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原初のキス

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カテゴリ:制作心理( 11 )


2019年 03月 31日

直接話法


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制作心理的に「直接話法」と勝手に呼んでいるのだが、絵画を創っている場合、明るすぎれば暗く、暗すぎれば明るく、おとなしければ大胆に、ばらけていればまとめ、まとまりすぎていれば壊す、等々基本的にはそれだけでじわじわと質的には上方に進んで行くのではないかと自分は信じている。
但し例えば明るすぎれば暗くという時、「明るすぎる」ということを認知する内部基準が醸成されていることが必要。そしてその精度には、到達点というものはない。



by zelan | 2019-03-31 10:21 | 制作心理
2019年 03月 26日

特殊ということ

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制作する人はプルシェンコじゃないけれど他人のことは気にせず、めちゃめちゃ個人的で特殊な意識・領分・技術に入って創り続けていくのが結局の処いいような気がする。
特殊性と普遍性のショートがアートであり、そのためには前段の特殊性の方がすごく特殊な方がいい、という認識。(それにしてもこのアートってカタカナの響きが個人的には違和感満載なのだが、他に言いようがない場面が多く、ここでも「美術」とは言いづらい。)

もとい、特殊性磨きの方がいいとはいっても個々人においてそうするぞーと思って簡単にそうなる訳がない。特殊性を研げる人っていうのは研ぐも何も、どうしてもそうなっちゃう人が多いイメージだ。
ただ凡人が絶対にそうできないかと言えばそうでもないような気がする。更に勿論特殊性を研ぐために外在するものを勉強してはならないということもない。 凡人たる自分は、おそらく物事のインプットの仕方(対象・量・質・知識への批判的構え等)と自己認知を含む制作心理において特殊性を磨く非凡人化のスキルが得られるのではと狙いをつけ、その方面の発見をしたいと日々思っているのである。



by zelan | 2019-03-26 11:48 | 制作心理
2019年 03月 16日

うろ覚えの顛末

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絵を描いている途中で自分が次の打ち手として思いつくものは、常に決め打ちの「答え」であることが望ましい。

何を言っているかというと、複数の考えが出て即ちその考えたちが「選択肢」となった場合、どれを選ぶかという判断が必要になり、ウォーホルが言ったように判断を重ねれば重ねるほど絵の力は減衰していくからである・・。

と、書いて自分でもどこで見聞きしたのか不明になっていたこの言葉の原典について不安になってきて調べた。
どうやら以下の言葉らしい。

“Don't think about making art, just get it done. Let everyone else decide if it's good or bad, whether they love it or hate it. While they are deciding, make even more art.”

あっ、なんか違う・・。でも全然違ってるとも言えず、絶妙に似たような内容も暗に含んでいるのであった。



by zelan | 2019-03-16 16:24 | 制作心理
2019年 03月 15日

部分修正危険!

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絵を描いていて一部のちょっとした瑕疵が気になり、その部分だけ直そうとしている内に結局全体がハデにぶっこわれる、という体験を今まで何回してきたことか(多分1000回以上・・・)。

ビジネスや他の生活上のあれこれも同じである可能性がある。
恐らく、常に「全体視すること」が何事においても、物事をより良くしようと企図する際にはとても重要なのだ。

なぜならどこかが「瑕疵」であると感じる時、それは無意識的に全体を見た上での認識なのだから。


by zelan | 2019-03-15 21:51 | 制作心理
2019年 03月 15日

不思議

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パレートの法則というのをどこまで敷衍化していいのかはわからないが、なんだか少し神秘的な感じさえするのである。作品の制作なんかでも2割の時間で8割がた創り、残りの8割の時間で仕上げるという、そういう(心理的?)バランスがいいような気がする。恐らく自分の使っている技法などとも関係する、あくまで感覚的な認識だが。


by zelan | 2019-03-15 10:28 | 制作心理
2019年 03月 07日

チャクラの色は使えるか

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先般受けたアーティストの方からのレクチャーでたまたまチャクラの色の話が出た。
そういえば陰陽五行においても木火土金水に色が割り当てられている。
こういった情報を見聞きした時、それをどう美術に生かすかは結構悩ましいところだ。情報が色の選択において思考及び感覚の邪魔になっては本末転倒というもので、だからどちらかといえば慎重に距離をとってきた。しかしである、考えてみたら色に関する学びの中で得る情報、例えば補色といったものですら、その知識との向き合い方如何では普通に自己洗脳になる。洗脳という言葉は強すぎるかもしれないが情報や知識に対し思考停止になり得るということ。

最近買った色彩関係の教本にもその教師が補色云々については生徒に軽軽には伝えないと書いてあった。色の響きとは自分で試み生み出すものであって知識でもって枠を決めるものではないからだ。(ただ、もちろん色彩について知識は大いに役に立つ。効率、という点においてもそうである。)

いずれにせよつらつらとチャクラや陰陽五行の色の話がどう使えるか、などと考えていた。色彩のプランにおいて別段それらの色を組み合わせてみてもいいと思う。そうした後に響きだの効果などについて発見をする。立方体の面に別々の色を塗っておいてサイコロのように2回振り、その2色間をブリッジして全体を美しくする色について研究したってかまわない。ちなみにこれらが自分にとって興味深く思われるのはある程度偶然性を使う自分の技法とのなじみがいいからだが。

何かの情報に触れた時、それが真実か否かや情報そのものの内容に意識は向きがちだが、情報と自分の間に取り結びうる関係はとても多様なことが多い。なぜならば、この関係における特に自分の側が、情報自体より比較的自由で流動的だからである。


by zelan | 2019-03-07 15:46 | 制作心理
2019年 02月 06日

Don't think. Feel!

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今日夕食をした中華料理店で化粧室に入ったら、目の前の壁にブルースリーの顔とその下に「考えるな、感じろ」と書いてある紙が・・。思うにこのセリフが放たれた「燃えよドラゴン」の中の一シーンを写真にして貼り付けてあるのだ。正直自分はこの言葉が大好き。実際に手を動かして何かを作っている時、考えることはノイズに過ぎない場合が多い。分かってるけどなかなかやめられないのだが。

一方、もしかしたら「考える」「感じる」と言葉で明確に分けているほどこれらの境目というのははっきりしていないのではないかと思ってもいる。その中間のグレーエリアみたいなものがあり、本当に一番強力なのは考えているようで感じているようで考えているようで感じている、みたいな状態なのではないかと思うのである。
ただしこの時の「考える」とはおそらく言葉を使うような思考ではない。よってこのブルースリーの言葉を自分なりの違う言いざまにするなら、「言葉を使うな、感じろ」ということになるのかもしれない。

ちなみに化粧室を出る時に見たらドアに毛沢東が縄跳びをしている絵が書いてあった。この中華料理店はかなりユニーク。



by zelan | 2019-02-06 21:15 | 制作心理
2019年 02月 02日

絶対に失敗しない稀有なこと

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やるぞー、と思ってできなくて、あーもうだめできなくていいや、と思うと急にできたりする。

美術やなんかでもその辺りの努力逆転の法則みたいのがしばしば出張ってくることがありなかなかややこしい・・・ということをぼんやり考えていたら、自分がいまだかつてほぼ絶対に失敗せず、一旦実行すれば大体においてうまくやりとげてきた事柄に気がついた。それは「掃除」である。

よくテストの前なんかにめちゃめちゃ部屋が掃除したくなる事があった。自分が思うにこれは成功するか失敗するかわからないことに向かうに際し生じてくる不安を無意識的に抑えようと、掃除という、ほぼ狙って打つことが可能な行為に逃げていたのではないか。

NHK のサラリーマンNEOを たまたま見ていたら、「契約は取れなくても汚れは取れる」と言っていて笑ってしまった。仏教の修行で掃除をするのもこれに関係するのかしら。一生懸命やってもできたりできなかったりすることって多いが、それだと修行できているのかいないのかよくわからんがゆえに・・。

それにしても美術制作方面における努力逆転の法則、この扱いはなかなか噛み応えのある問題のように思う。


by zelan | 2019-02-02 16:52 | 制作心理
2019年 01月 28日

「再現」は絶対に、できない

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何かやっていて(例えば絵を描くなど)ふと劇的にうまくいったとする。そうするとそのプロセスと結果を「再現」して「定着」させようと人は試みるものだ。ちゃらちゃらした人は物事がたまさかうまくいってもせいぜいラッキー!と思う位でそんなことを考えないかもしれないが、大体において美術や音楽やスポーツなどの技芸に関わる人々はことさらまじめな人が多いので、またできたらいいな・・と思うのである。

でもこれは自分の度重なる経験から自信を持って言えるのだが、何事も、絶対に「再現」することはできない。どうして同じプロセスで注意してやってるのに同じ(期待した)結果が出ないのかとこれまで100万回位泣いたような気がするが、考えてみたらそんなのは当たり前。自分の動作はもちろん、画材の状態やらその他回りの全ての条件が完全に一致することはない訳で、そもそも「再現」というコンセプトそのものが、現実世界では成り立たないのである。

でも「練習」を積んでいくとうまくいくぢゃん、というのはある。これは再現を目指すためにするものでなくプロセスにおける条件のトレランスを実践を通して認識し、その範疇に自分や道具や環境のブレを収め目指す結果を得ることへの習熟のためにやっているのである。

でもわかってるつもりでしばしば、この「再現」しようとするコンセプトにすぐにはまってしまうのだ。人間は安心安全を求めるから。うまくいったことが「再現」できると思うとふんわかした気分になれるからである。実際、何事も再現できない、と思うと常にアラートでいなければならない、これは凡人にとってはそこそこホネなのだ。


by zelan | 2019-01-28 19:56 | 制作心理
2019年 01月 27日

傷の使いみち

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制作中の絵に構想に反するちょっとした傷を見つけた時、それがうまく隠せない、あるいは隠すのに失敗してしまったら逆に目立たせるしかない。
目立たせ方には二種あり、大きな構想から逸れずにむしろ構想を強化する方向でそうするか、もう構想にこだわるのをやめて傷自体を友として別の方面に旅に出るかだ。後者の成功率は経験上非常に低く(大体15%位かな・・)、旅は大抵「遭難」で終わる。
でもこれは個々の作品を完成に持って行くという意味で「効率が悪い」だけで、結局そういうことにどんどん慣れて経験値を積んでいくと、自分の持っている構想のレイヤーを行き来し、どのレイヤーでも成功することがうまくなっていくかもしれない。だって自分の作品の構想なんて、どうせ一人の人間が考えているのだもの。違う風に見えたって抽象的などこかの層では必ず一つの構想なのだ。

いずれにせよ絵の瑕疵について考えていると、人間の欠点のようであると思う。そう、欠点をカバーできないのだとすれば、それを活かすしか道はない。



by zelan | 2019-01-27 12:04 | 制作心理