2019年 09月 21日
少々忙しくて部屋の中がとっちらかってきた時、自分は全ての物品をできる限り水平か垂直にとりあえず並べるの術、を実行する。 そうすると斜線ばかり目に入るより明らかに落ち着いてくる。 恐らく体軸とかそういうことに関係があるんだろう。 体軸は、重力と対峙/適応したり、身体表現なんかだと体軸と重力は語り合ったりするものではないか、と推測するが、体軸に大きく関わるであろう構造体、例えば背骨に代表させるなら全然「まっすぐ」じゃなく曲がっている。でも体軸っていうのは日頃はすんなりとほぼ真っ直ぐの感じがする訳だ。その幻の垂直線に自分が今見てるものを沿わせると、気分がいいのである。 以前勉強していた小笠原流礼法では、歩きなが方向を変えるときはゆるっとした円を描かず踵を直角に巡らして真四角に曲がる。そういう時もキリッとした心持ちになったっけ。 そういえば、昔アレクサンダーテクニークのレッスンをしてもらっていた舞踏家のイムレ・トルマンというスイスの人が~この人は大野一雄に師事していた~「我々は軸の周りを回っている」と言った。自分の中だけに仮想の垂直線を持っていると感じるより、こちらの方が随分と洗練された感覚であり理解であって、とても美しく感じる言葉である。 ▲
by zelan
| 2019-09-21 15:43
| アレクサンダー・テクニーク
2019年 08月 11日
自分はしょっちゅう色々なことに驚いているのだが、今日非常に驚いたことがあった。午前中アレクサンダー・テクニーク関係の本を読んでいて、胸のあたりの構造の説明の所で、自分の肋骨に関するイメージが事実とは似ても似つかない、殆どコメディーというかホラーというかなものであったことに気づいたのである。 自分は肋骨に筋肉がついていることを完全に忘れていた。 その割に平気でスペアリブなんか食べてるところを見ると、頭ではわかっているんだけれども、いつのまにか心の中で、まぎれもないこの自分の肋骨が、肉には接しているもののスルスルとハダカの骨としてその上を勝手に動いている、あるいは近くの筋肉が親切にも作ってくれている浅いミゾ?の上を体の動きにつれて適当に滑走している、的な・・・そうしたイメージを持っていたのである。もしかしたらむしろ最初にそういう身体的な感覚があってこっち方面にイメージを増強してきたのかもしれない。 ところで、単に「イメージ」って言葉を聞くと、それは例えばアートなんかでは称揚されてるようなもののような気がする。でも私個人としてはイメージに対してはしかるべく注意を払いたい。それは勝手に暴走し、ありもしない現実(感)を作ることになりかねない。そうして結局そういうことは、アートにおいてもあまりいいことではないのではないかと思っているのである。
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by zelan
| 2019-08-11 22:04
| アレクサンダー・テクニーク
2019年 02月 21日
しかし最近思うのはこのやるぞっていう気分、本当に必要なのかということ・・。頭主導気分と体主導気分というものがあるとすればこれは明らかに前者であって、体からしてみたら単に少々あたふたして緊張が高まってるだけでもっと落ち着いてやってくれよという感じなのでは? 思い出すのはアレクサンダーテクニークという、心身両面から姿勢や動きの改善を図るシブい身体技法の創始者 F.M. アレクサンダーが、「宗教心も筋緊張の一種のパターンに過ぎない」という主旨のことを言ったことだ。やるぞーという気分に伴うリア充感、その背後にあるであろう筋肉及び心理面の昂ぶりは、作画に対して本当に完璧にワークしてるのかむしろちょっとした無駄なのか、考えたり感じたりしてみてもいいのではないかと自分は思っている。 ▲
by zelan
| 2019-02-21 11:59
| アレクサンダー・テクニーク
2014年 11月 01日
以前このブログでも書いたのだけれど、改めていい言葉だと思ったので再録。 Prevent the things you have been doing and you are half way home. アレクサンダー・テクニークという東京藝大でも音楽家の教育に用いられている西欧の歴史ある身体技法の創始者アレクサンダー氏の言葉。 いままで当然のごとくやってきたことをしないでいられるならば、目的は半ば達成できたも同然、ということ。 ▲
by zelan
| 2014-11-01 23:33
2012年 12月 06日
東京藝術大学で音楽家の不調の防止や表現力の向上に関する教育にも用いられている、身体技法のアレクサンダー・テクニーク。先日その世界的に有名な教師の一人であるJeremy Chanceの話を聞いていた時、「何かを「感じよう」としているときはほんとうに感じることはない、つまりはその状態は、感じるということについて「考えて」いるにすぎないのだから。」と言ったのでびっくりした。びっくりするもなにも、アレクサンダー・テクニークに公私共にかなりの間関わっている自分はこのことは知識としては知っている、でも改めて聞くと、なぜかとてつもなくはっとするのである。 単なる知識と、ふとした瞬間にはっきり認識する、あるいは常にしっかり認識していることとは違う、さらには、明確に腹に落とした上での「実践」となると、これらはすべて、それぞれ別の次元にあるといってもいい位異なった事象だ。もちろん別に身体技法でなくとも、芸術だって同じこと。 ▲
by zelan
| 2012-12-06 00:47
2012年 11月 18日
人間何かをしているとき、大抵のばあいその行為で達成したいことに対し合目的でないことをわんさかやってる。何かやってるように一見見えても、80%くらいのエネルギーは本来「そもそもやらなくていいこと」に費やしていて、何かやりながら実体としてはほぼそれでないことをやってるようなものだ。 でもだからといって、やらなくていいことをやめてみると、なんだか急に「何もやってない」感に襲われることが問題。実は、自分が「やってる」と実感するそのほとんどの感覚を、「やらなくていいことをやってる感覚」に依拠していたということだ。 たとえばの話、掃除機をがんがんかけていると、つい頭を押し下げ胸郭を狭めて不自由きわまりない力んだやりざまになるけれども、そういうとき(必ずしも頭の中で言語化してるとは限らないが)「掃除してるー」という感覚になっている。なぜそれがわかるかというと、そういう不自然な体勢をやめてみるとあまりにすいすい掃除できてしまうがゆえに、「掃除機をかける」という行為が他の生活の諸行の中から別にうきたって見えなくなり「生きることの一部」になってしまい、「掃除機を(こうしてがむしゃらに)かけている(自分って結構エラいよね)」感がなくなってしまうのである。 しかしこの、なくなってしまう感というのは誠によい。なぜなら、何もやってないという感覚はそこにスペースがあることを意味している。つまりほんとうに、こころの底から今やりたいことをやり始められる自由というものが存在し始めるのだ。 ▲
by zelan
| 2012-11-18 00:28
2012年 07月 02日
アレクサンダー・テクニークの世界有数の教師から今日おもしろい考えを仕入れることができた。頭の中で言葉をあやつってさまざまなことを考えているとかなりの場合、身体のコーディネーションが固く、悪くなることが悩みなんだけど、それはもしかしたら、子供の頃に始まった習慣などから、自分が「考える」ということと「動かない」ということをつなげて考えている/感じている可能性があるのではないかということを指摘されたのである。 しかしながら考えつつ動くということはできる。実際教師のすすめでからだをはでに動かしながら「考えて」みたら簡単にできたばかりかおもしろかった。それに動きが仮に目に見えるほどではなくっても、我々の肉体は常に必ず、動いている。 (この先生はワシントン大学で演技パフォーマンス向上等に長く関わっているキャシー・マデンという方。) http://www.alexandertechnique.co.jp/modules/contents/index.php?content_id=486 ▲
by zelan
| 2012-07-02 22:33
2011年 08月 20日
今日道を歩いていたら、歩くのに必要な以上の力がからだのあちこちに入っているのに気づき、できる範囲でそれをやめてみた。するととむしろ、自分のからだが、単に余計な力を入れている程度ではないさまざまな不完全さやアンバランスを有していることが観察できたのである。 骨盤の右側の方が左より大きくぶれるし、胴体が、特に肋骨の下のあたりで複雑によじれ、そのせいか一歩ごとに右の肩が後ろへ下へとさがる。私はどちらかと言えば姿勢は悪くない方だと言われ、歩くのも速く、ひとから見たら別にどうってことないのかもしれないが、からだが自分の考えている「理想的でないこと」たるや、具体的にあげていったら100項目をくだらないかもしれない。 しかしながらこの不完全さを邪魔せずに自然に発現させておくことは、ときに極めて快適なのだ。これこれの歩き方や姿勢でなければならないというのは誰の頭の中にもある考えだが、それを意識的無意識的に「やってみる」のは、たいていの場合何の役にもたたず、むしろ、既に存在する問題を複雑化させるばかりのことが多い。正しさを知らないから、少なくとも実践できないから今の状況になっているのに、それが意識してみることやあるいは気合いだけで、ほんとうに正しく実践できるってことがあるだろうか。 と、いう訳で何が言いたかったかといえば、不完全であるのは事実であり、認めてみた上でさてここからはじめるのね、と思うと、不完全であること自体が不愉快どころかなかなかにさわやかに嬉々とした趣すらおびる、ということ。 ▲
by zelan
| 2011-08-20 23:03
2011年 08月 10日
ものを集めるということが好きな人は多い。どなただったか忘れたが美術コレクターの方が、「コレクターは絵が好きとかそういうことの前にまず、ものを集めるという習性がある」というようなことを言っていたのを聞いたこともある。人類は大きく、集め好きと集め好きでない人々にわかれるような気がする。 自分は、特に形あるものについては集める習性はない。ただ、印象に残る言葉はときどき集めている。 このブログでも書いていく予定。 一回目の人選はいきなりマニアックだ。アレクサンダー・テクニークという西欧の歴史ある身体技法の創始者のアレクサンダー氏の言葉。 Prevent the things you have been doing and you are half way home. これまでやってきたことをやらないならば、目指すことは半ば実現したようなものだとでもいうのか、そう容易ではないことはわかっていながら、自分にとってはなぜかこれが希望の言葉なのである。 ▲
by zelan
| 2011-08-10 23:19
2011年 04月 15日
自分が関係していてこのブログにもときどき書いているアレクサンダー・テクニークという西欧の伝統ある身体技法は、「しないこと」の重要性を説いている。 これがどのくらい革新的なことなのかは、我々がいかに常に何かを「すること」、今やっていることに何かを「加えること」が、自分の目的達成に対し重要かと、無意識的に考えているかを思えば、明らかだ。まあ、無意識的と言うだけのことはあって、人はなかなかそれには、気づかないのだが。 ウォルター・キャリントンという有名なアレクサンダー・テクニークの教師の言葉に、以下のものがある。「何が間違っているのか気づくのが難しいことはめったにありません。しかし、それを今すぐ何とかしたい、正したい、という衝動が即座に、必ず生まれてしまうのがまさに危険で、あっという間に間違ったことをしてしまうのです。」 しない、あるいはやめる、ということが、極めて理に適った選択肢のひとつたりうるということを、覚えておいて損はない、はず。 と、たいそう抽象的かに見えることを考えたきっかけはと言えば、少々疲れて、ソファに座って10分程おとなしくしていたら、突然びっくりするほどのエネルギーがチャージされた、という経験をしたという、ただそれだけの、ことなのだけれど。 ▲
by zelan
| 2011-04-15 11:44
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