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原初のキス

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カテゴリ:制作心理( 18 )


2019年 09月 18日

誘惑

物を作る時はある程度抽象的なレベルにおける「初志貫徹」と言うか企図を実現するぞという構えみたいなものが必要だと思うのだが、途中で「聖アントニウスの誘惑」並に別の道への様々にして強烈な刺激が必ずや訪れる。

臨機応変という自由さを保っておくことと、初志貫徹の両立が必要になるため、やってくる刺激がどんな種類のものなのか、使えるやつなのか悪いやつなのかみたいな見極めが必要って感じ?いや、というより恐らく、自分の「反応」の質の方を見極めるべきなのだ。現象なんていろんな事が無限に起こるんだから。


by zelan | 2019-09-18 11:56 | 制作心理
2019年 09月 15日

ずれる

イメージの制作においては基本自分の思惑からずれていく方がいいと思う。
自分が孔版やミクストメディアで版的表現を使うのは、版というものが基本的には私自身から常にずれてくれる可能性を有しているからだ。
思い通りになるのが一番いいなんてそこまで自分を信用してない。
ズレは天(自然)からの恩寵である。


by zelan | 2019-09-15 11:36 | 制作心理
2019年 07月 12日

考えと絵とスポーツ

何かの発想がうかび、その主題でものを考えていると3段階ぐらいまでは深まってるないいぞいいぞという感じになるが、でも4,5段目ぐらいとかその先まで考え続けているとなんかごちゃっとしてきてかえってわかんなくなってくることが多い。

絵のマチエール(質感)の説得性なんかもそうで少なくとも自分の使っている技法の場合経験的にほぼ3から4層で基本的には決まる。ところがそこで何か物足りなくて足したりすると逆に、それまでは存在していた簡潔性が全体として損なわれ、結局その付けたした層までを2層目ぐらいの存在にわざわざ捉え直して(捉え直すというのは例えば物理的には絵具やスプレーでつぶしたり)また改めてやってかなければいけないとなり・・、で、少なからぬ場合結局あんまりスパっとした状況にならないっていうことが多いんですね。

三段跳びって競技があると思うがあれは四段跳びとか五段跳びとかぢゃいけないんだろう、ということが、美術的体験としても納得なのであった。



by zelan | 2019-07-12 22:18 | 制作心理
2019年 05月 26日

途中

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パーツの素材を作ったがまだ組み上げてない。
作っているものはしばしば、初期や途中の方が自分にとっては良く見えることがあり、一方その場で決めちゃうと粗い時がある。でもあーだこーだが始まる前に決めた方がいい時も多い。難しいような面白いような点。

(図像 是蘭 work in progress)


by zelan | 2019-05-26 11:34 | 制作心理
2019年 05月 09日

やる気がないからといって生産性が低いとは限らない

先般ひどくやる気のない日があった。

あれもこれもそれもやらねばいけないことが山積しているのに、どうにも体が動かない。そうやってずるずると日を過ごし、夕方ぐらいになって、その日ない力を振り絞って無理やりやったことを振り返ってみたら、意外や意外・・・一週間くらいのばしのばしにしていたことが片付いていたり、絵画制作上の技術的課題に解決策が見出せていたりと、決して本当にいわゆるところの「効率」が悪かったとは言えない状況であることを知ったのであった。

つまり、非常にやる気がなかったが故に、自主的にさくさくあれやこれやに向けて動くエネルギーが枯渇していて、やるべきことの中の重要なことしかできなかったようなのだ。つまりは余計なことをしなかったということ。

と、一瞬感動しかけた自分だったが、考えてみたらこんなことぐらい中学生の頃に気づいておけばよかったよトホホ・・。だって子供の頃だってやる気のなかった日々はたくさんあったはずなんだから!

やる気があるとかないとかなんぞに振り回されて暗くなったり明るくなったりとムダなエネルギーを使ってきたのはまさにムダだった。
でも気をつけていないとこれからもそうなりかねないので、気をつけておくことにしよう。



by zelan | 2019-05-09 21:53 | 制作心理
2019年 05月 09日

やる気雑感その2

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やるぞーという気合みたいなものは何事においても基本不要なんではないか、という仮説を自分は持っており、以前書いたこともある。やるぞーというのは物理的側面としては筋肉の緊張を伴っていると思われる。そうして比較的気合がないとできないことをしようとしている場面で現れやすいことも勘案すれば、そういうそこはかとない不安とも関わっていて、緊張だの不安だのそれらがなくなれば気持ちも楽になりパフォーマンスもあがるんじゃないかしら、と考えているのだ。

ただし、やるぞーという気分が好きな人というのもいるようで(仮にアドレナリン系と呼ぼう)、そういう人は思いっきりやるぞ感を楽しめばいいと思う。
脳科学の苫米地英人さんという人が、感情って現代人にとっては一種の娯楽として楽しめばいい、というようなことをおっしゃっておられて目から鱗だったが、アドレナリン系の皆様は存分に楽しめばいい。

でもそもそもやるぞって、感情なのかな。どっちかって言うと肉体的な感覚に近いような気がするが、無理やり感情と関連づけるなら喜怒哀楽でいったら何なんだろう・・・。
相手(仕事など)をやっつけてやる、みたいな点からすると、微妙な「怒り」感覚も混じっているような気がする。

(図像 レオナルド・ダ・ヴィンチ)


by zelan | 2019-05-09 21:22 | 制作心理
2019年 05月 05日

既知と未知

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4月末に終了した美の起原でのグループ展示には、多くの方々にご来廊頂きありがとうございました。
今般の展示で複数名の方から作品について、暴力的であると言う言葉を頂き、それは面と向かって明るく言われているが故に思うに非難ではなく(別に非難方面にだって自分は完全にオープンですが)むしろありがたいお言葉だ。
なぜならば誰が作るものであれ作品は多かれ少なかれ人の感覚に対して侵入的であるということが条件だと自分は考えていて、更に、今ちょっと調べてもわからなかったので非常に曖昧な記憶なんだけど、「O嬢の物語」の作者のポーリーヌ・レアージュがどこかで、夢の中で恋人を殺すなんて何ほどのこともないみたいなことを言っていたように、思弁的あるいは芸術的暴力というものはむしろ現実的暴力に拮抗したりそれを減衰させる力なのかもしれないと思っているからである。

さて、一部の絵に言葉を載せておいた。半透明の膜で貼ってあったのでサブリミナルにはともかくしっかりと気づいた方は少ないかもしれないが、それは次のような文(を英訳したもの)である、<往時、統べる者は巨大な体躯をしていた。彼らですら行く手を阻む風には難渋していたが、ついにそれを制御する術を覚え、以来彼らの肉体は我々弱き者と同様のものとなっていったのである。>

分かっているから作るのではなく、作るからわかるという側面の方が常に大きい。
しかも作ってもわからないことが延々とある。最近自分は人類史とか科学技術史に興味を持ち始めているのを意識していて、絵にこうした文を入れるに至り更にそうした興味が強化されているような気がするが、本当のところはよくわからない。
自分の中では常に既知と未知とがせめぎ合っている。 その接点のところに我々が作るものは位置している。そうして今「我々」と言ったように、これは自分に限ったことではない普遍的なことなのだ。

(図像 是蘭「風の牽制」)



by zelan | 2019-05-05 15:27 | 制作心理
2019年 03月 31日

直接話法


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制作心理的に「直接話法」と勝手に呼んでいるのだが、絵画を創っている場合、明るすぎれば暗く、暗すぎれば明るく、おとなしければ大胆に、ばらけていればまとめ、まとまりすぎていれば壊す、等々基本的にはそれだけでじわじわと質的には上方に進んで行くのではないかと自分は信じている。
但し例えば明るすぎれば暗くという時、「明るすぎる」ということを認知する内部基準が醸成されていることが必要。そしてその精度には、到達点というものはない。



by zelan | 2019-03-31 10:21 | 制作心理
2019年 03月 26日

特殊ということ

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制作する人はプルシェンコじゃないけれど他人のことは気にせず、めちゃめちゃ個人的で特殊な意識・領分・技術に入って創り続けていくのが結局の処いいような気がする。
特殊性と普遍性のショートがアートであり、そのためには前段の特殊性の方がすごく特殊な方がいい、という認識。(それにしてもこのアートってカタカナの響きが個人的には違和感満載なのだが、他に言いようがない場面が多く、ここでも「美術」とは言いづらい。)

もとい、特殊性磨きの方がいいとはいっても個々人においてそうするぞーと思って簡単にそうなる訳がない。特殊性を研げる人っていうのは研ぐも何も、どうしてもそうなっちゃう人が多いイメージだ。
ただ凡人が絶対にそうできないかと言えばそうでもないような気がする。更に勿論特殊性を研ぐために外在するものを勉強してはならないということもない。 凡人たる自分は、おそらく物事のインプットの仕方(対象・量・質・知識への批判的構え等)と自己認知を含む制作心理において特殊性を磨く非凡人化のスキルが得られるのではと狙いをつけ、その方面の発見をしたいと日々思っているのである。



by zelan | 2019-03-26 11:48 | 制作心理
2019年 03月 16日

うろ覚えの顛末

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絵を描いている途中で自分が次の打ち手として思いつくものは、常に決め打ちの「答え」であることが望ましい。

何を言っているかというと、複数の考えが出て即ちその考えたちが「選択肢」となった場合、どれを選ぶかという判断が必要になり、ウォーホルが言ったように判断を重ねれば重ねるほど絵の力は減衰していくからである・・。

と、書いて自分でもどこで見聞きしたのか不明になっていたこの言葉の原典について不安になってきて調べた。
どうやら以下の言葉らしい。

“Don't think about making art, just get it done. Let everyone else decide if it's good or bad, whether they love it or hate it. While they are deciding, make even more art.”

あっ、なんか違う・・。でも全然違ってるとも言えず、絶妙に似たような内容も暗に含んでいるのであった。



by zelan | 2019-03-16 16:24 | 制作心理