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原初のキス

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2019年 03月 16日

うろ覚えの顛末

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絵を描いている途中で自分が次の打ち手として思いつくものは、常に決め打ちの「答え」であることが望ましい。

何を言っているかというと、複数の考えが出て即ちその考えたちが「選択肢」となった場合、どれを選ぶかという判断が必要になり、ウォーホルが言ったように判断を重ねれば重ねるほど絵の力は減衰していくからである・・。

と、書いて自分でもどこで見聞きしたのか不明になっていたこの言葉の原典について不安になってきて調べた。
どうやら以下の言葉らしい。

“Don't think about making art, just get it done. Let everyone else decide if it's good or bad, whether they love it or hate it. While they are deciding, make even more art.”

あっ、なんか違う・・。でも全然違ってるとも言えず、絶妙に似たような内容も暗に含んでいるのであった。



# by zelan | 2019-03-16 16:24 | 制作心理
2019年 03月 16日

テープのり、テープかのりか

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自分は文房具入れの引き出しにラベルを貼り、中に何が入っているかを分かるようにしている。
先日「テープのり」が使いたくて棚のところに行ったのだが、「テープ」と「のり」というラベルが別の引き出しに貼ってあってどちらに入っているのか迷ってしまった。
別に二つ開けてみればいいことであって(実際そうして結果「のり」のところに入っていた)、また今後迷いたくないということであれば両方の引き出しに入れておいてもいいし、大層な実害はないのだが、自分はこういう事象に遭遇するとなんだか頭の中がモヤモヤして、すごくヤなんである。

ゲルハルト・リヒターが絵を描くことは言語を使う通常の思考とは異なる全く別の思考の形態であるという主旨のことを言っているが、ふとそれを思い出す。自分の考えではこの立場を取ればテープのりはテープのりなのであり、現実のものを現実そのものとして受け止めるには、言語で文節されない認識の方法もまた、必要なのだ。
テープのりという存在は、純粋にテープでもなければのりでもない。血を出さずに肉だけ切れないように、テープとのりは分けられない。だから個々にラベルを貼った引き出しに分けて入れられないのである。それなのに現前としてテープのりというものが存在するという認知的不協和が、自分をどうしても不愉快にしてしまうのである。

ということで新たに「テープのり」ラベルを引き出しに貼ろうかしら。でもたかだか2,3個のストックに、新たに堂々たる一つの場所を与えるのもねえ・・。


# by zelan | 2019-03-16 09:05 | 美術について
2019年 03月 15日

部分修正危険!

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絵を描いていて一部のちょっとした瑕疵が気になり、その部分だけ直そうとしている内に結局全体がハデにぶっこわれる、という体験を今まで何回してきたことか(多分1000回以上・・・)。

ビジネスや他の生活上のあれこれも同じである可能性がある。
恐らく、常に「全体視すること」が何事においても、物事をより良くしようと企図する際にはとても重要なのだ。

なぜならどこかが「瑕疵」であると感じる時、それは無意識的に全体を見た上での認識なのだから。


# by zelan | 2019-03-15 21:51 | 制作心理
2019年 03月 15日

不思議

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パレートの法則というのをどこまで敷衍化していいのかはわからないが、なんだか少し神秘的な感じさえするのである。作品の制作なんかでも2割の時間で8割がた創り、残りの8割の時間で仕上げるという、そういう(心理的?)バランスがいいような気がする。恐らく自分の使っている技法などとも関係する、あくまで感覚的な認識だが。


# by zelan | 2019-03-15 10:28 | 制作心理
2019年 03月 14日

買い物メモとコラージュ

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外に出た時買わなければいけないものをしばしば忘れて帰ってきてしまうので、対策を取った。
玄関のドアのチェーンロックをはめる四角い箱みたいなものの上に、買うものを書いたポストイットを貼る、という方法だ。

今日それを見たら「乾燥わかめ」と「電動消しゴム」と並べて書いてあって笑った。これは立派なコラージュだ。

いわゆるコラージュを制作する際のキモを一言で言うとすればそれは、「距離」ということになる。
つまり、女性のヌードの横に花を貼っても一般的にはあまり面白くなりづらいが、宇宙船の窓から焼き鳥を飛び出させれば、面白いかどうかはともかくとして少なくともよりコラージュ的になる。乾燥わかめと電動消しゴムにはそれ相応の距離があるために、自分はこれをコラージュ的であると感じた。

初心者の方々向けのコラージュ講座体験会を目黒学園カルチャースクールにて以下の日時にて行います。
ご興味のあります方は同校 電話03-6417-0031までお申込み・お問合せの程お願い致します。

日時:3月27日(水) 15:30 – 17:00
費用:1,782円 (税込)

講座詳細はこちらです。

(図像 是蘭コラージュ「禁門」2009)



# by zelan | 2019-03-14 21:04 | コラージュ
2019年 03月 14日

Saatchi Art

ロスに拠点を置く著名なオンラインアートギャラリーの Saatchi Art。カテゴリー、抽象具象などのスタイル、価格、色などで非常に細かくサーチがかけられ、Facebookも充実。技法や色彩の参考にもなり、制作の目線でも有用です。

当方も発表済の旧・近作の一部を載せています(販売価格は国内と異なります)。
https://www.saatchiart.com/zelan



# by zelan | 2019-03-14 16:49 | アート関連情報
2019年 03月 12日

少し哀しい

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美味しい和菓子屋さんのショーケースの中で練り切りなどが個包装されている。
あれが実に惜しい。セロファン状のもので包んであるにせよ、フタが透明の小さい箱型のものに入れてあるにせよ、ショーケースのガラスに加えてあれだから、いかにも感覚的に遠すぎる。正確な色だとかマチエールが分かんなくなっちゃう。

ケーキなんかはああいう風になってないことが多い。乾燥防止の効果などはあると思うが、形態からしてやりやすいから覆われるに至ったというのもありそうだ。でもやっぱり残念。



# by zelan | 2019-03-12 17:05 | 美について
2019年 03月 12日

わからないのナゾ

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よく絵画について「わからない」という人がいる。
この発言は至極理解できる。大きな理由の一つとして、そもそも作り手が、容易にはわからないでいて頂けるように、創っているからである。
見ました→分かりましたというテイだと、脳に対する刺激があまりに少なすぎるではないか・・。

一方不思議なことに、外国の人からはこの言葉を未だかつて聞いたことがない。
海外特に欧米の状況に詳しい知人に聞いてみたら、彼も一般的には絵がわからないという発言を彼らはしないと言う。個人主義の確立とかなんかそんなことにも関係しそうな気がするのだが、そのはっきりした理由は未だにナゾである。


# by zelan | 2019-03-12 10:48 | 芸術鑑賞
2019年 03月 11日

是蘭 グループ展/コラージュクラスご案内

近々の活動のご案内にて失礼します。

1.展示:ギャラリー美の起原 奨励賞受賞者展
昨年同ギャラリー主催公募展にて奨励賞を受賞し、受賞者によるグループ展に参加致します。

会期:4月17日(水)~ 30日(火)12:00 – 18:00(最終日のみ15時まで 日曜休廊)
会場:美の起原(銀座)

壁長3.5メートルに大作含む新旧作複数点を展示の予定です。
初日及び最終日在廊致します。

2.「初めてのコラージュ」講座(目黒学園カルチャースクール)
コラージュ初心者の方向けに連続講座を行います。
(4~6月第2/第4水曜日 15:30 – 17:00 全6回 税込16,524円)

コラージュの歴史や鋏等道具の使い方、素材選びの着眼点、絵具を使った応用技法まで、「オリジナルな作品を自身で制作・展開していくための基礎」についての講座です。

以下はコラージュの小品を実作する体験会となります。
体験会のみのご参加や連続講座への直接のお申し込みも可能です。

日時:3月13日(水) 15:30 – 17:00
   3月27日(水) 15:30 – 17:00
費用:各回 1,782円 (税込)

講座詳細はこちらです。

(ご参考)是蘭コラージュ作品より

お申込先:目黒学園カルチャースクール 電話:03-6417-0031




# by zelan | 2019-03-11 17:04 | 展示案内
2019年 03月 10日

黒い虫と絵画

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最近なぜか見ることが減ってきた例の黒い虫。
私にとってはありがたいが、彼らにとっては生きづらい環境になりつつあると思われる。

もとい、たまさか彼らが出現すると、普段は比較的おとなしい自分も絶叫だ。
そしてその理由は「コントラスト」に他ならない。

生命体なのにミニマルに幾何学的な形(楕円と曲線と直線でできてる)、油を塗ったガラスのような特異なマチエール、プリンの上にかかっている以外あまり見かけないような、ベージュ、白、グレー、ラベンダー色など室内で好んで使われる色彩を背景に対し境界くっきりな濃いめの焦げ茶色、完全な静止状態から助走なしにいきなり新幹線並の速さで動き全くぶれずに急停止、など、フォルム、マチエール、色、動きの全てが、他の存在からあまりに浮きたつ。その様は、例えて言えば田舎の親戚の集まりに出たら、いとこの新しい恋人であるパリコレのモデル(どこで知り合ったんだろう・・)が突然まじってた位目立っているのだ。自分など、昔浴室の床にソレがいた時、まだ周辺視野にもひっかっかっていないただドアを開けた瞬間に、第六感状のもので「いる!」と感じたことがある程存在感が強大。

と、いう訳で実は私は「ゴキブリ」のような絵が描きたいのである。
コントラストと言えば自分が勝手に絵画(とか、芸術全般)に最も重要だと目している要素だからだ。
大体美男美女だのうまい絵だのは、ずーっと遠くからでも、誰にでも即座にそれと知れるものであって、ギラギラしているとかジミとかは全く別の次元で、感覚に対し「はっきり」してるのは超大事。

絵を描く知人にこの考えを伝えた処「わかる~」ということで、思いのほか簡単に同調してくれる人が見つかった。ゴキブリ絵画党現在党員2名である。


# by zelan | 2019-03-10 22:30 | 絵画