原初のキス

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2010年 10月 31日

台風と傘

昨日、台風が関東をかすめて、自分はたまたま知人と青山のタイ料理屋で夕食をとっていたのだが食べている間にそれが過ぎ去っていた。道を歩いているとそこかしこに、骨が折れたり曲がったりしていて、分解寸前までめちゃめちゃになっている傘が放置してあった。そのさまが奇妙なくらいコンテンポラリーアートに似ていて、タイ料理屋に入る前にさるビルで見たエキシビションに展示されていたのよりさらに天然にアートな感じ、と思った次第。
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by zelan | 2010-10-31 11:25
2010年 10月 31日

考えるからだ

考えるときはよく頭で考えている。でも全身で考えた方がいい。

からだのコーディネーションのこと。このときの頭というのは解剖学的に正しい意味での頭(頭蓋骨の下辺は耳の穴のあたりの高さにある、顔の方で言えば目の少し下くらい)ではなく、顔がついている頭部全体と、首、肩のあたりまで。考えるときこのあたりを過剰に緊張させているときが多い。

でも、たとえば左足の薬指のあたりまで考えるという動作が波及していてもいいし、そういう方がよりうまく考えることができるような気がする。
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by zelan | 2010-10-31 00:53
2010年 10月 28日

道具

かなづちを持つと釘が打ちたくなる、という言葉がある。
インターネット~ツイッターとかブログとか含め、そういう使い方をしないことは意外にむずかしそうなので、気をつけておくことにする。

気をつけておくことの瞬発力を磨きたい。もはや自分が、気をつけていることすら忘れるほどに。
別にこのことについてばかりではないけれど。
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by zelan | 2010-10-28 22:14
2010年 10月 27日

勉強脳

いろいろな人から、しかも尊敬する方々から、勉強してはいけない、と言われる。
とにかくやるんだ、やりたいことを!という人、自然に接する方がいいと言う人、感覚に従え、という人、言い方は色々だがひとつ共通点があって、みな男性。

女性の脳というのは人から何かを学ぶということにおいて、男性よりもずっと寛容でかつうまい、ということを何かで読んだが、大学をなんこもかけもちしてきた知人もいるし、何かを勉強しているの、と言うと女性陣の顔がぱっと輝くところを見ると、またカルチャースクールの生徒さんの男女比は圧倒的に女性が多いところなどからも、これはおそらく真実であろう。

その割には学者さんなんかは男性が多いのはどうしてかな。大学教授の男女比は9対1くらいと読んだこともある。学ぶからこそ教える立場になると普通考えるけど、本質的にはほんとうにそうなのかしらん。自分で考えるから教える立場にまでなれるのかもしれない。

だとすると勉強脳さかんな女性の学びの過程においても、自分で考えることは必須だ、と思うのである。
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by zelan | 2010-10-27 01:04
2010年 10月 26日

遊び

アートというのは本質的には遊び、いかにうまく遊べるかがアーティストの能力、という向きもあるしたしかにそうだと思うが、一方世界の側(の真実)がたまさか気が向いたときに遊んでくれて、それがたいそう楽しいのでもっとたくさん遊んでくれるよう天の岩戸の前の舞い手よろしく色々と工夫をする、というのが制作に関する自分の感覚でもある。
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by zelan | 2010-10-26 01:20
2010年 10月 24日

違和感

違和感というのはそこに課題がある、という重要な信号。
しかし違和感を感じること自体はそういう意味で恩寵であるにしても、その「解釈」では間違うことも多く、解釈次第では単なる感覚や憶測でいいかげんなことを言う、考える(自分に対しても人に対しても)ということになりかねない。

等々の、論理的には多分そこそこまっとうな意見を書いていると、むくむくと頭をもたげてくる違和感がある。違和感というものの詳細なる観察は行動につながるときにだけ意味があるが、自分は行動につなげる率、自分の理想に比べてとても低いなあ、という違和感。
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by zelan | 2010-10-24 20:04
2010年 10月 23日

知らなかったこと

自分の犬の調子が悪くなり病院に連れていったせいで(幸いもう良くなった)、犬の子宮が二股にわかれていて肺のすぐ下のくらいまできていること、高齢のため白内障なのだが目があまり見えなくなっても匂いなど他の感覚が優位なので犬は家の中のようによく知っている環境ではあまり困らず、気にもしないこと、などを初めて知った。お医者さんは後者をして、「気づかない子もいるんですよー。」と犬の気持ちを代弁しておられた。

我々ヒトとは随分違う。自分が自分の犬について知っていることは、ほんの一部にすぎない。日頃結構擬人化して扱ったりしているけれど。彼らがご主人様について知っていることもまた、彼らなりの一番興味のある一部であるのだろう。

とすれば犬について自分が最も興味を持っているのは、どこか。
一種の「感情」のはたらき具合の共通性というものみたい。人間と同じような機会に同じように喜んだりいやがったりするところが、そしてそれがなんらつくろわれることなくばーんと丸見えになっているのが、とてもおもしろいのである。
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by zelan | 2010-10-23 09:09
2010年 10月 22日

アレクサンダー・テクニーク

先日、仕事の関係でBody Chanceという会社におけるアレクサンダー・テクニークのワークショップに参加。
背もたれのない椅子に腰かけていたが、ワークショップを見聞きしつつ(一般参加者ではないので先生に実際触れてもらって学ぶ部分には参加しなかった)座っていればいるほど、コーディネーションが向上し、座っていることが快適になっていくのを感じる。私は7年程これを習っていたことがあって、先生の提供する情報や言葉と体験のつながりがなにがしかあるので、しかるべく影響をうけるのである。
通常同じ姿勢を続けていると急速に疲れていくものだが、さりげなくすごいことかもしれない。

アレクサンダー・テクニークで学ぶことというのは、実は「しない」ということである。
一方99.9%の学びは、何かを「する」ことに関わる。
アレクサンダー・テクニークを学ぶとは、LearningでなくUnlearningであると言われるのは、このゆえだ。習慣により付け足しているものを、手放すということ。

座っているときにはただ座っていればよろしい。座っていることに必要のない一切のことをしないことは、ごく小さかったころは皆それができていたのだが、おとなになってからは、立派な(脱)学習の対象なのである。

アレクサンダー・テクニークについてしばしば思い出す言葉。
老子の、「無為をなせば、治まらざるなし」。

Body Chance
http://www.alexandertechnique.co.jp/
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by zelan | 2010-10-22 22:46
2010年 10月 21日

中国の大きさ

今日白金の中華料理店に行ってなんとかいう(名前は忘れた)見たことも聞いたこともない野菜を食べたら、ブロッコリーとアスパラと少しセロリを混ぜたような絶妙な味わいですごくおいしかった。
その料理店では、コックさんたちがおいしい料理を作りながら大きい声で楽しそうにひっきりなしに喋っていた。日本料理店のストイックな雰囲気とは全然違う。「字幕がほしいなあ、何喋ってるのかな。」と一緒にいた友達と話した。そう言ってたら、日本語の喋れる店員さんが気をまわしたのか、厨房が静かになってしまい、わるいことをしたと思った。
また、以前勤めていた会社で同僚だった中国人の人が、「自分の実家は海に近い」というのでどのくらい近いの、と聞いたら、「海までたった300キロ」と言っていたのに驚いたことがある。日本的感覚からすればたいそう遠い。

政治的には色々とかしましい。でも自分のごく狭い範囲の接点としての中国は、色々な意味でとても大きさを感じる国。
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by zelan | 2010-10-21 22:48
2010年 10月 20日

絵画

絵画が生き残っているのはそれがチャレンジだからなのか。創る人にとっても、見る人にとっても。

絵は絵でない存在であることに、血道をあげている、あげてきたように自分には見える。もちろんそういう中で絵画という存在に純粋にとどまろうとすることが多くの制作者によって成されていることもまた、極めてチャレンジングなことだと思う。

と、関心的にも技法的にも、いわゆる絵画というもののほぼ完全に外に立って、それでもいくばくかの愛を抱きつつ、思う。
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by zelan | 2010-10-20 22:59