原初のキス

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2017年 12月 31日

らくちん

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昨日書いた、おでんを持っているのがハタ坊だと思っていた知人の、絵画制作に関する別の忠告。
「努力せずに苦しむこと。努力なんて簡単でラク。」

確かにそうだ。努力なんてみんなしている。自分のしていることとかそのやりざまが、単に努力という定義の中に納まるようだったら、あまり成果は期待できないような気がするし、特にむやみな努力は、思考停止の隠れ蓑になってる場合が多い。

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by zelan | 2017-12-31 11:47
2017年 12月 30日

構図におけるおでん問題

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構図が単純なんだよな~、とよく絵について忠言してくれる人とある自作について話していたら、彼が言うには構図なんてハタ坊の持ってる串に刺したおでんほど単純でかまわない、ということであった。ただし、

「おでんであってもいいいがおでんに見えてはいけない。」

そうである。そんなおでんないぢゃん!と反射的に思う一方、言ってることは感覚的には非常によく分かる、というのが絵の不思議なところ。

追)因みに後日調べてみたらおでんを持っているのはハタ坊でなくチビ太だった。これは件の知人も、当方もなぜか間違って覚えていた。


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by zelan | 2017-12-30 12:46
2017年 12月 29日

プライオリティ

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パイロットが飛行機を操縦しているとき機体に何か異変が起きたとする。ぐらぐらしてきて落っこちそうだ。
そういう際のパイロットの「プライオリティ」は厳密に決まっていてマニュアル化されているそうである。即ち、

”Aviate, Navigate, Communicate”、がそれ。

取り敢えずすぐさま落ちないように操縦すること、どこに降りるか方向づけること、そしてその後に管制塔に連絡することということだと思うが、日々、あるいは人生におけるプライオリティも、こんな風に決められたらいいのに、と自分は思い・・・

かけたが、別に日常においてもこうでないかと思い直した。
飛行機の状況ほど濃くはないけれども、うすーくなってるだけで恐らく同じ。(例えばビジネスにおいて)何を目指しどこに向かうかも明瞭でないのにコミュニケーション(マーケティングとか)ばっかり優先すると、おかしなことになるのである。




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by zelan | 2017-12-29 23:58
2017年 12月 29日

変わります

目がすごくかゆい。
そして部屋の床の上は本でいっぱいだ。

キレのないシュールレアリスムの詩ではなく事実であり、この二つは本(因)→目(果)の順番で連関している。
先頃実家から、自分の中学~20代前半位までに読んでいた本を送り、今その殆どを売らんとして整理しているのだ。
何百冊もある昔の本を黄ばんだミカン箱から取り出し超速読で本の状態やテーマなどからインテリ系古書店さんかブックオフさんかどっちに出すかを識別、鉛筆で引いた傍線などあれば消しゴムで消す。この作業を3日ほどしている間、アレルギー体質の自分が30年前の埃に大量に曝露したが故の上述の結果である。

それはともかく、インテリ系古書店さんに提出する背表紙のデータ(下はそのごく一部)を改めて見て、「人は変わる」ということを思い知る。
自分は今や評論も、小説や戯曲も(まして「ユリシーズ」なんて・・、「ギイ・フォアシィ」って誰だっけ・・?)読まなくなった。「殺人百科」はコリン・ウィルソンの有名な本だと思うけど今ならコワくて決して近づかない。人間心理を紐解く本にもとんと興味がなくなってしまった。

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ちなみに現在の自分の二大読書は、「絵画の技法書」並びに「ビジネス書」だ。しかも前者はともかく後者はほぼ全て本屋の脇のスタバに持ち込んでタダ読みばかりなり。本の内容も本人も、随分と「実用的」になったものである。
本当は、年も押し迫り大掃除の済んだピカピカの部屋でくつろいでいてもいい時期だが(そういえば今は病的に好きだけど昔は掃除がキライだったな~)、本の山の中でしばし物思いにふける。

でも、ホコリで目が痒くなるごとく全てがつながってるとすれば、何かしら今の自分の血の中にもこれらの言葉の片鱗は漂い流れているのかしら。
別に全然流れてなくてもいいな。と思う程度に、自分は大人になってしまった。

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by zelan | 2017-12-29 14:49
2017年 12月 28日

靴を脱ぐ女

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知人と食事していた際、隣のテーブルの30代女子二人組のうち一人が、ほぼずっと靴を脱いぢゃってる…。足は靴の上にのっけたり、時に両方擦り合わせるなど動かしたりしていて、自分はそれが、きれぎれ聞こえてくる仕事や恋愛がどちらかといえばうまくいってないばなしを相互にし合い相互に慰めあうというよくある女子連の会話展開よりなにより気になって仕方なかった。そこでレストランを出た途端に知人にそのことを持ち出し、「あれ、男子が見たら百年の恋も醒めるよねー」と言うと、知人も「そうね・・・」と言う。

しかしながら。偶然隣になった人をあたかも非難する体になったことに多少居心地が悪くなったのもあるかもしれないが私はふと、気づいた。これを海外の人がやるのを見たことがない。知人に聞くとやはりないという。ということは、これは一種の「日本の身体文化」の現れの一つなのだ。
殆どの日本人が日常下駄や草履を履かなくなって久しいが、でもまあ家では靴を履かないというのも関係するのか、何かしら常時靴文化圏?の方々より公の場で靴を脱ぐということに対する抑制が低いのであろう。そう理解すると「なんか気が散るなー」と感じ迷惑がっていた自分のおむずかり気分は、すっかりなくなったのであった。


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by zelan | 2017-12-28 21:27
2017年 12月 27日

逆効果ならぬ順効果

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風邪を引いた私を気の毒に思って、友達が夕食に誘い出してくれたことがある。

「なんか違う・・もしかして逆効果なんぢゃ?」と思いつつ、重いからだを引きずって出かけた自分は、こじゃれたビストロででっかいステーキを食べさせられ、二人でワインを1本半飲み、その後更にバーでスコッチを一杯飲んで、随分と遅くに帰宅したのであった。

その間の話題といえば、日頃さほどグチっぽい方でもない自分の割に仕事上たまたまうまくいってなかった事柄についての泣き言を、目一杯他罰的に(つまり「私は全然悪くないんだけどね!!」という、何かまずい事態になった際、純粋にそういうことはほぼないようなことを)平気で言い募っていた。

朝起きて、昨日まで苦労していた咳が夜中中一回も出なかったことに驚いてしまった。
私の場合普通は咳は1週間以上も残ることが多く、急に消える、という体験はそれまで一回もなかったのだが・・。風邪は結局その日を境に治ってしまった。

どうも、体にいいとか悪いとかいうことは、一概には決められないようだ。決めようと頑張るのは頭だけど、からだは適宜適切に対応してくれているのである。

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by zelan | 2017-12-27 23:05
2017年 12月 26日

鹿の声

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以前さるイベントで有名な女性プロデューサーの人から、「いつ見ても鹿の感じ、バンビちゃんみたい」と言われた。なんだかうれしい。「バンビ」は私が3つか4つの頃その映画を見せに連れていったらめちゃウケしてころころ笑ったと言って、亡くなった父が後年までなつかしげに話していたし、まあバンビはオスだけどそんなことどうでもよろしい。

ふと思い出したが、どこかの動物園で鹿の檻の傍に寄っていったら中の子が突然鳴いた。そのあまりの哀愁ただよう声に感じ入ってしまったことがある。鹿って「ピーピー」と情趣深く鳴く。かぼそく繊細なニュアンスがある一方、非常によく通り、音量もある。これなら和歌にも歌われるはず。

妻恋ふる鹿のたちどを尋ぬれば さやまが裾に秋かぜぞ吹く(新古今和歌集 前中納言匡房)

妻を慕って鳴く鹿の声がしたあたりに行ってみると、(鹿はいなくて)ただ秋の風だけが吹いていたって歌ですね。

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by zelan | 2017-12-26 12:10
2017年 12月 25日

なぜ自分のやりたいことがわからないのか

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青春まっさかりの人のようなタイトルだが、自分のようにいい年をしてまだこういう感覚をどこかで持っている人や普段そうでなくてもそんな場面に陥る状況は、誰にでも多々あるような気がする。ある意味一生そうであるのが人間ではないか。

悲観的なのでなくつまりこういう仮説を自分は持っている。
人はやりたいことははっきりとあるのである。ただそれは多分に言語を越えるもので、またその企図に基づいて何かしたとしても現実世界に出力したときにもとの思惑から様々な要因でもって不可避的に大なり小なりずれてしまうので、それを実際に見て自分にフィードバックがかかる時に、そもそも非言語的である企図が「あれ~、なんだったっけか・・」となってしまうのだ。

例えば自分が正円的なるものを描こうとしているとしよう(それをはっきり正円と言語化している訳ではない、秩序とか循環とか自分の肉体に対するなじみ感とか総合的感覚としてのイメージみたいなもの)、で、描いてみると微妙に歪んで五角形っぽくなっちゃうんですね。それを認識した私は、ん~もう少しこいつを格好よくするには・・・と考えるうちに、取り急ぎ少しはもとより格好いいかもしれない六角形あたりを苦労して作ろうとする、と。その中で技術的障壁に悩んだり時により魅力的に見える新たなチャレンジなどが現れ、いつの間にか六角形どころかいぢり倒した三角形状のものができあがる。そうして元来目指していたものが、いつの間にか忘却のかなたへと去っているのだ。

別にいいではないか、という意見が世間の大半をしめそうな気がするが、実は私もそれでいいと基本的には思っている。最初の企図をもっとはっきり「せいえん!」としとけばいいぢゃん、という意見もあるだろう。だが言葉にすると小さくなってつまんないのである。

恐らくは、この、ありがちなフィードバック現象とそれによる絡めとられ現象について自覚しておくというのが若干の対応策となろう。自覚しつつ「もっていかれてあげよう」と思うならまだいい。自分が動かない普通の島でなくひょっこりひょうたん島に乗っているのは気づいていた方がいいんだから。
あとは、行先がたくさんあれば一見もっていかれているようで一応狙った行先のどれかに着いてる、というのもあるな。具体的な国名でなく「ヨーロッパ大陸」としておけば多少航海技術がアレでも海が荒れても、どっかには着く(途中で難破したり、アフリカやアメリカに着かないようには少し気をつける)。どちらかと言えば自分はこっちの戦略を取りたく思う。







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by zelan | 2017-12-25 17:17
2017年 12月 16日

年末雑感

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なんだか今年はクリスマスのディスプレイやイリュミネーションが例年程盛んでない感じがする一方、やたら街中に人が出ていて、泥酔したり騒いだりと活気づいているのを感じる。

なんらかの社会的・政治的状勢やら、気候その他の諸条件がこういう状況には絡んでいるものと類推する。その因果関係は凡夫たる自分には明確には見えないのだけれど、やはり一言でいうと年末状況一つとっても「所業無常だなあ」と思うのだ。数年あるいは十数年?に渡りどちらかと言えばバブリーな雰囲気のクリスマスがキリスト教徒でもない日本(の首都東京)に展開していたかと思うと、いつの間にか微妙に落ち着いていたりする。一方で昔は(ちょっと時期がずれるけど)ハロウィーンで仮装する人々などもいなかった訳で、やっぱり時代というか現代風俗というものはどんどん変わる。

しかしながら実質殆ど変わらないものが、人の心というものではないかと思う。誰でも孤独が嫌だと思ったり、たまさか何かが成功すれば嬉しいし、好きなことはやりたくて嫌いなことはなるべく避けたい。このあたり全然変わらないのにやっていることの見かけとか内容ばかり際限もなく変わっていくのである。考えてみたら人間ならではの、面白い現象であると思う。



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by zelan | 2017-12-16 23:52
2017年 12月 15日

駅の水モレのなぞ

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JRや地下鉄の駅で、しょっちゅう天井からの水漏れをビニール袋とガムテープと細い管とペットボトルという一種の標準化された水漏れ対応セットで処置してあるのを見かける。
なんで駅ばっか・・とある日ふと私は思った。地下水?の影響があるかもしれない地下鉄の駅のみでなく地上の駅でもばんばん漏れてる。

この話を知人としていた時面白い説が出たのだけれどそれは「そこで暮らしも泊まりもしないから」というものである。つまり建造物として防水機能が軽んじられているというのだ。確かに、家の寝室が漏れたら許せない。

この説が本当かどうか私にはわからない。同様にわからないことの一つに、こういう問題を憶測でうんぬんするのは単に時間の無駄にすぎないのか、それとも、脳の健康には(一種の脳トレとして)いいのか、というのがある。




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by zelan | 2017-12-15 22:24