原初のキス

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2010年 03月 31日

2010年3月31日 おぢさまの味

昨日書いた宴会の余興の話で思い出したが、別の年には人形劇をしたこともある。
うちの部にいた、いつもはごくごく存在感を消し、堅実なビジネス人生を歩んできた定年間近いおぢさまが、「今回は私が企画します。」となぜか自ら宣言し、数日後持ってきたのが「人形劇の台本」だった。読んでみるとその筋はたしか、「ある病院の人気看護婦に患者の一人が懸想し、迫りに迫る。やっとその気になったと思ったら看護婦は実は男だった。」というものだった。おぢさまの監督の下、皆でまじめに人形を作り、練習して本番に臨んだ。このときもそれなりにはうけたっけ。

そのおぢさまは同じ部の男性が仕事をしていたら後ろからいきなり、「あの、××さん、スキ―靴って、かたい?」と質問して戸惑わせたりしていた(多分プラスティック工業会に出てたせいで興味があったのだ)。あと彼の書いた字を見るとひらがなや漢字が画数で言えば大体2割ほど省略されていて、読む方は頭を3割ほど余計に使わなければならなかった。
ある日おぢさまを含め数人で、部門のレクリエーションの景品を買いに行ったことがある。我々がかわいいものやおもしろい雑貨の類を物色していたら、「景品はもっと実用的なものが喜ばれるのでは。」ともっともなことを言うので何がいいですか、と問うてみると、彼の答えは、「テーブルタップとか・・。」であった。

今は泊りがけのレクリエーションや余興、独自モードでなんともいえずいい味出しているおぢさまなど少なくなってる気がする。人間関係全般の形態が変わってきたのかもしれない。それともどこかの業界、どこかの地域には、いまだ存在しているのであろうか。
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by zelan | 2010-03-31 00:06
2010年 03月 30日

2010年3月30日 ヒゲ

是蘭さんというコスプレイヤーの方がいて、「是蘭」でググってみたら顔違いますけど?と時々言われる。

昔、勤めていた会社の泊りがけの宴会で、「女子三人がホットパンツ姿で顔にネコのヒゲをつけ、ビール瓶の箱を踏み台昇降する」という余興をしたときぐらいしか、コスプレ方面に近いことはやったことがない。
ちなみにこの余興では我々の前で男子三人が何かの歌を歌って、それに合わせて乗り降りした。
写真で見ると自分を含め皆楽しそうにやってるし、かなりうけもしたけれど、今だとこれをやるのは諸方面への配慮からかなーりハードルが高いだろうなあ。

世の中変わったものだ。昔の方がよかったとは言わないけど。本質はあんまり変わってないかもしれないし。
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by zelan | 2010-03-30 00:02
2010年 03月 29日

2010年3月29日 羨望

昼間家にいて見ていると、うちの犬はほとんどの時間自分のざぶとんの上でまるくなって寝ている。寝ているといっても必ずしも眠っているのでなく、眼をぱっちりあけているときも多い。
彼女が、何かを「考え」たり、「思い出し」たりしているわけではないだろうから、何かを「感じて」いるのだろうが、感覚の入力があってもそれに対し何も考えないでいられる状態が基本ずっと続くというのが、少々うらやましい気がする。
それとも自分以外の人類だって、結構な時間そういう状態なのかしらん。

感じたら考える、という流れは何か、入力に入力を重ねていくような感じで、閉鎖的。ずっとまわっていくだけで、すかっとしない。
自分がものを創ったりするのが好きなのは、感覚という入力に対して手を動かしたりする出力がきちんとほぼ必ず対応していくからなんだろう。
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by zelan | 2010-03-29 00:03
2010年 03月 28日

2010年3月28日 成す

成すべきことってのはちゃんと着手してしつこくやっていけば必ずある成果をもって終わる、ということがわかっていながら、時に着手への腰が重かったりするのは馬鹿だなあ、自分、と思う。
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by zelan | 2010-03-28 10:23
2010年 03月 27日

2010年3月27日 This is a pen.

是蘭という名の由来を問われることがある。
本名の苗字も名前もありきたりで、どっちか覚えててもどっちか忘れる、という感じなので短くて覚えやすい名前にしたかったというのが元々の動機で、名前を考えていたときテーブルの上に蘭の花があったからつけた。要は「これ、らんなり。」という意味ですね。
あるものをそのままに見たいということ。それが何か創ったりするときのだいじな姿勢だと思って。

つまりThis is a pen. みたいな名前だが、それにしても英語の初級の教科書のしょっぱなに出てくるこの文(今もそうなんだろうか・・)、すっごくヘン。なぜならこういうことを言う機会というのが極めてまれであろうから。
物干し竿みたいなながーい棒の先に見えない位小さいペン先がついてるとか、「これ、ペンなんですよー!!」と声を大にして言わねばわからない代物か何かが、想定されているのだろうか。教科書の挿絵は、普通のペンの絵だったけどなあ。
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by zelan | 2010-03-27 00:03
2010年 03月 26日

2010年3月26日 快楽主義

感情を使わずに生きていけたら楽そうだ。理性だけで生きたい。
とか考えるのは、きっと少数派なんだろう。つまらなさそうに見えるから。
でも理性が常に発動し続けて、ものがありのままに見えたり適切な行動がいつも迷いなくわかりかつ実行できる状態なんて、自分のイメージではむしろ、精妙な状態で静かに続く永遠の官能、てな感じなんだけど。
だからほんものの快楽主義者ならば、それが正解の選択肢。
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by zelan | 2010-03-26 08:56
2010年 03月 25日

2010年3月25日 感じ

そういう感じがする、ということを、我々どの程度信用すればよいのだろう。
ある判断・選択が正しい「感じ」がする、だから、ある行為をしたりしなかったりする、ということは日常茶飯事な訳だが、それほどに感覚って、信用のおけるものなのか。

あるいは、元々は生命体として信用のおけるものであったはずの感覚の力を、言葉による思考、また外部からの情報が減衰させている、それを再び信用のおけるものに訓練する必要があるのではないか。そのために、芸術やスポーツを始めとして人がコミットしてやる活動の存在価値または機能が、あるのだと思う。
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by zelan | 2010-03-25 00:09
2010年 03月 24日

2010年3月24日 マドンナは魚類

「おそ松くん」のことばかりつい書いてしまうが、6人兄弟のマドンナの名前はトト子である。
そういえば昔見た風間志織監督「冬の河童」というしぶい映画に、容貌はやや地味ながら、「サケ子」という一種のマドンナが出ていてびっくりしたことがあった。女性に魚系の名前がついていると、なぜか女って男性に実はそのように見られているのではないかと、疑ってしまう。

人間にとって魚、これは端的に言って、距離を感じる存在であろう。
こういうと特に男性はいやがるかもしれないが、その認識が事実かどうかはわからないにしても、女性は結構男性というものを理解可能だ、と感じている。一方、男性からすると、女性っていつまでたってもよくわからないのではないか。実際、男性からこれまで100回くらいそう言われたことがあるし。この非対称性っていつもいったいなんなのか、と思う。

とはいえサザエさんのだんなさんは、マスオさん。あれは家族全員が海のものだから。
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by zelan | 2010-03-24 09:39
2010年 03月 23日

2010年3月23日 起点(その2)

自分がものを創るときに求めてるものって、意外と単に「正確さ」ってことだけなのかもしれないなあ、とときどき思う。何に対しての正確さかは、わからないけど。
それは少なくとも何か既に存在し、理解され明示されているような規範にきりきりと合わせていく、近づいていくというような縮こまった運動性ではなくて、まだ知らない未知の規範に跳躍していくような・・。

おそらくは、世の真実、しかもまだ自分の知らない真実について、正確であろうとしているのだ。
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by zelan | 2010-03-23 00:04
2010年 03月 21日

2010年3月22日 起点

制作心理学みたいな学問があるといいのだけれど。(あるかもしれないけど、私は知らない。)

なぜなら、結局こころで、すごく変わる。
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by zelan | 2010-03-21 22:08