原初のキス

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2017年 03月 28日

やる気の不思議

人からは比較的よく聞くのに自分では滅多に使わない言葉というのがあってそれは「モチベーション」である。
個人的な感覚なのかもしれないがモチベーションが出るとか出ないとかあるとかないとかが話題になるとき、結構その人本人の気持ちというより他人や環境についての関係要素を伴っている状況がかなり多いような気がして少々違和感を覚えるのである。あたかも自分のことのように話しつつ実はそうでもない、みたいな。

一方よく使うのが「やる気」という言葉。人にはあまり言わないが、内心「やる気がでないにゃ~」とかなぜか猫語でしょっちゅう考えている。反対に、「今日はやる気があるぞ、しめしめ・・」とか。やる気というのはモチベーションより諸行無常度が高い。同じ事柄についても時によりあったりなかったり平気でする。そのあたり、モチベーション程に重みのないところが好きなのかもしれない。

ところで茂木健一郎氏によれば、「やる気」とはやらないことの言い訳に使われることが多く、そもそもやるべきことに向き合って淡々と進めるにはそんなものをあてにする必要などないそうだ。
なるほど・・・やらない言い訳にやる気(のなさ)を持ちだすとは自分に関してはまさに図星だ。
そして、やる気なんていらないのだ、と言われると俄然やる気が出てくる。このあたりがやる気の不思議なところのような気がする。

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by zelan | 2017-03-28 20:04
2017年 03月 28日

効率は欲望に左右される

日本人の生産性は最悪だと言われておりあながち間違っていないと私は思っている。
よく言えば速さより質を、あるいは時によって質より人間関係や空気を優先するので、生産性という「結果」を重視する観点からはそうなってしまう場合が多くなるのではないか。

一方、閉店間際になると、それが飲食店であろうとデパートであろうとその他のサービス施設であろうと働く人々が打って変わってやたらテキパキするのを自分は数多く目撃してきた。
先日ある美術館のカフェでお茶をしていたら、閉店15分前にウェイトレスさんが席に来て精算させられ、5分前にそろそろ・・と言われ、「なんか追い出されてる・・」と腑に落ちない思いと共に店を後にする羽目になった。段取りが過剰によろしい。
こういうことがあると、別に日本人効率悪くないじゃん、と思う。結局早く帰りたい、という単刀直入な欲望が効率即ちお客を追い出す結果を得るための生産性を押し上げている訳だ。

私は日頃自分の効率が今の3倍位になるといいなー、と漠然と夢想しているが、そのためには効率を3倍にしたいと願う動機そのものを、確認、深堀り、あるいは開拓しなければならないのかもしれない。


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by zelan | 2017-03-28 00:14
2017年 03月 26日

流血探偵

今朝制作していて左手の薬指あたりが真っ赤になっているのに気づいた。赤い絵具は使ってない。出血である。
実は昨日も、中指から血が出るという事件があった。よく見たら指の側面に7ミリ位の細い傷がついていた。どこで切ったかわからなかった。
昨日は中指、今日は薬指、二日続けては異常だ。薬指の脇に昨日と同じような線状の傷がついている。自分は大いにあわて、もしかしたら指先がどんどん切れるという新種のビョーキにかかったのではと思い、グーグル検索に走りそうになった。でも昨今乾燥しているせいで、皮膚表面が弱くなって自然に切れちゃうのかも、とこれはこれでさほど現実味のない仮説をたて、傷の方はティッシュで押さえてやりすごす内に血がとまったので、そのまま制作を続けた。でも私の探偵チックな灰色の脳細胞は密かに活動しており、その後この奇妙な現象の原因がわかったのである。

私はこのところ木製パネルを支持体に使っている。木製パネルとは木枠に板を張ってあるものでいわゆるカンヴァスのような形態をしているんだけどカンヴァス地部分が板になっていると思って頂けばよい。普段は技法の都合上作業台に平置きしてその上で作業しているのだが、そこから下ろし、椅子や壁に立てかけたりして遠目で全体を見ることがある。作業台と床の間を作品はしばしば行き来するが、その際、木製パネルの縁を両手で持って移動する。その時に指がパネルの縁を数センチばかり滑って、折からの乾燥もあるんだろう、指の側面が切れるのである。

自分はこのことに、まさにその動作をした瞬間に気がついた。昨日と今日切れた場所は検証するとばっちり板の角にあたるところだった。紙の縁で指を切る時などは紙の厚みが薄いせいか切れ味よくまた深く切れるのかえらく痛くてすぐ気づくけれど、板の場合ややそれより鈍角で皮膚の中にも入りづらいせいかすぐには気づかないんだろう。紙よりは浅く、幅広の傷・・で、少々遅れて流血の事態に驚かされるという訳。

それに気づいた途端、溜飲が下がると共に若干文脈は異なるかもしれないが私がこの世のあらゆる名言の中でも最も好きな、中国の古い言葉、「耳は忘れ. 目は移ろい、行なえば悟る」を思い出した。

もしググってたら毎日のように指先が切れる的な奇病を発見して無駄にびっくりしてたかもしれない。
やっぱり実際動いてみることで真実が現れることが多いのだなあ(しみじみ)。

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by zelan | 2017-03-26 22:36
2017年 03月 24日

プロセスを創る

自分はビニール製のマスキングテープ状の素材で孔版を制作し、それで版画を作っている。これが緑色なのだが、ときどきそのかけらが髪の毛や服などについているときがあり、人から「何かついていますよ」と言われると即座に「あ~、緑色の?」と返すのでぎょっとされる。だって人が親切にも何かついてると教えてくれるとき、およそ9割の確率でこれなんだもの。

もとい、紙や板などの支持体にこの孔版を貼りつけるとき、支持体がざらざらしていると孔版が充分に粘着せずその隙間に絵具が入り込んで作りかけの作品はオシャカになる。ジェッソ(地塗り剤)だけを平滑に塗った紙や板であればそんな故障モードは起こらないが、それだとそっけないので、地塗りだけでなく諸々の絵具を色んな風に塗って適度に味がありつつ十分に平滑で、孔版の付きもばっちり、という地を創らんとす、なのだが、これぐらい微かな凹凸なら大丈夫なはず、という読みはしばしばはずれ、凹凸の程度の微妙な差かあるいはその他の未知のパラメーターが異なっていたのだろう、立派なオシャカが発生する。実際一昨日一日かけて創った地にも昨日の朝それが起こった。版を剥がすとフチに絵具が入ってしまっていてびしっといくべきエッジがでこぼこである。7時間及び5千円位のリソースが宙に消える。

ちぇっと思いながらも、もしかしたら毛が三本足りないのでは、と思うほど失敗に耐性がある自分は同じ大きさの板を出してきて、今日こそは平滑かつ味のある地をものにしよう、かつその手順も多少は標準化するぞ、と、手順メモをとりながら作業を進める。目的自体はシンプルだったが、以下の紆余曲折をたどる。

1.支持体の集積板に水でかなり薄めた銀色の絵具を筆でランダムに塗る。
2.少し暗い色味を求め黒のスプレー。
3.不透明な白を太い筆で叩くように塗る。
4.乾かしてから銀と白をまぜた薄い絵具で塗る。
5.その後透明な白を筆で叩く。様子を見て控えめに水をいれた不透明な白で更に叩く。
6.扇風機で乾かしながら、水っぽくした白を筆で平滑に塗り、濃淡など全体の調子をみながら部分部分に加えていく。
7.少しだけ銀に白まぜたものをステンシル用のスポンジで叩くように塗る。よさそうだったが下の乾いていない部分に企図に沿わないムラができ、修正を試みたが直せず、泣く泣く濡れ雑巾で全体を拭き落とす。(上記の4位の状態に戻る。)
8.濃淡のバランスをとるため黒スプレーを薄めに吹く。
9.その後複数のメーカー違いの白にそれぞれ少しだけ水を混ぜて筆で叩く。
10.銀とパールホワイトのスプレーを画面上下から拭いてグラデーションを施す。
11.ハイグロスのニスを塗って地を仕上げる。

そこで私は思った。これらのプロセスを省みるに、またできあがった結果をみて、途中横道にそれたり効果的でなかった手順を除いて本質のみにそぎ落とすならば、つまりは以下の通り、という仮説が成り立つ。所用時間は恐らく10分の1以下。

リーンな標準プロセス(の、仮説):
板に薄い白か銀を塗り、その上に薄い黒を絵具かスプレーで(反対色が下にある方が上の色が映える)。透明・不透明の複数の白に少し水を混ぜたものを筆で叩く。全体が均質になったら上下から銀と白系のスプレーでグラデーション。ニスで仕上げる。

さて、この仮説の検証はまだやっていないが、次この手順を参照して行う際、かなりの場合において少しだけ違うことをやりたくなったり気づかずに未知のパラメータ領域に進出し、その対処に苦労するであろうことを経験的に私は知っている。以前ジェッソのメーカーを変えたら、また同じメーカーであっても粒子の大きさの種類を変えたら、あるいは絵具の微妙な経年劣化が目指すところの効果が得られなかった負の要因だったこともある。
ただものを創ったりするのはかなりの処、そういうことだ。形としては作品を創っていても言ってみればプロセスを創っているのである。プロセスをあれこれ試みていく方が個々の作品を創るよりある意味面白い。
効率だけを問題にするのであればともかくとして、少しずつ違ったことをするというノイズを皆無にしてはつまらないのである。


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by zelan | 2017-03-24 13:18
2017年 03月 17日

あなどれない・・・

先日、さる駅ビルの中を歩いていたら、小学校にあがるかあがらないか位の男の子を連れた家族とすれ違った。落ち着いた物腰の夫婦の傍らで、息子の方はえらくくったくたと動きまわり、かわいいことはかわいいがせわしないことこの上ない。視線を空にさまよわせながら1メートル進むのに3メートル分位動き、親にたしなめられている。

そこでの用事を終えて別の所で夕食などもとり、家の近くを歩いていると、なんとその親子が向こうからやってきた。偶然近所に住んでいたらしい。すれちがいざま、件の男の子が私を見て、小声で「あっ、さっきいた人!」と言ったが、母親が「何いってんのー、違うわよ」と即座に否定したのを私はしっかり聞いた(いくら暗かったとは言え完全に否定されてしまった・・)。そして、くったくたしてた割に周辺視野でしっかり自分を認識することのできていたその子を、自分は心底尊敬したのであった。なかなかにあなどれない鋭い観察力である。

人間がものを認識する力というのは面白い。全然意識的に見ていないようでも感覚が開かれていて多くのものを受け止めていることもあれば、凝視してるつもりでろくに見てないこともある。近所に散歩に行って帰ってきたら、お風呂に入って出てきたら、朝起きてみたら、などたったそれだけのことで、自分が何日もかけて描いてきた絵の致命的欠陥がまるで日の丸の旗の赤いところのように中央にでんと鎮座しているのを見出したりすることがあるのが前から不思議だったが、要は描いてる間はそこのところは見てなかったのである。
まあ見てなかったことを見るようになるとか、意識してなかったことを意識するようになるということが、ゲージュツの醍醐味ではあるけれど。

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by zelan | 2017-03-17 22:49
2017年 03月 10日

泡立てネットあるいは資源枯渇時の本領発揮について

泡立てネットという存在には以前から疑問があった。
私は空間がすっきりしている方が好きなので、台所のシンク回りにも、ほぼ毎日使う塩・胡椒や洗剤すら出しておらず棚にしまってある。空間を占めるものについてはリスク・ベネフィットを非常に真剣に考えるたちだ。ちなみにこの場合のリスクとは、何かしようとする際に目に入って無駄に気が散ることである。

そういう訳で形態的になんだか目障りな泡立てネットを進んで買うことはなかったのだが、たまたま洗顔石鹸を買った際にそれがついてきて、「捨てる前に・・・」と思って使ってみたら泡がむくむくたって面白かったので少しの間家においてあげることにした。
浴室の壁に、目立たないように透明のなるべくちいさい粘着式フックを買ってきて貼って引っ掛け、そしてそれはいまだ家にいるのである。

何かが自分の空間を占めることにかくも狭量な私が同居を許しているということはそこそこ気にいってはいたのだが、その本領発揮を目の当たりにしたのは使っていた液体ソープがほぼなくなったときだった(ポンプを押しても殆ど出なくなった状態)。ふと思いついて水をボトルの四分の一位入れて、うすうすの状態にし、泡立ててみるとフツーに泡立った。そんな風にしてからもう二週間も使っている。随分とトクをした。

話がえらくせちがらいことはともかくとして、ものの働きの本質がわかりやすく発揮されるのは関連する資源が枯渇したときのように思われる。
思えば俳句だって使える文字数枯渇時の言語の象徴作用の本領発揮だ。

話が飛んでしまったが、泡立てネットはおすすめ、という実践的報告でした。

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by zelan | 2017-03-10 09:35