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原初のキス

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2019年 03月 31日

直接話法


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制作心理的に「直接話法」と勝手に呼んでいるのだが、絵画を創っている場合、明るすぎれば暗く、暗すぎれば明るく、おとなしければ大胆に、ばらけていればまとめ、まとまりすぎていれば壊す、等々基本的にはそれだけでじわじわと質的には上方に進んで行くのではないかと自分は信じている。
但し例えば明るすぎれば暗くという時、「明るすぎる」ということを認知する内部基準が醸成されていることが必要。そしてその精度には、到達点というものはない。



# by zelan | 2019-03-31 10:21 | 制作心理
2019年 03月 30日

自然

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ゴミ箱の中というのは時々非常に美しいありさまになっている。ゴミを入れる時、美しく配置しようなどという意図が全くないからである。




# by zelan | 2019-03-30 07:41 | 美について
2019年 03月 29日

風邪をひいたら・・

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昔読んだ本で千住博さんが、「風邪をひいたら絵で(絵を描いて、の意)治す」とおっしゃっていてたまげた。
悲しいかな自分は寝て治すタイプで、正直絵を描くという行為そのものが好きなのかどうかすら、自信がない。

実際絵を描く人々の中には、A.絵を描くこと自体が死ぬほど好きな人、とB.絵で何かするのが好きな人がいる。
AからBに向け1から10のスケールで言えば自分は8.75位だ。
そうして人の作品を見る時に、彼らがこのスケールのどこに位置するかを勝手ながら想像したりすることは、絵の鑑賞の一つの楽しみである。

キキ・スミスというアメリカの作家が石膏で人体をかたどりして彫刻を創っていたのだが、彼女が昔、自分は人間の頭を創りたいのでなく頭で何かしたいの、というようなことを言っていたかと思う。絵ではないが当時の彼女の関心も、上記スケールでなぞらえれば、9.3位だったはず。



# by zelan | 2019-03-29 23:25 | 芸術鑑賞
2019年 03月 29日

興奮したり落ちついたりのナゾ

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どうも PC などに向かって言葉を打ち込んでいたり、あるいは頭の中であーだこーだ言語を操って考えていると、どんどん興奮してきてしまう傾向が自分にはある。
そして制作等、主に視覚を使う活動にシフトすると今度は妙に落ち着いてくるのである。
それぞれのコンテンツの問題も大きいだろうので必ずしもそうでもない時はあるが、雑駁に言えば言葉は交感神経賦活系であり視覚は副交感神経をいい具合に刺激してくれる感じが否めない。
これが自分の個性なのかそれとも人類一般そういう傾向があるのか少々興味を持っている。

ところで私は最近このブログの原稿を主に Google の音声認識を使って書いている(・・しかし音声認識を使うとなんだか「書いている」というより純粋に「考えている」っていう感じになる)。この場合も言葉ではあるので、ある程度交感神経は活発になるが、PCでキーボードを打つより落ち着きが保ててるような気がするんですよね・・。自分の声を聴くので、キーボード打ちにはない「聴覚」が刺激されるからかもしれない。



# by zelan | 2019-03-29 10:39 | 感覚について
2019年 03月 28日

何が左腕を動かしたか


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最近歩いていてどういうわけか左腕が右腕ほど振れていないのに気がついた。
思い当たる原因の筋は多少はあったが、いずれにせよ両手が降りたいなと思ってこれをやってみた。


結構真剣に数日間やったのである。でその後外を歩いていて普通に左腕が振れているのに気がついた。なんだか分からないが脳内に両側を均等に動かすと言う回路が再構築されたらしい。

これはさほど不思議な例ではないかもしれないが、とにかく体とか頭とかは意識的な自我とは別のところで、色々に色々なことをやってくれている。
昨今世の中に情報や刺激が非常に多いこともあって、何かを勉強したいと思ったり解決しようと思ったらそこそこ多くの情報をインプットしたり、試みてしまいたくなるが、それをいちいちまとめたり反芻したりしているのは大変である。整理したり理屈を考えたりするのはそこそこにして、とりあえず入れてみて無意識とか体のシステムがなんとかアウトプット に反映してることを期待する、という戦略?を自分は取りたい。むしろその方が効率がいいんじゃないかしら。なぜ左腕が振れるようになったかなんてわからなくても振れさえすればそれでいいのだから。

似たようなことだがちょっと込み入った問題を考える時、私はもうあまり考えないことにした。
「ハイ、これ問題。」と頭にお題を出しておけば、暫く待ってると答えがデリバリーされることが多い(特に朝起きた時など)。もうこのやり様を結構な期間実行しているが、問いが出たその場でうんうんうなって考えるより良い答えが出やすいのは少なくとも個人的には実証済。

うなっている時、人は言葉や理屈で考えてることが多い。宿題を出された頭の方は、恐らく言葉では考えてないのである。そしてまた、きっとからだも味方に付けて回答をクッキングしてくれているのだ。




# by zelan | 2019-03-28 14:55 | ライフハック
2019年 03月 28日

ビクトリア朝女性とコラージュ

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コラージュは、美術技法としてはピカソやブラックが20世紀初頭に始めたと言われているが、それにかなり先行して ビクトリア朝の社交界にいたMary Georgina Filmerとかその他上流階級の女性達がこちらにあるような作品を作っている。


明らかに、ピカソの 籐椅子のある静物画よりも、後日エルンストが「百頭女」のような作品から確立するようなシュルレアリスティックなコラージュ作品のイメージに近いのが興味深い。

4月10日から目黒学園カルチャースクールで全6回の「初めてのコラージュ」講座を始めます。詳細はこちらです。

(図像はMary Georgina Filmerのコラージュ)




# by zelan | 2019-03-28 09:46 | コラージュ
2019年 03月 27日

絵具の絵 ~ 杉田陽平「マテリアル・ワールド」

絵具というものは非常に美しいものである。

油絵具であれアクリル絵具であれ自分がそれを見るとき直接的に想起するのは、大げさではなく一種の「純粋性」とか「光源」とかいうものであって、ゲル状であることを除けば宝石と同じ位美しいものだと思っている。
そうしてまた、何も描かれていないカンヴァスも美しい。木枠にパリッと張られた描かれる前のカンヴァスは、少なからぬ場合絵が載った後よりも美しい。紙も同様であって、500枚550円なりのコピー用紙だってじっくり見れば陶然とする位すがすがしくきれいで、手漉きの和紙や高級版画紙等々の美しさたるや、「もうこのままでもいいや・・」と思ってしまうほどだ。

何が言いたかったかというと、物品としての絵なるものを描くことは特段難しくはないとしても、良い絵を描くことは結局そんなに容易ではない、ということ。
上述のようなゴージャスなものを使用するにあたり、超絶豪華な衣装を着たしょぼい人、とか、ベルリンフィルとリストのピアノコンチェルトの楽譜を前に、ピアノの先生のヒステリーが怖くて中二で音大に行くのをあきらめた(個人的実話)人が途方に暮れるの図になるかもしれない。もちろん、ゴージャス陣は元々は我々を助けてくれるために存在するのだが。

前置きが長かったが、国内最大のオンラインアートギャラリー タグボートさんが有楽町阪急メンズ7Fで開設したリアルギャラリースペースのこけら落とし展示、杉田陽平氏の「マテリアル・ワールド」に行った。
アクリル絵具の皮膜化などで知られる氏だが、色鉛筆で「絵具のありさま」の描いた小品の連作が個人的には好きであった。
美しい紙の上に美しい顔料を包含する色鉛筆で、テレっとした絵具自体のありさまが緻密に描写されていて、その絵具も当時輝いていたのだろうけどその姿が時を経て今目の前の描画材に含まれる顔料自体の輝きで目を射るのである。

ここにないのにここにある、それは、絵具というものを、絵具もそうであるところの描画材で描いたからで、かつ支持体(紙)も描画材もモチーフ(絵具)も相互にしっかり互して美しく調和しているために、そのトートロジー的構造が恐らく、人や花や景色を絵具で描くのとはちょっと違う「トリップ感」を醸し出していた。

リヒターやリキテンスタインにも絵具や筆触をモチーフとしたものがある。個々の制作の企図は異なるものの、これは一つのニッチなジャンルである。

開催中 4月18日まで。



# by zelan | 2019-03-27 21:54 | 展示レビュー
2019年 03月 27日

画家史上最強美男

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美男美女が好きな自分は時々勝手にひとりコンテストを開催しているが、男性画家においては恐らくあと200年位は(こっちが生きていればの話)第一位の座を譲らないと思う人のが彼。

こちらのサイトの中にいます。

ギャング映画の主人公でなく、若き日のマルセル・デュシャン。

他のコンテスト結果はこちら。




# by zelan | 2019-03-27 08:25
2019年 03月 26日

関係が決める

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2010年頃に書いた記事を改変して再録します。

結局すべては関係性である、ということがコラージュをしているとよくわかる(伝統的な絵画でももちろんそうだろうがコラージュは個々のモチーフが独立しているし、自由に動かしたり、取り替えたりできるのでなおさら)。

そして、人間の頭は抽象化して考える性質があるので、つまり自分は現実も、そうであろうと思うのだ。

例えばひとりの人間が誰かにとって、もしくはある状況において、良い人だったりそうでもなかったりする。
その性質は、その人に元々内在しているから発現するとは思うが、それが発現するスイッチは、関わる相手や私的公的環境、タイミングなどが押している。だからかもしれないが、誰かが自分の期待に沿わない動きをしたとしても、すごく実害があるとかでない限り、結構寛容にふるまいたいとは思っている(いつもできるとは限らないが)。

こちらからはふと醜いとおもったり地味だと思うような存在でも、別の絵の中で別の環境の中に置いてみれば、すごく重要で美しいモチーフかもしれない。

明日3月27日目黒学園カルチャースクールにてコラージュを初めて創る方向けの体験会を行います。
ご興味のあります方は同校 電話03-6417-0031までお申込みの程お願い致します。

日時:3月27日(水) 15:30 – 17:00
費用:1,782円 (税込)
「初めてのコラージュ」体験会及び連続講座詳細はこちらより

(図像 是蘭「Awakening」2018)


# by zelan | 2019-03-26 13:59 | コラージュ
2019年 03月 26日

特殊ということ

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制作する人はプルシェンコじゃないけれど他人のことは気にせず、めちゃめちゃ個人的で特殊な意識・領分・技術に入って創り続けていくのが結局の処いいような気がする。
特殊性と普遍性のショートがアートであり、そのためには前段の特殊性の方がすごく特殊な方がいい、という認識。(それにしてもこのアートってカタカナの響きが個人的には違和感満載なのだが、他に言いようがない場面が多く、ここでも「美術」とは言いづらい。)

もとい、特殊性磨きの方がいいとはいっても個々人においてそうするぞーと思って簡単にそうなる訳がない。特殊性を研げる人っていうのは研ぐも何も、どうしてもそうなっちゃう人が多いイメージだ。
ただ凡人が絶対にそうできないかと言えばそうでもないような気がする。更に勿論特殊性を研ぐために外在するものを勉強してはならないということもない。 凡人たる自分は、おそらく物事のインプットの仕方(対象・量・質・知識への批判的構え等)と自己認知を含む制作心理において特殊性を磨く非凡人化のスキルが得られるのではと狙いをつけ、その方面の発見をしたいと日々思っているのである。



# by zelan | 2019-03-26 11:48 | 制作心理