原初のキス

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2011年 04月 29日

期待

放射線量について、野菜は洗って測り、空間は18メートルの高さ(新宿の場合)で測り、地面は掘って測る、とツイッターなどで見て自分も憤慨していたが、それぞれの関連法規やマニュアル、また色々な立場の専門家の意見を広く見てみたりすると、これらがすなわち確定的に問題のある計測法ではないようなのである。たとえばざっくり言ってIAEAは確かに地表を測り日本の測り方は5センチ掘って測るけど、5センチの深さの土だけ取っている訳でなく表面の土もそこには含まれている。面積と量、時間軸などにおいて違う思想があるようにも見える。もちろん状況に応じた実質的かつ柔軟な運用はしてほしいとはいえ、ジャーナリストの人でときどき、これらの点を関連法規等の参照なく感覚的に批判しているように見える場合があって、そういう情報に接すると、素人としてはときに混乱してしまうのだ。一般の人の発言はまあ自分も比較的その情報価値をものによってはさっぴいて判断するし、一般人のリアリティーを垣間見るという意味ではそれ自体価値があるからいいのだけれど。

もちろんすべての情報を自らの力で法律や何かも含め確認していければいいのだが、自分の情報リテラシーや時間にも制限があるのでそうもいかない。だからこそ自分は、ジャーナリストや専門家の人々の、まっとうな情報の出し方というものについて、大きく期待をしているのである。
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by zelan | 2011-04-29 20:04
2011年 04月 25日

お犬と爆音

うちの犬が地震を気にしないという話を昨日書いたが、今日マンションの別の部屋でリフォーム工事をしているためドリルか何かの爆音がしたら、玄関に飛んでいって様子をうかがい、その後もそわそわと落ち着かない。
彼女は常に何に対しても鈍いのではないことが証明され、かつ、本能的には地面が揺れるより急に大きい音がする方がむしろ危険と察知しているらしいことが、わかった。
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by zelan | 2011-04-25 14:20
2011年 04月 24日

お犬と地震

自分の飼っているチワワは地震で多少ゆれても全然動じない。震度3ぐらいまでなら平気でおひるねを継続している。
彼女があわててわんわんするのは、私が緊急地震速報や多少の揺れに驚いて玄関の鍵を開けに走る、その唐突な動作に対してである。自分の大切なご主人さまがあわてるようなことは、何ゆえかはわからないまでも彼女にとっては「警報発令」的状況なのだろう。

彼女が地震そのものに対しては落ち着いている、その理由を考えるに、そもそも地震というものは天然自然に生きているものにとっては巨大な危険ではなかったのかもしれないということ。寺田寅彦もそういう趣旨のことを書いているのだけれど、丸太をぶっちがえてその上に藁をのっけて小規模(家族)で暮らしていた頃には、津波や地崩れのある場所に生活の場所を置いていない限りは単に「地面がゆれている」だけのことだったのかもしれない。動物みたいに、火(というテクノロジー)を使わない存在にとっては、火事だって自分が原因では起こらないのだから、本質的に危険なことは、あまりないのである。

自分の住んでいるところを堅牢にしたり(だから潰れると危ない)、火を使ったり、人間というものは自らの創りだした、あるいは利用しだした技術に逆に追い込められ、そのためにエネルギー政策の変換など新たな行動改革を求められている、いわば「マッチポンプ」的存在であることに、思い至る。
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by zelan | 2011-04-24 22:39
2011年 04月 23日

夜7時半頃JR恵比寿駅の改札を出たところ(アトレの一階というか)には、いつにもまして大勢の人がいた。最近ときどき街が活気づいているように見えるのはどうしてか。ひとりでいる人はともかく、二人以上でいる人々の表情は、ほぼ例外なく、笑顔である。
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by zelan | 2011-04-23 00:30
2011年 04月 21日

メモと習慣

買う必要があるものをメモして机の上に置いておくが、たいていの場合そのメモを持って出るのを忘れる。

買う段になってメモを持っていないのを思い出す。しかし意外と覚えているので実質的には困らない。
なら、メモを書かなければいい。時間のムダだし、もしかしたら記憶力の訓練にもなるかもしれない。と、毎度思うのだけれどやっぱりメモを書いてしまうのだ。理由はそうしないと何か落ち着かないから。

これが非理性的な習慣というものの性質で、買い物メモくらいならどうでもいいようなことだが、必ずしもどうでもよくないようなことまで日常生活の中にがっちり、習慣というものはくいこんでいるのである。
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by zelan | 2011-04-21 09:51
2011年 04月 20日

またやられる

自分と100円ショップとの闘いについてはこのブログで書いたことがあるが、ときに遭遇するそのロークオリティー度(すべての商品ではない、念のため)は、ほとんどこちらの想像力に挑まれている感じすらするので、まあ多少おもしろいと思っているところもある。

先日ビューラーというまつ毛を持ち上げる器具を買った。つくりがそこそこしっかりしていそうだったので、その朝壊れたのを思い出し衝動買いしてしまったのだ。使ってみたらまつ毛がはさめないで顔がはさまる。まぶたや目のふちなど。みかけは普通なんだけれどみかけが似てるだけで実際の顔のカーブなどがぜんぜん研究されていない。でも考えてみたら皆これだけ顔が違うのにこれまで買った普通のビューラーで顔がはさまったことはなかった。これはこれですごい。

一週間程練習して顔をあまりはさまないようにして使う技術を獲得する。でもそうするとどうしてもまつげは少ししかはさめないので、「勝負」に勝ったかどうかは、微妙。
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by zelan | 2011-04-20 20:14
2011年 04月 19日

常識

知り合いの音楽家が、経験からすると一日おきに練習した方がよくて、これは業界において誠に非常識的なばかりか、自分の感覚から言っても、大変に抵抗のある事実だ、と言っていた。結構おもしろい。継続はもちろん力だけれども、それすなわち毎日長時間やる、という形でない可能性がある。
でも、それが事実かどうかはともかくとして、ほんとうにそうかどうか統計的に実証できるほどに試そうとしてみるとき、一番障壁になるのは、自分の「感じ」なのである。

人間にとって、自分がそう「感じる」ということは常に、神なのだ。

ほんとうにそう「感じて」いるのかを、問うこともなく。
自分が純粋に「感じ」られることに対し、我々はどれほど多くの干渉をしているだろう。偏見や思いこみ、不必要なおそれや、あるいは期待や願望によって。
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by zelan | 2011-04-19 23:49
2011年 04月 18日

感じ方と理性

未だに原発について、安全度を高めて継続・推進してもいい、と考える人々がいる。
私にはわからない。事故というものは、いかに確率論的な問題に落とし込もうと、ある時間のレンジをとれば必ず起こる。「永遠に無謬のシステム」などは、ありえないのだ。そうでなければそもそも人は、「ありうべき事故のモード」すら、想定できないはずなのだから。

だとすれば、賢明なのは、とりうる範囲のリスクを超えたリスクについては、取らない決断をする、という態度でしかありえない。もちろん実際のやりざまについては、すぐさまやめるのでなく色々な代替手段もとりながら、というのは理に適っている。しかし重要なのは、最終的にどういう状態を目指すのか、ということ。
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by zelan | 2011-04-18 22:32
2011年 04月 17日

マニュアルのつまらなさ

自分はマニュアルを読むのが嫌い。家電品のマニュアルは言うまでもなく、たとえば確定申告書の書き方などの、行政が出すものにしても。

なぜかと考えるに、それが「詩的」でないからなのだ。色んな風に解釈できたり、その解釈の仕方において、自分の個性を発揮できる、マニュアルにはそうした「自由」がまったくないように自分には思える。そうした中では、マニュアルを読むということが得意な人々に対し、いくら一所懸命がんばっても、自分は勝負する前から明らかに敗者だ。モチベーションが上がるはずがない。

でもどう考えても、マニュアルが詩的になる世界は、来ないのかなあ。

ただ、そうでもないかもね、と思う自分がいる。
自分がマニュアル作りにかかわっていて、その仕事にほんとうにコミットしていたら、「小説や詩のようなマニュアル」に、しかもそれでむしろ実用度が増すようよな、そういうマニュアル作りに取り組みたいと、思うかもしれない。
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by zelan | 2011-04-17 20:31
2011年 04月 17日

情報

自分は、今回の原発の問題が起きたとき、これが数カ月~数年以上の時間がかかる問題だとは思わなかった。アメリカやフランスの「カミカゼ」をどこかで期待していた部分もあった。
それは自分が普通の知性で、提示されている情報を見聞きする中で持つことになった感覚だったのだが、今の状況のすべてがこれは長くかかる問題なのだと言っている。この事実がほんとうに一種「隠蔽」されていたのだとすれば、当局は情報というものに対する信頼を、根底から、また最初から、ゆるがすことに無自覚だったか、あるいは最初から自覚的にそれをやっていたのだ、ということになる。
ほんとうのことを言ってくれて、いいのだ。そのことから、今まで日本人が(あるいは世界中の人々も)十分にはとっていなかった、自分で考えることに関する、「自己責任」というものが、生まれる。
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by zelan | 2011-04-17 01:07