原初のキス

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2011年 12月 31日

どこに

サンセールは好きなワインだ。この地方の土壌には貝がらが含まれていると最近知人に聞いた。だから、サンセールには少し貝がらのような香味がある。

どこに生きているのか、っていうのは、重要だ、ということ。
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by zelan | 2011-12-31 21:18
2011年 12月 26日

お犬のフレキシビリティー

うちのチワワは、スワレ、フセなどお犬の一般教養的なものを始め、数えてみると16個ほど私の言葉を理解する。中にはオヤスミ(というと自分のざぶとんに行く)とか、アウト/ハウス(前者は今いるところから何かの境界を超えて向こう側に移動すること、例えば隣の部屋に行くとか。ハウスはその逆で向こうからこっちにくる。)という比較的複雑な意味内容を持つものもある。

先日思い立って実験した。スワレという同じイントネーションで別の言葉を言ってみる。「ピラメ」とか。これはばっちりほぼ即座に座る。「ピラーメ」と言っても若干とまどうものの座る。等々と色々な言葉を言ってみて相当フレキシブルに判断し座ってくれるのがわかった。

音節の数やイントネーションの、ある範囲での相似性がそうさせるのか。
というのは実はまちがった仮説だった。じっと目をみつめても、座るのである。

犬が人間から読んでいる情報は、単純ではない。それは彼女がそのとき私に対して持っている期待や願望とも関連してるのだろう(何かくれそうだ、とか)。人間だって身体言語の解釈能力は相当のものだけれど、言葉がそれをむしろ邪魔している感じがする。
一方、芸術は表現しているものをはっきり言わない。ていうか、あからさまにはっきり言っていて、制作者の主張ばっちり実現、あてている、というものはおもしろくはあるものの(最近はやりだし)いいかどうかっていったら微妙だ。ほんとにいいものって、大声で叫んでいるのに何言ってるのかわからない感じがするんじゃないかしら。だってそういうことこそ、すごくおもしろいんだもの。
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by zelan | 2011-12-26 19:37
2011年 12月 25日

まちがう

クリスマスイブという自分にはなんの関係もないものを忘れていたが故に、えらく失敗してしまった。エスパス・ルイヴィトンでやっている展示が終わるので見に行ったのだが、原宿から表参道に向かうあたりの道が超々人ごみで1メートル進むのに30秒くらいかかる。人は多かれ少なかれ、人と同じ行動を取るということを甘く見ていた自分に対し、少々反省モードに、入る。
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by zelan | 2011-12-25 01:48
2011年 12月 23日

求める

個々の芸術作品が豊かであらねばならないのは言うまでもないけれど、そこには一種の貧しさがあることも必須だ。つまり絞りに絞るということ。貧しさの極致が豊かさに転じる、その一瞬を皆血道をあげて追い求めている。
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by zelan | 2011-12-23 23:05
2011年 12月 23日

めづらしく集めている(その11)

個人的な知り合いの言葉、「直球にまさるものなし」。
大勢において、ほんとにそうだと思います。
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by zelan | 2011-12-23 22:08
2011年 12月 23日

かぶりの恐怖

品川駅の売店にすごい飾りが置いてあった。40センチくらいのクリスマスツリーが「くま」をかぶっている「しか」(トナカイかも)をかぶっている。説明がすごくむずかしいが、ツリーの上の方にくまの顔のぬいぐるみをかぶせてあるのだけど、よく見ると円っこいくまの耳の下の方に穴があいていて、そこからしかの角がにょきっと飛び出しているのだ。だから、まるでツリーの顔のようにみえるくまはその下にみえざるしかの顔を隠しており、しかもそのしか自体がツリーにかぶられている訳で、まねきねこダックなんかの場合と違って、かぶっているツリーはそもそもいわゆる「動物」ですらないというこの二重三重のホラーな状況・・・・。

それにしてもどういう訳か、こういう不気味な飾りを見ると「日本的だなあ」と思う。携帯にいろんなマスコット付ストラップを10個ほどもぶらさげて、場合によっては携帯よりでっかくまた重そうになってるのを見たり、丁度今日目撃したところでは、自動改札機で(またも)「くま」型のふかふかのぬいぐるみみたいなものをあてている人(中にSUICAが収納されてるのだ)、それから背中に「くま」の(またか・・)格好をしたリュックを背負っていてそのくまが更にリュックを背負っているそのリュックだけにものが入るようになっていたりする人を見ると、状況を言葉で説明することの限界を感じるとともに、ささいなこととはいえなんで世の中こうなっているんだろうと、不思議になる。

もとい、これらの現象が「日本的」と感じることはまだ十分な分析ができていないので、考えていきたいと思う。フリンジなことに走る、というだけでは説明しきれない、DNAに組み込まれているかのようなある種の情熱、あるいは狂気めいたものを、感じるんだもの。
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by zelan | 2011-12-23 01:46
2011年 12月 22日

衝撃

千住博氏の作品のすべてが手放しで好きという訳では正直ないけれど、先日本屋で作品集を手にとっていたとき、なんだか愕然とした。つまりそれはとても美しく感覚を楽しませるものだったので、美術は美しくってもいいんだ、と今更になって強烈に実感したのである。
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by zelan | 2011-12-22 01:08
2011年 12月 20日

めづらしく集めている(その10)

元国連事務次長の明石康氏がテレビで、「失望はしても絶望はしない」、とおっしゃっていたのが記憶に残っている。もうどういう文脈だったかも定かではないが、何かに対し関係を持ち続けるとすれば(それが人であれ国家であれ制度であれ)、失望しても絶望しないのが、必要かつ実利的なことだろうと納得したが故に、よく覚えているのだ。とはいえ何かに絶望してちゃぶ台をひっくり返した方が、微妙に失望したまま中途半端にエネルギーためてるよりいいこともあるかもしれない、と思うときが、自分にもごくまれには、ある。
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by zelan | 2011-12-20 20:59
2011年 12月 19日

めづらしく集めている(その9)

リヒターの言った、芸術は希望の最高の形態である、ということ。
人間が持つ希望の、そしてまた人間に対する希望の、最高の形であることに疑いはない。
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by zelan | 2011-12-19 11:02
2011年 12月 18日

かおりとことば

自分は入浴剤を浴槽に投入するときに、そのかおりが何のかおりなのか、袋に書いてあるのをわざわざ確認してからそうする。ほんものの百合や薔薇なら目を閉じていてもまごうかたなきそのかおりがするのだけど、入浴剤のそれは、いったん言葉で脳にインプットしてからでなければ、結局のところ何の香なのか、ほとんどの場合わからない。
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by zelan | 2011-12-18 02:04