原初のキス

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2011年 02月 26日

モンスター(いい意味の)小学生

展示をしていた際、最終日の撤収間際に入り口から中を覗いている10歳位の男の子がいた。近づいていったら、「これ、いいの?見ても。」と言う。
どうぞと言って中に入ってもらった。最初に掛けてあった作品を観て「スゲぇこれ、どうやってつくったの。」というので制作方法を説明した。聞いてみたら近くの小学校の児童であった。
その子はひとしきり作品を観て出ていった。

考えてみたら終わりがけの画廊をわざわざ外から覗き、制作方法を聞いた上に鑑賞して帰る子供は相当にインテリである。かつ、その画廊で昨年展示をした人によると、その子(風貌からしてどうもそうらしい)が彼女の展示の際にも現われ、やはり作品に「スゲぇ」と言い(皆に言うのかもしれない・・)、鑑賞していったとか。
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by zelan | 2011-02-26 21:59
2011年 02月 26日

花粉症

昨日あたりから本格的に花粉が飛び始めているようだ。自分も症状が出てきたが飛び始めにマスクもせず薬も飲まずに大量に暴露されると結局の処早々にからだが慣れてそこそこのところにおさまるという自説に基づき今年も対処することにする。人には勧めないけれど。

「対処することにする」と言うことが重要。要は何もしていないのだが、花粉にやられてるのでなく自分で何もしないということを「やっているのだ」というドライブ感はあった方がいい。
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by zelan | 2011-02-26 11:08
2011年 02月 20日

新聞

ものを創るとき汚さないよう床に敷いたシートの上にさらに新聞を敷き詰めたりするのだが、そうすると自分の興味のある記事が目に飛び込んでくるのでたいへん具合がいい(創りはじめるのは少し遅くなるが)。

たくさん記事があるのにおおきく広げると不思議と普通のサイズより記事が取捨選択されて見える。
先日も「鳥の祖先は恐竜」という知人がこだわっているテーマに関する記事を発見し、下敷きに使わないでとりおいておくことができた。

どこかの新聞社(できれば自分のとっている日経新聞)が、4畳半位の大きさの新聞を作ってくれないかなあ。電子版もいいけどそうすると生活が電子ばっかりになっちゃうんだよね。たためば小さくなし、見渡すために多少動いたりもするのでからだにもよい。

と、いうことを夢想するのは、新聞をなめるようにきちんと読む人には決していないはず。
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by zelan | 2011-02-20 20:25
2011年 02月 14日

ヴァレンタイン

チョコレートとかってすき?とだるそうに聞くと、男性は十中八九別に・・と答える。だるそうに聞いてるからかもしれない。
いずれにせよ誕生日、結婚記念日、クリスマス、ヴァレンタインデー、実のところそんなもの、男たるもの(えらそう・・)特に気にもしていないのではないか、というのが私の読み。こっちが義理のつもりでも(昨今それすらやらないが)、向こうの反応こそが義理ってことが、多いのではないかしらん。

ということを書くと、男性と女性と、どっちにより嫌われるんだろう。
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by zelan | 2011-02-14 21:28
2011年 02月 11日

しゃべる男となげく女

高校生の頃、父が車で学校まで送ってくれていたのだが、道すがらカーステレオ(テープの!)でしょっちゅう聞いていたのが、アラン・ドロンと ダリダの「甘いささやき」。
言葉だけで調子のいいことを言っている男と、彼から離れようとしている、というか少々すねつつなげいている女がいて、男は微妙に焦って(いるのかいないのか)・・・みたいなメロドラマ的シチュエーションである。
途中でドロンがくすっと笑うところがあって、そこが自分にとってのキモだった。
そこのとこのセリフは、「きみがいなくなったら、連れ戻しにいくよ・・」だったのは後年知った。

しゃべる男となげく女、と言っても、女もかなり喋っているけどね。
日本だと圧倒的に女がしゃべる。喫茶店なんかでずーっとずーっと女性がぐちっぽいこと、おそろしく日常茶飯なことをしゃべっていて、自分は女だけれど辟易することがあり、あまりしゃべらないだけで女ってもてるのではないかと確信に近い思いを抱いたりする。

もっともそのまま50年くらいは誰にも気づかれずほっておかれる可能性もある、というリスクを犯せば、もてたい女子には試す価値がきっとある。

「甘いささやき」
http://www.youtube.com/watch?v=Qb8A1tF1JsM&feature=related

(ちなみにこのサイトの下の方に、「民主党の公約を皮肉ってるのか?」とのコメントがあっておもしろい。)
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by zelan | 2011-02-11 22:12
2011年 02月 09日

わけられない

「身長」と「体重」というものがありそれぞれ個別に認識することはできるものの(というか、個別に認識したからこそそう名づけえたしもって計測可能にもなったのかもしれないが)実際のありようとしては完全に一体化しているように(ひとりの人間を身長と体重にはわけられないから・・)、作品に「精度」と「コンセプト」という軸が(軸はそれだけでないにしても)あるとすれば、これらは別々に認識はできるが結局のところ、わけられないのだ、ということをふと考えた。

(この文はかっこが多すぎるけど、頭の中で考えてるときは一直線で一瞬。ということは、人は文で考えてるような気がするけど、実際はそうでもない、ということらしい。)
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by zelan | 2011-02-09 21:44
2011年 02月 05日

芸術

考えてみたら自分が創るものより自分の方が(絶対的にはともかく相対的には)よほどゲージュツだった、と思うはめになるのはいやだなあ・・。一応人間だから、結構緻密にできているのでほっとくとそうなる、とは言っても、緻密さはうちの犬と同じ程度だけれど。
精進することにしよう。
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by zelan | 2011-02-05 20:29
2011年 02月 05日

からだ

随分昔確かローマのホテルで、朝出かけようとしてフロントの近くにいたら、柱にもたれるようにして立ったまま新聞を読んでいる、髭をたくわえた中年の男性がいた。肌寒い頃でコートを着ていた。もう何年もたっているのに、何かすごく変わったことをしていたわけでもないのに、その人のことは忘れない。
夜行ったレストランで、男性二人と食事をしている若い金髪の女性を見た。話がとぎれた折に、その女性は、首をかしげて、完璧に眼だけで笑った。顔の他の部分はまったく動かさずに。
またベルリンの知人の部屋にしばらくいたとき、中庭をはさんだ同じアパートの一室が窓越しに見えた。一人がけのソファに座って何か読んでいる白いシャツを着た男の人がいた。その姿は今何千人の人が見守るステージの上にのせても、まったく問題ないくらい静かで上品だった。
からだの使い方が文化のひとつだということを感じるのはこういうとき。

日本で普通の人がやる普通の動作に最後に感動したのはいつだったかと思い起こしてみると、内田樹さんが甲野善紀さんを招いて身体関連のセミナーを開いたとき、関西まで行って参加したことがあるのだが、そのとき合気道とか武道の人たちがたくさん来ていて、セミナーが始まるとき畳の上で皆あうんの呼吸でさっと礼をするのを見たとき妙に感動した。それはいまや普通の人がやる普通の動作、ではないのかも、しれないけど。
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by zelan | 2011-02-05 00:12