原初のキス

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2010年 12月 31日

クリスマス、年末年始とダイヤモンド

クリスマスのことを先日書いたが、年末年始も本質的な興味はそれほどない。
店が閉まっていて不便とか、そういう程度。
それからまた関係ないようだが、「ダイヤとか全然興味ないでしょう」、と最近会食したある方に言われたがご明察。普段着てるものにも合わないし、ただ光ってるだけなのだもの。
クリスマス、年末年始とダイヤモンドの共通点は、世の中の人は結構好きだったり気にしたりするということである。

しかしこれらはそれ自体における意味というより、それをどう使うかってことを皆実は気にしているのかな。家族恋人とすごす、これまでを振り返り新たなチャレンジの目的を設ける、金持ちそうに見せるとか虚栄心を満たすとか、ただキラキラを楽しむとか(ダイヤのこと)。
自分はそういうことは思い立ったとき、必要を感じるときにやった方がいいと思っているので、必ずしもいつもそうはしてこなかったりできないこともあるけれど、なるべくするように、する。

ダイヤには依然、全然興味がないけれど。
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by zelan | 2010-12-31 22:00
2010年 12月 28日

Mind & Body

頭の要求とからだの要請が相反することは珍しくない。
頭の要求にばかり従っているとからだに無理がきやすいが、からだの声を聞いていて結果頭が何か不都合を感じることはまれだ。それなのになぜこんなに頭がでしゃばっているかというと、おそらくは単純に言葉を持っているからである。
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by zelan | 2010-12-28 22:36
2010年 12月 27日

現代

もちろんすべてを見た訳ではないのに、今年の感想を正直に書くと、現代美術の、大勢からして「狂ったような感覚」に、正直かなり飽き飽きしている自分がいる。
人間というのは生存に関しGoing Concernなのに、人のエネルギーを奪っていいのかな。先日カンディンスキーらの青騎士展に行った時にはこういう感覚が殆どなく、感じたのはただただ彼らの、「誠実さ」だったんだけれど。時代を変える人々というのはそうなのかもしれない。

仮に自分が創っていなくて、アートに興味のある一個人だったとしてもこのことは感じたことだったろう。かといってまた、とても素朴にモダーンな感じのものにも、既に魅力を感じないから、実際、どの展示を見にいくかは、相当慎重になっている。
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by zelan | 2010-12-27 22:11
2010年 12月 26日

全体と部分

新聞やテレビの色々なニュースを見ていると、たいていの場合哀しくなってくる。
すべてが全体とつながっており、独立して存在しうる「部分」などない。
これは思想や信条、感情やそうあってほしいという願望などではなく、多少なりものごとを観察すれば誰でも簡単に見てとれる事実だ。だから、部分が別の部分を攻撃しようとするとき、それは必然的に、全体につながっている自らを攻撃することになる。

つまり例えば、多くの人が意識的無意識的に「戦争」は「選択肢」のひとつだと思っているが、それは間違っている。
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by zelan | 2010-12-26 19:33
2010年 12月 25日

100円のだいごみ

100円ショップの物品のあまりに衝撃的なクオリティについてはしばしば体験しているが、色や形が一応まともだったので買ったスリッパの壊れ方にまた驚く。底に張ってある布地がすぐはがれてきて、というかかかと方面にずれてきて、スリッパの後ろにヒゲが生えたような状態になり、やがてかかとの部分に内蔵されていた底板?がとれてはみだして、ついには取れてしまう。足を入れる部分は激しく変形。全体としてほとんど分解すれすれという状況であるが、このプロセスが極めて速やかに、大体2週間位で完了(ということはそれまで経緯を見守っていた訳だ。というか、今も見守っている。)

とはいえ、100円ショップさんには感謝してもしきれないくらいの恩恵をこうむっている。
たとえば、絵具・塗料を広い面に塗るハケなどは、結構消耗品だったりするが、そこそこのクオリティのもの(あまりに大量に毛が抜けるものがあるから、そうでないものを研究して選択)をたった100円で売っているから、心おきなく買うことができる。画材屋さんで買うと値段は大体4倍から8倍。

でもうちの床は石のタイルだから、スリッパには過酷な環境だけど。以前高島屋で買った5千円位の皮のスリッパは、3か月で分解。14日で超シャビーな状況になる100円スリッパは1日約7円ではいている。5000円なら1日83円か。6倍もつが1日の使用料としては10倍高い。値段からすると見かけは前者が50倍位いい可能性はあるが、この差の評価はスリッパという実用品のデザインにどれだけの価値を置くかによる。

というような計算が無意識的に即座になされて、これを買ったのかしら。結構かしこい(か)。
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by zelan | 2010-12-25 03:40
2010年 12月 23日

クリスマス

クリスマスが近づくと、洋食系統のレストランが混んで、和食やさんが空いてくる。
仏教徒だったり無宗教だったりしてもクリスマスは祝うが、食べ物はクリスマスに合わせてやっぱり洋食という、このあたりの合わせる、合わせないの一貫性のなさというのが、実に不思議。
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by zelan | 2010-12-23 20:14
2010年 12月 22日

美術の術って、「感覚をいかに刺激するか」の術なのか、最近特にコンテンポラリーの色んな作品を観ていて、ふとそんな気がした。でも、ほんとうにそうだとすれば、あまりにも哀しい。なので、そんな訳ない!と確信犯的に、思うことにする。そういう意味では、ゲルハルト・リヒターの作品は、美術作品を制作したり観たりする人々にとって、すごく希望になる存在だと思う。もっとも、結果としては感覚は十分に刺激されるけれど。でもその「動機」が違う。彼は感覚を刺激することを、直接の目的としていない。彼が興味を持っていることはおそらく、いわゆる「美術」よりもっと大きい、原理的なことだ。だからこそ、インタビューなんかを見るとよくわかるけれど、極めてつつましいおもざしをしている。「絵画というのは昨今時代遅れとされているようですね、でも自分は絵画が続いていくことを望んでいます」とか。

「術」というのは本質的に、何らか目的があってこそ意味のある言葉である。
とすれば、美術は何を目的としてきたのか、そしてそれは今後、何を目的としようとしているのか、というのは、今まさにかなり重要な問いだと思う。いつの時代においても、この問いは重要だったかもしれないけど。
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by zelan | 2010-12-22 23:13
2010年 12月 21日

極北展示

Gallery Koyanagiの池田亮司展、告知を見て行かねばならない気がする、と思い行った。やはり見るべき展示。自分には不可知のルールで激しく明滅する光の図像を見ているとしかし、ひとつの作品の前で1分とはいたたまれず、作者の意図如何に関わらず自分の脳があまり望ましからざる生理的刺激を受けるのを恐れて、草々に退散する。音楽、美術、テクノロジーの交点にある秀逸なアートとは思うけれど(秀逸というのは彼が「狙って」、ばっちり「あてて」いるのがわかるからである。その「スキル」は実にすごいと思う。)、人が自分の身体に直接つながっている素朴な道具だけでは創れないものを創ることで、芸術が何か怪物的なものに変わりうることを感じる。

Gallery Koyanagi 「池田亮司 Ryoji Ikeda」 12月25日まで
http://www.gallerykoyanagi.com/
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by zelan | 2010-12-21 22:12
2010年 12月 20日

連れてかえってくれた犬の話

前回のブログに書いたドーベルマンを連れて、ある日知人宅より散歩にでた。

犬の行きたがる方に歩いて行くと、ラブくんというその犬はまず知人の家の裏山に行き、近くの病院の入院患者さんらしいおじさんがパジャマのまま斜面でたばこをくゆらしていたのを背後から突然匂いをかぎに行って斜面から転げ落ちそうにするくらい驚かした。さらに裏山の底にある運動場では、やってきた子供たちに「ラクダだー」と騒がれたりしたが、まったく無視していた(大きい体躯の背中の筋肉が隆々としているからだろう)。そのままついていくといつか自分の背丈より高く草が生い茂っている場所に私を連れていき、その草むらを抜けると、まったく知らない場所だった。川端康成の「雪国」の冒頭のように、トンネルを抜けるとそこは雪国であった、的な少なくとも感覚的状況に自分は陥ったのである。
そこは狭い道のでこぼこした舗装の道の両側に、小さな商店が並んでいた。当時は携帯もなかったのだが、自分は知人の家に電話をかける10円玉すら持っていなかった。
ラブくんはきっといつか家に帰ろうとするだろうと思い、進んだり戻ったりして一向に集中力というものを発揮しない彼の後をついていったら、1時間位してやっと見覚えのある場所に出た。

ということで、お犬はやっぱり、散歩などの自由を楽しみはするけれど、自らおうちに帰る。
ところで彼自身は、私がわからなくなった場所にそれまで散歩に来たことがあったのだろうか。それは今でも知らない。
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by zelan | 2010-12-20 10:45
2010年 12月 19日

吠えるのをやめた犬の話

お犬について更に。

以前親しい友達がドーベルマンを飼っていて、しつけを入れるために訓練所に暫く預けていたのでよく一緒に面会に行っていたのだが、ある日訓練所の前に小さな檻が置いてあって中のミックスの若い犬が我々を見て狂ったようにわんわん吠えた。
ずーっと、あきれるくらい執拗に興奮して吠えているので、「どうしたのー」とか言ってなぐさめようとしたがおさまらない。
ふと思い立って落ち着いた声で、「スワレ」と言ったら、吠えるのをやめて即座に座った。それっきり、吠えることはなかった。「よーし!」と友達とおおいにほめた。

随分前のことだが、思い出して楽しいような、そうでもないような気がする記憶。
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by zelan | 2010-12-19 10:25