原初のキス

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2018年 11月 25日

あえて豊かさにNoを言う

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基本的に自分の関心が高い作品群というのは俳句か寿司のようなものである。関心が高いだけあって自分自身もなるべくそのようなものを創りたいと志している。「戦争と平和」みたいな長い小説や、ヌーベルじゃないフレンチというような嗜好ではそもそもないのである。

ところが、俳句を目指して創り始め、五・七・五でまとまらずどかどか要素や絵具の層を足して制作過程や見かけが中編小説めいてくることが別段珍しくもない。本質的な望みやアイデンティティからずれているがために当然のことながら、最終的に一定のレベルを確保しようとする上で、えらく苦労する。

マチエール(質感)が足しあがってくるので完全に否定する必要はない。必ず失敗するという訳でもない。かのピカソだって、「何かを創ろうとすると別のものになっちゃうんだよね・・」という趣旨のことを確か言っていたし、寿司を握るつもりで鴨のテリーヌ、くるみペーストとあぶりキノコのソースを添えて・・・になってもいいではないかという観点から、これまでこうしたなりゆきについて自身を納得させてきた。ただいつもなんとなく、違和感があったのである。

そして今日ついに、もっとずっと早く気づいていても全然不思議ではないこの違和感の正体に気づいた。
つまり、なりゆきの中で苦労して、その中で色んなことも発見しつつ作品を仕上げるということはそれが意識的にしたいならばもちろんあってもいいことだけれど、このプロセスにはまった際においては自分の最も志向している「俳句」の訓練には少なくともなってない、ということである。ホームランを打たんとして平均台によじ登っているの感がある。

五・七・五だからこそ俳句になる。今日はなりゆき上八・九・二とか一・二十七・六・七十三でいってみるか、というオプションに我々は惑わされる。実体はもっていかれている癖に、ぼーっとしているとついそちらの方が自由で豊かに見えるからである。


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# by zelan | 2018-11-25 00:09
2018年 11月 25日

泳ぐ

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泳ぐという感覚は大切だ。
それはものごとの間にあるということ。

自分はカナヅチなんだけど、コンセプチュアルにはどっちの岸にも寄らず、何にもつかまらず、なるべく泳いでいたいと思う。

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# by zelan | 2018-11-25 00:04
2018年 11月 23日

逆ダイエットの極私的コツ

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いかにして太るか、は自分にとって重要事項である。
40キロ位なんだけどBMIが15.6しかなく、私の身長で最も病気になりにくい体重(これを標準体重と言うらしい)まで16キロ(!)、一応許容される普通体重範囲の下限までまだ7キロもある。16キロ太ると多分もはや私とは言えない見かけになることは必至であり、とりあえずあと3キロ程度でいいのでできれば速やかに増やしたい。

暫く前はもっと痩せてたので、色々と試行錯誤したあげく今まで効いた太り方=食べ方というものが2つあった。それは以下の通り。

主食や個々の副菜は、それぞれをある程度まとめて食べる。即ち、ごはん、おかずA、おかずBそれぞれ一口ずつ、と小刻みにスイッチングするのでなく、ごはんを1/3位食べたら次おかずAを1/3位という風に。自分は元々が小刻みに小鳥のように少しずつついばむ派だったのだが、この方式は早めにお腹が一杯になりやすいのである。

1回の食事に少し足す。
よく痩せているなら間食をするのがよい、と医療専門家ですら大真面目に助言していることがあるが、これは自分の場合全然ワークしない。元々食が細くて痩せてるのに間食などした日には、次の食事の量が減って結局太るどころか痩せる。むしろ、チーズひとかけとかフルーツなど、食事となるべく続けて勢いでちょい足しするのがよろしい。消化というお仕事は体にまとめてやって頂き、後はしかるべくお休み頂くのがよいということ。

これを逆にする、即ち、小刻みに少しずつついばむ方式で食べ、適当に間食したら痩せるんじゃないかしら・・。

この話題と美術とつなげるのがやや難しいが、つまりは観察と検証であろう。まとめて食べると食べられる、とかちょい足しの効果ありとたまたま感じて仮説を立てたらばその仮説を検証する、その結果ワークしそうならそのやりかたを採用し、ひいては「技法」として確立する、みたいな?


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# by zelan | 2018-11-23 23:09
2018年 11月 22日

赤ちゃんは「休憩」するか

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あるデパートのエスカレーターに乗っていた私の眼に、天井からぶら下がっている案内板にあった「赤ちゃん休憩室」という言葉が飛び込んできた。その途端私の脳細胞は急に忙しくなった、これって赤ちゃん休憩室でなく赤ちゃんのお母さん休憩室ではないか、と考え始めたからである。

赤ちゃんどころか2 steps behindである自分には検証するべくもないが、赤ちゃんは疲れたら眠ったりぐずったりするのであって、そんな風に生きていると休みは自然にとれているか取れないような状況であれば大変なことになっていると思われる。そういう生体がたまたまアクティブに活動していない状況を「休憩」とは呼ばないような気がしたのだ。

一方自分自身は、「休憩」をパソコンのアラームで管理している。
時間になると「鳥の鳴き声」で知らせてくれるよう設定しているのである。しかし折角ウソ鳥が鳴いてくれても、大抵が描き掛けの絵の進展度合いやメールの返信に気をとられてそのウソっぽいさえずりを無視し、故に夕刻前、予定のタスクの半分も処理しないうちにエネルギーが切れてしまう。

いずれにせよ「休憩」というのは意識的なもの。そしてそれは(大人の)人間が何事もやりすぎる、いきすぎる傾向があり、流れるように自然に生きていない(物事の今の現実に認知のリソースを適切に割き、都度都度ベストなやるべきこと、やらざるべきことが実行できていない)ことの、証左であろうと思われる。

意識的「休憩」を必要としない人、そういう人格を、自分はものしたいという野望を持っている。


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# by zelan | 2018-11-22 15:02
2018年 11月 21日

どうせなら

制作物に関して言えば、自分は人になんと言われても殆どへこまない。たまさかほめられても過剰に喜ばない。
人の言うことは聞き流さず全て聞くが、助言なり採否は自分で決める。
(ただ自分で決めているつもりで、多少なり影響を受けることを避けるのは難しい。なぜなら肯定的でも批判的でも、言った人が美大の教授であれ初めて画廊に足を踏み入れた方であれ、彼らの発言に明らかに「一片の真実もなかった」ことは今まで一度もなかったからである。)

あとで振り返って思い出としてのおもしろさという点で「おいしい」のは、いわゆる酷評。大分以前になるが何かのパーティで、私の当時の作品図像を見た初対面の人が、「こんなものを創っている人にも、何か表現したいものがあるなんて。」とさらっと言ったのだ。
ちょっと日本人の発言と思えない率直な感想に思い出す度に微笑んでしまい、どうせならこれ位パンチのあることを言ってくれた方が自分としてはトクな気がする。それにこの人がそう言った意味とは恐らく違うとは思うが、ここにも真実はある。自分は何かを表現したい、という能動的な動機というより、何かを結果として表現させられる媒体になりたい、という関心の方が断然強いからである。


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# by zelan | 2018-11-21 15:55
2018年 11月 18日

ご来廊ありがとうございました

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先般まで銀座Gallery Art Pointにて開催しておりました当方個展「或る女性 A Certain Woman」が無事終了致しました。展示にお運び頂いた皆様、作品をコレクション頂きました皆様に御礼申し上げます。
また今回お目にかかれなかった皆様もいつも応援して下さりありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。

作品の一部を以下リンクに掲載しました。




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# by zelan | 2018-11-18 17:09
2018年 11月 10日

是蘭個展「或る女性 A Certain Woman」本日まで

本日11月10日(土)12時半~17:00にて、当方個展「或る女性 A Certain Woman」最終日となります。
ご高閲頂戴できますと幸いです。また既にお運び頂きました皆様に御礼申し上げます。

会場Gallery Art Pointのアクセスは以下の通りです。

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# by zelan | 2018-11-10 10:19
2018年 11月 08日

本日から Gallery Art Point(銀座)是蘭個展

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銀座のGallery Art Pointプロデュースによる個展が、本日12時半にオープンとなります。
全26点モナリザをモチーフとするコラージュ、絵画、ミクストメディア作品の展示です。
お目にかかれますのを楽しみにしております。

展示概要:
11月8日(木)開廊12時半 閉廊19:30
11月9日(金)開廊12時半 閉廊19:30
11月10日(土)開廊12時半 閉廊17:00
(最終日は閉廊が早めですのでご注意ください。)

会場はGallery Art Point(銀座)、アクセスは以下の通りです。

アクセスマップ:


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# by zelan | 2018-11-08 08:15
2018年 11月 07日

「2018 美の起原」展にて受賞しました

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銀座の画廊「美の起原」様のコンペティションにて、当方のアクリル絵具、コラージュ、孔版によるミクストメディア作品が「奨励賞」受賞の運びとなりました。追って入選者展示が開催される予定です。


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# by zelan | 2018-11-07 14:43
2018年 11月 05日

明治末期の自己暗示

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30前後の頃ではなかったかと思うが、私は暫くの間毎晩、真夜中の1時47分に目が覚めていたことがあった。
何時に寝ようが関係なく、夜中に一回だけぱちっと目が開き、それが必ず1時47分だったのである。

今思うに、たまたまそのあたりの時刻に起きることが続いて、自分に「また1時47分に起きる・・」という暗示を与えていた可能性がある。ちなみに「起きる時間をしっかり想ってから、あるいは3回位唱えてから寝る」は、目が覚める時間を制御する上で明確な効力があることは、今は科学的にも実証されているそうだ。

上述の話を思い出したきっかけが何かといえば・・・森鴎外の「半日」という小説。
(はんにち、はんじつどちらで読んでもいいが、自分は「はんじつ」と読んでいる。)
私はこの小説が大変気に入り、これに挿画してセルフパブリッシングしているのだが、そこにばっちり、「Autosuggestion」で目を覚ます、というくだりがあるのである。

これは鷗外初の現代小説にして、始めから終わりまで鷗外等身大の主人公と鷗外の奥さん等身大のその細君とが、嫁と姑の確執から生じる心理的に血で血を洗うような夫婦喧嘩を繰り広げているというキテレツな話である。この小説の主人公、文学博士で大学教授の高山峻藏君の母親が、起きたい時間に「Autosuggestion」で起きる、という話が出てくるのだ。

この箇所を読んだ自分には、日本でも昔から起床のための自己暗示は知られていたのか、それとも大学教授を創るようなインテリ家庭である故、これを知っていた母堂は特別なのかという疑問が浮かんだ。
それにしても、これが書かれた明治末期も今も変わっていない自己暗示で起きられるという人間の機能って十分オカルトっぽい。ホルモン等が関係しているみたいだけど、試験の前などに緊張して眠りが浅かったり起きちゃったりするのとは別で、しっかり寝てるところからいきなり起きられるのはどう考えてもなかなかすごいよ・・。

嫁姑の争いとか起床時刻の制御とか、この100年以上も前の小説は自分にとって妙に生々しい。
もちろん人間の関心事や生理は、そう容易に変わるものではないけれども、今もってそこでやってるみたいに得心できる形で描けるのは、やはり着眼とか筆の力の成すことであろう。

「奧さんは此家に來てから、博士の母君をあの人としか云はない。博士が何故母さまと云はないかと云ふと、此家に來たのは、あなたの妻になりに來たので、あの人の子になりに來たのではないと答へることになつてゐる。」(森鷗外「半日」より)

コワ・・・。

当方挿画による 森鷗外「半日 Hanjitsu」は秋山孝ポスター美術館長岡主催のコンペティション「日本ブックデザイン賞2018」のセルフパブリッシング部門で入選致しました。
上製本仕様 ジクレー(デジタル版画)ミニプリントを一葉付属。
ご興味のあります方は、info@zelan.jpまでご連絡ください。

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# by zelan | 2018-11-05 22:25