原初のキス

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2010年 05月 31日

2010年5月31日 自分ということ

アレクサンダー・テクニークに関わる知人が、やりたいという気持ちが、やらなくちゃという義務感にかき消されてしまうことがある、と言っていた。
そういうときは、もしそれが許される環境なら、短時間でもいいからあえてやらないでいると、本来のやりたい気持ちが、わきあがってくることがある。

みな自分は自分だと思っているが、本当にそうだろうか。自分のことをなだめたりすかしたり、観察したり、観察に基づいて制御しようとしたりするとき、それは「自分自身」ではなく自分の目的を達成するために変化させようとする「対象」としての相貌を帯びている。

ちなみに前述の言葉、そうは言っても自分がしたりしなかったりすることのすべては、「自分」の選択に基づいている、と、つづく。
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by zelan | 2010-05-31 20:39
2010年 05月 29日

2010年5月29日 メモ

「むずかしいということはおもしろいということ。」と今日メモを見たら書いてあった。
なんだか負け惜しみみたいだが、ほんとうのことでないとも、いえない。
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by zelan | 2010-05-29 01:05
2010年 05月 24日

2010年5月24日 考えることよりも

何かをするのが速いか遅いかは、もしかするとただの習慣や、それがその速度でしかできないという思い込みに基づいているのかもしれない。
最初その速度が根づいたときには、何らかの価値観や心身の状況によってそうなっていたかもしれないが、価値観が変わったり心身の条件や能力に変化が生じたときにも、その速度が居座ってしまうのが問題だ。これを打ち破ってタスクの処理速度を高速化するには、それが実際にはできることを体験してしまうことがてっとりばやい。あるいはそれがまさにできている人や状況を見ること、できうる、ということを知ること、これだけでも相当「頭が変わって」、習慣的速度に喝を入れることができる。

以前、人材育成のセミナーのサポートに入ったことがあって、印象深い経験をした。ある処理タスクをグループに与え、当初15分程度かかっていたもが最終的には十数秒でできるようになったのだ。別の機会では3分のタスクが1秒になったこともある。単なる慣れによる高速化ではなく、もちろんプロセスやメンバー間の協調・分業、提示されていなくてただ先入観的に頭の中にあったルールに気づきそこから離れること、などの要素はあるのだが、衝撃なのはそれがそこまでの速さで「できる」というファシリテータの情報提供で、結果が劇的に変わったことである。

つまり人間、自分の頭に自分でたがをはめている可能性がかなり高い。それと知らずに。
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by zelan | 2010-05-24 09:40
2010年 05月 23日

2010年5月23日 ベーコンのスタジオ

自分にもっとも欠けている能力は、心理的にも物理的にも情報・知識に関しても、ものを整理することだと思うのだが、その割に例えば物理層で言えば部屋なんかあまり散らかっていない。ということはつまり、才能もなく、修練によって得意にもなっていなく、そもそも、できれば他の人にやってもらいたいという程度の全然好きでない活動(すなわち整理整頓や掃除)に、日常の中でおそらく膨大な時間を割いているということだ!

フランシス・ベーコンのスタジオが実に実に散らかっており、彼自身「カオスの中でなければ制作できない」というようなことを言っていて、別に散らかっていたからだけではないだろうが、ベーコンのスタジオの本すら発行されている。こういう気合いの入った確信犯的散らかり方というものはむしろすごくかっこいいのである。

昔見たインタビュービデオの中で彼が「I'm optimistic about nothingness.」と言っていてこれもかっこいいと思った。無について、つまり死も含め何もないことについて楽観的だ、と言ったのだがこれほどまで頭の中がスッキリしているのでむしろスタジオは散らかっていても集中できる、ってことかしら。と、集中力のはなはだ欠如している自分はとてもうらやましく思ったのである。
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by zelan | 2010-05-23 00:21
2010年 05月 22日

雑誌掲載のお知らせ

美術専門誌「美術の窓」6月号 "新人大図鑑2010"の、画廊が選ぶ注目の新人アーティスト108に掲載されました(71頁)。
新宿の画廊ポルトリブレ様からのご推薦です。同画廊にて7/23から8/2まで、次回個展も予定しております。

引き続きどうぞよろしくお願い致します。

「美術の窓」
http://www.tomosha.com/
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by zelan | 2010-05-22 19:46
2010年 05月 21日

2010年5月21日 うんざり

なんだか「文字情報」というものに飽きてきた。つまり言葉というものに。
かなり普遍化しすぎかもしれないし、ブログに書くのもヘンだけど、ネットやなんかで情報なんて無限に取れるし、かつ自分の興味の範疇におけるすべては追いきれないし、さらに頭の中ではそういう情報に刺激され、あるいは自然発生的に、うざったいくらいいつも言葉ばかりぎゃんぎゃんうなっていて、それに対比されるような「静けさ」というものが自分の中に生まれるのが昨今極めてまれなのだ。
一方制作とか運動などで手や体を動かしているとき、一瞬でも情報や言葉のくびきから解放されると、いきなり巨大なエネルギーが充填されるのを感じる。

こういうことを言うと情報・言葉好き、あるいは少なくともその価値を「客観的に」認めている人は「違うんでないの」と気色ばんで反論してくる場合があるのだが、私は不変の真理について言っているのでは、ない。

つまり今この瞬間の自分の状況において、情報や言葉に対しどのような態度を取るのが合理的か、ということを考えているだけなのだ。でも結局みな自分なのであるから、そういう態度の価値というものも、また、あるのだと思うので、こういうことを言っているのである。
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by zelan | 2010-05-21 01:04
2010年 05月 19日

2010年5月19日 睦み合う人々

今日さるバーにて睦み合う人々を見た(つまり恋愛的に盛り上がっている人々)。その動きは何か原初的な美しさを感じさせるものであった。結局のところ、本当の欲求からきているすべての表現は、多かれ少なかれ、美しいのだと思う。
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by zelan | 2010-05-19 00:17
2010年 05月 17日

2010年5月17日 シンプル

どのようなものであれ創る人は創るということが自分に深く関係している。仕事を自分で創りだしていればサラリーマンもそうである。自分が創るものは自分に最もつながっていて、当然、自分がつながっているものともつながっている。つまり究極的には、すべてにつながっている。

かつ、創ることそれ自体は目的ではなく、創り手個々人によって違う、何かの目的に対する手段である。
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by zelan | 2010-05-17 21:56
2010年 05月 16日

2010年5月16日 たまご切り

恵比寿で半熟たまごのからを割る鋏みたいな道具を見つけて、ちょっとほしくなった。からに入ったままの半熟たまごは15年位食べてないけど(あれあまり食べる機会がない)。
以前近所の服屋の店頭で、「服を買うとはあなたが人生をほんの少し変えたいと思っているということなのです。」というテープが回ってるのを聞いてびっくりしたことがあるが、何を買うかというのはその人のその時々の価値観や状況の、表現であり象徴である。まあどこに行くかとか誰に会うかってのもそうなんだけど。

たまご切りは結局買わなかったので、それは今現在の私の状況に対し、象徴たるには何かしら不足していたのであろう。
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by zelan | 2010-05-16 23:24
2010年 05月 15日

2010年5月15日 Untitled Process

他者が創ろうと自分が創ろうと、既に作品として提示されていようと制作中であろうと、ある絵画を見るとき、その絵画が平面上に展開している特徴的な「動き」と、感覚と思考に対する「作用」を見る。それを拡大あるいは援用して、他のものを生みだす。あるいは絵画以外の別のものと組み合わせて。
そういう見かたをしていて思うのは、優れた絵画というものは結局は、「絵画である」以外の価値によって決まっている、ということである。
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by zelan | 2010-05-15 09:28