原初のキス

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2017年 06月 25日

ものさしの目盛り

「1センチの絵を描こうと思ったらミリ単位の目盛りのついたものさしがいる」と作家の知人が言う。
論理的な言い方かどうかはともかくとして、この比喩が真実であることは疑いがない。ミリ単位で積み上げるからセンチになるんであって、ミリが認識できないセンスではいつまでたってもまともなセンチにはならないからである。

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by zelan | 2017-06-25 22:19
2017年 06月 23日

まじる日とまじらない日

不思議に思うことの一つに、私はサラダのドレッシングを自分で作るのだが(だって瓶に入って売ってるものの殆どが、豪勢なまでに添加物てんこもり・・・)、材料である酢、油、塩胡椒、マスタードなどを完全に同じにしても、素早く乳化していい感じになる時と、いくら混ぜても酢と油が今一つしっくりせず、味もいまいち、となるときがあることがある。ボールや泡だて器など使う道具はもちろんプロセスだってばっちり同じ、と少なくとも作っている本人は思っている。ならなぜ、まじる日とまじらない日があるのか。

結論からすれば、結局ばっちり同じにしてないからに違いない。気候などが関係しているということもあるかもしれないが、季節に関係なく起こるし、気候の関与より、自分の関与の方が大きいんじゃないかしら。

絵を描いていてもこれはよくある現象で、「この前このやり方でうまくいったのに・・・」とがっくりと肩を落とす、ことのこれまで一回もなかった人がいるとはとうてい思えない。つまりは何か、どこかで自ら知らずに違うことをやっているのである。

以前はこういうことが起こるたび上述のようにがっくりしていたが、最近はあまりがっかりせずに探偵モードを発動し、どこが違っていたのか・・を考えたり仮説を立てて検証するようにしている。そうすると、いつも使う紙でなく手直にあった少しだけ軽い紙を使っていたとか、そういうことが見つかる。もはやそういう行動をおこしたのは自分というより、なんかそこらへんの他人、みたいな感じがしないでもない。

この自分のようでいて自分でないような、合目的的でないこともままあるゆらぎがあるのが、生命体というものだろう。それにしてもこの生命体がまじったりまじらなかったりするドレッシング製造過程において何をしているのかは、いまもって謎なのである。

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by zelan | 2017-06-23 23:16
2017年 06月 09日

豆苗

先ごろテレビで豆苗は食べた後、根っこを水に入れておくと伸びて再収穫できるというのを見て、好奇心からやってみた。水に入れて暫くたつと色が異常に薄くなって、日頃いないハエやダニなどが突然部屋に現れたりしたので(今から思えば関係なかったかもしれない・・)、神経質な自分はおびえて思わず捨ててしまいそうになったが、それでも窓際に向けてぐ~っと斜めに懸命に伸びていったりするのがおもしろくて、せっせと水を変えて観察していた。ちなみに斜めになったら自分はあまり偏るのもどうかと思い逆の方に向きを変えていたのだが、30分もたたないうちに今度はまた窓の方に向かっていくのは驚きだった。こちらは親切のつもりだったが豆苗さんにとっては単なる迷惑だったかもしれない。

ともあれ、テレビでやっていたように10日ほどたつと立派に「食べられる」感が満載になってきた。しかしその頃には情が移ってしまっていて、食べるなんて、一度も宝くじを買ったことのない自分が一億円当ててやる、と思って宝くじ売り場に走るくらいありそうにない行動になっていた。そこで、宝くじ売り場ならぬ近所の園芸店に走り、元々99円だった豆苗さんを植える鉢及び土及び水はけのための軽石、豆苗はツルが伸びるのでそれを絡ませる棒を、計5500円程で入手したのであった。

で、土に植えて現在ベランダに置いてあるが、非常に心もとないことに、枯れてはいないものの今ひとつ元気がない。園芸など柄ではない自分だが、ツルを絡ませようと棒に軽く巻いてみたりとかしてるんだけれど、自分からは巻いてくれない。ぜひ生き残ってほしいので豆苗さんの健闘を心から祈るばかりだ。それに対して自分ができることがどういうことなのかは、よくわからないのだけれど。

これは少し何かに似ている。自分が美術で伸ばしたい筋があるとき、それがたまさか自らやり始めたこととはいえ自分とは別個の生命を持った存在であると感じることがある。私自身はそのものをまだすごくよくは理解していないのだが、わかる範囲で世話をする。そしてなによりその生命が永らえて、いつか花を咲かせたり実をならせたりすることが、心からの自分の希望なのである。






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by zelan | 2017-06-09 23:34
2017年 06月 06日

テスト(再録)

東海林さだおさんという有名な漫画家がもう何十年も同じ週刊誌で連載をしていて、以前と同じテーマでコマ割りやその内容までほぼ同じ、という漫画を書いてしまい、指摘されるまで気づかなかった、という話を聞いた。このブログは8年程やっていて記事も1000位あるので同じようなことを自分もいつかは必ずやってしまうと思う。

これはそうではないのだが、昔の記事で今の気分で読んでも納得できるものがあったので再録。

あーあ、という声がふと出たときに、側にいた知人にどうしたのと聞かれても

よくわからなかった。
ではテストをしてみよう、ということで、「ねずみとくまと、どっちが好きか」と
問われ、「どっちもいいとこがあるからどっちとは決められない」と言うと、
「あなたの問題は優柔不断なとこだ」、と診断された。
「じゃあそのテストの正解はなに?」と私。
「答えが一つだと思ってるとこもすごく問題だ」
だってさ。反論のしようがない。

今も自分はそういった風な性格のままである。

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by zelan | 2017-06-06 10:19
2017年 06月 05日

メールの範囲目標と広がる謎

毎日メールの受信ボックスを空にして寝る、というのが目標だったのだがなかなかつらい。達成できない日が1週間も続くと気持ちがグレそうになってくる。そこで10件以下ならOKということにした。
そうした途端、達成できる日が格段に多くなり、自分の精神はいい方に安定したのであった。

でもなんだか不思議、0を10にしただけなので、単なる難易度目線でいけばそんなに変わっていないんぢゃないのだろうか・・・。目標を範囲設定にしただけでなぜこんなにも達成確率と精神面の変化が起こるのか・・。

そっか、きっとメールの中には、「なんだか読みづらい」とか「返事しづらい(中を読んで即答できなければ未読に戻す)」みたいのがあって、そこが「0」の達成を難しくしてたのかも。

一方、残っているメールにいつも同じ顔触れが居座っている訳でもないので、範囲目標にしたときにそうした答えづらいものも、なんかの加減やタイミングでするっと答えているのだろうなあ。

結局ここでもまた、自分てなんなんだ・・という別の謎が浮上したのだった。
さらに自分て何、というこの問自体も問うに値する。いろんな条件がちょこっと変わっただけでそれまでと違う行動形態など無意識に発生するこの自分という一貫性のないプラットフォーム、そのようなものを我々があまり何も考えずに自分と呼んでいることに、どの位どのような意味で正当性があるかということである。





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by zelan | 2017-06-05 11:47
2017年 06月 04日

誘うこと

最近、自分の技法上のこととか生活の行い方などについてここ暫く(10年弱位)仕込んできたことが少しずつ安定統合されてきて少しうれしい。少し、というのは、別にそれで油断したりはしないからである。
進歩することはおもしろいが、進歩したなと思って別の角度から見ると「んー!?」と愕然としたり、あれこれしてそこから立ち直ったりするのもまたおもしろい。

ささやかなことでも完成や完璧を目指すというのは、致し方ない自分の性格上いつもなんとなく頭の中にはあるのだけれど、それを追い詰めるというような構えは意外に実用的でないことはもうわかった。
というより、それに遊んでもらいたくてちょっかいをだすような感じの方が、向こうが半身で振り返ってくれることがたまさか生じることが増える。それが自分の、いまのところの観察の結果である。


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by zelan | 2017-06-04 12:43
2017年 06月 02日

音を頭で膨らますの巻

昨夜寝る間際に、突然キッチンの方からドサッという重めの音がした。
おかしい・・・うちにはこんな体重70キロの男性が倒れるような音を出す何物も置いていないはず・・・。私はおそるおそる音のしたあたりを見に行った。何事の変化も見いだせず、ドアにチェーンをかけた(この行動の意味は不明。室内に不審な状況が発生している時は、むしろいつでも素早く逃げ出せるようにチェーンはかけない方がいいであろう)。

腑に落ちないまま、寝ようと思ってものを片づけるためにクローゼットのドアを開けようとすると、何かにひっかかってスムーズに開かない。見ると自分の愛用している超厚のA3ケント紙を何十枚か袋に入れて壁に立てかけてあったものが、倒れていた。

またも頭の中で想像を膨らましてしまったのだ。およそ2キロ半程度の単なる紙を、70キロ男性に膨らましたから、膨らまし度は重量にして約28倍、種族は別のものに変換している。

自分の能力というリソースを考えるとき、一番ダブついているのがこの膨らまし機能だ。本気でより芸術方面に展開しようとしているが、具体的やり方がわからない。なぜなら自分が膨らましを発動するのは主にはこわかったり不安を感じる物事に対してであって、芸術程自分にとって恐怖から遠いものはないからである。

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by zelan | 2017-06-02 10:43
2017年 06月 01日

ふたご

絵を描く友達が、「何かを描いたら必ず二つ組だ!」と声を大にして教えを垂れてくれた。
一つの絵の中に何か筆を置いたら、その筆触だったり色だったりの等価物を、必ずその絵の中の別の場所にも最低もう一つ存在せしめるべきであることを、述べている。

これは絵が最終的に統制され秩序だったものとして完成するための一つのプロセスであり、故に人間の視覚や認識の特性に経験的科学的に準じている事柄だとは思うけど・・・

自分には、ある種「存在」というものの哲学的思弁を喚起しそうな雰囲気を持っているステートメントであるところが興味深かった。

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by zelan | 2017-06-01 23:07
2017年 06月 01日

感覚の正当性

とある日々のことにイライラしていたある時、知人と雑談していて「何か間違ったことしてる気がする・・・」と漏らしたら、「それは正しい。地球に行こうとして火星に着いちゃったら、なんか違う感じがすると思うよ。」とのことであった。

この意見がたいへんおもしろかったので、いつまでも覚えている。

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by zelan | 2017-06-01 12:08