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原初のキス

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2019年 02月 21日

やる気雑感

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絵を創り始める時などやるぞーという気分が高まってなんだかリア充な感じがすることがあるものだ。
しかし最近思うのはこのやるぞっていう気分、本当に必要なのかということ・・。頭主導気分と体主導気分というものがあるとすればこれは明らかに前者であって、体からしてみたら単に少々あたふたして緊張が高まってるだけでもっと落ち着いてやってくれよという感じなのでは?

思い出すのはアレクサンダーテクニークという、心身両面から姿勢や動きの改善を図るシブい身体技法の創始者 F.M. アレクサンダーが、宗教心も筋緊張の一種のパターンに過ぎないという主旨のことを言ったことだ。やるぞーという気分に伴うリア充感、その背後にあるであろう筋肉及び心理面の昂ぶりは、作画に対して本当に完璧にワークしてるのかむしろちょっとした無駄なのか、考えたり感じたりしてみてもいいのではないかと自分は思っている。



by zelan | 2019-02-21 11:59 | アレクサンダー・テクニーク
2019年 02月 20日

パンをやらんとして犬にかまれるの巻~美術と予測


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実家に帰省した際、親の飼っていた老犬にパンをあげようとして口元にもっていったらいきなりガブリとやられ、手から流血したことがあった。
そういえば、子犬を抱いて不用意に別の犬の前を横切り後ろから腿を思い切り噛まれたこともある。この時は10 センチ ぐらいのあざになった。犬たちは本能で反応しているので要は自分が悪い。こういう行動をとればどういう結果になりうるかというヒヤリハット予測が決定的に欠如していたのだ。

翻って美術とはかなりの処、このヒヤリハットで成り立っている。この色とあの色を混ぜたら濁るとかこの支持体に対してはどういう下処理をしておかなければ後で困るとか、目指す表現を得るその何層も何層も前の段階から、ヒヤリハットは至極重要そういう意味では、次第次第にでも「注意深さ」といった性質が醸成されてくる訳で、ここでもやはり美術(芸術と一般化してもよい)は見るだけでなく行うのがトクだ、という結論に、自分は至るのである。


by zelan | 2019-02-20 22:35 | 美術について
2019年 02月 18日

わりとダイジョブ、破壊と絵画

この記事は最終的には当方のコラージュクラスの告知になることを今ここで予告するが、話の発端としては先日、今ひとつ期待通りにいかなかったことがあって機嫌が悪くなり友達にグチっていたら、しばらく黙って聞いていたその人が「でもそれって、わりとダイジョブだよね」と言ったことに遡る。確かに。おいしいものを食しつつ親切な知人にグチを聞いてもらっているという状況自体が、ダイジョブ感満載だ。ダイジョブでなかったら、自分はその頃対応に駆け回っていなければならなかったはずだからである。

話変わって現代ドイツの世界的画家、ゲルハルト・リヒターのビデオ「Painting」。
ネットでトレイラーを見てDVDを買った(悲しいかなPALだけだったのでPALが見れるDVDプレイヤーも同時に買った・・)。

トレイラー:

ここでは彼の抽象作品の制作過程をつぶさに見ることができる。たとえ既にかなり美しいと思える画面であっても、幅広のスキージ(持ち手を付けた板のようなもの)をザザーっと惜しげもなく走らせている。結果、乾く前の絵具が押されて一瞬で画面が相当に変わる。絵具が混ざったり、さっきまで一番表に出ていた絵具が下からほの見えるだけになったり、あるいは完全に表からは消えたり。そしてまた別のスキージの操作で、いきなり表にひっぱり出されたりするのである。リヒター自身が、なんでここにこの色が出てきたんだ、などと言っている場面もある。このスキージ操作は、何十回も繰り返される。

壊すの、わりとダイジョブなんだな、と自分はこれを見て思った。
途中で彼が、「あ(に点々)~、さっき間違ったー!」みたいな発言をしているところもあっておもしろいのだが、結局の処作品は終局(完成)に向かう。彼の言葉の主旨によれば、絵に追加の打ち手を取りうる可能性がなくなった時、とにもかくにも絵は完成する。

作品を制作するとき、「壊す」という行為に関する構えや考え、感情は作家にとってそれぞれで、技法との関わりも深い(ごく乱暴に言えば油絵は破壊に対しロバストだけど薄塗りで色の濁りやすい水彩は壊しづらいとか・・)。破壊、それは時に不可避かつ絵に力を与えるためには必要な場面がある一方で、特に心情的には忌避され、ある場合は勇気の象徴であり別の場合は(どこかのプロセスで過ちを犯したなどの)愚かさの結果と認識される、等々と、なかなかやっかいかつ興味深い存在だ。

リヒターのこのスキージの技法のプロセス上の眼目はしかし、壊すという言葉だけでは語れないところもある。「結果を(ほぼ)不可知にする」というための技法そのものであるように見えるこの操作は、壊しているのか創っているのかさえ不可知にすることで、創造と破壊を同時進行させ作家の仕事をかなり「選択」するということに振り切っているように見えるからだ。

でも以前高名な美術家の方が、ものの見方は使っている技法に影響される、とおっしゃっていたなあ・・自分がリヒターのスキージを上記のように感じるのも、技法のひとつとしてコラージュを使ってきたからに違いない。結局「選択する」ことはコラージュ行為の中心であるからだ。いずれにせよ何かをある程度以上理解し実践することは、多かれ少なかれ新しい目、すなわち「そういうものの見方」を、持つことなのである。

目黒学園カルチャースクール4月期にて初心者の方向けコラージュの連続講座を開催します。
3月13日と27日は体験会(税込1,782円)です。体験会のみのご参加も可能ですのでご興味のあります方はお気軽にご参加ください。

詳細はこちらです。





by zelan | 2019-02-18 21:43 | セミナー案内
2019年 02月 17日

思いつき

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思いつきというものは歓迎すべきものだ。大抵の思いつきには、速度と必然性がある。いじりまわされる前の状態の思いつきは、寿司とか採れたての野菜のように、美味しいことが多い。


by zelan | 2019-02-17 14:25
2019年 02月 15日

卵を塗る刷毛

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刷毛(ハケ)というものは消耗品である。結果に対し悪影響を及ぼさない範囲においてコストは抑えられた方がいい。ということで100円ショップの刷毛なども試すことがあるが、大抵の場合派手に毛が抜けるので後悔する羽目になる。メーカーを変えたりしてみても全般的に言えば100円ショップの刷毛は毛が抜けに抜ける。

しかしながらある日例によって100円ショップを徘徊していた私の目はキラっと輝いた。
そこは料理コーナーで、料理に使う刷毛を売っていた。パンを焼いたりする時生地の表面に卵黄を塗ったりしますよね、そういうような場合に使う刷毛。かなりコシのある樹脂製らしき毛が密に植わった幅5センチぐらいの平筆形状のものだ。
私の灰色の脳細胞は即座にこれの毛は絶対に抜けないことを確信した。だって料理に使うんだからそう容易に毛が抜けてはたまらない。自分の技法は特殊なので、このコシの強さを使える場面もあるだろう。家に買って帰って即座に実験。案の定、普通の100円刷毛だとワンストロークで10本ぐらい抜ける毛が、ただの一本も抜けないことを確認し、狂喜した。

・・と、いうやや世知辛い例なのだが、美術は描いているときには打ち手とその結果について、道具を買うときもその性能やコストパフォーマンスについてあれこれと推理力を使うので、脳に良かろうという話である。年齢がいっても続けられるものも多いし、色々な人がもっと活発に、美術方面のことをやったらどうかなーと自分は期待しているのである。

もっとも自分に関して言えば、脳に良いがゆえに自分がそれをやっているという、そういう訳ではないけれど。


by zelan | 2019-02-15 18:39
2019年 02月 14日

アートと人格

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自分は人は誰でもアートをした方がいい(こういう時は「美術」より「アート」という言葉が合いますね)、というとんでもないことを考えている人間だが、(しかしアイスホッケー狂いの人が「人は誰しもアイスホッケーをすべき」と主張したら即座に断る!冷え性だし運動神経もないし)、アートのいいところの一つに、「人のせいにできない」というのがある。自分の目の前に自力で展開させるささやかな世界の責任は自分自身が担っている。ときたま、100円ショップで買った30センチ定規がやわらか過ぎてカッターで紙を切ろうとしたら定規の方が切れてしまう、という事態が生じた際など人のせいにしたくなるが、基本作品上の成功も失敗も自分のせい。

不用意に人のせいにしない、というのは人が持ちうる人格上の美点のひとつだ。その意味でアートは人格をじわじわと向上させていくための行為でもある。


by zelan | 2019-02-14 09:33 | 美術について
2019年 02月 11日

目黒学園カルチャースクール 「初めてのコラージュ」講座ご案内

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目黒駅至近目黒学園カルチャースクール2019年4月期で、全6回のコラージュの基礎講座を開催します。
3月に2回体験会を行いますので、ご興味のあります方は是非ご参加ください。

<体験会概要>
日時:3月13日(水) 15:30 – 17:00
   3月27日(水) 15:30 – 17:00

費用:各回 1,782円 (税込)
※コラージュの小品を実作頂きます。

<目黒学園カルチャースクール4月期「初めてのコラージュ」講座概要>
日時:4月~6月(3ヶ月間)
   第2/第4水曜日 15:30 – 17:00
   全6回

費用:16,524円(税込)
※コラージュの歴史や鋏等道具の使い方、素材選びの着眼点、絵具を使った応用技法まで、自分で作品を制作・展開していくための基礎が学べます。

場所は体験会、連続講座共に、目黒学園カルチャースクール第2教室 アンセルモ教会集会室(JR/地下鉄 目黒駅西口徒歩3分)です。
体験会のみの参加、あるいは直接連続講座へのお申込みも可能です。

コラージュは印刷物や写真などから素材を選び、切って組み合わせ新たな作品に仕上げる美術技法です。
描写など鍛錬を必要とする技能を必要とせず気軽に始められるという大きな特徴がある一方で、身の回りにあふれる無限に近い素材から何を選ぶのか、そうして自分の感覚に従ってどんな新しい世界を表現していくのか、長く、楽しく探索を続けていくことのできる技法です。

詳細お問合せ/お申込み:
・目黒学園カルチャースクール 
 https://www.megurogakuen.co.jp/  tel: 03-6417-0031
・本ブログをご覧の方は、当方まで以下メールにてのお問合せも可能です。
 e-mail: info@zelan.jp

(図像 是蘭「入り江」アンティークポストカードにコラージュ)



by zelan | 2019-02-11 12:56 | セミナー案内
2019年 02月 09日

外部

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具象であれ抽象であれ絵画は常に絵の外にも存在する何かの一部を描いている。なぜなら世界の全体は描けないからだ。このことは頭ではわかっているのだが画面に向かっているとしばしば忘れる。今目に見えているイメージと自分がやっていることと、次の打ち手などに感覚や意識が過集中になっていくためである。

しかしこれは別に絵に限ったことではない。人は自分の行為や感覚に対しかなりの時間過集中ではないか。
今見えていないものも含めて全体視することは一般的に言って人間の性というか習慣に反する。絵を描いている時はだから、この画面の外にある世界とも自分がつながっているように、これは何かの一部なのだとしばしば思い出す必要がある。そして芸術やスポーツなどは、最も純粋な形でこの全体視に関わるものなのだ。



by zelan | 2019-02-09 21:54 | 絵画
2019年 02月 07日

ドッペルゲンガー揃い踏みに驚愕すの巻

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よく行く近所のスーパーに半年ぐらい前、少々というかかなり手際の悪い中年女性の店員さんが配属された。袋に物を入れる時など入れ方が気になるのか何度も出したり入れたりするので時間がえらくかかる。こちらは最初からSUICAで、と言っているのにそれは必ず忘れられ、決済の段には数秒間お互い無言の微妙な間が訪れると言った具合。
それでもなんだかその方がだんだん手際良くなってきたりするようで(とはいえ普通の人の半分位だ)、それを観察していくうちに自分はそこそこほのぼのとした気持ちになってきて、ちょっと心の中で応援したりしていた。時々元に戻ったように手際が超悪いこともあったが腹も立てずに。

で、今日その同じスーパーに行ってみたらなんとその手際の悪い女性が二人、二つ並んだレジのそれぞれに入っていたのである。というか厳密に言えば彼らの顔は微妙には違っていたのだが、髪型やメガネの具合、顔の丸さ加減、肌の色艶や身長が酷似していてさもドッペルゲンガーなのであった。

自分はびっくり仰天してしまった。一人だと思っていた人間がなんと二人だったのだから。
彼らが双子かどうかは知らないけどとにかくそれぐらい似ている。少し手際が良くなったらまた元に戻ったなどに関心を持っていた自分だったが、単にこの二人を同じ人だと思っていたが故かもしれない。

考えてみたらこの程度の現実識別能力をもって美術というものをやると言うこの状況は、かなりチャレンジングかもしれない。でもだからこそやる価値がある。


by zelan | 2019-02-07 21:00 | ヘンな話
2019年 02月 06日

Don't think. Feel!

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今日夕食をした中華料理店で化粧室に入ったら、目の前の壁にブルースリーの顔とその下に「考えるな、感じろ」と書いてある紙が・・。思うにこのセリフが放たれた「燃えよドラゴン」の中の一シーンを写真にして貼り付けてあるのだ。正直自分はこの言葉が大好き。実際に手を動かして何かを作っている時、考えることはノイズに過ぎない場合が多い。分かってるけどなかなかやめられないのだが。

一方、もしかしたら「考える」「感じる」と言葉で明確に分けているほどこれらの境目というのははっきりしていないのではないかと思ってもいる。その中間のグレーエリアみたいなものがあり、本当に一番強力なのは考えているようで感じているようで考えているようで感じている、みたいな状態なのではないかと思うのである。
ただしこの時の「考える」とはおそらく言葉を使うような思考ではない。よってこのブルースリーの言葉を自分なりの違う言いざまにするなら、「言葉を使うな、感じろ」ということになるのかもしれない。

ちなみに化粧室を出る時に見たらドアに毛沢東が縄跳びをしている絵が書いてあった。この中華料理店はかなりユニーク。



by zelan | 2019-02-06 21:15 | 制作心理