原初のキス

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2009年 12月 31日

2009年12月31日 ほめられた(その2)

タクシーに乗っていてふと、「タクシーの運転手さんて孤独を愛するのか人と接したいのか、両方の気持ちがあるんですね」と言うとおおウケし、その方が急に饒舌になって運転手になった経緯等それまでの人生について色々話してくれた上に、「おねえさんのような人が乗ってくるのがこの仕事のだいごみだ」 とまで言われた。

孤独を愛するか、否か。自分はどちらかしら。やっぱり両方。
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by zelan | 2009-12-31 00:02
2009年 12月 30日

2009年12月30日 制作の速度

いいものというのは、ことコラージュの制作においては、どかどかっと素早くできなきゃおかしい。一本の線みたいに、感覚、実行、それがインプットになって次の感覚、実行という風に。

基本的には感覚の命ずるところについていくのだが、ちょっとした頭の要素、例えばExtremity(極端さ)とかいうことを、忘れないでいることも重要。「美とは見事な過度である」と言ったのはユルスナールだったかな。いずれにせよ、美しいということはある意味、日常性に対抗するような異常さ、極端さを有しているということでもある。

まあ素早くと言っても、それがいつも実現できるとは限らないし、「降りてくる」のを待って何もしない訳にもいかないので、格闘したりもするのだけれど。つまり現実的には、格闘することもそれはそれでよし、とするしか、ない訳だ。
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by zelan | 2009-12-30 00:52
2009年 12月 28日

2009年12月29日 こねこ療法

人間油断しているとついネガティブなことを考えたり、ストレスをかかえてしまうので、ふとそこにはまりこんだときのために「こねこ療法」というのを開発した。
心配やストレスを灰色の小さいねこになぞらえ、問題がおこったらその子が部屋の中でぎゃんぎゃんあばれているのを思い浮かべる。でもこねこなのでちょっと怒ってる顔もかわいいし、あばれると言ってもまわりの紙が少々ちらばる程度で実害がない。そこでこねこを呼んでなでてあげると、かまってほしかっただけその子は安心したただのかわいい顔になって、のどをごろごろならす。これはかなり効く。あきたら別の動物にすればいいし。

以前は子供の天使(別に信仰はありませんが)がふたりで運んでいる唐草文様のついた華奢な飾り箱(なぜか馬車みたいに車輪がついてる)に心配を入れて、その箱にはレバーみたいのと煙突もついているのだが、天使がレバーを押すと中身すなわち心配が破壊され、煙突から 「ぱふ・・」といって白い煙がでる・・あー、説明が結構たいへん・・という想像で心配を粉砕したりしていた。これをいざ文章に落とすとかなり異常な人と思われそうだが、脳内イメージが比較的旺盛なので、ちょっとした日常的心理ツールとして使っていたのである。

しかし、そもそもイメージ力がなければ心配力も高まらないので、要は単なるマッチポンプってことなのね。
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by zelan | 2009-12-28 20:54
2009年 12月 28日

2009年12月28日 ほめられた

私はあまり人に認められることによる自信というものを重視しない性質だが、それでもふと人の評価を確認したくなることがあり、「こんな私の、いいところってどこかしら」と長年の知人に問うてみた。
すると、「ぎゃあぎゃあしてないとこがいい」と即答された。
期待していた方向性とは違う答えだったが、ほめられたことに、しておく。
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by zelan | 2009-12-28 00:03
2009年 12月 27日

2009年12月27日 少々おむずかりのご様子

男子が彼女との待ち合わせの時間を勘違いし、30分遅れて約束の場所に着く(携帯の電池は切れていた)。
すると彼女はこういう顔をして待っていて、彼を激しく怯えさせる。

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逆に言えばこの表情ってその程度の不愉快さの表明のようだが、実はこういうことになっている。

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彼女はユディト、敵将ホロフェルネスを誘惑し、その首を切り落とした(上の絵はイタリアの画家カラヴァッジオの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」)。この絵で彼女が首を切られる男と同様の強烈な表情をしていたら、感覚が二分される。だから彼女は「少々おむずかりのご様子」で、いいのである。
カラヴァッジオはこの絵を描いた何年か後に、賭博による争いで知人を殺害している。

こちらは当方の作。「ミケランジェロ・メリージ 剣と翼」(2008年 コラージュ 個人蔵)
ミケランジェロ・メリージはカラヴァッジオの本名。

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by zelan | 2009-12-27 00:02
2009年 12月 26日

2009年12月26日 金

マラソンに出るために走りこんでいる知人から、筋力と恋愛はお金で買えません、というメールをもらった。信用も画力も金では買えない。考えてみると、買えないものがすごく多いなあ。

いかに資本主義が席巻していようとも、買えないものがたくさんある世の中に生きていて、よかった。
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by zelan | 2009-12-26 01:11
2009年 12月 24日

2009年12月25日 幻想の身体

アレクサンダー・テクニークという身体技法があって、教師は生徒のからだに触れて筋肉や神経システムに働きかけ、より適切なからだの使い方を身につけることを助ける。長い間ついていたオーストラリア人の先生が最初の頃、私の喉仏の両脇あたりを触れながら、'This beautiful shape of neck...'と言った瞬間、私は首に「前側」があるのを理解した。背中側のテンションが高いので、前の意識が薄かったのだ。
生まれたてのころやごく小さかったときは、おそらく自分の首(やからだ全体)はひとつだったのだろうが、いつの間に分裂していったのか。おとなになった我々のからだに対する認識は、大抵の場合信じがたい程の欠落がある。認識の通り自分のからだの絵を描いたらすごいことになるだろう。欠落だけでなく認識の中で「足して」いる部分もあるし、「変形」させているところもある。その現実との齟齬の中には多分永遠に気づかないことも多い。

どろろという手塚治虫の漫画があり、からだの部分を奪った妖怪を倒すたびにその部分を取り戻す。幻想を打倒して肉体の真実とふたたびひとつになるということだ。例えば首に前側があるのに、気づくように。

しかし多少現実に近いことを認識できたからといって、安心してはならない。ここにもトリックはあって、前とか後ろとかがそもそも言葉である限り、それは現実と完全には一致しない。首のどこからが前でどこからが後ろなのか、明確な線が引かれている訳ではない。

自分はしょうがなく言葉で考えていることが多い。それに慣れているから。
でも言葉のこの認識力・表現力の貧しさ、そのくせ制約したり方向づけたりする力の強さ、それにうんざりしているし、注意した方がいいと思っている。

美術の周辺には多くの言葉があるが、美術表現の中核に言葉は、ない。
だから私は美術を、現実に近づくすべとして、信頼しているのである。
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by zelan | 2009-12-24 22:00
2009年 12月 24日

2009年12月24日 昨今の女子の愚痴

先ほどまで、あるライターの女性と話をしていて、現代の日本女性は男性に絶望している、という話で盛り上がった。
つまり、極端な肉食(セクハラ)と草食(女性に対しリスクテイクして向き合うことをせず延々と草はんでる)とに大きく二つに分かれ、全人的に成熟して女性に適度な能動性・積極性を示しつつ建設的な関係を築けるバランスの取れた男性がとても少ないということ。実例を100個位挙げて日頃のうさを晴らしたが、あまりに生々しいので割愛する。

ぎょっとする男性が多いかな・・・でも、皆さん自分だけは違う、と思ってくだされば問題ない。

側にいた男性(まれに見るバランス系)が、こと草食においては、PCのせいだ、元来がコンセプチュアルな男性は、PCで色んなことがバーチャルで体験できるようになったせいで、リアリティに対応する能力を今や失いつつあるのだ、PC禁止!と言った。
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by zelan | 2009-12-24 02:29
2009年 12月 23日

2009年12月23日 速度

落ち着いて、急ぐこと。
焦ることと速くすることは違う。
焦ることは速くすることに対し、単なるノイズにすぎない。

ただし、「一旦やると決めたことの、効率なんて、考えるな」という声も、自分の中にはある。
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by zelan | 2009-12-23 00:21
2009年 12月 22日

2009年12月22日 全体と部分、前と後ろ

洋服のもとは布、即ち平面だが、服は人のからだに沿うものなので立体である。
フランス大使館で開催中のアートイベント、No Man's Landの中で一昨日行われたクチュリエ鈴木道子と音楽家Benjamin Skepperの、洋服制作と音楽の即興パフォーマンスを見た。

ボディの後ろからかけた布をなだめるというか、てなづけるようにして肩や肩甲骨のラインが創られていく。布って伸びるものだと実感する。やがて襟や袖ぐり、ウエストのくびれ、そしてコサージュやベルトなどのディテールが次々生まれ、2時間程で一着の服ができあがる。
服の制作過程を見ると、普段無意識に袖や襟、前身ごろ後ろ身ごろの集積で服ができ、それを自分が着ているように思うが、実際は当然ながらからだに沿った一つの服がまずできて、そこから初めて部分を分離させ(型紙などで)、また統合して服ができていることがわかる。

全体が先で、部分が後、あるいは全体の生成過程において一拍遅れて部分が分かれてくる。
絵も、部分に着目して全体の構造をその部分に整合させようとすると、難しくなることが多い。

ところで後ほど鈴木氏に伺ったところでは、またこのパフォーマンスもそういう印象だったが、服は「背中から創る」と言われるそうだ。とすると背中を創った残りの布が前にまわってきている構造だけど、服を買うときは前側ばっかり気にするのがおもしろい。

Benjamin Skepperの音楽も、典雅さや激しさなど情緒の変化を巧みに制御しつつ、一貫して「冷たい」のがとてもよかった。私は表面的な見かけはどうあれ、冷たいこと、そっけないことがアートの質としては好きだ。それはその作品が、何かにあるいは誰かに迎合しない、作品自体の独自な生命力をもっていることの、ひとつの証である。
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by zelan | 2009-12-22 08:28