原初のキス

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2011年 06月 27日

女ぎらい

おそらく少々問題発言だが、レストランやカフェなどで隣の席が女性のグループだとたいていの場合迷惑する(しかもこれはかなりしばしば遭遇する状況なのだ、東京は世界でもまれにみる女性だけのグループ席巻都市なので)。年代によりやや異なるものの、話題のほとんどは美容か健康か恋愛、家族近隣あるいは仕事への、肯定的でない意見表明即ち愚痴。愚痴に対してはたいていの場合仲間うちから否定されることはなく、(少なくとも見かけは)同情と共に肯定される。聞こえてきて利口になれるような意義ある話はほとんどない。

もっとも自分も女性のグループになると、この流れにいとも簡単に乗ってしまう。他人のを聞かされるのは嫌だが自分ではストレスの発散という側面がある。こういう構造からすれば結局は自己中心的な内容ということかもしれないが、自己中心が集団化しているのだ。

一方、男性陣が隣に座ったときの会話はどのようなものか。女性陣程迷惑でないことは確かなのだけれど、こちらはむしろほとんど印象に残らない。

これはこれで問題かもしれない。
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by zelan | 2011-06-27 22:14
2011年 06月 25日

みつける

昨日なくしたと思い、新たに作成しなおしまでしたメモは見つかった。
書いた場所で休憩中に読んでいた本の間に、はさんであったのだ。大事にしすぎたというべきか。
えらそうに、「忘れないうちに思い出せる限り思い出して新たなメモを生産」と書いたが、実際にはメモを再生産しなかった方が時間的にはトクだった訳である。もっとも物事ソントクだけでは測れないかもしれない。

その本は、池田満寿夫の「私の調書 私の技法」(美術出版社 1976)。
池田満寿夫の70年代の版画がとても好きで、風呂にまで図録を持って入り、図録が湿気でふやけて真っ二つに割れてしまったほど。版画は衰退し始めており、終わってしまうかもしれぬ、というのを示唆する内容が含まれている。版画は自分の好きなメディアだが、確かに、私の持っている加納光於氏の美術出版社からの70年代の豪華本など、今後このような本が出版される少なくとも今は「雰囲気」ではないように思う。

「版画」というのはこと日本においては何と関連する指標なのかな。個人的なひとつの仮説として、民度、というのがある。価格うんぬんはともかくとしても、版画は基本複数作品だもの。
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by zelan | 2011-06-25 23:53
2011年 06月 25日

なくす

今日書いた大事なメモを失くしてしまった。
まちがってゴミと一緒に捨ててしまったのかも。

こういうことを、「それは失くしてしかるべきものだったのよ」とか言ってなぐさめてくれる人もいるかもしれないが(なんだかたくさんいそうな気がする)、個人的には私はそういうものいいを好まない。

自分の単なる不注意であると解釈する方が、どんなにか(かどうかわからないけど少なくも上記の解釈より)今後の人生に役立つだろう、って思うから。

いずれにせよなくしたことへの具体的解決策としては、忘れないうちに思い出せる限り思い出して新たなメモを生産することには違いない。
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by zelan | 2011-06-25 21:23
2011年 06月 24日

知らなかったこと

ドアをノックする人がいて、はい、というと、「水道局です。今月は使用量が多いので、ご確認ください。」とのことであった。どれくらい多いのか料金ベースで聞いてみると、先月の倍位だった。あとで思い出したのだがベランダに堆積している(だろう)放射性物質を一度リセットしようとして、D社のお掃除を頼んだのだ。主には泥汚れなので台所からちょろちょろホースで水を流してブラシなどでこすって、数時間かけてすみずみまで完璧に掃除してもらった。掃除の結果については大満足だったが、水を多く使ったのはそのせい。

それにしても、いつもと違う量使っていたら教えてくれることなんて、知らなかった。
世の中、自分の知らないところで、色々な仕組みが動いている。
「原発」だって、知らないところで、知らないでいてすませられると思って、動いている仕組みだったのだ。
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by zelan | 2011-06-24 01:05
2011年 06月 20日

父と花

個人的なことだが、自分の父親が花が好きだったということを、今晩ふと思い出した。なぜ、どういう理由で彼がそうなったのかはわからないけれど。家族は少々迷惑がりながらも、ときにどこそこの花の博覧会というようなものに、遠くまで連れていかれたりしたっけ。

私は父について、一体どれ程のことを知っていたのだろう。しかし彼の私に対する愛はほんとうの本物だったので、まるで空を切り裂く稲妻のようにあまりにはっきりとしていて、「知る」とか「理解する」というステップはまったくいらなかった。そういう親を持ったおかげで、人間に対するごく基本的な信頼感というものを、自分は持つことができたのだ。

永遠にわからないこともあれば、刹那でも完璧に理解できることもある。父親が自分を見るまなざしには、いつも一瞬でまぎれもなく理解できる愛があった。
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by zelan | 2011-06-20 21:14
2011年 06月 17日

リテラシー

能天気にも原発問題はもっと素早く解決すると思っていたという話を以前書いた が、先日会った広島出身の知人によると、広島の方の多くはこの問題は長くかかることを認識できていた、というのである。原爆の被害を受けたために、核に関する教育が行き届いているからリテラシーのレベルが違う。
今必要とされるリテラシーは政府や東電の情報をどう読むか、その読み方をどう磨いていくかということか。彼らの情報に関する行動の取り方については事故発生以降の経験がかなりたまって民衆の理解も深まってきていることだし。戦時下の大本営発表と違って、今は比較的多くの事実・データが様々なところで入手できるのはまだしも幸い。

大江健三郎のニューヨーカーへの寄稿を読んだ際、ヒロシマと原発をつなげるというのはいかにも文学者的な感性だ、と感じた瞬間があったが、ある視点をとればこれらが多くを共有している事象であることは、疑うべくもない。
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by zelan | 2011-06-17 22:47
2011年 06月 14日

どのくらい鳴くのだろう

先日鎌倉に遊びに行った際に、衝動買いしそうになってしまった。
「白鳩」である。ペットショップの軒先に吊ってあった鳥籠の中で、覗き込んだ私の目をつぶらな瞳でまっすぐにみつめたから。真っ白なからだは咲き初めた百合のようだ。
しかしさすがに生き物を衝動買いする訳にいかず、うちには犬もいることから、断念したけれども、いつか機会があったら一緒に暮らしてみたいものだとは思う。

しかしその際問題になるのが、広くもない家で共同生活する上において鳩というものが一日の間一体どの程度鳴くものなのかということ。鳩は私の印象では結構いつでもぽっぽーと鳴いていて、最近ドイツに出張した知人の話によると、たまたまホテルの窓の真ん前に鳩の巣があり、「四六時中、眠りながらも鳴いていた」ということだったから。

「鳩がどの程度鳴くのか」、これもまた世界の中で私の知らないことの膨大なリストのひとつに加えよう。
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by zelan | 2011-06-14 21:05
2011年 06月 13日

動きのいいひと

からだの動きのいい人、というのが気になる。

古くはダンサーのフレッド・アステア、これも古いし、かつ唐突だけど「ゴールデン・ハーフ」(Webで動画を見てそのかっこよさにびっくりした)、舞踏家の土方巽、また自分が個人的に知っている範囲で言えば、同じく舞踏家で大野一雄に師事したスイスのイムレ・トルマン、最近ブログにも書いたノルウェーのパーカショニストのテリエ・イースングセット、などなど。時代もジャンルも様々だが、頭が軽々と上の方で踊っていてまるで子供の頃遊んだホーンスピーカーのような形の息を吹きこむおもちゃでピンポン玉をふわふわさせてるみたい(あー説明が難しい)。

人間に限らず脊椎動物はびっくりしたりこわがったり、つまり緊張すると首を後ろの下の方へ縮めてしまう。
5つ位まではこういうことは必要なときを中心にするだけでからだの使い方はすこぶるいいが、学校に通うようになるとなぜかこういう使い方がかなり常態化し、だんだんとなんだかぎくしゃくした動きになっていってしまうことが多い。つまり動きのいい人というのは、幸いにも子供のままでとどまっているか、あるいは今一度人間としての過程を意識的にやりなおして、本来のからだの使い方に戻った人、なんだろう。

フレッド・アステア
http://www.youtube.com/watch?v=mxPgplMujzQ

ゴールデン・ハーフ
http://www.youtube.com/watch?v=Ao5lP-lJg8A

土方巽
http://www.dailymotion.com/video/xa6147_hijikata-tatsumi-a-girl-part2_creation

イムレ・トルマン
http://video.google.com/videoplay?docid=-868530846461217419#

テリエ・イースングセット
http://www.youtube.com/watch?v=sEhx6cat_TY&feature=related
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by zelan | 2011-06-13 21:49
2011年 06月 13日

美術

美術というのは、現実と遊ぶ術。というか、遊んでもらう術。
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by zelan | 2011-06-13 01:10
2011年 06月 11日

感想

余計な意図やコンセプト、それには多くの場合邪念と言っていいものが絡んでいるが、そんな風に意識的無意識的に覆いつくされているのは結局の処おもしろくないけれど、単に素直にGood Faithですべてがむきだしというのもまたつまらないと思う。
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by zelan | 2011-06-11 00:44