原初のキス

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2017年 10月 22日

絵画は続く

絵画が終ったとか終わるとかいう議論はもう随分と昔からあるが、終わるわけない、とはっきり思うのである。
自分の定義によれば絵画とは人間の意識の転写、即ち外在化したものである。意識がある限り、そしてそれを外に表出したいと思う限り(これはヒトという存在の条件でもある)、終わらない。テクノロジーだの社会・政治情勢だのの変化はエンドレスだから、それに反応し続ける意識は色々と少なくとも表向きの変遷を遂げる。つまり論理的に言って絵画は終わらないはず。

別に絵じゃなくってもクリエイティブなものは多かれ少なかれ意識の転写ぢゃん、と言われればそうだけど、特にアナログの絵は物理的に可変性のある簡単に言えば流動的なるものを何かにすりつけたりして固着させるということにより成り立っており、この流動性と意識の類似性が高いが故に、意識の転写技法としてはかなり原初的なものであると思うのである。技法としての純度が高く、だからこそ、そう簡単に終わらないはずだ。

ところで、私が描画のツールとして筆を殆ど使わず、スキージとかせいぜいペインティングナイフとかを使うのみであるのは、この認識に関係がある。自分てば意識にせよ肉体にせよ、かなーりゆるゆるなものだ(つまり定位してない、常に動いているということですね)、ゆるゆるぐだぐだなものを、細い棒の先にふさふさのやらかいものがついてる道具(つまり筆)という、その長い柄ゆえにこっちの動きがてこの原理でもって簡単に何倍にも増幅されちゃうようなものでもって「転写」したくない、と思うのである。そこで「正確さ」を狙うのはかなり難しいではないか。スキージやペインティングナイフは自分の中心、言ってみれば骨格と結構ダイレクトに動きを連動させることができる、でも筆となるとそうはいかないよ・・・。

ん?ではなぜ多くの人が筆で絵を描くのかな?それはゆるゆるの自分にゆるゆるのツールをつなげる方が、ゆるゆる度合いをより繊細に画面上の出力に向けて制御することを要し、それができるようになったあかつきにはゆるゆるのしかるべき増幅によって真の人間存在たるものを豊かに描けるようになるからかしら・・・?

絵画が終るか終わらないかより、自分にはそっちの方がよほど興味深い問いのような気がする。


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by zelan | 2017-10-22 22:04
2017年 10月 21日

検索語はこれで決まり!

絵を描いていて困った状況になると、ネットで検索して解決策のヒントが得られることがあるので便利なのだけれど、昨今の問題としては絵と言っても即ちデジタルで作成するものに関する情報がやたらめったら多く、その中から「アナログ画」の情報を見つけ出すのに苦労する、というのがある。

これには正直かなり辟易していたのだが今日それを突破するノウハウを見つけた。自分が解決したい課題、例として「明度のメリハリ」(初歩的だなあ・・)の脇に、「油絵」と入れて検索するのである。私の描いているのはアクリル画だが、かなり共通する技法・ノウハウがあるため取り急ぎ問題ない。ぢゃ、「アクリル絵画」とか入れればいいのでは・・?と思われるかもしれないが、デジタル画は出力後にアクリル絵具等を併用することがあるのか純粋なアナログ画に関する情報が検索されないことがままある。で、「油絵」と入れるとキッパリ分別される訳。

これを思いついた自分、冴えている・・・と、本日密かに悦に入った。人から褒められることが仮に少なくても、自分で自分を褒めればそれなりに楽しい。これも結構ノウハウなのかもしれない。




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by zelan | 2017-10-21 21:31
2017年 10月 01日

細い線を描くならば・・・

前回の投稿に書いた同じ知人が、「細い線を描くならば、太い線を描いてそれを狭めていくのである!」とまたも断言している。
ん~、確かにそれは真実かも。少なくとも経験的に、彼の言っていることは、わかる。細い線を一発で武道的に描く方法もあるしワークするだろうけど、まず太くして細くする方が、一発描きに比べ薄味になるリスクは少ない。と言っても描いている当人の性格や制作上の企図がどっちに向いてるか、という要素も大きいが・・・。

絵を描いてるとどんどん絵を描かない人の認識からずれていくというか普通の人があまり考えない方面にいきそうな気がするが、しかし一方で、意外に昨今のビジネス書に書いてあるようなノウハウや知恵に、近いのかもとも思う。

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by zelan | 2017-10-01 22:58