人気ブログランキング |

原初のキス

zelan.exblog.jp
ブログトップ

<   2018年 12月 ( 25 )   > この月の画像一覧


2018年 12月 30日

コラージュとはさみ

c0207661_08481113.png
かなり以前にコラージュを始めてからのち、何年もたってから、はさみを小さいのに変えた。
それまではゾーリンゲンのそれなりに切れ味のよい普通の大きさのものを使っていたが、小さくて刃もほっそりしたものに変えたら、とんでもない位切るという作業が効率的かつ精緻にできるようになったのであった。

今から思うになぜもっと早く気づかなかったんだバカバカ・・と思うが、とにかく全然気づかなかった。
ストレートなコラージュの素材は多くの場合印刷物から取るので、紙のサイズはあまり大きくなく、かつ、作品であるのでその切り取りの精度はある程度以上高く保たねばならない。とすれば、素材の細かい稜線を切ることのできる小さくて華奢で小回りのきくはさみがいいに決まっているのに・・!

恐らく、ゾーリンゲンで大きな不服がなかったのがいけなかったのだ。
こういう状況が進歩においてはごく問題。携帯電話がなかった頃凡人たる自分は、待ち合わせの場所に知人が現れなかったらうちに戻っておっとり刀で固定電話の着信を待つか、自分で掛ける、ということをやっていた。より便利な状況というものが思いもよらなかったので。
明確な不便や不服といったものは、通常逆に我々の眼を覚まさせてくれるものだ。

もとい、それにしてもなぜ小さい鋏がいいと気づいたのか、自らハッとしたという記憶もなければ人に教わった覚えもない。
ただ鋏といって思い出すのは昔、裁縫用の糸切ばさみ(握り鋏ともいう文字通り握ってすぐ使える例のなんというかカニのハサミ状の・・)で全てのコラージュの素材を切っていた人を見たことだ。
これには心底驚いてしまった。もしかしたらそこで、ゾーリンゲンだけが解でない、という思考上の可能性が開けたのかもしれない・・・。


by zelan | 2018-12-30 08:54
2018年 12月 29日

太るのか痩せるのか

c0207661_23212495.jpeg
知人と食事をしていて、自分が比較的「丸飲み系」であることに気づく。同じものを同じ量口に入れても、飲み込みが自分の方が非常に早い。
「だから太れないんぢゃないの?」とは知人の言。確かに、元々頑健でなく当然胃腸も弱い自分が(これも噛まずに飲んでる結果かもしれないが)咀嚼しないで飲み込んでたら栄養が容易には吸収されない可能性は十分ある。

で、ネットで調べてみたらこれが、噛むと痩せる説と噛むと太る説が拮抗してるんですね。
噛むと痩せる説の中には、どこかの大学がよく噛むと噛まないのに比べ消費エネルギーが増えるので痩せる、とまぢめに実験してるのがあったが、自分はこれには申し訳ないけど笑ってしまった。食べる人の胃腸の能力という重要な変数が全然考慮されてない。丸飲みしても消化できるような早食い肥満系の人がよく噛めば噛むのに費やした消費カロリー分は痩せそうだが、胃弱の骨皮筋右衛門(て最近言わない)がよく噛んで胃に優しい状態で食べ物を吸収したら、太るんじゃないだろうか。

と、いうことで目下の自分の結論は、太ってても痩せててもよく噛むことには益がある、ということ。
この仮説があたってればの話だが、同じクスリ(よく噛むこと)が見かけの状態の違う人(太ってても痩せてても)に効くなんて、ちょっとした万能薬だ。

ええっと・・、加えて少し観念的なオチをつけるなら、何かが真実であるか否かは、噛めば痩せるか太るかという変数がひとつの単純な命題では大体の場合解きえない、他の状況との関係性がまさに「関係」してくる。なぜならすべての現象は他との関係によって成り立っているからで、そうした中、変数いっこなんてありえないんじゃないだろうか。



by zelan | 2018-12-29 08:07
2018年 12月 28日

360度相対の地獄

c0207661_08351925.jpeg
ここ3週間ばかり大掃除をしていた。
3週間と聞いてええ~と思われる方も多いとは思うが、年末だからというばかりでもなく自分には突発的に大規模で徹底的な掃除を実行するというヘキがある。まだ使える什器や小物まで派手に買い替えるので知人からは御道具を作り変える遷宮に、冷ややかになぞらえられているのだが、ともあれ平成最後の大遷宮がようやく終って心底ほっとしてもいいはず。

が、ほっとする一方心穏やかでない部分も残るのである。

というのも、全体がキレイになって終ったと言っていい状況にもう十分になっているのに、むしろそうだからこそ、それまでは何ということもなく見過ごされていた微小なシミだの汚れだのが異様なまでに目立って知覚されてくるからだ。
コンセントのまわりのクロスの微かな黒ずみ、何かをぶつけた時についたドアのキズ、テーブルの脚に飛び跳ねた直径2ミリの絵具の点々・・・。そしてこれらを清めたり補修したりするにつれ、汚れ知覚の精度はいや増さり、もはや対象は名もなき者たちの国へと突入するのであった。即ち、何と呼ぶのか知りさえしない、部屋の床近くにぐるっと付いている高さ5センチ位の板状のものとその5ミリ程の上面についている埃、ドアにガラスの窓が付いているのだがその回りに飾りとして彫ってある幅及び深さが3ミリ程の溝の中に溜まった汚れ、トアといえばドアが納まる枠みたいなものの上面にうっすら積もった埃とか(決して誰からも見えはしない)。

もう気分はマクベス夫人である。永遠に、完全には綺麗になんてならないよ・・。もはやアリ地獄。

でもこれ当り前。どこかをキレイにしたと思っても、そうしたが故にその周りに相対的にキレイでないところは必ず現れる。
こういうことに鋭敏な性質というのは、美術とか、何かの役に立つと思って自分を慰める。
て、いうか、実はこの状況が大好き。だから地獄とは言っても楽しい地獄なのである。


by zelan | 2018-12-28 08:41
2018年 12月 27日

言葉には気をつける

c0207661_08471824.png
昨日テレビを見ていたら、糸井重里氏が阿久悠氏の歌詞が、時代(を描く)というキーワードが出てからつまらなくなった、いわゆる啓蒙的になっていって・・、というようなことを言っておられた。自分は阿久悠氏やその作品について深くは知らないのでこの言の正当性については判断できないものの、言葉が芸術方面において時にとても有害な働きを及ぼすことは確実だと思う。

言葉は常に現実からはずれている。ずれている上に、非常に強力な意識と行動の統制力があって、それはえてして鋭く狭く、少しズレた方向に、我々をもっていくからである。Statementは作品のあとに、という話とも関連している。前にがっつり「考え」ると、これに縛られるからだ。

ただ、最近少し考えているのは、学んでいる最中や構想、また振り返りの際には意識的・言語的に思考してもよくて、制作においては直観と感覚しか使わないという、インプットとアウトプットにおける脳のモードを変えることが重要では、という仮説である。これに、即ち言葉の使い時に習熟するならば、言葉はさほど怖いものではないかもしれない。

一方ビジネスの場合なんかだと行動指針とかヴィジョンとか、はっきり言語化してた方がいいことは多いとは思う。大体において複数の人が関わるから、バラバラにしないため、というのがテクニカルな理由としてもある。またこの分野では、非常に優れた言語感覚をもって統率や意識・行動の変化を促進するという才もあるだろう。経営コンサルタントの横山信弘氏によるこの記事には感心した。

Yahoo!ニュース

似た内容の過去の記事:



by zelan | 2018-12-27 09:15
2018年 12月 26日

Artist Statement

c0207661_09385826.jpg
Artist Statementというものがあって作家はそれを明確に、かつ昨今では恐らく戦略的に、プレゼンすることを強く強く推奨される。

プレゼンされたものを見ると読む人にとってはかなり、なんだかこれを元に、これがあったから制作したように見えるのだが、実際は作家が創るから自分の作品からのフィードバックでStatementがしかるべく書けるというのが大きな流れである。即ち、物事の基本の順序としてはStatementの内容 → 制作でなく、制作 → Statementだ。

それくらい人間て自分のことを知らない。

て、いうと「自分」というものがあるように聞こえるが、仏教では自分があることすら否定していて、それが真実なら、自分(として認知されている連続的知覚的知的現象)的なるものを本人(として認知されている連続的知覚的知的現象)がはっきり知らないのも、ごく当たり前のことなのだが。



by zelan | 2018-12-26 09:40
2018年 12月 25日

絵は何の役に立つか

c0207661_08063484.jpeg
自分は平面美術を創っているので、絵という言葉で代表させるが、絵には機能がありその最も重要なものの一つは

戦争の抑止

である。冗談みたいに聞こえるが、ソレを創ったり見たりしている時、人はその思考や感覚において戦うことから遠く離れる。

その時間は個々においては短いかもしれないが、その積み上げは、必ずや世界に影響を及ぼす(自分は感覚的に、あるいは希望から言っているのでない。単に人がやることなすことの時間は有限であるという事実から、論理的に言っているのである。故に世の中のあらゆる事象・事物は、概念的に大きく二つに分けるなら戦争を推進しかねないものと、抑止するものに、分かれる)。

よく、絵には具体的な機能がない(=それ自体としては何の役にも立たない)というような論があるが、これが何を言わんとしているのか、自分には全然わからない。存在するもので機能がなく、即ち役に立ったり、害になったり(こっちは役に立つの逆)一切しないものが、もしあるんなら今、目の前に出してほしいな・・。



by zelan | 2018-12-25 08:08
2018年 12月 24日

言ったことはやる男たち

c0207661_22515507.jpg
ほぼ9年位前にブログで以下のようなことを書いた。


有言実行の男子は尊敬に値するというお話だが、この考えは今も変わっていないものの、言わないでどかどかやっちゃう人も個人的にはとてもいいと思う。




by zelan | 2018-12-24 23:01
2018年 12月 24日

アートやビジネス

c0207661_21074583.jpeg
どうせめちゃめちゃな勢いで複雑になっていくんだから、根本はシンプルであること。

複雑になることには故に非常なる注意を払わねばならないのに、なぜだかあえて複雑にしようとして失敗する例が多い。



by zelan | 2018-12-24 21:08
2018年 12月 22日

頭と手

c0207661_23322614.jpeg
以前絵を描く知人が、長い間全然筆を取らないので、「一向に描く気配がないではないか」と糾弾した処、
 
「オレは考えてるんだからいいの!」

と、言われた。

当時は冗談としか思えなかったが、これはそれなりに評価すべき、制作に対する一つの態度だ。
手ばかり動かすのは、考えてるだけより100倍悪い。


by zelan | 2018-12-22 23:34
2018年 12月 22日

見たら笑えないかもしれない

小学生の頃、ムンクの「叫び」を見て、怖いような笑っちゃうような感覚に心理的に身悶えた。
大人になって改めて図版等で見ると、どちらかというと笑っちゃう感が大きい。
(ちなみに、絵画について感じたことを言うのは何を言おうと完全に合法的であり、倫理的にも殆どの場合何の問題もない、作者や作品がいかに有名であろうとも。)

来年一月まで都美でムンク展をやっている。

自分も行くと思うが、本物を見るとおそらく笑うどころじゃないだろう。
本物ってそういうもの。



by zelan | 2018-12-22 17:17