原初のキス

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2011年 05月 31日

のりもの

先日会ったテリエ・イースングセットというノルウェーのパーカッショニストに、「あなたの音楽は何かに乗っているね(Your music is riding on something.)。何に乗っているの。」と言ったら「ふーん、それはおもしろい言い方だな。考えてみるよ。」と言っていた。人間によって創られるものは皆、おそらく何かに「乗って」いるんだろう。それが技術やコンセプトだと、そういう場合はたくさんあると思うが、あまりおもしろくない。

おもしろい作品が乗っているのは何か。それは人によって違うかもしれないし、同じかもしれない。
いずれにせよ自分が乗っかっているもの、乗っていくのにふさわしいものを見出していく過程が、いわゆる芸術上の修養っていう、ことなのだろう。

テリエ・イースングセット(London Jazz Festival 2003 ):
http://www.youtube.com/watch?v=sEhx6cat_TY
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by zelan | 2011-05-31 20:21
2011年 05月 30日

いまに生きる

うちの老犬は目が悪いので、ささみジャーキーなどを投げてやったときに見えなくてうろうろと探しているときがある(犬は鼻がいいとか聞くがさほどよさそうには見えない)。私が指を指してその指した先を見させる、という訓練?を多々してきたけれどもだめだ。指自体を見てしまうのである。

こういう話は哲学の命題か何かにあったように思うが、何だったか忘れた。
人間は指した先を見ることができる。
この機能があるからいいともいえるが、わるいともいえるのだ。
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by zelan | 2011-05-30 21:19
2011年 05月 29日

音楽

これまですばらしい音楽を奏でる人々と話す機会があったときは、年齢やジャンルが違っても皆異口同音に「考えないこと、脳を使わないことだよ」と言う。美術って逆のこと言われることが多いようにも思うけど。考えるのをやめてみたくなる。

それから今日会った人には、「音楽ってからだの外にあるの、中にあるの」と聞いてみた。「外にある」というのが答えだった。自分というものはそれを通すMediaだそうである。
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by zelan | 2011-05-29 17:28
2011年 05月 28日

芸術

普通の芸術は自然や人事の中のある特定のあるいはいくつかの「質」を増幅して作品化している。
ほんとうに優れた芸術は森羅万象の一瞬を捉えている、というより、その一瞬そのものとして存在している。
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by zelan | 2011-05-28 22:19
2011年 05月 21日

とてもよい

Wako Works of Artで見たトゥオンブリーとリヒター。人を驚かそうとかそういう意図が微塵も感じられず、ただ真実というものに沿って、それを探求した結果生まれたかのような、強烈なまでの清らかさ。

という感想が自然に出てくるというのは、企図された驚かしに触れる機会が日常的には多いっていうことなのかしら。もっとも人が新たに「驚いた」ものしか美術の歴史に残りえないことは知っているけれども、人が驚くのは結果であって、それ自体が目的になっているものが歴史に残ったためしはないのではないか、というのが自分の仮説。

「リヒターとトゥオンブリー 新作エディション展」 Wako Works of Art(6月4日まで)
http://www.wako-art.jp/top.php
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by zelan | 2011-05-21 23:16
2011年 05月 19日

じっととのろのろ

何かの加減で疲れていたりするとき、休もう!と気合を入れて休むのもいいが、そうすると休むこと自体が何か「すること」になってしまい余計疲れる。やっていることぱたっとをやめて数分でもそのままの体勢でじーっとしているとエネルギーが充填されることが多い。見かけはただ休んでいるのに似ているけれど。
最近あみだした別のワザは、普通の速度の5、6倍でゆーっくりのろのろと何かすること。たとえば昼食の用意が普段10分なら50分かける。スローダウンするだけで作るものは同じでよい。

ゆっくりからだを動かす瞑想などがあったように思うし、ボディワークでもゆっくり動かすことで感覚の気づきが増すことは知られている。心身のエネルギーの回復にも関連しているように思われる。
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by zelan | 2011-05-19 19:54
2011年 05月 14日

何を見ても何かを

"I Guess Everything Reminds You of Something"というのはヘミングウェイの短編集のタイトルで(高見浩氏による邦題は「何を見ても何かを思い出す」)、以前このブログにも書いたことがある。実際、モノがある瞬間それ以外のモノに見えてくる時・状態が必ずあるのは何か創っているととてもよくあることで、しかしそれにも関わら毎回すごく不思議な感じがするものだ。紙だって黒いつやのある塗料で厚く塗っていくと漆器に似てくる。絵具によるデカルコマニーで水が踊っているような図像が現われる、アルミ箔が湖面や、あるいは光そのものに見えてくる。こう書くとたまたま風景のように見える模様のある石のようなもので、あたりまえみたいに聞こえるかもしれないけど。

別々のものごとを、閃光のようにある共有の「質」が貫き通す。
そういうことが起こりうるのは、何を見ても何かを、とはつまり、すべてがつながっていることを思い起こさせる、という、自分にとってはそういうこと。
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by zelan | 2011-05-14 19:43
2011年 05月 14日

現実

現実の似姿でなく、現実からの派生物でもなく、仮にささやかでも現実そのものを創りたい。
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by zelan | 2011-05-14 01:56
2011年 05月 11日

事物と事象

モノゴトはそれが実際に目の前にあって、観察したり体験したりしているときにしか、ほんとうには理解できないのだなあ、ということを、今さらながら理解する。
おまけにまったく同じモノゴトは、二度とふたたび、訪れない。

何か創っていると、たまたまうまくいったときのことを思い出しつつそれを「再現」しようとしたり、まだ体験してすらいないありうべき(と自分が想像する)姿を現出させようとやっきになったりするが、こういう態度はぜんぜんうまくいかないことはないにしても、極めて非効率的にしかいい結果にはならない。現われるものに対し注意深く、かつオープンであるときの方が、ずっとよいのだ。プロセスそのものはある程度制御できるかもしれない。しかし、自分が求めている結果は常に、実の処はまだ「知らない」ものなのだから、それを自分の知っている、あるいは想像しうる、一体何を基準に、求めえるというのか。こういうのは単に、倒錯的態度に、すぎないのである。
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by zelan | 2011-05-11 21:05
2011年 05月 09日

汚しやのきれい好き

自分が犬や猫と似ていると思うのは、私の知っている範囲の子たちが「汚しやのきれい好き」、というところ。自分がやりたいことならばしばしやってまわりが少しくらい汚れても気にしないが、洗いたてアイロンかけたての洗濯物などを見るとすかさずやってきて上にちゃっかり座り(こちらの仕事の邪魔になることはおかまいなしで、追い払っても15回くらいは平気で戻ってくる)、たいそう気持ちよさそうにしている。
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by zelan | 2011-05-09 21:42