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原初のキス

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カテゴリ:美術について( 12 )


2019年 06月 06日

自分で決めるということ

最近「アート思考」という言葉が登場してその言葉の意味をあくまで自分なりに考えていることがあるんだけれど、自分にとってアートに関連する思考~個人的には作る場面においてが主だが~その特性の最たるものは「自己決定」ということである。何を企図し、何をどう実行するか、何を続け、何をやめるかを自ら決めるということだ。

大体自分が元大きい会社にいて、そこをわざわざやめて美術をやろうと思ったのもここに理由がある(今なら副業があるから迷ったかもだけど)。
だから未だにビジネスにおけるアート思考の必要性や有用性がうんぬんされても、組織だの人だのが概ね否応なく関係しているビジネスとアート思考の根本が席を同じゅうすることができるという感覚があまりない。

しかしまさにそれだからこそ逆説的に、アート思考がビジネスには必要だ、ってことになるのかも・・。



by zelan | 2019-06-06 21:43 | 美術について
2019年 05月 29日

リテラシー

美術作品が、いわゆるところの誰の目にも明らかに「美しく」なければならないかと言えばそれはそんなことはないのであって、ただひたすら「ほんとう」であることの方がより必須の条件である。でも、美しい方がわかりやすいという向きもあることは事実だ。ほんとうかどうかを見極める方が、100倍くらい訓練がいる。


by zelan | 2019-05-29 20:41 | 美術について
2019年 04月 26日

人魚とランチ

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知人と電話でランチの約束をした際、待ち合わせの場所を聞いた私が「髪の毛切りに行くんだ・・」と言ったらお見通しだったので相手がびっくりした。なぜわかったかと言えば、前回会った時に髪が若干伸びていたのを見たことと、行きつけの美容室の最寄り駅が待ち合わせの場所に近いことを覚えていたから、というたわいもないからくりである。

当り前だがこうした思考方式そのものが全然アートと関係ない。髪が伸びていたのはこれから人魚みたいに地面をひきずるほど長くしてみようかと目論んでたせいかもしれないし、行きつけの美容室は前回髪を切りに行った時に美容師がぼーっとしていて知人の耳に切れ目を入れ、既に行きつけではなくなっていたかもしれない。ありそうなことよりなさそうなこと、推測より想像、そちらの方がいわゆるところのアートっぽいに違いなく、だからこそアートを心っからきらい、と言う人は少ないのではないかと自分は睨んでいる。世界におけるバランスの、大きな一翼を担っているのだから。

(図像 John William Waterhouse)


by zelan | 2019-04-26 23:19 | 美術について
2019年 04月 22日

クリエイティブもマネジメント

絵を描くなどというとえらくクリエイティブなことをしているような印象を与えるものとは思うが、実は真にクリエイティブなところは一部にすぎない(例えば「構想」の部分とか)。支持体の下処理だの、自分の使い勝手のよいように絵具に混ぜる水分量を工夫するだの、明度(明るい暗い)の調整やら、構図だのなんだのだって、結局は技術を学びつつその実行を確実にすべく鍛錬してなるべくエラーレスにマネージできる状態に置いて淡々とやっていく訳だから、それはいわゆるところの「クリエイティブ」とは違う印象のはず。

え~と、だから何を言いたかったかと言えば、例えば美術制作といえ、かなりのところがマネジメントなのだから、マネジメント自体に重要性やおもしろみを感じるのでなければ、アートというコンテンツが仮に自分にとって面白くても、本当にそれをやってる人生そのものが面白くなるということにはならなさそう、ということ。
だから自分は、制作する人はマネジメントとクリエイティブ双方を、至極大切にしていく必要があると思っているのである。



by zelan | 2019-04-22 22:43 | 美術について
2019年 03月 22日

機能

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人が常日頃、それが「常日頃」と言っていいくらいに本当に見ているか、本当に感じているかはあやしい。少なくとも自分には自信がない。
美術は見たり感じたりすることをやや強制的に発動させるというねらいと機能を持っている。つまり私たちを、少しだけ正気に立ち返らせてくれる。


by zelan | 2019-03-22 15:01 | 美術について
2019年 03月 21日

ビジネスとアート

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絵画とか芸術一般と「感性」の働きというものは、創るにせよ鑑賞するにせよ当然のことながら本質的な要素である。
しかし特に創るという自分の基本的な立場からすると、ヴィジョン・集中と選択・技術とその差別化・情報と知識の収集と取捨選択・自分自身及び関係する他者のマネジメント等々制作や発表における諸々はむしろビジネスの世界でより精緻に体系化/整理されていて、自分は絵画の技法書も買うが「美術のために」ビジネス書をその5倍位は買っている。

最近ビジネスの世界のアートへの関心が高まっていて、その際しばしばアートを感性の側面から主には特徴づけるという場合が多いが、自分は上述の認識もありアートに関し感性に代表させるラベルは貼りづらいと感じており(実の処それ以外のラベルを貼るのも難しいのかもしれないが)、いずれにせよビジネスとアートは基本はイーブンに補完的なものであろうと思っている。

ビジネスとアートと言うと印象としてまるで西洋医学と東洋医学の関係みたいに聞こえたりもするが、これらの差よりずっと、ビジネス(の特に経営層の目線や技能)とアートの距離は近い。


by zelan | 2019-03-21 23:40 | 美術について
2019年 03月 19日

起床して夢から覚める

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自分がいつ自らの描きかけの絵のその時点での現実に気づくかといえば、起床直後である。
寝ている間にいろんなことが整理された脳と疲労物質が分解されて刷新した肉体、この二つをもって朝しょっぱなから結構な失望に襲われるという訳。嫌になる位それの繰り返しだが、人間の心身にそういう機能が備わっていることは、前に進むためには僥倖というものだろう。

そしてここでこの言葉を引用するのもおこがましいというものだけれども失望はしても絶望はしてはならない、ということ(明石康・元国連事務次長の言葉)。

(図像 是蘭 Work in progress)


by zelan | 2019-03-19 09:39 | 美術について
2019年 03月 16日

テープのり、テープかのりか

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自分は文房具入れの引き出しにラベルを貼り、中に何が入っているかを分かるようにしている。
先日「テープのり」が使いたくて棚のところに行ったのだが、「テープ」と「のり」というラベルが別の引き出しに貼ってあってどちらに入っているのか迷ってしまった。
別に二つ開けてみればいいことであって(実際そうして結果「のり」のところに入っていた)、また今後迷いたくないということであれば両方の引き出しに入れておいてもいいし、大層な実害はないのだが、自分はこういう事象に遭遇するとなんだか頭の中がモヤモヤして、すごくヤなんである。

ゲルハルト・リヒターが絵を描くことは言語を使う通常の思考とは異なる全く別の思考の形態であるという主旨のことを言っているが、ふとそれを思い出す。自分の考えではこの立場を取ればテープのりはテープのりなのであり、現実のものを現実そのものとして受け止めるには、言語で文節されない認識の方法もまた、必要なのだ。
テープのりという存在は、純粋にテープでもなければのりでもない。血を出さずに肉だけ切れないように、テープとのりは分けられない。だから個々にラベルを貼った引き出しに分けて入れられないのである。それなのに現前としてテープのりというものが存在するという認知的不協和が、自分をどうしても不愉快にしてしまうのである。

ということで新たに「テープのり」ラベルを引き出しに貼ろうかしら。でもたかだか2,3個のストックに、新たに堂々たる一つの場所を与えるのもねえ・・。


by zelan | 2019-03-16 09:05 | 美術について
2019年 02月 20日

パンをやらんとして犬にかまれるの巻~美術と予測


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実家に帰省した際、親の飼っていた老犬にパンをあげようとして口元にもっていったらいきなりガブリとやられ、手から流血したことがあった。
そういえば、子犬を抱いて不用意に別の犬の前を横切り後ろから腿を思い切り噛まれたこともある。この時は10 センチ ぐらいのあざになった。犬たちは本能で反応しているので要は自分が悪い。こういう行動をとればどういう結果になりうるかというヒヤリハット予測が決定的に欠如していたのだ。

翻って美術とはかなりの処、このヒヤリハットで成り立っている。この色とあの色を混ぜたら濁るとかこの支持体に対してはどういう下処理をしておかなければ後で困るとか、目指す表現を得るその何層も何層も前の段階から、ヒヤリハットは至極重要そういう意味では、次第次第にでも「注意深さ」といった性質が醸成されてくる訳で、ここでもやはり美術(芸術と一般化してもよい)は見るだけでなく行うのがトクだ、という結論に、自分は至るのである。


by zelan | 2019-02-20 22:35 | 美術について
2019年 02月 14日

アートと人格

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自分は人は誰でもアートをした方がいい(こういう時は「美術」より「アート」という言葉が合いますね)、というとんでもないことを考えている人間だが、(しかしアイスホッケー狂いの人が「人は誰しもアイスホッケーをすべき」と主張したら即座に断る!冷え性だし運動神経もないし)、アートのいいところの一つに、「人のせいにできない」というのがある。自分の目の前に自力で展開させるささやかな世界の責任は自分自身が担っている。ときたま、100円ショップで買った30センチ定規がやわらか過ぎてカッターで紙を切ろうとしたら定規の方が切れてしまう、という事態が生じた際など人のせいにしたくなるが、基本作品上の成功も失敗も自分のせい。

不用意に人のせいにしない、というのは人が持ちうる人格上の美点のひとつだ。その意味でアートは人格をじわじわと向上させていくための行為でもある。


by zelan | 2019-02-14 09:33 | 美術について