原初のキス

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2011年 07月 31日

濡羽

アートフェア東京。工芸的な技巧で攻めるもの、フェティッシュ性でひっぱるものあるいはその混合。一方、普段認識できていない真実の様相を提示することではっとさせる性質を持つもの、この場合、技巧やフェティッシュ性はあるとしてもより明示的でない階層に潜み、正面切ってこちらを刺激するものではなくなっていて、つまり作品は表現形態としてより表現内容に対して純化されている・・という勝手な分類の下で、多くの作品を興味深く眺める。

去年と同じ作家の前で足がとまる。今年もこれが一番おもしろく感じた。Art Statements Galleryのブースで展示されていたDale Frankというオーストラリアの作家で絵具をたらす技法を使って大画面を創っている。烏の濡羽色という古風な表現を思い出す含みのある黒とか、オーロラあるいはアマゾンの蝶みたいな光をはらんだ青、溶岩の流れを思わせる運動性が、樹脂みたいに厚い強度のあるつやつやの表面に守られて、内側ではまだだくだくと水気に満ち溢れているかのようだ。

うちに帰ってWebで画像を見てみたら全然おもしろくない。あんなにゴージャスだったつやつやの表面も、その表面をつきやぶってこちらにこぼれだしそうになっていた内側も、完全に乾いちゃってるみたい。現物がいいものってデジタルにするとよさが減衰し、現物がそうでもないとデジタルの方がいいっていう法則が、すべての場合ではないにせよ経験的にあるのだが、ここでもそれを発見した。
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by zelan | 2011-07-31 19:50
2011年 07月 30日

連想と判断

以前、固有名詞を忘れがちな知人のことをこのブログで書いたが、先日もこの人が、「部屋がちらかってて顔がごにょごにょしている人、誰だっけ?」というので、「(画家の)フランシス・ベーコン」と即答。正しくは部屋というよりアトリエだし、顔がごにょごにょについては当人ではなく描いている人物の顔が変形していることを意味するが、これくらいの情報が与えられれば類推はつく。その他にも、「車の事故の人(=ポロック)」、「金ピカのセセッション(=クリムト。セセッションを覚えていてクリムトを忘れるというセンスはかなり好きだ)」、アーティストではないが、両手で丸い形をつくって、「これ(=この人の好きなシュークリーム)」など、フラクタルじゃなくヴェイグネスでもなく1/f揺らぎでもなくバッファーでもなくフレキシビリティーでもなく度量でもなくフリンジでもなく・・・ええっとなんだっけ、そうだ、ファジー。ファジーな認識能力って人には誰にもあって、逆に言えばこれだけファジーなのに実際日常の様々な選択においては色んなことを結局はデジタルに決めねばならないというこの矛盾。

提示されたひとつの事柄や状況に対し、連想情報が異常に多い。意識しようとしまいと、よくも悪くも。この能力を生かすか、殺すかが、人類の未来の幾分かを握っているのだろう。連想する際に変な慾なんかまじったら、ろくなことはない。

九電や保安院のやらせ問題を見て、そう思った。
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by zelan | 2011-07-30 20:07
2011年 07月 29日

どっち

どっちなのかわからない、と謎めかして格好よく見せるのと、どっちでもある、というのをばーんとそのままに見せるのと、表現のレベル、品格が後者の方が高いのは言うまでもない。映画とか美術とか見ていて、びっくりするような作品に出合うと、たいていの場合後者の質を備えている。
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by zelan | 2011-07-29 23:05
2011年 07月 27日

描いてもらう

それを見た人に、こころの中で絵をかいてもらう。そういう絵は、できないものかしらん。
要するに脳を、不快ならざる不安定に置くこと。
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by zelan | 2011-07-27 23:53
2011年 07月 26日

見えないものへの感受性

夏の暑さとかたいていのものは五感で感じることができるのに、何にも感じない放射線は困る。感じないものへの(感情や思考に基づく、あてにならない「解釈」とは別ものの)「感受性」というのは存在するのか。

そこにあることが明らかなのにまーったく感じないものって、放射線意外にどんなのがあったっけ。自分の後ろに気配を消して人が立ってたって鋭い人は感じる訳だし。私はW-LANが普及し始めた頃、そういう環境に入るとたとえそうと知る前にもなんかヤな感じがしたものだが。

存在するのにほんとうに何も感じないものがあるのかって、実は自分はあまりそう思ってないことに気づく。

そういえばレオナルド・ダ・ヴィンチが確か、「過剰な感受性が生涯自分を苦しめた」って言ってたな。一方彼の絵ときたら、むしろ理性の輝きに眼もくらむばかりだ。理性と感受性を、対立項と認識するのは必ずしも適切ではないものの、制作する人は少なからぬ場合自分の「欠落」あるいは「願望」を、描くということではないかと思わせる言葉。よく作品て自画像だと言われる。自分がそうであるところのもの、というのは、自分の持っているものの現状であるとともに、自分が今そうではないもの、への、願望であるかもしれない。

そうは言っても、「願望」というのは不精確な言葉だとも思う。願望が願望そのものとしてとどまってる状態なんてどうでもいい、もしもその願望が真実のものならば、具体的な形を与えることこそ、ふさわしいのだ。
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by zelan | 2011-07-26 23:37
2011年 07月 24日

おわらない

絵画はおわった、あらゆることはやりつくされた、なんて、インテリのたわごとだなあ。今日中目黒のレストランで、ものすごくおいしいごぼうのフリットを食べて思った。

ごぼうを揚げている店なんて星の数ほどあるが、ごぼうの概念、フリットの概念を変える力のあるものは、ごくまれだ。しかしそれにもかかわらず、そういういものは現に存在するし、多分これからも存在し続けるだろう。

リヒターのAbstract Paintingのように。
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by zelan | 2011-07-24 21:26
2011年 07月 24日

相関

街中で最近気づいたこと。
以前は群れとんでいることの多かったように思う雀、最近見るのはほとんどひとりぼっち。
50代以上の夫婦・カップルで手をつないでいる人々がかなりいる。
このふたつは全然関係ないようにも思えるが、関係あるかもしれない。自分には仮説がある。
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by zelan | 2011-07-24 12:52
2011年 07月 21日

ぐずぐず

久々の達成感に酔いしれる。テレビを地デジ化したからだ(ぎりぎりで)。キカイが苦手なので(以前キカイの会社に勤めてはいたけれど)、テレビの設定を変えるだけなのに、「できるだろうか・・」と不安及びめんどうになり、カウントダウンを横目に結構長い間悩んで?いた。今朝テレビ画面の左下に、これまでテレビの上で見たどの文字よりもおっきく「あと3日」と出て意を決したのだ。インテリの友達には、「そのまま見れなくすればいいぢゃん」とかとも言われていたが。そういえば何カ月か前に、マンション各戸の受信レベルを調べるとかで技術者の人が来たとき、今すぐでも見れますよ、とまるで水を向けるようなことをおっしゃるので、「え、じゃ設定してください」と今から思えばずうずうしくお願いしたがやんわり断られた。

でもやってみたら簡単だったので、やってよかったな。多分15分位で消え去るささやかな達成感もついてくるし。やってみたら簡単なのになかなかやらないことって、他にも結構たくさんあるにちがいない。
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by zelan | 2011-07-21 16:14
2011年 07月 20日

不思議

農業に携わったことがなく、生産物を消費しているだけの一般人の素朴な疑問だが、原発事故後に屋外に出してあった稲わらや、それを食べた牛が「危なくないのかな」と稲作及び畜産家の方々が一瞬たりとも疑問に思わなかったとすればかなり不思議だ。これだけ放射線の害が喧伝されているのに。
政府の通達の不十分さが糾弾されており、それは事実だろうけれど、自分で考えないでいいということには、あるいは考えた上で消費者を守る行動をとらなくていいということには、ならない。

個人的には農業に対する基本的信頼は、相当に失われてしまった。
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by zelan | 2011-07-20 22:36
2011年 07月 19日

孫さん

ソフトバンクの孫さんが自然エネルギー推進や寄付についてツイッター上での自分へのネガティブな発言に対し、もちろんすべてではないだろうが丁寧に反論している。これはまっとうな戦略だ。なぜなら、元の発言と彼の反論を目にすれば、品格の差というものをかなり客観的に判断できるからである。
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by zelan | 2011-07-19 23:40