原初のキス

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2009年 09月 27日

2009年9月20日 モナリザ

このところコラージュにモナリザを使うため、たびたび図版を見て
いるのだが、彼女は、よく言われるように不思議な表情をしている。
ちょっと動物みたいだし、その中には膨大な情報が含まれているので、
見る側の心情や関心で解釈が変わりそうだ。

彼女はすべてを見透かしているような顔をしている。
何か知らないことがある人の顔ではない。
だからなのか、私には、少々憐れみを含んだ「嘲笑」を浮かべている
ように感じられる。

ダ・ヴィンチは手稿に、「すべては連関している」と書いた。
これはキリスト教的というよりむしろ仏教的な認識である。
モナリザの表情も、複雑な因果が運動して、激しく震えているように
見える。

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# by zelan | 2009-09-27 13:05
2009年 09月 27日

2009年8月5日 盆栽とコラージュ

ファンド運営、コンサルティング事業の株式会社アーク・イノベーション
井上社長と会食。
氏は3年で300鉢の盆栽を独学で育てた盆栽師である。
盆栽は、園芸の中では現在その歴史的及び技術上の真価が十分理解
されておらず、華道/茶道など権威づけられた高等文化をわき目に
やや孤独な道を歩んでいるそうだ。
それって技法としてのコラージュみたい・・。
首の後ろが陽に焼けるんですよ、とか、人差し指の第一関節と第二関節の
間が硬くなります(鋏があたるので)とか、トリビアな話題で盛り上がる。

# by zelan | 2009-09-27 13:04
2009年 09月 27日

2009年8月10日 自動書記?

古いメモ帳を見たら、みみずがのたくったような字で、
「インラリンってトウェッソ(改行)ヴァイラスMase」と書いてあった。
さっぱりわからん。これ書いた私も私かしら。

# by zelan | 2009-09-27 13:04
2009年 09月 27日

2009年8月17日 身体知

言葉で表現できることは小さい。
例えば、単純な例だが同時に起こることを言い表すのは極めて難しい。
多少工夫して表現したとしても、読んだり、聞いたりする時点では
シリーズで認識するしか方策がなく、その身体的経験が我々の認識自体
を逐次性の中に押し込めてしまう。
絵画は多くの情報を同時に(あるいは極めて素早く)認識させる。
だから、絵画は精神的というより肉体的である。

# by zelan | 2009-09-27 13:04
2009年 09月 27日

2009年7月22日 ほんとうに欠けてた

日蝕には特段の興味がなく、普通にしていたのだが、
外に出たとき人がたむろして空を見上げていたので私も上を見ると、
今まさにもやもやとかかってきた雲を通して、太陽が太った三日月
みたいになっていた。
トクした感じ。これを見るために飛行機で外国に行って、しかも結局
雨で見られなかったりした人までいるのに・・・。
でも、日蝕中、雲がかかることだって現実的には珍しくもなくあるだろうに、
その可能性については全然考えてなかった。ニュースでも何も言って
なかった。
こういうことをどうして自分で考えたり、人が言ってくれたりしないかは
考えてみると不思議なものだ。
もっとも気づいていても雲がかかるのを待ったりはしなかっただろうけど。
つまり偶然の幸運なり。
その後会った人が、天岩戸(あまのいわと)のお話って日蝕ってなんだよ、
と教えてくれた。

# by zelan | 2009-09-27 13:03
2009年 09月 27日

2009年7月25日 聴覚

視界はすぐに遮られる。
自分のまわりや、身体の内に空間を感じたいとき、外の音を聴く。
音は常に、遠くからもやってくる。
夜、ベッドの中で雨の音を聴いていると、雨は体の中にも降っている。
音を聴く、それは常に自らの外にでる行為である。
そして、自らの内にも外部があるのを、知ることだ。

# by zelan | 2009-09-27 13:03
2009年 09月 27日

2009年7月26日 鴻池朋子「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」

鴻池朋子「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」(東京オペラシティ アート
ギャラリー)。
絵本原画や小説挿画、襖絵、大きなオブジェまで、形式の違いも筋の通った
展示シナリオで展開。
一方、「文字を読むのと同じような速度で」足早に通り抜ける自分。
物語性にはある種の危険性が伴う。見るものは、方向づけられた意識に
よって、そこにある豊かな情報のいくばくかを、吸い上げるのをつい怠ける。

# by zelan | 2009-09-27 13:03
2009年 09月 27日

2009年7月15日 教訓

先日ワイドショーで日焼け止めの塗り方について詳細な解説をしていた。
口角や耳の後ろ、首筋なども忘れずに・・・とか。
忘れたらそこが焼けて折角の努力も水の泡・・なことになるらしい。
何かに似てるなあ、と思ったら「耳なし芳一」である。
お経を書き忘れて亡霊に耳取られちゃう、みたいな。
しかし耳なし芳一ってどういう教訓があるのかしら。
画竜点睛を欠かないように、細かいことまで気をつけませう、ってこと
かしらん。
はい、気をつけます、できる範囲でですけどね・・・。

# by zelan | 2009-09-27 13:02
2009年 09月 27日

2009年7月18日 動かないものを、動かしたいのである

絵というのは逆説的なようだが究極的には動くことを目的としている。
そのためには絶対に、「つじつま」が合ってしまってはいけないものだ。
そうすると運動がなくなってしまい、絵は釘で打ち付けたように静止し、
結果絵としての生命がなくなる。
絵は見る人の感覚に震えを生じさせなければならない。
感覚を震わせるためには絵自体が震えていることが重要なのだ。

# by zelan | 2009-09-27 13:02
2009年 09月 27日

2009年7月21日 e4c-village協議会

ビジネス創発・コンサルティングの株式会社イーフォーシーリンク横野社長
のご好意で、同社主催のメンバー交流イベントe4c-village協議会の懇親会
で活動の紹介をさせて頂く。
私は自分がもともとそういう世界にいたし、美術は特殊な人々のものでは
ないと思っているので、ビジネスの人々に美術について話をさせて頂ける
のはありがたい機会である。

# by zelan | 2009-09-27 13:02