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原初のキス

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カテゴリ:感覚について( 6 )


2019年 10月 02日

唐突なシリコンバレー

先頃レストランで食事をしていたら、離れたテーブルに座っていた中年男女混合のグループの会話からいきなり、「シリコンバレー」という言葉が聞こえてきた。自分は以前その周りの仕事をしていたことがあるのだが、だからといって決して静かではない混んだ店の中でそこがいきなり聞こえるっていうのは人間の感覚というものは不思議だと思う。あと好きな CD などで、他のことをしつつ聴いている時もあるフレーズにおいて毎度パって注意が向くっていうこともありますね。

どう考えても注意力散漫なんじゃないかと日々反省している自分の割には、感覚のセンサー自体はずいぶん広く張り巡らされているらしい。その辺りが人間の持つ潜在能力の源なのかも。



by zelan | 2019-10-02 22:48 | 感覚について
2019年 09月 28日

都会のマチエール

昨日最寄りの駅の近くの交差点で信号が変わるのを待っていて、ふと側のガードレールに目がいき、そのなんていうのか金属の横棒がすごく白くて最近塗ったのかツヤっツヤでキズひとつなく、素晴らしい人工的なマチエールだったので自分は見惚れてしまった。ごたごたした道端で、まるで「無垢」や「完全性」を表象しているようであった。ガードレールにまで感心するというのもどうかと思うが、今や人間は、人工物においても以前よりは相当厳密に面白い面白くないを切り分けるようになってるのかしら。

そのうちパソコンモニターの表面のマチエールの良し悪しすら気になるようになるはず。
(自分はまだそこまでいってない。内側から光ってると、まだ光を見てるって感が強い。)

そうなった時、目にするのがだんだん減っていく自然物の見え方というのはどう変わってくるだろう。
感度は劣化していくか、生命体として適確に保持されていくのであろうか。


by zelan | 2019-09-28 16:52 | 感覚について
2019年 09月 01日

ヒトの感覚

人間の感覚の選択性というのは非常に面白いものだと思う。
例えば私は自宅にいるとき腕時計をしていることに耐えられない。手首に余分な感覚が生じるのが嫌なのだ。
そのため帰ってきてしょっぱなするのが時計を外すということなのだが、一方外では平気でつけていて思い出しすらしない。単に外だと時間を認識しておくことがより重要だから自然に感じるとかそういう問題ではないような気がする。屋内外に腕時計以外の時計はいくらでもあるから必ずしも外でしている必要はないし、家にいたって今何時かっていうことは多かれ少なかれ大切なのだから。いずれにせよ家にいるか外にいるかで、自分という存在はなんらかの機序でもって腕時計に対する感じ方を変えているらしい。

人が個別具体的な絵画を見て面白いとか面白くないとか上手いとか下手とか感じるのも、単にそれらが本当に良い絵か否かとか、見る側の経験やリテラシー、趣味の問題というだけでは片付けられないような宇宙的世界の広がりがあるのではないかしら。逆に言えばなぜそう感じるのかは相当に理解しがたいことなので、いかに感じようと実際上自由ですよ、ということである。







by zelan | 2019-09-01 21:33 | 感覚について
2019年 06月 23日

本日の真実

ホンジツのシンジツというのは軽く韻を踏んだつもり。今日、友達と夕食に行ってモッツァレラチーズが食べたいと思ったが、最近よく食べていたトマトの代わりにルッコラを合わせてもらい、もはやカプレーゼとはいえないカプレーゼ的なものをお願いして作ってもらった。そうしたらこれがまた非常に美味しかったのだ・・。

ということで自分はとある真実に気づいた。それはモッツァレラは出汁(だし)であるということである。
出汁だったら何でも合う。色で言えばちょっと無彩色っぽい感じ?



by zelan | 2019-06-23 20:54 | 感覚について
2019年 03月 29日

興奮したり落ちついたりのナゾ

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どうも PC などに向かって言葉を打ち込んでいたり、あるいは頭の中であーだこーだ言語を操って考えていると、どんどん興奮してきてしまう傾向が自分にはある。
そして制作等、主に視覚を使う活動にシフトすると今度は妙に落ち着いてくるのである。
それぞれのコンテンツの問題も大きいだろうので必ずしもそうでもない時はあるが、雑駁に言えば言葉は交感神経賦活系であり視覚は副交感神経をいい具合に刺激してくれる感じが否めない。
これが自分の個性なのかそれとも人類一般そういう傾向があるのか少々興味を持っている。

ところで私は最近このブログの原稿を主に Google の音声認識を使って書いている(・・しかし音声認識を使うとなんだか「書いている」というより純粋に「考えている」っていう感じになる)。この場合も言葉ではあるので、ある程度交感神経は活発になるが、PCでキーボードを打つより落ち着きが保ててるような気がするんですよね・・。自分の声を聴くので、キーボード打ちにはない「聴覚」が刺激されるからかもしれない。



by zelan | 2019-03-29 10:39 | 感覚について
2019年 03月 19日

クッキーを買って混乱するの巻

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クッキーが食べたくなって買った。その袋にはでかでかと「ゲランドの塩」使用と書いてあった。裏を見てみると使用されている食塩の中の「13パーセント」がそれということであった。自分はそれでかなりのリテラシーが消費者たる自分に要求されているように感じた。15でなく13であるところも印象的である。
極端な例で言えば100円ショップで買ったアクリル絵具の「あか」にリキテックスの例えばディープブリリアントレッドを13%混ぜて、明確に違いがわからねばならないということだ。

しかし確かにそのクッキーは美味しかった(し、上記の例の絵具の違いもわかるような気がする)ので、自分にはその感覚的リテラシーがあったのかもしれない。でもこれってむしろ相対的比重としてはかなりマーケティング戦略的なことだったのでは、とも思え、クッキーを買ったばっかりに自分の頭は多少ぐるぐると回転してしまったのである。

追)その後、この13%はもしかしたら「ふりかけて」いるのではないかと思った。だとすれば最初に味わうのは純粋ゲランドの塩だ。普通の塩とまぜて中にも外にも使うより、要求されるリテラシーも少しは減る・・。


by zelan | 2019-03-19 21:17 | 感覚について