 制作でなく、制作 → Statementだ。

それくらい人間て自分のことを知らない。

て、いうと「自分」というものがあるように聞こえるが、仏教では自分があることすら否定していて、それが真実なら、自分(として認知されている連続的知覚的知的現象)的なるものを本人(として認知されている連続的知覚的知的現象)がはっきり知らないのも、ごく当たり前のことなのだが。



by zelan | 2018-12-26 09:40
2018年 12月 24日

アートやビジネス

c0207661_21074583.jpeg
どうせめちゃめちゃな勢いで複雑になっていくんだから、根本はシンプルであること。

複雑になることには故に非常なる注意を払わねばならないのに、なぜだかあえて複雑にしようとして失敗する例が多い。



by zelan | 2018-12-24 21:08
2011年 03月 21日

信じない

自分はアートの力を信じていない。信じるとは不確かなものに対する態度であって、目の前にいつもあって、からだにもこころにも実際にびしばしと影響があり、さわって感触を確かめて食べて味わえるくらいはっきりとしている価値に、信じるという言葉を自分から思い浮かべることは、これまで一回もなかったし、これからもない。

by zelan | 2011-03-21 22:40
2011年 01月 17日

美術やなんかで、白いものが見たい気がし、白いものが創りたいとも思う。
それを絵を描く知人に言ったら、まず、自分の中を白くすることだ、と言われた。

by zelan | 2011-01-17 23:01
2011年 01月 12日

正月と柴犬、歯医者とげっ歯類

友達のひとりが、正月は街で柴犬を見かけることが多い、と主張している。一方私の観察では、歯医者の看板にはげっ歯類(ウサギやネズミ、ときにビーバーなど)が描かれていることが多い。
これは多分アフォーダンスに関連するのだろう。正月は和の風習などで、いつもより和っぽい柴犬を外に連れ出したくなるのかもしれないし、歯医者の看板のげっ歯類はいかにも歯に関して頼もしそうだ。

アートにしても、今PCやなんかで新たにできるようになった視覚及び体感覚などと相似するように、作品を方向づけることで、結果として新しく、今この瞬間に適切な感じがする表現が生み出されるのかもしれない。逆に既に多少古臭い感じに見えるものも、皆歴史的にはそのときどきの精神的・物理的・社会的状況に関するアフォーダンスを有してきたと思う。アフォーダンスが成り立っていた間、それらは古くなかったに違いない。
真理や普遍だって、短期のものと長期のものがあるのだろうが、なるべく長い生命を持つものに沿っている方が、例えば作品だったら、長い間一種の「現代性」を持ち続けるということに、理屈としては、なる。

by zelan | 2011-01-12 21:32
2010年 11月 13日

展示写真

実の処は見なければわかならない、ことは理解しつつも、展示の詳細なフォトレポートなどがWebにあがっていると興味深そうな内容であってもつい現場に行かずじまいになってしまうことがある。視覚的情報はもう少し控え目に出してほしい気もする。

元の作品にとても大きな力があるとき、その写真情報においてその力はほぼ必ず激しく減衰している、一方、作品がそれほどでもないとき、写真の方がよく見えるときが多い。音楽におけるCDと同様の現象。だから、結局やはり、写真では正確に判断するのは難しい。足切りをする程度。

by zelan | 2010-11-13 09:28
2010年 11月 01日

運動と美

あらゆるものには行きたい方向性がある。筋肉も、粘土も、絵具も、音楽における音のつらなりも。それはしばしば人為的に、余計に加えられる力により干渉されているが、にも関わらず本質的には傷つくことなく存在し続けている。その自然な方向性に従うとき、事物はもっとも美しい。

by zelan | 2010-11-01 01:15