原初のキス

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2019年 01月 23日

サイレント給食と自由

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どこかの学校で、インフルエンザが流行っているので給食中は他の生徒と話をさせないという施策がとられたと聞き少々びっくりした。
話してもしかるべき時間に話さないという、お子様とはいえ立派にものごころがついていらっしゃる方々の個人の自由の領域に踏み込んでいるように感じたからである。

ただ、もしかしたらこの生徒さんたちは、恐らく普段はそうしていないだろう味に集中することができ、感覚世界における何等か新たな発見をしたかもしれない。殆どの場合我々は色々と他のことに気をとられながら食事をするので、十分にものを味わうということをしていないからである。
それならば給食中人と話すことを禁じられたとしても多少の喜びが見出せるというもの。


by zelan | 2019-01-23 21:39
2019年 01月 22日

リペルアート(3)~ 利用のメリット

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このブログで紹介しているリペルアート、美術制作の材料としては非常に秀逸なものだと思うが、自分のそう思う理由の一つが、これである。即ち、

「広い面を一挙に処理できる」こと。

・・・と、いうとあまりに素朴すぎてアレだが、これはこの液剤が、化学反応的なるもので自分自身で動いてくれるからでつまり勝手にイメージを生成してくれるから。ある意味、「絵を描く」という概念そのものを転覆させるところがある。

実は、普通の描画材だって、そういうことろがないでもないけど。例えばアクリル絵具をペインティングナイフにとってカンヴァスに施すとしても、それがある特殊な粘度その他の性質をもっているからこそナイフの下で「そういう形」を描きとまってくれる訳であって、完全に作者が自分の企図だけで絵具を操っている訳でなく、絵具さんの方も自分で自ら描いてくれていちゃったりするのである。

でもリペルの場合、より動的で目に見えるので、あーこちらの方々に描いてもらっている、という感が強まる。彼らの働きをもって広い面が視覚的に多様に仕上がっていくのをみると殆ど「ありがたい・・・」という気持ちにすらなる。この状況を自分の力を主に作りだすとすればいったいどれだけの時間を投下すべきであろうか。つまりこれもまた素朴かつ味気ない言い方になるが、リペルは「時短」になる。

さて、しかしながら時短だと言って喜んでばかりいる訳にもいかない。それで単純に喜んでたら働き方改革で残業時間を50%減らしましたが利益も70%減りました、みたいな状況になるかもしれないのだ。
表現としての価値を実現するために、リペルの動きの制御や、どこで止めるか問題が制作においては俄然浮上してくるのであって、これについてはまた追って書くことにします。






by zelan | 2019-01-22 21:06 | リペルアート
2019年 01月 22日

正解二種

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自分は比較的最近まで全ての問題には絶対的な正解があると思ってきた(それに自分がたどり着けるか否かは別して)。
でも最近になって、絶対的答えっていうのはない場合も多いんだろうとしぶしぶ認めるようになった。
しかし何と今でも、「相対的正解」はあると思っているのである。つまり何かの問題について考えるとき我々は多くの場合答えに関するいくつかの仮説から選択する。そういう場合には他の選択肢より総合的に見て優れた答えというものが必ずあるように思う訳。もしかしたらこれも事実ではなく、問題によっては答えだのよりよい答えだのがないものもあるかもしれない。でも、であるならそもそもそれを「問題」と捉えることが「問題」だと、個人的には思うのである。

という「正解問題」について頭を巡らしていた時具体的にどんな状況だったかというと、部屋を片付けてから風呂に入るか、風呂に入ってから片付けをするかということで迷ってたんですね。
冬場になるとお風呂のお湯が冷めやすいのでなるべく早く入った方がいいが、制作してやや乱れていた部屋を見るとこれを放置してお湯に浸かってもリラックスできそうになくしっくりこない。
実は自分の理性が即座に出していた答えは風呂に入るである(だって迷ってる間にも湯がどんどん冷めるんだもん)。ただ感情は感情で明確に掃除を優先したがっていたのである。そこで力を振り絞り、「相対的正解」を選択即ち風呂に入ったのだった。

ところでコラージュを作っていて、何かの素材に別の素材を組み合わせる時、それには正解っていうものがあるのだろうか。
物理的には無限に近いほどある選択肢の中からより適合するものを選ぶということで、ここでもまた相対的な解が登場だ。言ってみればすべてのコラージュは作家が必死で選んだ相対的解の集まりで創られている。

一方優れたコラージュというものは相対的なはずの解が絶対的解に見えるのです。これが不思議。

1月26日から。





by zelan | 2019-01-22 12:16 | コラージュ
2019年 01月 21日

頭と体

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頭では分かってるんだけどやってみるとできない、みたいな言い方があって自分もしょっちゅう使っているが、そういう時はえてして頭でもわかっていないのはないかしら・・。

もっとも、こういう言い方自体、頭と体を分断して捉えていることが明らかな訳だが、自分が思うにもし何かに関して混乱的状況にあるとすれば、即ちわかってるつもりなのに思うところの結果が出ないとかそういうことであれば、頭も体も一体として自分という存在全体が、未だ混乱しているのである。


by zelan | 2019-01-21 22:03
2019年 01月 20日

リペルアート(2)~ リペルペーパー

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リペルアートには、リペルペーパーを使用する。

これは紙とはいっても合成樹脂が原料で、水を吸い込まず、よって水気に触れてもたわまず、よれず、へたらず、反らないで形状が非常に安定している。こしがあって皺もよりづらい。
ウエマツさんで販売されているものは薄口と厚口で各種大きさがあるが、薄手のはほんとかなりぺらっぺらだけど、私など四六判(約80x110cm)の大きさのものを作業台に上げたり下ろしたりを繰り返してもイメージに対して問題になるようなしわが容易にはよらないので、かなり扱い易い。
水で伸びないということは、水分を多く使う技法でもたわみを避けるために水ばりする必要がなく、パネルなどに貼る際は直接のりで貼ればよいようである。

他に良い性質としては、樹脂性で耐水といっても塩ビのように素っ気ないいかにも工業製品の風合いでなく、微かな黄味を帯びた色味やちょっと粉っぽく見えるマチエールが結構上品なこと。白地が見えてても問題がない。

更に、自分の場合制作に紙やビニール性のマスキングテープを多用するのだが接着が非常によくて、リペルのようにゆるゆるの液体をおいても輪郭に沁みてしまうことが殆どないのが気に入った。
(但し注意としては、アクリル絵具を直接のせて後でその上にマスキングテープを施すと剥がす際にしばしば基層から剥がれてしまう。この点はマスキングを使わない場合は問題がないとは思う。)

もちろんカンヴァス地や和紙、個々の洋紙にはそれぞれの特徴や魅力があり、技法とのマッチングはよくよく検討する必要があるが、リペルペーパーは紙自体としてなかなか興味深く、和紙とも洋紙ともカンヴァスとも違うし木とも塩ビとも違う、これは美術の支持体としては「こういう存在」として常識を超えるユニークさをもった新しいカテゴリーだ。リペルアートに限らず使い手がありそうである。

リペルとマチエの両液で行なうリペルアートについては、普通の紙や、ニスなどで防水性を付けた紙も使ってみたが、他の支持体でははじき効果が十分発現せず(表現としてそれでよければもちろんかまわないが)、まずはメディウムの特性を理解するという意味でもリペルペーパーを使うのが最適だ。リペルペーパーには例えばスプレーなどで薄い層をつくっても効果がさほど薄れないことは確認した。ただアクリル絵具などの層を先に創ってしまうと効果が出づらくなる。

いずれにせよこの紙の価値はただ一つに集約されるものではない。まあ、筋のいいものっていうのはたいていの場合、そういう性格を持っている。

(図像:是蘭 リペル試作より)



by zelan | 2019-01-20 14:55 | リペルアート
2019年 01月 18日

実存ってなんだっけ・・Michaël Borremans | Mark Manders ギャラリー小柳

ミヒャエル・ボレマンス(絵画・ベルギー)とマーク・マンダース(彫刻・オランダ)といえば、自分の中では現代美術の大スターと言っていい人々なのだが、この二人揃い踏みの展示が銀座のギャラリー小柳で開催されている。

「奇をてらう」という言葉があるが、全身タイツ様のものを着て薄暗く何もない場所にえらく不安定な感じで佇む人とか、サボテンかあるいはヘンな果物のように見えるが同時に人の頭にもしっかり見えるナゾの物体とか、少女っぽい頭2個の鼻から上がなくて口元が笑ってるとかが全然そうは見えないのは、これらのイメージがえらく「リアル」だから。作家は人のこういう状況を骨の髄まで納得した上で、それを物質上(絵画や彫刻)に完全に、クールにレンダリングしていると思われる。

こういうイメージをある意味「盛り」で豊かに饒舌にぐっちゃぐちゃに描ききるというのもありうべき表現形態の一つかもしれないが、彼らの選んだこの冷たく、暗く、醒めた感じが好ましい。その方が悲惨さが際だつ。

実存てなんだっけ?と、高校のXXの授業(何科の授業だったかすら、今となっては忘れた・・)以来久々その定義を思い出したくなった展示。

1月24日まで。

Michaël Borremans | Mark Manders



by zelan | 2019-01-18 20:48 | 展示レビュー
2019年 01月 16日

隕石とプロセス

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先程テレビを見ていたら隕石が紹介されていて、自分はその視覚的新奇性にぐっときてしまった。

外側ざらざらで断面がつるっつるとか、みちみちの見かけの中に突如スカスカの部分が混在してるとか、神が創造したがごとき緻密で入り組んだ幾何模様が表面にはり巡らされてるとか、とにかくなんだか「振り切ってる」感がある。考えてみたら当り前で、彼らの生成プロセスが地球上の自然物や物品とは違うから我々からみて「振り切ってる」のだ。

要は見かけというのは、プロセスから来る。結果として変わった見かけが得られるということは、それを生んだプロセスが変わっているのである。美術の場合は人間がやるので、プロセスには心理も含まれる。

(図像 是蘭 生誕~知られずに Unnoticed Birth 2011)


by zelan | 2019-01-16 23:57
2019年 01月 15日

エラーレス、気になる

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最近、「エラーレスラーニング」ということが気になってしょうがない。
美術において(だけじゃないかもしれないが、例えばビジネスとか)、挑戦する、ということは非常に重要視及び称揚されているのであって、それはえてしてやってみなければ結果のわからないことにも果敢に挑戦する、ということが概念的には含まれるだろう。
一方エラーレスラーニングというのは、よく認知症とか記憶障害のリハビリ・治療に用いられるようだが、謝りなくできることを実行していくことで結果としてパフォーマンスをあげていくことで(あまり情報がなかったのでかなり不正確な言い方になっていると思うけど・・)、例えば以下のサイトを引用させて頂く。


美術制作などでも、何か試みる際にエラーが生じるかもしれない部分が大きすぎると、後で泣く&やる気が激下がり状態になる、時間及び経費がハデに失われることがすごく多いのである。感覚的には、これ使うとこうなる、こうすればこうなる、というデータ及び経験が確立されていてエラーほぼ起こらない率6割~7割で進める、と言う風に、全部でないにしても部分的エラーレスに保っておくのが至極重要に思う。

が、結構これ忘れちゃうんですね。エラー起こらない率5割だと、結局の処イチかバチか、ということになる。




by zelan | 2019-01-15 21:16 | 制作心理
2019年 01月 15日

展示予定:美の起原(銀座)奨励賞受賞者展

展示のお知らせです。
昨年の、ギャラリー「美の起原」主催コンペの奨励賞受賞者によるグループ展に参加致します。

会期:2019年4月17日~30日
会場:美の起原(銀座)

壁長3.5メートルに、大型作品を含む新作数点を展示の予定です。
ご高閲賜れましたら幸いです。




by zelan | 2019-01-15 14:36 | 展示案内
2019年 01月 14日

サムライは(またも)ヨーロッパ人

渋谷ヒカリエ8Fのギャラリーで、絵画展 "FORMY" を覗く。

二人展だが特に、モノクローム系の、えらく思い切りがよくかつ精緻なストロークでミニマムに描いてある絵画に自分は大変感じ入ってしまった。
風景や、窓などの事物なんだろうがそれがぎりぎりでそう見えるか見えないか、でもやっぱりそうだよね、という感じで、カンヴァスの脇に回ってみてもそう厚塗りでないが、説得感のある適確なマチエール・・全体として(形態でなくその存在感が)寿司か豆腐みたい、等々と頭が急激に忙しくなる。
これは視覚的というより主として脳的な絵画であって、つまり見ていると、自分の脳ってどういう性質を持っているのか、という問いが鏡みたいに絵の表面を反射して自分に返ってくるのである。

こういう超キレのあるストイックな絵を描く人はきっと、描かれつつある自分の絵が刃のように向かってくるのを真剣白刃取りよろしく瞬時に受け止めて次の手を打っているのだろう、サムライだ・・。
と、思って置いてあったチラシを見たら、サムライはポーランド人であった。作家は、ラファウ・ブイノフスキー、男性。

近年、自分がサムライ!と思って関心する芸術家の大半は、データ的にはなぜかヨーロッパの寒いめの国の人々である。
今回についてもこれが証明された。

現在開催中で1月16日までやっている、ワルシャワのギャラリーRASTER企画の絵画展です。

Hikarie Contemporary Art Eye vol.11



by zelan | 2019-01-14 14:22