2011年 09月 29日
「こりかたまってないで(当人そのつもりはないが)、もっと現実に触れるんだ!」と知人に連れだされた先がなぜか横浜の健康ランド。露天風呂の寝そべり湯(というのがあった。お湯がちょろちょろ流れる岩盤に、あおむけないしうつぶせで寝そべることができる)にて、ほんのりした雲の流れる空を見たりする。 たしかにこういう格好(というか「格好」がない状態)で自然を眺める状況こそ、「現実」に触れる、ってことなのか。 ところで寝そべり湯はすごくよかったが、あおむけになるとおなかが、うつぶせになると背中が少し涼しすぎるとこが、残念だった。いや現実って、むしろこういうディテールにあるのかも。 ▲
by zelan
| 2011-09-29 23:47
2011年 09月 29日
歴史に残っている作家・作品というのは考えてみれば単純で、後世の人によりそれが未だに再現できないものを言うのだ。その期間が芸術の賞味期間であって、極めて不適切な比喩なれど、8日で半減するヨウ素のようなものもあれば、30年くらいのものもあり、あるいは1000年、10000年のものも、あるのである。
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by zelan
| 2011-09-29 20:48
2011年 09月 29日
作品と制作者の関係には何パターンかあるように思う。人により大体これらのパターンのいずれかにはまる。 1.自画像 単純率直に自分自身の今を現わす。 2.逆バリ 自分が今そうではないが欲するところのものを表現しようとする。 3.解放 作品の側に自分自身の持っているある種の本質やこだわりを全部放出してしまう。故に、現実の自分の側では、それは既に解消されており、残っていない。 パターン3の場合、その作品は真実になり、またその人物の人格も立派になることが多い、というのが、自分の観察の今の処の結果である。 ▲
by zelan
| 2011-09-29 20:19
2011年 09月 28日
インド大使館でインド古典舞踊オリッシーを観た。シバ神を踊るラフール・アチャリヤの目線の先には、舞台の床ではなく地平線が出現し、踏みしだくような動きの下、足元では地球が砕けている。 柔弱優美、ほっそりした若い踊り手だが、彼が踊るとその周りにいきなりある具体的な事物・事象が現れる。ないものをあるかのように見せると言えば、バーチャルリアリティーみたい。でもこれは、(心眼以外での)視覚を伴わないのだから、はるかにすばらしい。 http://www.manicat.org/Odissi.pdf ▲
by zelan
| 2011-09-28 12:33
2011年 09月 27日
2011年 09月 25日
うちの親がお茶の先生をやっており茶室の軸をしょっちゅう掛け替えているようだが(季節などにも関係するのだろう)、お軸ほど簡単にはいかないまでも額縁に入った絵もときおり掛け替えをした方がよいとはしばしば聞く話である。絵を休ませる、というのもあるし、見る側の感覚を新しくする、という効果もある。
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by zelan
| 2011-09-25 21:52
2011年 09月 25日
絵画に関するゲルハルト・リヒターのことば。 Each picture has to evolve out of a painterly or visual logic: it has to emerge as if inevitably. ▲
by zelan
| 2011-09-25 21:24
2011年 09月 25日
ツイッターで知ってこれ見てちょっと驚いた。 内容もおもしろいけどそれとは別に形式として、「本」というメディアより、情報を集約して(集中して)短時間に摂取できる。内容が素早く遷移するので、「自分のキモに訴える」というフィルタリングも自動的になされる。 でもこれ見るとほんと最初に浮かぶのが本というものとの対比だ。映画でも演説でもないとこがおもしろい。 て、いう感覚は、大昔大枚1万円も出して速読訓練コース全4回に出席し、速読に関しては(特に自分に興味のある分野については)結構な自信のある自分だからの感想なのかも。速読と対比しても、これは明らかに速い。 ちょっとこわいなと思うのは文字情報と比べればずいぶんと受動的な構えでも情報が入ってくるところで、TVと近いと言えば近いけどTVより意味のあること言ってるのでサブリミナルに影響がおっきそうなところ。 http://www.youtube.com/watch?v=A3oIiH7BLmg ▲
by zelan
| 2011-09-25 00:15
2011年 09月 23日
アートが本質的に売っているものが何かと言えば、それは「ほんとう」ということなんだろう。 この場合の売るという意味は、必ずしも金銭の授受を伴わない。見る、味わうというだけでも、我々の生きているこの世界、すなわち資本主義的言い方をすれば消費ということの一形態である。 と、いうようなことを、今日ピーター・ハミルのコンサートを聴いて、思った。 そこには見事なまでに「ほんとう」ということしか、なかった。 ▲
by zelan
| 2011-09-23 01:26
2011年 09月 23日
ものを創っている途中、特に初期の段階で、とても美しく見えることがあり、その美しさに含まれる可能性を追求していくのか、最初の企図にそっていくのか、いつも迷う。 メモをとっておいて後で別の作品で創る、という程度の知恵はついているけど、でも、そのときその瞬間をとらえないと結局は実現できないことも多いかも、いや、そんなのばっかじゃないのかしらん。 ▲
by zelan
| 2011-09-23 01:22
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