原初のキス

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2010年 09月 29日

アレクサンダー・テクニーク

このブログでときどき書いている「アレクサンダー・テクニーク」は、100年程前に開発された、西欧では有名な身体技法。身体技法といいつつ、心まで含めた「自分」の適切な使い方に関し、意識的無意識的な習慣を脱却し、いま、ここ、で人がほんとうに目的としていることの実現にかなう、合理的な思考、そして動きを生じさせるプロセスと体験を、先生が手によって教えてくれる。
ジュリアード音楽院を始め多くの芸術系大学などで音楽家や俳優の教育にも取り入れられており、著名人にも実践者が多い。スティング、ポール・マッカートニー、ジュリエット・ビノシュ、ジェレミー・アイアンズ、古くは教育学者のジョン・デューイ、小説家のオルダス・ハクスリーなど。
この技法は奥が深くて色々な利用法がある。肩こりや腰痛につながる体の使い方を自然で適切なものにする、やりたい活動をよりうまくやる(だから上述のように音楽家や俳優は表現能力の向上に活用している)。自己マネジメント力を強化してストレスを減らす。

でも自分にとって一番役にたったのは、心身を適切に使っていくことを目指すなら、何であれ不適切なことを「やめる」ことが重要だということを知ったこと。少し困ったり不都合なこと、達成したい目的などがあると、我々はすぐなにか「やろう」とするものだが。また、からだの動きを観察することを学ぶので、つまりすべては変化する、ということを身をもって知ることができた。

PCや椅子のせいで、我々の肩がこり、たとえば老化のみをもって、腰が悪くなっていくのではない。自分の責任はすべてではないにしてもかなりのところ自分で持てる。外からの治療や、カウンセリング等ではなく、自分を育てることで自分を救う技法である。

アレクサンダー・テクニークについて
(同技法のレッスンを行っているボディチャンスのWebより)
http://www.alexandertechnique.co.jp/modules/contents/index.php?content_id=3
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by zelan | 2010-09-29 21:50
2010年 09月 28日

真実

何かを隠そうとすると、むしろ必ずや真実が露呈する、という言葉を思いつく。
しかしながらそのようにして現われる真実は、間接的にではなく直接的に現われ表現される真実よりも、ずっと醜いのではないか。

真実に美醜があればの、話だが。
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by zelan | 2010-09-28 00:26
2010年 09月 27日

ジャズは死んだか

ベルリン拠点のアヴァンギャルド・ジャスグループのジョニー・ラ・マラマの曲にYour Jazz is deadというのがあって、この題のキモは何と言ってもYourなのである。個々人の解釈におけるJazzは死ぬかもしれないが、演奏者自体も聴衆もそれをとりまく社会も刻々とエンドレスに変わっていく中にあって、果たしてそれは終わりうるか、ということ(というのを、昨夜行ったイベントで当のご本人たちがおっしゃっていた)。

絵画も死んだとか死ぬとか言われて久しいが、死ぬわけないと思うのであって、それは絵画をめぐる状況が変わるというのもさることながら、そもそも絵が単に純粋に絵だったら、こんな何千年も生きのびている訳なかろう、ということである。つまり、前にも書いたことがあるけれど、我々が見ているものはほんとうは何ですか、ということ。実は窓だったり、本だったり、鏡だったりするのでないか。ワインにはついぞ葡萄の香りだけがしないというのと同様、まともな絵がその機能として単なる絵であったためしなど、ないのではないかしらん。
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by zelan | 2010-09-27 10:49
2010年 09月 26日

ワインのたとえ

ソムリエが、「これは果実味がゆたかで・・」というと基本そのワインは選ばない。
元が果物だから、あたり前に思う。

それよりも、動物の匂いがしたり、雨や苔の感じ、良家の子女や狩人の趣のするワインの方がおもしろいではないか。もっと言えば、冬眠中のリスが切り株の穴の中で(そういうとこで寝るのかな・・?)見る、夢の中の木の実の風味とか。

不謹慎な例かもしれないけれど、ごくごくおいしい白ワインの中にまれに、「仏教」の感じのするものがある。薫香極めてゆたかで、それなのに余分なものをそぎ落としていてストイック、悟ってる雰囲気があるもの。あと、極めて個人的なたとえとして、「五月一日」というのもあって、これは以前中国茶の専門店で、何かの理由があって必ず五月一日に摘む茶を飲んで、その香木のような強い香りが、がつんときたからである。このとき一緒に茶を飲んだ知人との間では、「五月一日的ワイン」というのは立派に成立している言い回し。

ということを書きつつ、今夜さるイベントでバーカウンターにドリンクチケットを出しながら白ワインを頼み、「フランスのとカりフォルニアのとがありますがどちらにしますか」と言われ、即座に「フランスの・・」とおおざっぱな返答をした自分。
私は白ワインについては超辛口が好きだが、フランスかカリフォルニアかという別だけでこれを判断するのは難しいはずなんだけど・・。
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by zelan | 2010-09-26 22:34
2010年 09月 25日

秩序

外側に、規範や秩序を、求めなければいけないのかしら。
自分の中にも、あるのじゃないかしら。
しかも、そういうときの秩序って、自分は、自然な動き、すなわち、美そのものと思っている。

と、いうことを思弁的に考えているのではまったくなく、抽象的な絵を描いているので、どこに中心をつくるとか、どちらに運動の方向性を向けるとか、そいういうことを単に自分の審美的な感覚だけでなくやりたい訳で、そのモデルを外に求めるか(例えば雲や水の形態)、うちに求めるか(筋肉の場所ごとの感覚とか動くときの感じとか)、ということなのだけれど。
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by zelan | 2010-09-25 23:06
2010年 09月 25日

自発的グルーミング

うちの犬(チワワ、12歳、メス)を見ていると、しょっちゅう自分の前足をなめてきれいにしている。その自足した様子、丁寧さを見ていると、自分がシャワーを浴びたり歯を磨いたり、髪の毛をとかしたりするそのやりざまの雑さ加減、ほとんどやっつけで早く終わればいい的な感じを反省。

(こういう発言は女子としては大変問題なのかもしれないが)そもそも、そうするのがあたりまえだと思わずに、内発的で自然な欲望に基づいてやるとするならば、自分はどういう頻度で、どんな風に、これらをするのだろうか。
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by zelan | 2010-09-25 00:34
2010年 09月 24日

枕とフレーム

知り合いのライターさんがツイッターで枕を真剣に探しているというので、「私はあおむけ用と横向き用の2個使っている」と書いたら、驚いていた。後頭部と首の、枕にあたる部分及びその形態はあおむけか横向きかで違うのであって、横を向いたときは肩の厚みがあるからあおむけのときより若干高めの枕がよろしい。

この方式に落ち着くまでに15個位の枕を買った。いつか究極の枕に巡りあえるかと思って。枕は1個でなければならないと信じていたのだ。もっと早めに自分のからだや枕という存在について、ちゃんと観察しておけば、よかったのだけれど。お金と時間を、おおいに損した。

ところで、例のライターさんには言い忘れたのだが、実は私はベッドにいる間のほぼ70%の時間は、いずれの枕も使用せず、あおむけに枕なしで寝ているのである。いわばベッド自身が枕というか。横を向くときは横向き用の、あおむけでも少し変化がほしくなったらあおむけ用の枕をするのだけれど、頸椎のカーブが少ないので何もしないのが一番ラク。ちなみに以前は習慣的に横向きで寝ていたのだが、あおむけがいいと何かで読んで主にはそのように寝る癖をつけたら、顎関節症と首凝り等の症状がかなり改善した。
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by zelan | 2010-09-24 21:23
2010年 09月 24日

手と頭

手(実行)と頭(企図)というのは常にすっごくずれている。
そのずれを埋めるのが技術だったりするのだが、その技術を実際に得るためには手の力が不可欠だ。かつ、その過程において、手の発端としてのみならず、継続的に頭にも関与させること。

という訳で、極端な言い方をすれば、ただ語られているだけのことなんて、それ自体としては、信用しない。言葉は頭の出先機能で、その言葉に基づいて実際に生み出されたもの、生み出されつつあるものとセットにして検証するしか、それがほんとうであるかどうかを、判断することは、できない。
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by zelan | 2010-09-24 00:06
2010年 09月 23日

やることによってしか

やることによってしか、自分が何をやりたいかは、わからない。
そのわかり方にしたって、時には劇的なこともあるけれど、普段はじわじわと進む。

それは、いわゆる「試行錯誤」とは、別の種類のこと。
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by zelan | 2010-09-23 00:12
2010年 09月 22日

おんなの読み方

世の男性が女性のボディ・ランゲージが読めないことにときどきびっくりする。もちろん、全員ではない。
女性だって男性のを読んでないかもしれないけどさ。でも男性はからだより言葉や具体的行動で、表現しちゃうんじゃ、ないかしらん。

顔がにこやかであるとか話がはずむとか、自分をたててくれる、とか自分や自分のやっていることをよく理解してくれたり興味深げに質問してくれる、とか外出や食事の誘いに応じる、などは全然好意の証にならない(応じないのは尚わるいが)。メールの即レスもしかり。そんなのは単に社交上とか、習慣の問題にすぎなかったりする。

並んで座ったときに相手との間にコートやかばんを置く、膝の上にものを置くというのはよくない兆候。微妙にしかし着実に離れた側に座るとか。
きわめて快活に話し続ける、などはかえって相手にスキをみせまいとする意識だったりもする。

逆に好意を表現する行為。相手の眼の奥を見て話をする。沈黙を恐れず、黙っていながら、にこにこしていたり、おっとりと落ち着いていたりする。自然な折りに、自然な感じで、からだに触れる。
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by zelan | 2010-09-22 19:37