原初のキス

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2010年 08月 31日

音と壊れ

夏、近所の自然教育園に行くと、蝉の声やらその他の虫の声やらに全身包まれる。夏の森とはつまり、なによりも音なのだと思ったりするくらい。もちろん他の季節にも、その季節なりの音はあるのだけれど、夏は音が派手なだけに、より強くそれを感じたりする。

NADiff a/p/a/r/tで足立喜一朗さんの「SOAP/SOAP」を見た。へんてこな形のミラーボールがジージー動く音がいい。しばらく見ていたら動きが止まってしまったが、こういしかけなのか、それとも自分が妙な電波出して止めてしまったのか。自分はときにキカイを壊す能力があるので、壊したのかも。

話がどんどんそれていくが、自宅内でものが壊れるときたいてい一遍に壊れる。玄関の電球が切れ、同じ日にリビングの電球も切れ、DVDと掃除機がぶっこわれる。いらついているときが多いような感じもするが、壊れていらつくだけかもしれない。

足立喜一朗「SOAP/SOAP」(恵比寿 NADiff a/p/a/r/t)
http://www.nadiff.com/gallery/index.html

追)今後記事タイトルへの日付記載をやめます。投稿日時は記事の下方に表示されます。
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by zelan | 2010-08-31 23:34
2010年 08月 31日

2010年8月31日 天使と悪魔

文章が私にしては少々長いので、箇条書きにしてみる。

①今、この瞬間の自分は、そのしていること、あるいはしていないことに鑑み、「成功」してるかしてないか、on the track なのか否か、それはもしかしたら、デジタルに認識しうるし、それどころか瞬間瞬間において人は正しくそれを、認識しているのではないか??

②みんな、成功しているようで実は失敗していたりすることを心配したり、一方失敗に見えて成功していることを期待したりもしているけれど、そんな事象なんて実はあまりないのかもしれない。もちろんこれは、頑張ったあげく失敗して、でもその失敗を次の成功に生かせるとか、そういう現実的かつ真実であるところのことを言っているのではない。

③でも、この一瞬、自分は適切な選択をしているか、あるいは少なくともそれに向けてまっとうに感覚や思考を使っているのかは、どの瞬間においても常に、意識するに値することだと思う。口で言うほど簡単ではないが。

④難しすぎる言い方なのでもっと簡単に言うと、たとえばもう一杯お酒を飲むか、ここでやめるか、掃除を今するか、あとでするか、外の空気を吸いに出かけるか、もう少し家で仕事するか、とか、そういうことなんだけど。

⑤つまり、理性の声に従ってるか否か、ということですね。
そういえば昔のマンガなんかでよく、頭の中で天使と悪魔が戦うっていうのがあったな。で、大体において悪魔が勝つ。しかしそもそも最初から天使と悪魔で現われるんなら、正しい答え知ってるんぢゃん自分、と思うのだ。
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by zelan | 2010-08-31 00:05
2010年 08月 30日

2010年8月30日 普遍ということ

高校の時の同級生の男の子が、「なぜ自分がいいと思うものを人もいいと思わないか、ものすごく不思議。」と言っていた。ここまで素朴な感じで言われると、今思い出しても少し笑ってしまうくらいおもしろい。だって、たとえば自分の好きな人(男でも女でも)は、必ず他の人も好きになんなきゃいけない、みたいな、いいようなんだもの。

しかし、自分の判断というものがなにがしか単なる好き嫌いだけでなく質の認知にも関わっていると思う人々にとってみれば、これはそう唐突な意見でもなく、自分自身もごくうっすらとではあるけれど、やっぱりこう思っているような気がする。
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by zelan | 2010-08-30 05:17
2010年 08月 29日

2010年8月29日 ファルブミッテル

イングリット・ヴェーバーの展示「ファルブミッテル」へ(タグチファインアート@茅場町)。
会場で砂浜の砂がところどころ濡れているような、つまりところどころ乾いているような、グレーの作品を見た。
作者は一回性の「光/色彩」というものを表現することに興味があるようだ。自分はそれが古びたビロードや砂のように、むしろ強固に「物質化された」ものに見えることに魅かれた。

ドイツの作家の日本での展示を見ると、ほとんど例外なく好きなのは、全体的に寒く、硬質で、透明な感じがあり、ストイックだからである。

イングリット・ヴェーバー 「ファルブミッテル」(タグチファインアート)
http://www.taguchifineart.com/installations/IWinst5.html
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by zelan | 2010-08-29 00:12
2010年 08月 28日

2010年8月28日 信じることを信じない

信じる、というのは自分の嫌いな言葉のひとつで、信じるというのを単に「そういう感じがする」とか「そう思いたい」、という意味で使う人も多いので、なおいやになる。
信じるという言葉は、信用するとか、信頼するとか、ことのなりゆきを当面冷静に見守ることにするとか、大半の場合他の言葉で置き換えることのできるものだ。

なら、使わなければいいのに、ときわめて単純に、思うのである。
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by zelan | 2010-08-28 00:11
2010年 08月 27日

2010年8月27日 文化2連発

一昨日、群馬県立近代美術館「もうひとつの場所-野又 穫のランドスケープ」へ。見たこともないような建造物がまさに今見ているようにたち現われる。視線がそこに行きつくまでの間にある、色のついた光で満ちているような空間もすこぶる魅力的。
夜、銀座の王子ホールでコルシカからのア・フィレッタのライブ。7名の男性たちが、超複雑なポリフォニーの曲を、でもまったく技巧的な感じを押し出さずに、アカペラで歌う。ときに耳元に手をあてて自分の出している声を聴きながら、また他の歌い手の肩や背中に手を置いてまるで響きを共有するようにして。

良いもののすべては単純で単刀直入だという質があって、一方で、くみつくせないほどのディテールがわんわんうなっている。その単純さもディテールも、現物を見たり聴いたりしないと、複製物ではわからない、というか、なぜかそれらの最も重要なキモみたいなところが、複製物では見事なまでに失われている。だから、ほんとうの文化の鑑賞というものは、文化を実際に鑑賞するということは、手間も時間もかかるものなのだ。


群馬県立近代美術館「もうひとつの場所-野又 穫のランドスケープ」
http://www.mmag.gsn.ed.jp/exhibition/nomata.htm


ア・フィレッタ
http://www.plankton.co.jp/filetta/index.html
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by zelan | 2010-08-27 00:04
2010年 08月 26日

2010年8月26日 インタレストはマッチしてない

エキサイトのブログに「インタレストマッチ」という広告掲載が強制的に始まってしまった(同意した覚えはないのだが)。なぜか私のブログに掲載されるのは、「美髪」に関するものと「年収一千万円以上の転職話」が結構多いのである。確かに自分は髪の毛が長いし(エキサイトさんは知ってるのか?)、お金がすごく嫌いという訳ではないが(誰だってそう・・)、これではまるで私が髪の毛と金にばっかり興味があるようではないか。

つまり、インタレストマッチは本質的インタレストにはなんらマッチしていない。ということを、極めて極私的ながら、エキサイトさんに宣言したいと思う。
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by zelan | 2010-08-26 00:03
2010年 08月 25日

2010年8月25日 すきなひと

女と生まれたからには「どういうタイプの男性が好きですか」と男性から聞かれたことがこれまで200回位あり、いつも相手の様子を見ながら適当にお茶を濁すことが多かったのだが(だってかっぷくのすごくいい人に「どちらかといえばほっそりとしまっている人が好きです」とか言えないもの・・・)、ほんとうの答えはこれ。

自分は本気の人が好きである。仮にすごくクレバーであってもあれこれいいわけしつつ、のたのたして、いつまでたってもやりたいことをやらないでいる人は苦手。

かといって、本気の人すべてが好きかというとそうでもない(つまり上記は必要条件であって十分条件ではない)。実はそれ以前に、見てすぐ0.5秒くらいで生理的に好きかそうでもないか決めている。このあたりが女心の微妙な(というか単純な?)ところではある。
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by zelan | 2010-08-25 00:09
2010年 08月 23日

2010年8月23日 原型がいちばんきれい

福山雅治をテレビで見ていてふと思ったのだが、俳優という人々が実に魅力的に見えるのは、演ずることを生業にしながら彼らが率直に自らを現わすことでしかそのプレゼンスに強烈な魅力を生み出すことができないことを経験的に知っているし、逆に言えばそうせざるを得ない人々がこの仕事を選び成功している、ということがなんとなくわかったから。
知人の親友なので以前有名な女優の人と何回かお会いしたことがあって、すべてが美しいにも関わらず何一つ飾られていない、という感じに驚愕したことも思い出す。

"Original shape is always better."と言う言葉を、自分が関わっているアレクサンダー・テクニークという身体技法の、世界的に著名な教師であるウォルター・キャリントンという人が著書で書いている。余計な力みがなく、すんなりと内にあるエネルギーを現わしているからだは確かに美しい。生命体やもしかしたらあらゆる事物において、原型であることがもっともきれいなのである。

とはいえ、自分の"Original shape”、これこそが我々皆にとって、おそらくは最も未知なるものではある。
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by zelan | 2010-08-23 00:48
2010年 08月 21日

2010年8月22日 インドのたいこ

一昨日、インド大使館で、「インド舞踊太鼓 プング・チョーラムとドール・ドーラック・チョーラム公演」というのを見た。7名位だったと思うが、中には日本人そっくりの顔をした人もいる男性たちが、長っぽそい太鼓を抱えて叩きながら踊る。
びょんびょん飛んだりもするけど全体的には腰が低くすわった、練るような動き、ときどき入る、歌舞伎の、「知らざあ言ってきかせやしょう」の、「ざあ」のところみたいな合いの手?の声とか、細かい刻みが重なってはいても、どっしりしている基本のリズムとか、これらの総体としては、「見たこともない」舞踏・音曲芸術なのだが、「絶対既に知っている」なつかしい感じ。

一緒に見た知人は、国境って理不尽なもの、と言っていた。国ごとに違うとは言っても、そしてその違いはときにとてつもなく大きいものではあるが、日本はアジアである。当然のことながら。

インド舞踊太鼓 - プング・チョーラムとドール・ドーラック・チョーラム公演
http://www.embassyofindiajapan.org/new/documents/events/Pung%20and%20Cholom.pdf
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by zelan | 2010-08-21 20:51