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原初のキス

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2019年 03月 12日

わからないのナゾ

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よく絵画について「わからない」という人がいる。
この発言は至極理解できる。大きな理由の一つとして、そもそも作り手が、容易にはわからないでいて頂けるように、創っているからである。
見ました→分かりましたというテイだと、脳に対する刺激があまりに少なすぎるではないか・・。

一方不思議なことに、外国の人からはこの言葉を未だかつて聞いたことがない。
海外特に欧米の状況に詳しい知人に聞いてみたら、彼も一般的には絵がわからないという発言を彼らはしないと言う。個人主義の確立とかなんかそんなことにも関係しそうな気がするのだが、そのはっきりした理由は未だにナゾである。


# by zelan | 2019-03-12 10:48 | 芸術鑑賞
2019年 03月 11日

是蘭 グループ展/コラージュクラスご案内

近々の活動のご案内にて失礼します。

1.展示:ギャラリー美の起原 奨励賞受賞者展
昨年同ギャラリー主催公募展にて奨励賞を受賞し、受賞者によるグループ展に参加致します。

会期:4月17日(水)~ 30日(火)12:00 – 18:00(最終日のみ15時まで 日曜休廊)
会場:美の起原(銀座)

壁長3.5メートルに大作含む新旧作複数点を展示の予定です。
初日及び最終日在廊致します。

2.「初めてのコラージュ」講座(目黒学園カルチャースクール)
コラージュ初心者の方向けに連続講座を行います。
(4~6月第2/第4水曜日 15:30 – 17:00 全6回 税込16,524円)

コラージュの歴史や鋏等道具の使い方、素材選びの着眼点、絵具を使った応用技法まで、「オリジナルな作品を自身で制作・展開していくための基礎」についての講座です。

以下はコラージュの小品を実作する体験会となります。
体験会のみのご参加や連続講座への直接のお申し込みも可能です。

日時:3月13日(水) 15:30 – 17:00
   3月27日(水) 15:30 – 17:00
費用:各回 1,782円 (税込)

講座詳細はこちらです。

(ご参考)是蘭コラージュ作品より

お申込先:目黒学園カルチャースクール 電話:03-6417-0031




# by zelan | 2019-03-11 17:04 | 展示案内
2019年 03月 10日

黒い虫と絵画

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最近なぜか見ることが減ってきた例の黒い虫。
私にとってはありがたいが、彼らにとっては生きづらい環境になりつつあると思われる。

もとい、たまさか彼らが出現すると、普段は比較的おとなしい自分も絶叫だ。
そしてその理由は「コントラスト」に他ならない。

生命体なのにミニマルに幾何学的な形(楕円と曲線と直線でできてる)、油を塗ったガラスのような特異なマチエール、プリンの上にかかっている以外あまり見かけないような、ベージュ、白、グレー、ラベンダー色など室内で好んで使われる色彩を背景に対し境界くっきりな濃いめの焦げ茶色、完全な静止状態から助走なしにいきなり新幹線並の速さで動き全くぶれずに急停止、など、フォルム、マチエール、色、動きの全てが、他の存在からあまりに浮きたつ。その様は、例えて言えば田舎の親戚の集まりに出たら、いとこの新しい恋人であるパリコレのモデル(どこで知り合ったんだろう・・)が突然まじってた位目立っているのだ。自分など、昔浴室の床にソレがいた時、まだ周辺視野にもひっかっかっていないただドアを開けた瞬間に、第六感状のもので「いる!」と感じたことがある程存在感が強大。

と、いう訳で実は私は「ゴキブリ」のような絵が描きたいのである。
コントラストと言えば自分が勝手に絵画(とか、芸術全般)に最も重要だと目している要素だからだ。
大体美男美女だのうまい絵だのは、ずーっと遠くからでも、誰にでも即座にそれと知れるものであって、ギラギラしているとかジミとかは全く別の次元で、感覚に対し「はっきり」してるのは超大事。

絵を描く知人にこの考えを伝えた処「わかる~」ということで、思いのほか簡単に同調してくれる人が見つかった。ゴキブリ絵画党現在党員2名である。


# by zelan | 2019-03-10 22:30 | 絵画
2019年 03月 07日

チャクラの色は使えるか

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先般受けたアーティストの方からのレクチャーでたまたまチャクラの色の話が出た。
そういえば陰陽五行においても木火土金水に色が割り当てられている。
こういった情報を見聞きした時、それをどう美術に生かすかは結構悩ましいところだ。情報が色の選択において思考及び感覚の邪魔になっては本末転倒というもので、だからどちらかといえば慎重に距離をとってきた。しかしである、考えてみたら色に関する学びの中で得る情報、例えば補色といったものですら、その知識との向き合い方如何では普通に自己洗脳になる。洗脳という言葉は強すぎるかもしれないが情報や知識に対し思考停止になり得るということ。

最近買った色彩関係の教本にもその教師が補色云々については生徒に軽軽には伝えないと書いてあった。色の響きとは自分で試み生み出すものであって知識でもって枠を決めるものではないからだ。(ただ、もちろん色彩について知識は大いに役に立つ。効率、という点においてもそうである。)

いずれにせよつらつらとチャクラや陰陽五行の色の話がどう使えるか、などと考えていた。色彩のプランにおいて別段それらの色を組み合わせてみてもいいと思う。そうした後に響きだの効果などについて発見をする。立方体の面に別々の色を塗っておいてサイコロのように2回振り、その2色間をブリッジして全体を美しくする色について研究したってかまわない。ちなみにこれらが自分にとって興味深く思われるのはある程度偶然性を使う自分の技法とのなじみがいいからだが。

何かの情報に触れた時、それが真実か否かや情報そのものの内容に意識は向きがちだが、情報と自分の間に取り結びうる関係はとても多様なことが多い。なぜならば、この関係における特に自分の側が、情報自体より比較的自由で流動的だからである。


# by zelan | 2019-03-07 15:46 | 制作心理
2019年 02月 21日

やる気雑感

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絵を創り始める時などやるぞーという気分が高まってなんだかリア充な感じがすることがあるものだ。
しかし最近思うのはこのやるぞっていう気分、本当に必要なのかということ・・。頭主導気分と体主導気分というものがあるとすればこれは明らかに前者であって、体からしてみたら単に少々あたふたして緊張が高まってるだけでもっと落ち着いてやってくれよという感じなのでは?

思い出すのはアレクサンダーテクニークという、心身両面から姿勢や動きの改善を図るシブい身体技法の創始者 F.M. アレクサンダーが、宗教心も筋緊張の一種のパターンに過ぎないという主旨のことを言ったことだ。やるぞーという気分に伴うリア充感、その背後にあるであろう筋肉及び心理面の昂ぶりは、作画に対して本当に完璧にワークしてるのかむしろちょっとした無駄なのか、考えたり感じたりしてみてもいいのではないかと自分は思っている。



# by zelan | 2019-02-21 11:59 | アレクサンダー・テクニーク
2019年 02月 20日

パンをやらんとして犬にかまれるの巻~美術と予測


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実家に帰省した際、親の飼っていた老犬にパンをあげようとして口元にもっていったらいきなりガブリとやられ、手から流血したことがあった。
そういえば、子犬を抱いて不用意に別の犬の前を横切り後ろから腿を思い切り噛まれたこともある。この時は10 センチ ぐらいのあざになった。犬たちは本能で反応しているので要は自分が悪い。こういう行動をとればどういう結果になりうるかというヒヤリハット予測が決定的に欠如していたのだ。

翻って美術とはかなりの処、このヒヤリハットで成り立っている。この色とあの色を混ぜたら濁るとかこの支持体に対してはどういう下処理をしておかなければ後で困るとか、目指す表現を得るその何層も何層も前の段階から、ヒヤリハットは至極重要そういう意味では、次第次第にでも「注意深さ」といった性質が醸成されてくる訳で、ここでもやはり美術(芸術と一般化してもよい)は見るだけでなく行うのがトクだ、という結論に、自分は至るのである。


# by zelan | 2019-02-20 22:35 | 美術について
2019年 02月 18日

わりとダイジョブ、破壊と絵画

この記事は最終的には当方のコラージュクラスの告知になることを今ここで予告するが、話の発端としては先日、今ひとつ期待通りにいかなかったことがあって機嫌が悪くなり友達にグチっていたら、しばらく黙って聞いていたその人が「でもそれって、わりとダイジョブだよね」と言ったことに遡る。確かに。おいしいものを食しつつ親切な知人にグチを聞いてもらっているという状況自体が、ダイジョブ感満載だ。ダイジョブでなかったら、自分はその頃対応に駆け回っていなければならなかったはずだからである。

話変わって現代ドイツの世界的画家、ゲルハルト・リヒターのビデオ「Painting」。
ネットでトレイラーを見てDVDを買った(悲しいかなPALだけだったのでPALが見れるDVDプレイヤーも同時に買った・・)。

トレイラー:

ここでは彼の抽象作品の制作過程をつぶさに見ることができる。たとえ既にかなり美しいと思える画面であっても、幅広のスキージ(持ち手を付けた板のようなもの)をザザーっと惜しげもなく走らせている。結果、乾く前の絵具が押されて一瞬で画面が相当に変わる。絵具が混ざったり、さっきまで一番表に出ていた絵具が下からほの見えるだけになったり、あるいは完全に表からは消えたり。そしてまた別のスキージの操作で、いきなり表にひっぱり出されたりするのである。リヒター自身が、なんでここにこの色が出てきたんだ、などと言っている場面もある。このスキージ操作は、何十回も繰り返される。

壊すの、わりとダイジョブなんだな、と自分はこれを見て思った。
途中で彼が、「あ(に点々)~、さっき間違ったー!」みたいな発言をしているところもあっておもしろいのだが、結局の処作品は終局(完成)に向かう。彼の言葉の主旨によれば、絵に追加の打ち手を取りうる可能性がなくなった時、とにもかくにも絵は完成する。

作品を制作するとき、「壊す」という行為に関する構えや考え、感情は作家にとってそれぞれで、技法との関わりも深い(ごく乱暴に言えば油絵は破壊に対しロバストだけど薄塗りで色の濁りやすい水彩は壊しづらいとか・・)。破壊、それは時に不可避かつ絵に力を与えるためには必要な場面がある一方で、特に心情的には忌避され、ある場合は勇気の象徴であり別の場合は(どこかのプロセスで過ちを犯したなどの)愚かさの結果と認識される、等々と、なかなかやっかいかつ興味深い存在だ。

リヒターのこのスキージの技法のプロセス上の眼目はしかし、壊すという言葉だけでは語れないところもある。「結果を(ほぼ)不可知にする」というための技法そのものであるように見えるこの操作は、壊しているのか創っているのかさえ不可知にすることで、創造と破壊を同時進行させ作家の仕事をかなり「選択」するということに振り切っているように見えるからだ。

でも以前高名な美術家の方が、ものの見方は使っている技法に影響される、とおっしゃっていたなあ・・自分がリヒターのスキージを上記のように感じるのも、技法のひとつとしてコラージュを使ってきたからに違いない。結局「選択する」ことはコラージュ行為の中心であるからだ。いずれにせよ何かをある程度以上理解し実践することは、多かれ少なかれ新しい目、すなわち「そういうものの見方」を、持つことなのである。

目黒学園カルチャースクール4月期にて初心者の方向けコラージュの連続講座を開催します。
3月13日と27日は体験会(税込1,782円)です。体験会のみのご参加も可能ですのでご興味のあります方はお気軽にご参加ください。

詳細はこちらです。





# by zelan | 2019-02-18 21:43 | セミナー案内
2019年 02月 17日

思いつき

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思いつきというものは歓迎すべきものだ。大抵の思いつきには、速度と必然性がある。いじりまわされる前の状態の思いつきは、寿司とか採れたての野菜のように、美味しいことが多い。


# by zelan | 2019-02-17 14:25
2019年 02月 15日

卵を塗る刷毛

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刷毛(ハケ)というものは消耗品である。結果に対し悪影響を及ぼさない範囲においてコストは抑えられた方がいい。ということで100円ショップの刷毛なども試すことがあるが、大抵の場合派手に毛が抜けるので後悔する羽目になる。メーカーを変えたりしてみても全般的に言えば100円ショップの刷毛は毛が抜けに抜ける。

しかしながらある日例によって100円ショップを徘徊していた私の目はキラっと輝いた。
そこは料理コーナーで、料理に使う刷毛を売っていた。パンを焼いたりする時生地の表面に卵黄を塗ったりしますよね、そういうような場合に使う刷毛。かなりコシのある樹脂製らしき毛が密に植わった幅5センチぐらいの平筆形状のものだ。
私の灰色の脳細胞は即座にこれの毛は絶対に抜けないことを確信した。だって料理に使うんだからそう容易に毛が抜けてはたまらない。自分の技法は特殊なので、このコシの強さを使える場面もあるだろう。家に買って帰って即座に実験。案の定、普通の100円刷毛だとワンストロークで10本ぐらい抜ける毛が、ただの一本も抜けないことを確認し、狂喜した。

・・と、いうやや世知辛い例なのだが、美術は描いているときには打ち手とその結果について、道具を買うときもその性能やコストパフォーマンスについてあれこれと推理力を使うので、脳に良かろうという話である。年齢がいっても続けられるものも多いし、色々な人がもっと活発に、美術方面のことをやったらどうかなーと自分は期待しているのである。

もっとも自分に関して言えば、脳に良いがゆえに自分がそれをやっているという、そういう訳ではないけれど。


# by zelan | 2019-02-15 18:39
2019年 02月 14日

アートと人格

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自分は人は誰でもアートをした方がいい(こういう時は「美術」より「アート」という言葉が合いますね)、というとんでもないことを考えている人間だが、(しかしアイスホッケー狂いの人が「人は誰しもアイスホッケーをすべき」と主張したら即座に断る!冷え性だし運動神経もないし)、アートのいいところの一つに、「人のせいにできない」というのがある。自分の目の前に自力で展開させるささやかな世界の責任は自分自身が担っている。ときたま、100円ショップで買った30センチ定規がやわらか過ぎてカッターで紙を切ろうとしたら定規の方が切れてしまう、という事態が生じた際など人のせいにしたくなるが、基本作品上の成功も失敗も自分のせい。

不用意に人のせいにしない、というのは人が持ちうる人格上の美点のひとつだ。その意味でアートは人格をじわじわと向上させていくための行為でもある。


# by zelan | 2019-02-14 09:33 | 美術について