原初のキス

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2018年 02月 28日

隣の展開には十中八九驚く

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カフェなどで隣の席の話を聞くともなく聞いていると(というかあまり品がよくないが社会勉強のために結構積極的に自分は聞いている・・)、少なからぬ場合ものすごい方向に展開して驚くことがある。
先般は、親が供した昼食を食べていて出されたものが腐敗臭を漂わせているのに気づいたが、言うのもアレだから、と思い無理に食べたら案の定お腹がやられて大変な目にあった、と30代前半位の男子が友達らしき人に話していた。言うのもアレというのもなんだかアレなんであって、どうして食べてしまったんだろうか・・・。


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by zelan | 2018-02-28 11:09
2018年 02月 27日

ある会話

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先般、ヨーロッパの著名なパーカッショニストの方と会食する機会があって、彼が生徒をとって教えてもいると聞いて、最初はどんな風なレッスンから始めるのか、と聞いてみた。彼の答えは、

その生徒がどんなことをやりたいか、何を表現したいのかを聞いてみる、そして、その実現のために必要な技術要素を教え始める、ということであった。

これは結構衝撃を受ける答えだった。なぜなら小笠原流礼法という武家の作法を習っていた自分として日本の教え方というものが、まずは型を仕込み、その後かなりたってからの過程において表現性みたいなものをじわじわと理解し追求していくという流れをもっていることを体感的に知っているからである。小笠原以外の自分の受けてきた教育体験(義務教育を含め)としても他の分野でも、多かれ少なかれこの一種のお作法みたいなものを踏襲しているように思う。つまり彼の言ったこととは、真逆なのである。






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by zelan | 2018-02-27 23:08
2018年 02月 25日

もちもちとgummy

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日本人において「もちもち」はいい意味であり、菓子だのパンだの、もちだの(もちは当たり前か・・・)がもちもちしていると非常にうれしいのである。
でも自分の観察では欧米圏では一般に、もちもちは gummy といわれさほど好まれてない気がする。この極私的文化理解が正しいのか否かあまり自信はないが・・・。

ところでマジパンというのは自分の好きなお菓子の一つだ。これはもちもちしている。でもこのお菓子がヨーロッパにあるってことは、もちもちも完全に嫌われている訳ではないのかもしれない。そういえばグミってお菓子もありますね。

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by zelan | 2018-02-25 23:51
2018年 02月 24日

単純

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2010年2月27日に「単純」という題で以下の記事を書いていた。

「人生、結構複雑そうには見えるけれど、そのときどきにおいてやるべきこと、やらざるべきことなんて、各3つ以内ぐらいに納まるのじゃないかしらん。
しかもそれらは人間かなり理性ではわかっていて、要は単に理性の声に従ってそれをやるか、やらないか、ということなのだ。」

今でもこの認識自体は全然変わってなくて、それでも自分がこの認識を建設的に実践するという面においてさほど進歩していないことを知り、これではいかん!と思った。

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by zelan | 2018-02-24 09:39
2018年 02月 23日

何もない

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風姿花伝から能がマイブームなのだが(以前見たのはもう随分と昔だからまた見に行こうと思う)、能面はおもしろいものでなぜなら、演じ手が色々な表情を載せられる。泣いたり笑ったりというのは動作の型がきちっと決まっているようだがそれにしても同じ顔で泣けも笑えもするのはすごい。面自体が一種の無であるからそれが可能になる。絵画に引き寄せて言えば自分はそういう絵が描きたいと思っている。観者の受け止めが広いものである。そこで、能の演じ手の動作にあたるものが何か(絵自体は物理的には動かないので)、ということを最近考えている。

話が少しずれるけれど若い女の面は目の所の穴が四角く切ってあり、年を取った女は丸く切ってあるそうだ。観客からは見えるとも見えないとも言えない差かもしれないが、四角く切ってあると鋭さが周りに波及して若く張り詰めた、清冽な感じがするのでは、と想像する。

図像 是蘭  Viranda Ziesto 2008

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by zelan | 2018-02-23 09:57
2018年 02月 22日

Yin & Yang

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「陰陽」という「ものの見方」、即ち「自然に存在する現象の分類方法」を見出した人はすごい(随分昔のことだろうが)。
たまたまTVをつけたら、オリンピックのスピードスケートの「パシュート」(これ英語だとteam pursuitっていうんだ。カタカナだと意味わかんない・・・。)をやってて、見るとこの方たち、「どう動くか」と「どう動かないか」を同時にやっている。

普通にぼんやり生きてるとつい「やること」ばっかし考えがちだが、スポーツ(や芸術)は特に、ムダなことをどう徹底してやらないか、が同じ位重要。

この種のことはこのブログで実はよく書いている。




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by zelan | 2018-02-22 08:41
2018年 02月 21日

新作川柳

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手を動かしていて、

「なりゆきを 「方針」と呼び ひとりごち」

という川柳が浮かぶ(ちなみに人生初川柳)。気づいただけよしとするが、時にビジネスなんかでもありそうな話だ。
まあなりゆきといっても瀧のようにしかるべく自然に流れてくれれば、こんなにいいことはないけれど。

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by zelan | 2018-02-21 21:33
2018年 02月 20日

点をつける、ということ

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全ての芸術は音楽を憧れる、というが音楽は過程そのものが即ち芸術表現だから、というのはおそらくその理由の中に含まれているだろう。(一方、例えば絵画の制作過程は表現を創る途中及び手段である。)そういう意味ではフィギュアスケートなんかはスポーツだけど芸術ぽい。

でもすごく違うのは、「お点」がはっきり付くところ。

じゃ、芸術には点がまったくついてないか、というとそうでもない。自分など何かギャラリーに行って人の作品を見るたびに個人的には点をはっきり、0.1ポイント刻みくらいでつけている。一番イタい点は、「あ~、あらゆる意味において(構想、技術、表現性等々・・即ち多かれ少なかれ人格)100%、完敗」と思う時。でも完敗作品に出会えば出会うほど、自分の喜びでもある(=作品を楽しめる)のが、芸術のよいところである。

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by zelan | 2018-02-20 20:40
2018年 02月 20日

くじ運の証明

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大学生の頃バイトとしてホテルのバンケット(=パーティコンパニオン)をしていて、その間散々ビンゴゲームに参加していた(当時ビンゴの時はなぜかコンパニオンも仲間に入れてもらっていたのだ)。それでひどく不思議に思ったのだが、自分が一回もそれで末席の賞にもあたらないのに、なぜか、この完全に偶然に依拠しているゲームでいつもといっていい程に高位の賞をとっちゃうバンケ仲間がいたことだ。

自分はこれで世の中に「くじ運」というものが存在するのを経験的に知った。で、そのくじ運が自分には欠けていることもまた知ったが、それでもってたまさかの運的僥倖に期待することがなくなってよかったと思う。くじ運に頼るより努力に頼った方が、自分の場合効率がいいのである。

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by zelan | 2018-02-20 01:36
2018年 02月 18日

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創られつつある絵にはそれ独自の生命があって、ちょっとやそっとのことでその息の根を止めることはできない。ただ、創り手がその力を隠し、覆い、邪魔をして、弱めることがある。鏡に泥を塗るように。
自分の絵を良くしたい、という思いが強すぎると逆に、そういうことになりやすいのではないかと思う。

絵(やあるいは他の、人間が表現行為として成すもの)の命は簡単に殺せない、なぜなら表現物は制作者自身の力だけで成り立っているものではなく、それまでの関連する歴史はもちろん、空気や重力など、広大と言える自然かつ物理的な存在にもまた支えられているからである。

それは気をつけていないと、すぐさま砂のように指の間からすり抜ける認識だ。でもそれは真実なのだから、忘れない方がいい。

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by zelan | 2018-02-18 23:23