2009年 10月 31日
美しいの反対は醜い、キレイの反対はキタナイ。 しかし多くの日本人にとって、美しいの反対はキタナイか。 自分もそうだからよくわかるのだが、日本人にとっての美は、 いつも結構清らかさと結びついていて、この感覚的潔癖症が、 こぎれいで浅薄なものを創ったり、細部の仕上げにこだわって 全体の勢いを失わせたりと、時に美術作品の力を弱めること がある。 私は、美しいの反対は「ウソ」だと思う。 でもいつも本当であることは、結構難しい。 我々ちょっとしたスキをねらっては、 自分自身をもだまそうとしているから。 ▲
by zelan
| 2009-10-31 00:14
2009年 10月 30日
2009年 10月 29日
作為なく創られたものは、美しい。 特に、自然や必要性から生み出されたもの。後者には、様々な道具や装置 などが含まれる。 東京大学総合研究博物館 「キュラトリアル・グラフィティ 学術標本の表現」 展と「鉄―137億年の宇宙誌」展へ。 樹脂のようなもので継がれた頭蓋骨、箱の中に並べられた大腿骨や骨盤、 石製の矢尻、超高純度の鉄の塊とそれを展示する大きなガラスケースの 角をかしめている金具など、まったくもって余計なノイズのないモノたちに、 いちいち萌える。 人間が脳内で考える美的意匠は、これらの前ではごくささやかに見える。 稲垣足穂が、「すべての美しいものは美少年的である」と言ったんじゃ なかったっけ。ぽっちゃりした美少年もいるにはいるだろうが、なかなか 想像できない。 骨なんて究極のほっそりだもの。 東京大学総合研究博物館 (展示は11/3まで): http://www.um.u-tokyo.ac.jp/ ▲
by zelan
| 2009-10-29 09:28
2009年 10月 28日
いつかの冬、日比谷のペニンシュラだったかで知人とお茶をしていて、 帰り際に彼がコートのボタンがないのに気づき、テーブルの下を探した。 ほどなくして、「あった!」と言うのでよかったーと思ったら、 「・・・でもこんなに小さくなってる・・・」と見せてくれたボタンはなくした ものの1/3くらいの大きさだった。要はそのボタンではなかったのである。 その後ホテルを出て探しながら来た道を歩いた。するとたった100メートル ぐらいの間に3コもボタンを発見した。落としたボタンは結局なかった。 そんなことが世の真実(少なくとも日比谷近辺の)であることを知っている 人は1億2千万人の内3人くらいかもしれないけれど、ほんと道には ボタンがすっごくたくさん落ちている! ▲
by zelan
| 2009-10-28 00:25
2009年 10月 27日
アートに関わる人がお金に「直接」興味があるかはともかく、「アートと金の関係」というのはしょっちゅう話題になっており、講演会やセミナーなども何らかの形でこれに関連するものが多い。 10月23日、東京藝術大学において講演「なぜアーティストは貧乏なのか?」(アムステルダム大学名誉教授 ハンス・アビング博士 芸術経済学)に参加。 アーティストの多くが少なくとも西欧諸国においては(日本でも同様の状況と思われる)経済的に貧しいが、これはアーティストが需要に対し供給過剰であることを示す。 このような状況においては、アーティストに対する助成はぎりぎりで喰っていける人々を更に増やすことにつながり、供給過剰に拍車をかける。むしろ、パブリックアートの購入など、需要を喚起する支援の方が効果的であるという主張は、言われてみれば理にかなっている。 また、そもそもアートが誰もあまり益を得ないにも関わらずいつまでも従事者が減らない、経済的に特殊な業界である重要な理由の一つが、19世紀後半以降の市民社会の台頭もあいまって、表現者としてのアーティストが一種象徴的に「よりほんものの個人」として尊敬されているから、という指摘についても印象深い。 (本講演は博士の著書「金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか」(山本和弘氏訳)に基づく。正確な内容は同書、また博士のサイト:http://www.hansabbing.nl/にてご参照ください。) ところでアートと金と言えば、以前美術手帳に、作家に喰えてるか喰えてないか、喰うべきか否かを質問している記事がでていたのを思い出す。作家は作品の質を追求するのが筋だから、質を追及できていれば何で喰っててもいい、という意見が多かった印象があるが、質を追及するならバイトしてるより専業になって時間が使えた方がいいので、論理的に少々矛盾があると思った。 もちろんどうしたって何をしたってとりあえず生きて創るしかない。それで喰えるようにと頑張ってマーケティングをがんがんやって、喰えるようにはなったが質が、という本末転倒の形態は、副業が忙しすぎて制作が十分できないという本末転倒の形態同様皆避けたいと思うだろう。 制作する人々はあくまで質を維持・向上していかなければ意味がなく、まずはそれを第一義としてそのための時間を増やす努力をしていくしかない。その望ましい形態はそれで喰うということかもしれないが、個人の特性や環境によっても、具体的なやりざまの解は異なると思う。 いずれにせよ自分にとってはアートと金という問題は、即ちアートと時間という問題に言い換えることができる。 ▲
by zelan
| 2009-10-27 09:28
2009年 10月 26日
昨日は、写真家 所幸則氏個展「1sec 感染。写真展。(音楽と 文章と人と映像と素材と)」(目黒 GALLERY COSMOS)へ。 金属に印画した写真は初めて見た。 私は、絵画でも写真でも、それが単なる「情報」以上の「モノ」として の要素を持つか否かがすごく気になる。 渋谷を始めとする氏の都市図の、まさに油でぬめった金属のような、 硬く、かつなまめかしい質感は魅力的だ。 インデペンデントキュレーター深瀬鋭一郎氏と、東京大学大学院の 五野井郁夫氏を交えたトークでは、都市の管理強化の流れの中で 渋谷もついには透明ガラスの中身丸見えの街になるかもといった 逆ユートピア的未来が語られたが、そうなったとき氏の写真は、 まだそうではなかった渋谷の、長く色褪せない記憶となるだろう。 「1sec 感染。写真展(音楽と文章と人と映像と素材と)」 目黒 GALLERY COSMOS 11/1まで。 http://www.gallerycosmos.com/ ▲
by zelan
| 2009-10-26 00:48
2009年 10月 25日
私は世の中なんでも大きく二つに分かれると考えていて (これはAと非Aと考えればかなり論的的ではあるけれども)、 そのノリで、「男はシャーロット・ランプリングが好きなのと好きじゃない のに分かれる!」と断言した処、その場にいた男性はシャーロット・ ランプリングを知らなかった。第3のカテゴリーという訳である。 なんだって、決めつけることには陥穽がある。 と言いつつ、何事もよく見ればすべてアナログなことを考えれば、 時に決めつけることも重要、と内心ではかたく信じているので、 「ゲージュツが世界を理解する唯一の手段だー」、と言ったら、 自分がたまたまそう思ってるってだけでしょ、と知人にあきれられた。 ▲
by zelan
| 2009-10-25 10:25
2009年 10月 24日
感じていればよいのに考えていることが多いのはなぜか。 またなぜ感じているときにもふと、ことさらにもっと感じようとする 動きが出てくるのか。 一瞬でもクリアに感じたら、言語なしで一挙に知恵が生まれるのに。 これほどまでにそういう経験がまれであってもなお。 ▲
by zelan
| 2009-10-24 00:37
2009年 10月 23日
素材を置くとき、自分の感覚だけに頼ってはだめだ。 自分の感覚から少し、ずらすこと。 その隙間に、作品に価値を加える何かが滑り込む。 コラージュは、跡を残さずに素材の位置を自由に動かすことが できるが、これはごく重要な特徴である。 顔料と筆を使う絵画では、基本的にそれは難しい。 つまりコラージュは伝統的絵画に比べ、より本質的で素朴な 形態で、「試みるということ」に関連する何かなのだ。 ▲
by zelan
| 2009-10-23 00:10
2009年 10月 22日
成すべからざる時に何かしたくなり、欲望に負けてやってしまうことがあるが (別に色っぽいことではなく、ネットサーフィンやTVを見ることなど)、欲望に 引っ張られそうになっているほんの0.0何秒かの間でもその気持ちを 落ち着いて味わうことができれば、そのこと自身に一種の甘美さ、感覚の 喜びと満足を感じて、結果行動を起こさずにすむのではないだろうか。 結局人というものは甘美な感覚にはすこぶる弱いので、自分が快楽主義で あることを、逆手にとるしかない。 先日紹介した舞踏家のイムレ・トルマンは、生きる目的は「味わうこと」である と言った。味わうことに使っている我々の時間は、とても少ない。 ▲
by zelan
| 2009-10-22 10:25
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