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原初のキス

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カテゴリ:芸術鑑賞( 7 )


2019年 06月 01日

なぜモテたんだろう?

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友達に何を聞いてもほぼほぼ一言で答えるという人がいて面白いのだが、先般、クリムトってなんでモテたんだと思う?(わかってるだけで十数名の女性と浮名を流している)と問うと、「セレブだったから」という返事で笑った。

この答えは正解かもしれないし正解でないかもしれない。クリムト氏は容貌としてはめちゃイケメンというほどではないようだけど、多くの女性にとって抗いがたい素晴らしく魅力的な人格を有していたかもしれないしね。

展示は見に行った方がいい、とかねがねお勧めしている自分ではあるが、こういうことについては多くの場合展示に行くだけではわからないのは確かである。よほど作品と直接関係がない限り、作家がなぜモテだったとかで一枚説明パネルを据えてくれる太っ腹な美術館はないであろう。
でも実際のところは、彼がモテたことと、彼の描く絵って、すごく関係があると思うのよね・・。


by zelan | 2019-06-01 22:04 | 芸術鑑賞
2019年 05月 28日

下がってから上がった話 ~ 福沢一郎展@東京国立近代美術館

困ったな、と自分は思った。竹橋の近代美術館でやっていた福沢一郎氏の回顧展最終日に駆け込みで来場し、初期のコラージュ的絵画作品から後期の神話や現代風刺をモチーフとする大作までほぼ全ての作品を見終わる頃合いになっても、自分にしては珍しく、どの展示でも考えたというよりも天から自動的に降ってくるがごとくの「感想」が思い浮かばなかったからである。

つらつら考えていたら理由はわかった。何のことはない色彩と質感がシュミではなかったのだった。自分はどちらかといえば冷たくて人工的な色やペラッペラのマチエールを好むのだが、氏の作品は違っていた。この稀代の名画伯の作品を前にそれこそ薄い感想であり、冷静に分析的に見れば種々の感想は十分出るはずとも言えるが、評論家ではないということはさておいて自分にとってはなんらか自作の参考にするために人の作品を見るという動機が大きく、こういう仕儀となったのである。

一方そのあと常設展を見ていて、作家の名前忘れてしまった・・・と言うかメモしたけれどどこにいっちゃったんだろう・・海外の人の作品でシャボン玉に顔料を入れてそれを吹いて紙の上でパチンと割れた時に残った図像を並べてある連作を見て、やたらグッときてしまった。自分も似たようなことをやったことがあるし、技術的構想的にこの人は非常に詰めている。いいではないか。

と、いうことで企画本展の方で個人的に勝手にー5点ぐらいに下がっていた自分の気持ちは一挙にプラス250点方面に跳躍した。やっぱり展示は行ってみないとわからない。そこで何を得るかはほとんど神の采配といってもいいくらいだ。

そうしてこれがいったい鑑賞論と言えるかどうかはわからないけれど、作品はまず一義的には趣味か実利で見るという立場をあくまで個人的にはお勧めできる。実利の部分はそれぞれの人が決めればよい。
誰にとっても実利であるところの例として、「運動」になるというのもある。回転寿司みたいにベルトコンベアに乗っかって絵が流れてくるわけではなく、自分の方が歩きますからね。目の保養をしつつ足腰も鍛えられる、これはかなりの実利。



by zelan | 2019-05-28 15:42 | 芸術鑑賞
2019年 05月 13日

装丁展での感想

以前、美しい装丁の展示を見たことがある。来ていた人誰もがとても喜んでおり、これ素敵、あれも素晴らしいなどと盛んに評していて、作品も結構売れていた。
自分は少し羨ましく思った。本の装丁における人々のリテラシーはおそらく絵画に対するそれよりも随分と高い。絵についての、知識に基づいたあるいは自分なりの評価軸を持つことは、現状美しい本を見分けるよりも難しいことには違いない。



by zelan | 2019-05-13 13:42 | 芸術鑑賞
2019年 04月 24日

アートのフレームワーク

先日ふと、すべてのアート作品はコンサルさんなどもよく使う2軸4象限で位置付けると、新しいか古いか軸と強いか弱いか軸でMECEに分類できるという気がしたのである。技術的にうまいとか下手とか軸もあるんじゃないの、とか言われそうだが、それは結果として表現としての強さ弱さに包含されちゃうので問題ない(包含されるというか・・超絶技巧でもグっとこなけりゃあまり意味がない)。

新しくて強いというのが明らかに最高、古くて弱いっていうのが最低の位置づけ。中央周辺にはさほど新しくも古くもないし強くも弱くもないみたいなのがどっさりと位置するが、一方新しくて弱い作品とか古くても強い作品とかもあって、コンテンポラリーにおいては乱暴に言えば前者の方が分が良いと思う。

だからどうっていうこともないんだけれども、展示に行った際などそういう風に無理やり分類して作品を見てみると、結構エキサイティングなのではないか。つまりこれは、制作にも鑑賞にも使える視点なのだ。



by zelan | 2019-04-24 11:13 | 芸術鑑賞
2019年 04月 17日

ネガを見る

最近自分は、以前の3倍位ギャラリーや美術館に足を運んでいる。
ヒマな訳ではない(人からはそう見えるかもしれないが、自分は常に頭の中だけは誰にもひけをとらない程大忙しなのだ)。そうではなく、見に行く目的を「展示されているもの」を知ったり鑑賞したり参考にするために行く、から「展示されていないものも同時に見る」ことに変更したからである。

以前はポジ(展示されているもの)だけを実質見に行っていたので、(自分にとって)アタリとかハズレとかを主観的に決めてハズレてた場合は交通費と時間のロスが痛かった。しかしネガ(その作家・作品群が、プロセス・技法・表現やモチーフとしてやっていないこと、作家がまるっきし関心を持っていないこと)を見るようにするならば、ポジがハズレでも、ポジより大抵の場合領域が広大なネガが参考になることが多いことに気づいたのだ。

4月末日まで画廊「美の起原」にてグループ展に参加しています。
20日(土)12:00 - 18:00在廊予定です。
描いてないことも含め、ご高閲頂けますと幸いです。お目にかかれますのを楽しみにしております。


by zelan | 2019-04-17 22:57 | 芸術鑑賞
2019年 03月 29日

風邪をひいたら・・

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昔読んだ本で千住博さんが、「風邪をひいたら絵で(絵を描いて、の意)治す」とおっしゃっていてたまげた。
悲しいかな自分は寝て治すタイプで、正直絵を描くという行為そのものが好きなのかどうかすら、自信がない。

実際絵を描く人々の中には、A.絵を描くこと自体が死ぬほど好きな人、とB.絵で何かするのが好きな人がいる。
AからBに向け1から10のスケールで言えば自分は8.75位だ。
そうして人の作品を見る時に、彼らがこのスケールのどこに位置するかを勝手ながら想像したりすることは、絵の鑑賞の一つの楽しみである。

キキ・スミスというアメリカの作家が石膏で人体をかたどりして彫刻を創っていたのだが、彼女が昔、自分は人間の頭を創りたいのでなく頭で何かしたいの、というようなことを言っていたかと思う。絵ではないが当時の彼女の関心も、上記スケールでなぞらえれば、9.3位だったはず。



by zelan | 2019-03-29 23:25 | 芸術鑑賞
2019年 03月 12日

わからないのナゾ

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よく絵画について「わからない」という人がいる。
この発言は至極理解できる。大きな理由の一つとして、そもそも作り手が、容易にはわからないでいて頂けるように、創っているからである。
見ました→分かりましたというテイだと、脳に対する刺激があまりに少なすぎるではないか・・。

一方不思議なことに、外国の人からはこの言葉を未だかつて聞いたことがない。
海外特に欧米の状況に詳しい知人に聞いてみたら、彼も一般的には絵がわからないという発言を彼らはしないと言う。個人主義の確立とかなんかそんなことにも関係しそうな気がするのだが、そのはっきりした理由は未だにナゾである。


by zelan | 2019-03-12 10:48 | 芸術鑑賞