原初のキス

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2017年 04月 29日

本日の不思議

今朝ケーブルテレビを見ていたら、そこで「区民運動会参加者募集」という告知をやっていた。
運動会定番の種目が5つ位並び、応募枠は全体で100に少し欠ける位だったと思う。1000円だったか参加費も取る。
それまでぼ~っとしていた自分の脳細胞は急に回り始めた「いったいどういう人々がこれに応募するのだろう・・・」。

第一の仮説は中小企業や趣味のグループなんかがこのプラットフォームに「便乗」するというもの。主なロジを肩代わりしてくれて費用も安いのでその幹事?の目のつけどころは結構鋭い。次に小学校低学年とかの子持ちの夫婦が子供の身体強化や地域親睦の観点からいわば人間教育の一環としてこれに参加させるというもの。ここまで考えてはや仮説は尽きかけ、あとはかなり絞り出し系だけど、日頃のデスクワークで疲れているお父さんが、リフレッシュのため単独で自主参加というものだ(彼は居間でTVを見つつお菓子ばっかり食べている妻と中学生の娘もそれとなく誘ったが、断られた)。そのお父さんが、運動会当日、(内心家族が応援に来てくれることを期待しつつ)「おれ、今日区民運動会だから・・・」とさりげなく言って出掛けるところの絵まで頭に浮かんだ。ところでお父さんはどこで運動着に着替えるのかしら。全員分賄える更衣室が会場(区民センターかなにか?)にあるんだろうか・・・。

もとい、この開催自体は何か素晴らしい意図に沿っているような気はするけれども区民運動会に参加する人々やその動機というのは、やはり自分のように運動界からも地域活動界からも遠く離れている人間からは極めて不可思議なのであった。

ところで、「区民絵画展」といった公募なら自分には全然不思議でない。どういった人が出すのかもなんとなくわかる。なぜ区民運動会が不思議で区民絵画展が不思議でないのか。考えてみたらこっちはこっちで立派に不思議である。



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by zelan | 2017-04-29 21:54
2017年 04月 27日

壊れない(多分)

道を歩いていて古い建物を見つけるとよく、「壊れる!壊れる!」と騒いでいる、と知人が言うのである。そんな癖が自分にあるとは知らなかった。ただ、意識してなかっただけでさもありなんという感じ。なぜなら自分はこわがりで極度の心配性なのである。

最近もNK方面とかTとかの関係で頭からBが落ちてくるのではないかと非常に心配している。具体的手が打てないのでこういう心配の意味は殆どない。はっきり言って疲れるだけだ。これから選挙に立候補して政治家になったとしてもことの進捗に影響を及ぼす程速やかに出世するのは無理だろうし。

2ちゃんねるで心配性スレを眺めてみた。例の灰色の地の上にどちらかと言えば黒い言葉が渦巻いていることの多いこの場所だが思ったほどでもなかった。皆、人に攻撃されるのがこわいのか、節度を保っている。
しかし私が驚いたのは、そこがあまり黒くなかったことではなく、自称心配性の方々のこわがるもの、行動原理、やることなすことや避けること、思考の展開方法などが、まるで分身を見るがごとくに、私とそっくりなことだった。

不思議なことにそれから私の心配性は、ごくわずかではあるが(3 ppm位)、薄まった。
その理由を考えるに、自らの心配性を少なく見積もって「個性」とか、いやもっと正直に言えばある種の「表現」ですらあるかもしれないというおごった評価があったのかもしれない。実は単にDNA的に規定されているだけなんじゃないのかしら、でなければこんなに没個性的に似ている訳はないではないか、という現実的認識が生まれて・・・。

つまりは少々白けたのである。







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by zelan | 2017-04-27 22:19
2017年 04月 22日

ルーチンの心理的攻略法

ご多聞に漏れず、定常的管理業務や作業的業務があまり好きではない。
人は少しムリめのことを好むらしいのだが、いわゆるルーチンはやればできるのがわかっているため、簡単すぎると思って脳が退屈してしまい、今一つやる気 がでないのである。ただこの「少し」というところが重要で、難しすぎてもいけない。完全にできる部分を半分位孕みつつも、あとの半分がチャレンジング、という事柄が人を燃えさせるとのことだ。

そこで私は考えた、というか、無意識にやっている内に気がついた。ならば作業の成果物自体が同じでも、ちょっとだけムリめ方面にプロセスのハードルを上げればよい。

例えば請求書を書く。まず、ほんの少しの回り道もせず目的のフォームホルダーにたどり着く。日付けの書き換えや内容の記述において、タイプミスして訂正、などという不注意かつムダな動作は皆無。文章は簡潔至極、フォントの隅々に渡るまで神経を行き渡らせる。もちろん明鏡止水の心持ちで座禅中のごとく姿勢も一切崩れない。

・・・ハードルを上げ過ぎた。ということでこの中の大体3コ位をターゲットに、次のを書く、といったように。

目指したムリめにいきなりトライすることもともかく、この「ムリめレベルを調整する」、ということ自体がおもしろく、自分としては一挙にルーチンの苦痛感が崩壊していい手であった。なんかこれ、やる気の調整に色々と使えそう。ちなみにこのムリめレベル調整には、時間軸も使える。作業時間半分、みたいなこと。もし作業内容自体を変えないとすれば、前述のちょっと瞑想ぽい方法よりどちらかと言えばスポーツみたいになる。

でも、こんなことおもしろいと思うなんて自分くらいかしら。汎用性という点においては若干疑問が残る・・・。




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by zelan | 2017-04-22 11:03
2017年 04月 20日

視覚の易刺激性

「意を決してとうとう、橋渡っちゃったんだよね~。」
「どこの橋?」
「あ、間違った。川! ルビコンの・・・。」

と、いう会話を興奮気味に知人としている私が何のことを言っていたかというと、近所にトランクルームを借りたのである。ルビコンを持ちだした理由は、少なからぬ固定費が毎月ダダ漏れなのに、詰めとくだけでは1円の利益も生まないから。それで暫く迷っていた。
ともあれ、目的は、「視覚資源の拡大」である。大型の額縁とか描きかけのパネルやカンヴァス、必ずしもいつもあるいはすぐに使う訳ではない画材等々が大量に置いてあると部屋の中を動いたり掃除したりするのが多少不便になるが、それはさほどの実害ではなく、実害は部屋よりも脳のスペースを取られるということ。視覚に入ると考えたりそれまで考えてたことが干渉されたりする、自分は視覚の易刺激性が高いのである。

「でもさ、そういう性格を直した方がいいんぢゃない、キリないよ・・・。」と私がまだ検討中だった頃に件の知人に言われた。それはもう絶対に真実だ、と私の理性は言っている。アインシュタインを筆頭に、世の中で大事を成した人の机や部屋は豪勢に散らかってるというではないか、目に入るものごときで感覚や感情がふらついててどうする・・・(だからといって自分はそこまでの偉業を成そうとは思ってないけれども)。

という罪悪感があるせいか、ゴミ屋敷に暮らす(暮らせる)人々のことがかなり気になる。
知り合いの一人などは、「私がためるのは無機物のゴミの系統で有機物ではないから清潔」みたいなことを自慢気に言っていて、そういう分類軸を自分で打ち立てるのはすごいと思った。
前にこのブログでも書いたゴミの話はこちら です。

ともあれ、本当にキリがないのか、少しは落ち着いていくのかはこれからの実験。


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by zelan | 2017-04-20 16:32
2017年 04月 18日

かなえちゃいけない夢ばかり

しばらく前にあるお笑い芸人の方が、子供に対して「必ず夢は叶う」と教えるのは現実を誤認するのでよろしくないというような意見を述べられたことについてTVで話題になっていた。
私の考えでは、夢は叶う、という言い方をする際大抵は、言ってる当人がよほどニューエイジ方面の方でなければ、しかるべく努力を続けしかもあきらめなければ、という条件が言外にこめられている気がする。だとすればどちらかと言えば自分は「夢は叶う(ことが多い、論理的に)」派である。ソニーのファウンダーの井深大氏にも、「成功のコツは成功するまでやること」という言葉があった。

実は個人的には、「夢なんて叶っちゃったら結構困ると思ってる派」を立ち上げたい。
本質的に欲深い人類というものの持つ夢とは即ち夢という名前をまとった欲であることが結構ある。ならば夢は叶うか叶わないかより、どういう「夢」なのかが真に重要なのである。叶ったら自分のためにも人のためにもなる夢なのかどうかをまずすごく気にした方がいいような気がする。

叶えちゃいけない夢をものすごい勢いで強烈な努力とブレなさと人をも巻き込む統率力で叶えちゃってる人々が政治だろうが三面記事だろうがたっくさんいる。夢即ち欲になりがちなことに関して言えば、叶わない方がいい夢がかなり幅を利かせているな~コワ!、というのが、最近の自分の感想。

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by zelan | 2017-04-18 22:50
2017年 04月 17日

信じることの微妙な位相

世の中には何々を信じろという言説が少なからずある。その大抵の事案について、ふ~ん、と冷たい目をしている自分がいる。何かを信じろと言っている割に、その根拠が至極希薄なことが大半だからだ。人間は本質的に素晴らしい存在なんだとかいう言い方がままあるが、元々はさほど素晴らしくもなくて素晴らしい存在にしていく責任が人にはあるのではないか、というのが私の考えだ。

一方多少似た言い方なんだけど自分の美術の先生に「作家たるもの根拠のない自信を持ってないといけない」と言われた時はすぐさま納得した。

なぜならこれは自信を持つというその選択をするかしないかの意思の問題で(だって根拠に依拠しないのだから)、それがつまりは戦略的(そして名声を成したこの先生にとって恐らく経験的)にはワークするのだ、とおっしゃっているからである。


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by zelan | 2017-04-17 23:22
2017年 04月 17日

あくび

診察室に入ってきた女性が、「最近、夕方になるとあくびが連発して何十分も止まらないんです。」と訴える。
「睡眠不足なんじゃないんですか。」と医者。
「寝てます。」
「どれ位?」
「このところ1時半に寝て起きるのは8時です。」
「それ結構足りませんけど。もっと寝てください。」
「そうですか。わかりました。」
帰りかけた女性はドアの所で踵を返し、
「あのー、あくびってどんどん出るとき、そのまましててもいいんでしょうか。我慢しなくていいですか。」と問う。
「脳が若干酸欠になってる状態なので、したければしてください。」
「そうなんですね。わかりました。」

という会話を行きつけの漢方医のところで交わした話を友達にしたら、あきれられた。
つまりこの女性というのは私である。こちらとしては東洋医学はあくびについても何か驚くべき見解を持っていて、それを私に教えてくれるのではないかと期待していた。また、咳で体力を失うと同様あくびもしすぎはいけないのではと心配していたのである。

こんな風に神経質を絵に描いたような自分だが、もはや宿痾といっていい程のアレルギー性鼻炎が最近多少悪化して耳鼻科で薬をもらってきても、まだそれを一回も飲んでない。西洋薬に対する不信感もさることながら、「自力でなんとかなるのではないか・・」という探求心がある。そしてなんとかなりつつある。

あくび談義にしても買って飲まない薬にしても、私がコンサルであればこのあたりの精神的時間的金銭的ムダをリストラすることを真剣に勧めたいところだ。でもやり方がよくわからない。それにもしかしたら、こういう性格上の(消費)エネルギーは何か別の価値あることに転換しうる可能性を秘めているのではないか、と、少しだけ思っているのである。(それを期待しつつ、既に数十年が経過。)








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by zelan | 2017-04-17 13:47
2017年 04月 16日

モテない理由

先日読んだビジネス書にロジカル・シンキングの限界を記していた箇所があり、そこでモテないことに悩む男性がなぜモテないのをロジック・ツリーで分析するという例があった。
推察の通り、これはもう大変に複雑な要因が掘れば掘る程深く際限なく広がっていく訳であって、自分がこの人だったらやっている内に絶望する。

全く笑えないのが自分もかなりこれに似たロジックツリー的分析を不用意にしてしまい、枝に絡めとられて何が幹だったかそもそも何が目的だったかがわからなくなるときが多いことだ。ロジック・ツリーには原因を探るWHYツリーや解決策を探すHOWツリー、要素分解するWHATツリーなどがあるようだが、個人的にはWHYツリーは殆ど使わず(これはこれで不思議)、もっぱらHOWツリーやWHATツリーが多い。こういうテーマのものをこういう技法で創らねば、などという制作のアイデアなどもこれらの類だが、化け猫みたいに9回生き返っても創りきらない位たまっており、しかも日々増え続けていて、この中の枝と小枝を5本ばかり選んでやれば人生それで充分だと思うのである。
どちらかと言えば頭の使い方が細分化かつ発散化していくのでこういうツールは向いてないかもしれない。

ところでこれまで自分が個人的に知っている立派な仕事をしている経営者の方々には皆共通点があった。
口を揃えて、「基本の状況が確認できたらやることは2つ、3つ、あるいはひとつまですぐに絞る。それ以上の選択肢は考えない。間違う可能性はゼロではないがそれでもかまわない。」というのである。どうやって絞るんですか、と問うと「直感で」とのことだ。直観はどこから出てくるんでしょうね、となぜなぜ5回のようなことを更につっこむと、「経験から」という。

つまり木じゃなくて機を見てすぐに動いて経験値を積んでいたのである。


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by zelan | 2017-04-16 23:13
2017年 04月 13日

笑える

アレルギー性鼻炎である。今年はかなりやられております。
で、ネットで対策など検索していると、「アレルギー性鼻炎で苦しむ女性」「アレルギー性鼻炎で苦しむ男性」の写真素材、というのがわんさかヒットする。画像サイズの大きさに応じ1枚いくら、などと値付けされてる。

そんなものが素材化して商売になっていたとは。知らない内に社会に貢献して(か、利用されて)いたよ・・・。
と、力なく笑っている自分。笑うのは薬になるらしいので、期待してみよう。


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by zelan | 2017-04-13 20:24
2017年 04月 09日

夜の頭とパンと寿司

パンと寿司は、いずれもかなり世界に広まっている一方、卒倒するほどおいしいものはヨーロッパと日本にほぼ完全に集中しているという共通点がある。味に関して言えば、あまりグローバル化していないようだ(異論・例外はあるかもしれないが、世界を股にかけている知人もそうだと言っていた)。素材がシンプルなことが逆にこの非グローバル化体質、といったものに関係しているかもしれない。う~ん、でもどうして・・またその他にも、何か色々と文化的・生理的複数要因が複雑に絡みあってるような気もする。

ところで自分の多々ある悪癖のひとつに、朝起きてもすぐさまベッドから出ず数分から十数分ぐだぐだとそこに留まりどうでもいいようなことを考える、というのがある。昨日あったことを思い出したり、某国の為政者の行状について全世界的影響からすればどう対応策を展開していくのがいいのか(政治家ではないためなんの影響力もないのに)様々思いめぐらしたりと、ムダなことこの上ない。
かねてからこの時間を最小化したいという希望があった。しかし最近、朝がばっと起き上がるのはあまり体によろしくないということを聞いて、ではこの時間をどう有効利用するのか、と考え始めた訳である。で、編み出したのがこの答え。

寝る前に自分にお題を出しておく。その答えを起きたらベッドの中で確かめる。

キテレツなことを言っているようだが、脳科学的には正しいらしい。寝ている間は脳の配線が色々と交錯し結構クリエイティブな状態とのことで、これを利用しない手はない。確かに自分の経験によれば、問いが何であれ「朝答えがでる」確率は相当高く、この有料ソフトやサービスを使うべきか、とかこの行き詰っている絵をどう展開するか、などは比較的ぱっと答えがでる。観察してみると、単純な二択的事案よりも、むしろ色んな要素が絡み合っている問への解決案や、それどころか問そものがこれでいいのか的な難しい状況にヒントが得られたりする。朝の答え出しにとって、問題の関連要素が多いか少ないかとか、問題そのものが正確精密に定義されているかどうかとかはあまり関係ないらしい。つまり昼間起きているときうんうんうなって苦労しても進まないような問題も得意。

ということでパンと寿司の反グローバル問題を寝る前の質問にしてみようと思う。その前に片づけたい問題はこれ。

絵の制作においてどうして同じような過ちは何万回も繰り返せるのに、うまくいったものの再生は非常に難しいのか。

この現象に際してはなぜかトルストイの「幸福な家庭は一様だが不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」とかいう言葉を思い出してしまうが、大体この連想って正しいのかしら。だとしたらどういう繋がりで思い出すのか。これも寝てる間の頭に聞いてみよう。




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by zelan | 2017-04-09 17:19